第8話 カタオモイゲーム


 ぼくはさ、ゲームセンターという所には滅多に行かないんだ。

 ここだけの話さ、うるさいだけで何がなんだかわからなくなっちゃうんだね。


 静かなところが、ぼくは好きさ。


 だけどさ、たまにどうにも鬱屈して、音が氾濫するような場所へ身体を置いてさ、内も外も入り乱れて区別がつかなくなりたいという気がすることがある。


 そういう時、ぼくはゲームセンターへ繰り出すんだ。

 今日がそういう日。

 重苦しい気持ち、何をやってもすっきりしなくて、いたずらに心が重くなるんだ。


 ゲームセンターへ近づくにつれて、幾本もの太い触手を伸ばすように、ガチャガチャした騒音が大きくなっていった。

 自動ドアをくぐると、ぼくはほとんど殴られたようなショックを受ける。


 そのうち頭がぼーっとしてくるんだね。


 シューティングゲームやレースゲームやリズムゲームや、まあ、いちいち数えあげるのが面倒なほどのゲーム機がさ、ところ狭しと置かれている。

 そのどれもがチカチカ光っていて、喧しい音をてんでバラバラに上げるんだ。


 調和なんて少しもないよ。

 かといって、渾然一体ってわけでもないんだ。

 むしろうるさいっていう一点で、それぞれ肩を組み合っているみたいだ。


 そこにさ、ひとり、肉体を持たない人間が紛れ込んでいたんだ。


 音の狭間にすっと入り込むように、自然な立ち姿だった。


 見たところ、ぼくと同じくらいの年齢で、学生服を着ていた。


 何だかさ、真剣な眼差しで、ある一点を見つめているんだ。


 正直、ぼくは好奇心を刺戟されたよね。こんなところでいったい何をしているんだろうって。

 普段さ、こういう場所で霊体を目撃することは滅多にないんだ。もっとも、普段はそもそもぼくの姿をここで目撃することはないけどさ。


「やあ」


 とぼくは声をかけた。

 そしたら、彼はビクッとして二、三歩後退った。

 周囲はこんなにも喧しく音が溢れていて、そのどの音も彼を驚かせないのにさ、ぼくのひ弱な声には驚くんだから、何だか面白いよね。


「ああ、僕が見えるの?」


 と彼は言った。

 低いけれど、耳に心地よい声だったね。なんだろう、声が二重になるようなさ、声の裏に静かで落ち着いた低温が響くような声だ。


「見えるよ。

 ぼくはトーマ」


 手を差し出すと、彼は困ったように笑った。


「悪いね、僕さ、死んでから物に触れることができないんだよ。

 みんなこうなのかな?」


「いや、触れる人もいるよ。

 最初は触れなくても、途中から触れるようになる人もいる。

 今の君はさ、肉体と霊体の区別が曖昧で、混乱しているんだ。だから、物体に触れるイメージがつかめないでいるんだよ」


「よくわからないなあ」


 彼の笑顔は基本的に困ったように見えるようだね。

 眉が落ちてさ、口角は上がりすぎないで、薄い唇がちょっぴり引き伸ばされるんだ。


「トーマ、だっけ? 

 君、詳しいんだね」


「まあ、君のような存在の知り合いは多いからね」


「ぼくは先日死んだばっかりなんだよ。

 死にたてほやほやさ。

 まあ、だから要するに、君の言うようにさ、混乱しているってことは確かだ」


「そのうち慣れるんじゃないかな」


「死に?」


 ぼくは肩をすくめた。

 ぼくにはわからないことだったからね。


「僕はカンタだ。よろしく」


「よろしく、カンタ。

 ところで、君はここで何をしていたんだい?

 ずいぶん真剣な顔つきだったけどさ」


 すると、カンタはすっと指である方角を指し示した。

 ぼくは目を向けた。

 そこにはさ、シューティングゲームがあった。


 大きな画面を正面に、銃が二丁あって、そのいずれか一方を手に取るんだ。そして、画面に現れるゾンビを次から次に撃っていく。

 命中するとそれがポイントになって、最後にはその合計値が表示される。


 ゾンビは大声を上げて押し寄せて、撃たれるごとに大袈裟に倒れた。

 ごっこ遊びに興じるような快活さと滑稽味があったね。

 とは言え、自分でやりたいとは少しも思わなかった。


 それにさ、カンタの指が示していたのは、正確にはシューティングゲームじゃなくて、それをプレイする人物だったんだ。


 姿勢の正しいすらりとした、髪の長い女子高生が片手で拳銃を構えていた。

 横顔しか見えなかったけれど、とんでもない美人だってことはすぐにわかったね。

 美人っていうのはさ、なんだかその周囲の空気や色彩まで変えてしまうよね。


 彼女は眉一つ動かさないで、淡々とゾンビを打ち倒していた。

 楽しそうにも見えなかったし、かと言って退屈そうにも見えなかった。


「クサナギさん」


 とカンタは名前を教えてくれた。


「僕は彼女に恋をしている。

 もっとも、恋人じゃないよ。僕なんかには手の届かない存在さ。

 ね、クサナギさんは綺麗だろう?

 しかもさ、ここだけの話、笑うととっても可愛いんだ。誰にでも見せてくれる顔じゃない。僕だってその顔を拝見するまでには多大な時間を必要としたんだ。

 まさに、高嶺の花さ。

 クサナギさんはほんの出来心で恋をしたりしないんだろうなあ。

 でも、どうしても好きだったから、先日死ぬまで毎日告白していたんだ」


「毎日?」


「年中無休でね」


「そりゃ凄い。

 彼女はなんて?」


「当然、毎回あっけなくふられたよ」


「それでも諦められなかったのかい?」


「諦めようとも思わなかったね。

 だって僕はクサナギさんが好きだし、クサナギさんに片想いすることはさ、そりゃ辛い時だったあったけど、総じて言えばそれ自体が好きだったんだ。

 でも……」


 と、カンタは寂し気に微笑んだ。

 やっぱりその笑顔はさ、困ったように見えるんだ。


「それも死ぬ前までの話さ。

 今のぼくはこうして彼女を遠くから見ていることしかできない。

 告白したってさ、付き合えるわけじゃないだろう? 僕は彼女に何もしてあげられないし。

 僕は死んでいるんだからね。

 それに、彼女は僕の姿が見えないんだ。

 何度かね、彼女の前に、勇気を出して立ってみたことがある。

 勇気がいるんだよ、こういうのはさ。もし見えたら、それは嬉しいことに違いないけど、何と言うか気詰まりじゃないか。いったいどういう顔をすればいいんだろう。

 もしも、怖がられたら?

 好きな人に怖いって思われるのってさ、とんでもなく恐ろしいことだよ」


「そうだね」


「でも、杞憂だった。

 クサナギさんの前に立っても、彼女は僕に気づかなかったんだ」


「そうか」


「だから、こうしてさ、彼女を遠くから見ているんだ。

 これは絶妙な距離だよ。

 トーマも、僕みたいになればわかるさ」


 ぼくはさ、カンタの辛い気持ちが伝わってきて、胸が痛くなったね。

 もちろん、ぼくが感じている痛みは、彼のそれの十分の一にも満たないんだろうと思う。

 だって彼はそれまでの当たり前のすべてから切り離されてしまっているんだから。

 でも、そんな痛みでも、ぼくにはあんまり痛かった。


「クサナギさんはさ」


 とぼくは訊ねた。


「前からこうしてゾンビゲームをしているの?」


「どうだろう?

 僕にしたって彼女を付け回していたわけじゃないから、普段彼女が何をしていたのか知り尽くしているわけじゃない。

 ただゾンビゲームをしているのは初めて知ったなあ。

 死んだからこそ、知ることができたって言い方もできるね。悪いことばっかりってわけじゃないらしい。

 拳銃を握る彼女も素敵だろう?」


「うん」


 ぼくは素直に同意を示した。


「かなり様になっている」


 カンタは嬉しそうに笑った。

 もちろんその笑顔はさ、困ったように見えた。


 その時さ、大学生くらいの三人組の男がさ、クサナギさんに近づいていったんだ。

 ぼくとカンタは知らずのうちに身を固めたよね。

 だって、奴等の顔にはとんでもなく下卑た笑みが貼り付いていてさ、それは見ているだけで厭な気持ちになるものだったんだ。


 三人組はさ、クサナギさんに馴れ馴れしく話しかけていた。

 ところがクサナギさんは、彼らのほうをチラリとも見ないで、ゾンビをひたすらに撃ちまくっているんだ。

 どうやらそれに彼らは自尊心を損ねたらしい。


 三人組はクサナギさんから強引に拳銃を奪いとったんだ。


 だけどクサナギさんは相手にしようとしなかった。そのまま立ち去ろうとしたんだ。賢明な判断だったと思う。


 とは言え、三人組もそのまま帰すつもりはないようで、クサナギさんの行く方へ立ち塞がってさ、茶化すような言葉をかけるんだ。


 こういう言い方はなんだけどさ、胸糞悪い光景だった。

 三人組はヘラヘラと、クサナギさんの抗議にはてんで取り合わないでさ、大きな声を出してみたり、品性の欠片もない笑い声を立てたりして、からかい続けるんだ。


 ぼくは怒りが湧いたよ。

 でも、それはさ、隣にいるカンタほどのものじゃなかった。


 見るとさ、カンタは顔を真っ赤にして、ぶるぶる震えているんだ。

 だけど、彼にはなんにもできないんだ。

 だって彼は物体に触れられないから。

 彼は今、これ以上なく辛い立場に立たされているんだ。


 ぼくはカンタの代わりに、三人組に抗議しようと思った。代わりにっていったけど、ぼく自身そうしたかったんだ。


 でもさ、ぼくの身体はぼくが決断するより前に動いていた。

 こういうと、本能が理性に先んじた、みたいな表現になるけどそれは違うんだ。


 文字通り、ぼくの身体は勝手に動いているんだよ。


 それはこういうわけだった。

 カンタがさ、ぼくのなかに入ってきて、ぼくの身体を勝手に操作するんだ。


 ぼくは三人組が蹴散らされて行くのを、黙って見ているだけだった。映像的にはぼくがやったように見えても、実のところ、そうじゃないんだな。

 第一、ぼくはそれほど腕っ節は強くないからさ。


 カンタはぼくが使うよりもずっと巧みにぼくの身体を操作したんだ。


 気づくと、身体の操作権限はぼくに戻ってきていた。


 ぼくは目の前でしゃがみ込んでいるクサナギさんを助け起こした。

 そうしながらどうやって弁解しようか考えていた。

 このことをぼくの手柄にするつもりはなかったからさ。


 相談を仰ぐつもりで、右隣りを見ると、カンタはそこにいた。彼は息を切らして、まだ怒りの冷めやらぬ様相をしていた。

 でも怒りよりもクサナギさんへの気遣いの心ほうがずっと強くて、彼は彼女に手を指し伸ばしたそうにしていた。


 相談できるような状態じゃなかったからさ、とりあえず何か適当な言葉をクサナギさんに言おうと思って、彼女のほうへ向き直った。


 クサナギさんはぼくを見ていなかった。

 彼女の視線の先にはさ、カンタがいたんだ。


「もう告白は止めたの?」


 ってクサナギさんは言った。

 間違いなくカンタにね。


「見えるの?」


 と、カンタは目を丸くした。


「もう告白はやめたの?」


 クサナギさんは繰り返した。


「それは……」


 カンタは混乱した体で口ごもった。


「根性なし」


「でも、僕は死んでいるんだよ。

 君に告白しても、どうにもならないじゃないか。

 それに、君は僕のことが見えていないようだったし」


「驚いたのよ」


「なるほど」


「あなたはわたしと付き合いたくないの? それは死んだから? 死んだらもう諦め切れるような思いだったの?」


「それは違うよ。

 でも、僕は君の手も握れない」


「だから何? そんなことは二義的なことに過ぎないじゃない。問題はあなたがどうしたいかで、わたしがどうしたいかよ」


「そりゃ、僕は君と恋人になりたいさ。

 でもやっぱり僕は死んでいるし」


「受け入れるか受け入れないかはわたしの問題だわ」


 クサナギさんはきっぱりと言った。

 カンタは茫然とした顔つきをした。


 生じた沈黙には、店内の喧騒が埋め尽くそうと襲い掛かってきたけれど、その美しい沈黙はどうしたって有耶無耶にできるものじゃなかった。


「僕は、クサナギさんが好きです。

 僕と恋人になってくれませんか?」


 クサナギさんはにっこり笑った。

 カンタが言ったように、それはとっても可愛らしい笑顔だった。


「考えさせてちょうだい」


 クサナギさんはそう言った。


「ちぇっ。またダメだったじゃないか」


 カンタは笑いながら言った。

 それはさ、困ったような笑顔だったけど、溢れんばかりの喜びに輝いていたね。


「諦める?」


 とクサナギさんは言った。


「まさか」


 とカンタは言った。


 ぼくは、「あんた誰?」とクサナギさんに言われる前に、そっと撤退したよ。


 店を出るとさ、鬱屈した気持ちはすっかり晴れていた。


 ねえ、君、

 君もさ、心が鬱屈した時には、ゲームセンターへ行くべきだよ。



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