第3話 ジュウオウユウジン


 友人って表現は途方もなく厄介な代物だって、ぼくはそう思うよ。


 いったいさ、どころからどこまでが友人で、どこからが友人じゃないんだろうね。

 誰もその差や線引きを教えてくれないんだもの。


 実際、そういうのは各々が経験や感覚で見究めるものなんだろうけど、そういうのを任せられるのって、困ってしまうものだよ。


 知り合いで「ともだち百人つくった」なんて豪語していた人物がいるんだ。


 だけど、聞いたところ、百人知り合いがいて、挨拶を交わす程度なんだよ。

 きっと彼にとっては顔を見知って、挨拶を交わせば友人としての位置づけをするんだろうね。

 性格の合う合わないなんてお構いなしにさ。


 別にさ、皮肉を言っているわけじゃないんだ。

 ヒャクニンくんの感覚って、ある意味素敵だなって思う。


 だけどぼくは挨拶を交わしたくらいで、友人だと断言することに、躊躇してしまうんだね。

 

 びびっちゃうのさ。


 恋人なら、恋心っていうものがあるから、はっきりと線引きができるだろう?

 今のところぼくに恋人はいないけれど、その感覚はわかるよ。

 かつて一人だけ女の子と恋人になったことがあるからさ。


 じゃあ、友人になるためには、友情って奴が必要なんだろうか?


 ぼくはさ、これがわからないんだ。


 友情っていったいどんな感覚なんだろう?


 ヒャクニンくんは、百人の知り合いに友情を感じることができていたんだとしたら、それって凄いことだよね。

 心の面積が広いんだと思う。

 だからその中に色んな人を住まわせることができるんだ。


 思うに、ぼくは心の面積が狭いんだね。

 一人か二人そこにいたら、もういっぱいいっぱいになってしまうのさ。


 でも、そこに住んでくれた人に対しては、ぼくは誠心誠意に努めるよ。

 それは義務なんかじゃなくて、そうしたいって思うからさ。

 もちろん、そうじゃない人にも、誰に対してもそうあろうとしているけど、誰しもと平等に接するなんて不可能なことだよね。


 だから、ぼくはぼくの手に負える範囲で、誠心誠意努めようとするわけさ。


 とは言えだよ、友人関係に、必ずしも友情が関係しているとは言えないのかもしれない。

 ぼくは恐るべき事実に近頃気づいてしまったんだ。


 あのね、君、驚かないで訊いておくれよ。


 実は、恋愛感情のない恋人っていうのもいるんだ。


 つまり、こういうことになる。

 恋人も友人も、単なる言葉でしかないってことだよ。


 このことに気づいたとき、ぼくは周囲の人たちとの関係に名前をつけることに興味を失ってしまったんだ。


 ほら、目の前にいる幼馴染のハル、こいつとぼくとの関係は、友人でも恋人でもない。

 ぼくとハルっていう関係で、あえて名前をつけるとしたら、ぼくとハル、あるいは、ハルとぼくっていう名前なんだ。


 友人なんていう枠をあえてつくることも、親友なんていうくくりをつける必要もないんだ。

 ぼくとハルとの関係は、ぼくとハルという関係でしかない。

 既存の言葉にあてはめる必要はないし、あてはめることができないんだよ。


 そう考えた時、ぼくはなんだかほっと息をついたよね。


 だからさ、ぼくと君との関係も、名前なんていらないんだ。


 ぼくがいて、それから君がいて、何らかの縁で結びつき、少なくともぼくのほうは君との縁を繋いでいきたいと思っている。


 ぼくと君、それがぼくらの名前じゃないか。


「なあ、トーマ、何をぶつぶつ言っているんだ?」


 ハルが言った。心配そうな顔をしているんだ。

 ちなみにトーマっていうのが、ぼくの名前さ。


 ハルは百八十センチも背がある。

 目鼻立ちは整っていて、前髪は目にかかるくらい長いんだけど、全然不潔に見えないんだ。

 こういうタイプは服装や髪型のいかんにかかわらず、かっこよく見えるんだよね。

 まったく羨ましいよなあ。

 おまけに、頭もよくて、運動神経は抜群なんだ。

 リーダーシップもある。

 それも、高圧的な独裁的な場の運営の仕方じゃなくてさ、なんかこう、ふわっと、いつの間にか彼のペースにみんなのせられて、気持ち良くされちゃうようなそんなやり口なんだよ。

 人柄って奴がいいんだろう。

 学生が欲しがる何もかもを持っているのに、嫌味じゃないんだから、参っちゃうよね。


「それで、何をぶつぶつ言っているんだ?」


「うん。だいじょうぶ、こっちの話だよ」


「ああ、そうか。そっちの話か」


 ハルは納得したように頷いた。

 驚くのはぼくのほうだよね、いったい何を納得したんだろう?

 ハルにはそういうところがあるんだ。

 自分一人で勝手に納得しちゃうんだな。しかもその納得っていうのが、たいてい見当違いなんだ。

 ハルはね、何でも抱え込んで、たまにパンクする。

 いつも格好良く笑っているけど、彼は彼で必死なんだ。

 そういう時、いつもぼくのところに来るんだ。

 ぼくは話しを聞くだけだけどさ、必要とされるって、嬉しいことだろう?


「それで、何の話だっけ?」


 ぼくは訊いた。


 今は高校の昼休みで、ぼくらは二階の階段正面にある踊り場にいた。

 そこは椅子やらテーブルが何組か置いてあって、自販機がある。周りには勉強したり、駄弁ったりする面々が見られる。

 ぼくらもそこの一組としているんだ。

 

 ここに来るのはそう頻繁なことじゃないんだよ。

 購買でお昼ご飯を買っていたら、ハルに会って、ここまで引きずられてきたってわけ。

 そういう時、必ずハルは何かぼくに話したいことがある。

 ぼくが聞くまでは絶対に言わないけどね。


 それもさ、普通に「話って何?」「何を話したいの?」なんて聞いても、答えてくれないんだ。

 さも、話の続きであるかのように、「何の話だっけ?」って聞くと、ようやく話し始める。

 不思議な奴だろう?

 そういう風にすることで、はじめてハルが抱えている悩みの蓋が開くんだよ。


「うん、つまりだな、何とかしたいことがあるんだ」


「そうなんだ」


「ところが、俺が何とかしようとすれば、それをよく思わない人がいる」


「そういうことってあるよね」


 ハルは困った風に笑った。


「ああ。

 一人ひとりはいい奴なんだ。

 きっと俺はさ、その人の好ましい部分を見つける才能っていうのがあるんだと思う。

 思い上がりか?」


「いいや、ぼくもそう思う」


「照れるね」


 ハルは嬉しそうに両手で顔を覆った。

 大きな手だなとぼくは思う。その癖、女の子の手みたいに柔らかなんだよ。

 神様はきっと微に入り細を穿ってハルの造形を考え出したんだと思うよ、真剣に。


「でさ、俺がその人それぞれと付き合っている時は、平穏なんだ。ところが、一緒くたに接すると、途端に複雑な縺れが生まれてくる。

 右に動けば左が引っ掛かってさ、左に行こうとしたら、どうして右に行くんだ、なんて言うんだ」


「ぼくには経験ないからなあ」


「その子は女の子でさ、俺がその子の手助けをしようとしたら、それを好ましく思わない子がいて、かえってその子に迷惑がかかることになるんだ。

 ところが——」


「何とかしたいんだろう?」


「そうなんだよ」


 両手が開いて現れたハルの顔つきは、疲れて見えた。

 こういう顔は滅多に見れないよ。

 よほど、困窮しているんだろうってぼくは感じたね。


 要するにさ、こういう言い方はよくないかもしれないけど、ハルって奴は震えるほどもてるんだ。

 だけど、ハルは恋人という関係を誰かを結んだことはない。ぼくが知る限りはね。

 ハルの中にあるのはさ、実に純粋な感情だけなんだ。

 つまりさ、ハルはみんなと仲良くしたいわけ。


 気づいたかもしれないけど、ヒャクニンくんの正体はハルさ。


 奴を見ていると、本当に百人友だちがいるって言っても、嘘でも誇張でもないんだって思える。

 だってね、奴には本当に百人、いや、そればかりかもっと大勢の友だちがいて、その一人足りとも、取り零したりしないんだ。

 だけど、ぼくらの年齢になってくると、相手はそうではないってことが多くなってくるんだね。

 それこそ、人数が増えればそれだけ思惑は増えるんだよ。


 ハルほどの奴でも、縦横無尽ってわけにはいかなくなる。

 むしろ、ハルだからこそかもしれない。

 ぼくみたいに基本的に一人でいる奴のほうが、かえって縦横無尽なんじゃないかな。


「何とかしたいことを何とかするには、やっぱり何とかするしかないよな?」


 ハルは考え込むように言った。


「そうしなければ、何ともならないならね」


「俺は友だちは大事にしたい。みんな大事にすることはできないさ。だけど、俺が出会って親しくなった人には幸せでいて欲しいし、そのためにできることはしたいんだ」


「ねえ、ハル。

 ぼくが思うに、何とかすればいいんじゃないかな?」


「何ともならなくとも?」


「何ともならないことを、何とかして、何とかするんだ」


 ハルはニカッと笑った。


「そうだよな!」


 ね、ハルって奴は妙な納得の仕方をするんだ。


 不思議な奴だろう?


 ハルは元気よく立ち上がった。


「ありがとな。何とかしてみる」


「何とかね」


 ハルは頷いて、大股で歩いて行った。


 君、わかるかな。


 ぼくは奴がすきなんだ。


 友人とか親友とか恋人とか関係なくさ、大事なのはその点だって思う。


 ほら、立ち去る時に、ハルはぼくが好きな牛乳コーヒーをテーブルに置いて行っただろう?


 こういうことが自然とできる奴なんだ。


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