第13話 島野耕助(28・会社員)―その3―
時刻は17時を指した。
「よし、行くぞ、島野」
「はい」
耕助が渋々ついていこうとした時だった。
「あの、よかったら私も参加させてもらえませんか?」
下田係長が、同行者に名乗りを上げたのである。あまりにも珍しい出来事に、周りの社員たちはざわつき始めた。
「ほお、お前から飲みに付き合いたいと言ってくるのは珍しいな」
「いつも島野君を誘うからには、きっと楽しいことがあるんじゃないかと思いましてね。お邪魔でなければ、構いませんか?」
「わたしは構わないが……どうだ?」
海原課長に訊かれ、耕助は何度もうなずいて同意した。
「では決まりですね。僕は下のロビーにいます。準備が整いましたらそこで集合しましょう」
海原課長の行きつけのクラブへは、いつもなら居酒屋を数件はしごしてから向かうのだが、下田係長の提案で、今日は最初からそのクラブへ足を運ぶこととなった。
「お待ちしておりました、海原さん」
クラブに入ると、ママさんと思われる年増の品のある女性が出迎えた。
「あら、お見かけしない方が」
「わたしの部下でね、下田と言うんだ」
海原課長の紹介を受けて、下田係長は前に出た。
「お初にお目にかかります。下田と申します。こういった場所は不慣れなものですから、
係長が出した名刺をママさんは受け取った。
「下田
「今年で42になります」
「あらそうなんですか!? もう少しお若い方かと思いました」
三人が案内された席は、他の客や店員の通行が気にならない店の角だった。海原課長の特等席である。
「いつもお二人はこちらに?」
「普段なら色々飲み歩いてからだがね」
「課長はお酒強いですからね。島野君もよくついてこれるね」
「え? ええ」
急に話を振られた耕助は戸惑いながらも返事した。
そこにママさんが戻ってきた。ホステスを二名連れていた。
「お待たせしました。今日はまだ他のお客様もいらっしゃいませんから、わたくしもご一緒していいかしら?」
ママさんは海原課長の隣に座った。他のホステスも係長と耕助の横に座った。
下田係長はママさんに話しかけた。
「いつもは課長とご一緒しないんですか?」
「他のお客様にもご挨拶に回らないといけませんからね。今日は早くいらっしゃいましたから、しばらくはご一緒できますわ」
「そうですか。早く来てよかったですね、海原課長」
「うん、そうだな」
海原課長は軽く返事をしながらウイスキーに口をつけた。下田係長が積極的に動くからか、課長は自分のペースに持ち込むことができない。
「係長さんもお飲みになりませんか?」
「ありがとうございます。僕は課長と比べてそこまで強くないですから、ちょっとでいいですよ」
隣にいたホステスに訊かれて、下田係長はコップの半分程度にウイスキーを
しかし耕助は気が休まらなかった。海原課長に嫌がらせを受けるかもしれない緊張感とはまた違う緊張感が、彼の全身から冷や汗を吹き出させていた。
耕助の雰囲気を察したのか、彼の横のホステスが課長に声をかけた。
「海原さん、いつも饒舌なのに今日はおとなしいですね」
「ん? そうか? いつもより早いから、いつもの調子が出せないのかもな」
「普段はどんなお話を?」
すかさず下田係長が言葉を挟んだ。
「いつもはお仕事の話を。そうそう、毎回島野さんの失敗談を聞いてますよ」
言われた耕助は話題がそこに移ることで肝を冷やした。
「おお、そうだそうだ。今日は何があったかな?」
「課長、それより今日は会議の時に色々あったんじゃないですか? 今回は他の企業の方も交えてのものだったと聞いていますが」
「会議の話? しかしそっちは小難しくならんかね? 社外秘のこともあるし……」
「仕事に関わらなくても、プライベートの話ならありませんか? たしか今日のお昼は皆さんと外食されていたと聞きましたが」
「ああ、そういえば○○会社の課長さんがいらっしゃったんだがな」
海原課長はそこから下田係長に乗せられるままに、今日あった会議の出席者の話を始めた。話は盛り上がり、耕助の話題は完全になかったことになった。耕助は係長がそっちの話題に行かないよう、上手く場を回していることに感謝した。
「いやあ、しかし課長のお話は面白いですね。そりゃ飲みの席が盛り上がるわけです」
言いながら下田係長は腕時計を見た。思えば数時間、三人は飲み明かしていたのである。
「課長、もう
「何を言ってるんだ、まだまだこれからじゃないか。いつもなら深夜まで飲み続けてるんだぞ」
「お気持ちは分かりますが、課長、奥様に肝臓の数値が悪いことでお叱りを受けてませんでしたか?」
それを言われると、海原課長も受け入れざるを得なくなった。
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