第10話 赤座美紗(34・主婦)―その10―

 二週間程経過した。

 下田の料理教室はいつも通り和やかに進んでいた。

 参加者の中には、美紗の姿もあった。彼女としては、夫の四十九日が済んでから復帰するつもりだったのだが、どうしても下田と話をしたかった彼女は、ある程度周りのことが落ち着いた今日、料理教室に参加したのだった。





 教室が終わった時、声をかけたのは美紗の方だった。


「下田さんちょっといいですか?」


「どうかしたの?」


「先日のことで、お話ししたいことが」


「いいわ。帰り道で話しましょう」


 あの時と同じように、二人は同じ道を歩いていた。


「あれからどう? 生活は落ち着いてきたかしら」


「時々情報を渡しに警察の方が来ますけど、それ以外はだいぶ元に戻ってきました。これからのことを考えたら、仕事もしないといけませんけど」


「でもご主人の生命保険があるんでしょ。聞いたわよ、かなり入ってくるんですってね」


「切り詰めていけば、京太が高校に入るまでには困らないと思います。正直、そんなにあるなんて思いませんでした」


「少し休んだらいいのに。わたしなら贅沢に使うわね」


 美紗は自分の話したいことに持っていくために、話題を変えることにした。


「下田さんは裏のお仕事をいつから始められたんですか?」


「どうして?」


「お通夜の時、ご家族を連れてらっしゃったでしょ? その時にふと思ったんです。ご家族は、下田さんの裏の顔をご存じなのかなって」


「あんまり詳しくは言えないけど、少なくとも結婚する前からは始めてるわ。もう20年はやってるわね」


 ではこの女は、それでいて結婚し、子宝も授かったということなのか。美紗は質問を続ける。


「じゃあ足を洗おうとは思わなかったんですか?」


「思わなかったわね。自分の仕事には誇りを持ってるもの。簡単には辞められないわ」


 美紗の怒りが増していった。


「一也君のこと、何とも思わないんですか? 人を殺したお金で、家族を養うなんて普通の考えじゃありませんよ」


「あなたが言いたいことってこのこと?」


 美紗はついに本題を切り出した。


「下田さん、あなたが夫を殺してくれたことには感謝します。あなたがいなかったら、わたしはずっと苦痛を感じたまま生きていたかもしれない。でもお願いします。もう人を殺すのはやめてくれませんか?」


 これを聞いて、下田は鼻で笑った。


「あなた大胆なこと言うのね。人殺しを依頼しといて、よくそんなことが言えるわね」


「ですから、殺してくれたことには感謝してます。でも下田さんの家族を見た時思ったんです。幸せな家庭を築いていらっしゃるのに、そんな人が危険と隣り合わせな活動をしてるなんて、すごく恐ろしくなりました。あなたがわたしの家族のために動いてくれたんですから、今度はわたしがあなたのために動きたいんです」


「大きなお世話ね。わたしはやりたいようにやってるだけ。あなたのために動いたわけじゃないわ」


「でも殺しとは関係なしに相談に乗ろうとしてくれたじゃないですか」


「それはそれ、これはこれよ。それにあなた、本当にご主人を殺したことに納得してるの?」


 美紗は突然訊かれて言葉に詰まった。下田は美紗の内心すらも見抜いているようだ。


「言ったでしょ? わたしもこの仕事をして20年経つの。人の行動や表情で心理状態を見抜くなんて簡単よ。お通夜の時のあなたの俯き方、どう見ても本心で後悔してる人のものだったわ。あなた、京太君のことを考えたんじゃない? 父親がいなくなった京太君のことを」


「それは……」


「契約書をもう一度思い出して。後悔してはいけない。分かってるでしょ? あなたの選択は正しかった、それでいいじゃない」


 立ち止まってる美紗を置いて、下田は歩き始めた。美紗は意を決して、彼女を呼び止めた。


「下田さん、わたし料理教室には行きません」


「……支払いは期限を越えてはいけない。あなたの依頼料は料理教室に四年間通ってくれたらそれで守れるのよ」


「ですから、生命保険が入ってきたら、四年分の月謝をお支払いします。それで契約は守れますよね?」


「物は言いようね」


「だからすぐにでもあなたを殺し屋稼業を辞めさせたい。絶対にあきらめませんから」


 それを聞いた下田は呆れたように溜息をついた。


「あなたって、今いくつ?」


「先日34に。それが関係あるんですか?」


「その年でそんなに甘いこと言ってるの? お気楽ね。前にあなた、自分は世間知らずだなんて言ってたけど、単に甘ちゃんなだけなんじゃない?」


「何と言われても結構です。わたしは自分のやることを信じます」


 下田はまた鼻で笑った。


「好きにしなさい。でも、覚悟はしておくことね」


 美紗のにらむ視線も気にせずに、下田は颯爽と帰っていった。

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