第110話

「このままじゃ…間に合わない」


 風のように疾走する馬車の中、不意に前方を見つめた佐敷瞳子がポツリと呟いた。


 現在地はまだ、ハンタリオンを越えた辺り。替えの馬車に乗り換えてから一時間が経った頃である。


「こんな遠くから、何か見えたのか⁉︎」


 隣に座っていた神木公平が、その声を聞きつけて驚いた表情を浮かべた。


 そのとき、前を向いた姿勢のまま、佐敷瞳子がコクリと頷く。そんな二人の耳元にはヘッドホンが装着されていた。


 激しくきしむ馬車の悲鳴。馬のいななきに蹄の音。周囲は轟音に支配されている。


 そんな中で二人の会話が成立するのは、ミサに貰ったヘッドホンの為せる業であった。


「炎みたいな、赤い…タグ」


「炎…?」


「急に、出てきた」


 突然、ピンと跳ねた炎のタグ。それに付随するように現れた、直ぐ横にある赤いタグ。


 確認すると、赤いタグの名はエルアーレ。彼女の数値も二万を超えるが、炎のタグは十万を優に超えている。勝ち目など到底無かった。


「つまり、どう言う状況なんだ?」


 どうにも要領の得ない佐敷瞳子の説明に、神木公平はもう一度確認する。


「エルアーレが…危ない」


「なら俺は、どうしたらいい?」


 彼の真剣なその声に、佐敷瞳子はゆっくりと振り返った。


「…エルアーレを、助けて」


 真っ直ぐに見つめる彼女の瞳に、神木公平はフッと表情を緩めて微笑んだ。


「分かった。行ってくる」


 ~~~


「レト、直ぐに馬車を停めてくれ!」


 神木公平は席を立って前に移動すると、御者台に座るレティスの背中をポンと叩いた。


 レティスは訳も分からず困惑するが、神木公平の真剣な眼差しを受け、手綱を握るカチュアへと急停車の指示を出す。


「何かあったのですか?」


「エルアーレが危ないらしい」


「…例の、少女ですね?」


「ああ」


「それで、どうするおつもりですか?」


 言いながらレティスは、探るような視線を神木公平へと向けた。その振る舞いに、別段気負った様子は見受けられない。


「先に行って、助けてくる」


「お一人で? トーコさんは何と?」


「瞳子が俺に、行ってくれって」


「…そうですか」


 レティスがチラリと目線をやると、佐敷瞳子は焦ったように俯いて、それからコクリと頷いた。


「分かりました。トーコさんが言うなら大丈夫なんでしょう。コーヘーさんに託します」


「ああ、やれるだけやってみる」


「公平くん」


 そのとき佐敷瞳子が、神木公平の上着の裾をチョイチョイと引っ張る。


「ん?」


「これ」


 差し出されたのは、虹色に光沢のある、銀色の羽のイヤリング。幻影鳥の羽飾りだ。


「使って」


 真っ赤な顔して俯く佐敷瞳子に、神木公平の表情が自然な笑みで一杯になる。


「分かった。サンキューな、瞳子」


 そうして差し出されたイヤリングを受け取ると、


「じゃ、ちょっと行ってくる」


 軽い感じで言い残して、馬車から勢いよく飛び出して行った。

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