第109話

「蟻の如き存在には、属性なんて次元の話ではない事が、理解出来ないのでしょうね」


 口元に右手の甲を添えながら、ルサルサがあざけるような微笑を浮かべる。


 その時ルサルサの意図を察したエルアーレが、後方に振り返って声を張り上げた。


「逃げろ! 今すぐここから離れるんじゃ!」


 しかし同時に迸った一本の圧縮された水流が、レーザーと化して彼女の頭上を通り過ぎる。守備隊が防御に展開した土塁の壁も難なく貫き、そのまま一直線に大地を抉り取った。


「クソッ」


 更に追撃の様子を見せるルサルサに、エルアーレは無意識に悪態を吐く。透かさず両手で創り出した二発の業火球を、ルサルサの左右の水面目掛けて投げ入れた。


 直後に水中で、二発の業火球が大爆発を起こす。そうして水中で気化した水蒸気が、二本の水柱となって一気に外へと噴き出した。


 すると濃密な蒸気がルサルサ包み込み、狙いどおりに視界を奪う。


 エルアーレは今しかないと振り向いて、再び声を一杯に張り上げた。


「お主らが居ても、ただの足手まといじゃ! 良いから今のうちに…っ」


「なんて、お優しいこと」


 その瞬間、お腹の底にまで響くような重低音の囁き声が、エルアーレの直ぐ真後ろで発せられる。


 生命の危機にゾッとしたエルアーレは、反射的に背後を振り返った。しかし即座に喉輪を掴まれ、強引に身体ごと持ち上げられる。


 ルサルサは左手一本で少女の身体を支え上げ、自分の目線と高さを合わせた。


「本当、付き合い切れないお馬鹿さんだわ」


「じゃったらもう、放っといて…貰えんかの」


 息苦しさに表情を歪めながら、それでもエルアーレは不敵に笑う。


「そうもいかないわ。貴女をここで見逃せば、次も必ず妨害するでしょう?」


「かも、しれんの」


「だからね、仕方がないの」


 言葉とは裏腹に、ルサルサは恍惚の表情を満面に浮かべた。


「永い付き合いでしたけれど、エルアーレ、貴女とはここでお別れよ」


 その時ルサルサの右の手のひらに、辺りの水蒸気が吸い寄せられ、四発の小さな水弾が精製される。そしてそれぞれが高速軌道で曲線を描き、エルアーレの四肢の全てに命中した。


「がっ⁉︎ こ、の…っ」


 苦痛の声は堪えるが、エルアーレの両手足はダランと力無く垂れ下がる。


「どうしましたか、エルアーレ。こんなにされても魔神化を起こさないだなんて」


 ルサルサは高らかに笑いながら、エルアーレの喉元に更に右手を差し込んだ。それからその小さな身体を、両手で頭上にまで持ち上げる。


「わ、儂の…炎は、鉄を…鍛える、ために在る…」


「何かしら、聞こえないわね」


 掠れるようなエルアーレの声に、ルサルサは力を抜いて、再び自分の目線へと高さを合わせた。


「師匠の墓前で…誓ったんじゃ! 二度と魔神になぞ、変化へんげしたりはせん!」


 同時にエルアーレの口から吹いた火炎放射が、ルサルサの顔面に命中する。不意を突いたその炎は、彼女の前髪をチリチリと微かに焼いた。


「…でしたらもう、死になさい」


 その事実に気付いてか、ルサルサは無表情で言葉を紡ぐ。そうして興味を失くした人形と同じく、エルアーレの身体を放り捨てた。


 彼女の身体が映像のようにゆっくりと、弧を描いて落ちていく。


 そのまま地面へと、落下する寸前…


「良い啖呵たんかだったぞ、エルアーレ」


 エルアーレの小さな身体が、突然何かに抱き止められた。

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