第30話、希望は絶望へ

 魔蜂の大群がいよいよスパーク達に迫る。


 シーアは魔涎粉を洗い落とすも、フェロモンは消えない。シーアを見つけた個体により集まった蜂達は最早スパーク等を敵対者として認識していた。


「くっがよぉ! ツイテねぇぜ!! ……シーアっ、リーアは走れそうか!?」


 リーアに訊ねれば『走れます』と即答するに決まっている。だからスパークはあえてシーアへと訊ねた。


「は、走れないと思う……」

「走りますっ!! いざとなったら置いていってください!!」

「はぁ!? ダメじゃん、それは!!」


 この世にたった二人の姉妹で、喧嘩もなくやって来た二人。


 どちらかを死なせるという気は探索者になる前よりなかった。


「……スパークっ! あたし等はいいから逃げなって!!」

「はぁ!? それはダメじゃん……って、おんなじこと言っちまったじゃねぇか!!」


 仮に逃げようというにも、スパークの魔力も残り少なく風前の灯火。


 地表の根の上に落ちたブラッドビーの残骸から立ち込める焦げた悪臭が、撃ち落とした数を表していた。


 辺りは黒い蜂の破片だらけ。手足が散らばり、目がこちらを見ているかのようで気味が悪い。


「……ちっ、最後に足掻いてみるか?」


 スパークが未だ黒く増える魔蜂の群れを見上げ、大技を覚悟した。


 三人が揃って……諦めつつあった。スパークが稼いだ時間がその覚悟をさせた。


 激しい雷を警戒して上空に待機する魔蜂。群集の波打つ天井は、もう勝ちの目はないことを嫌にでも知らせて来ていた。


「――スパークッ、下がっていろ!!」

「んあっ!? ……シユウさんっ!! マジかよ!!」


 この絶命間近の不可能を打ち破れるものを、人は黒雲級と呼ぶ。


 壁上部の太い根を走り、スパーク達へと疾走するシユウ。


 巧みに槍を回転させ、手甲より生み出された激流を穂先へと集中させていく。


「〈鯉昇り〉」


 そして駆けるままに三度振るい、自身の背丈よりも大きな水流の鯉を撃ち出した。


 斜め上空へと遊泳する鯉は蜂を貪りつつ突貫し、シユウはそのまま床へと伸びる根を滑り降りていく。


「…………」


 滑りながらも右手を根へ。


 激流が右手に集い、戦意高まるシユウの表情も徐々に修羅の如く……。


 やがて増大し続ける右手の激流により根は抉られ始め、波に乗るように滑走する。


 集う水流は一目で途轍もない質量を持つと察せられ、蜂達も本能からか飛び立ち始めた時、


「――〈滝昇り〉ッッ!!」


 スパーク達の前に到達したシユウが、右手の激流を上空へと解放した。


 それは神秘の絶景。


 広がり昇り行く水流は視界を越えて更に増大する。蜂の事など既に頭から消え去っていた。


 逆さに打ち付ける激流の滝は天井へ至った端から弾け、大きな雨粒となる。


 蜂群を巻き込み砕き飛ばした瀑布は、ゾーン全体へ降り注ぐ大粒の雨となり乾いた植物を潤す。


「……手厳しい事を言うのであれば、最後まで生を諦めるべきではない。待っている者の元へ帰りたいのであればな」


 迫り上がる激流の最後が昇っていき、白波の布が完全に上がるのを待たずにシユウが振り返り告げる。


「三人共に、最善を尽くしたと言えるか?」

「あのっ、いや……なんでもないっす……」

「「…………」」


 自分も時間を稼ぐよりも大技をと考え、シーアは魔法の一つも試さず、リーアは自分の生を真っ先に諦めた。


 スパークを先頭に俯いて、シユウの技に圧倒されて昂っていた気を消沈させてしまう。


「俺からはもう何も言わない。……ふっ、戻った後でレルガちゃんにお礼を言っておくといい」

「レルガさん……?」

「あぁ、そうだ。あの子が魔涎粉に気が付いて俺に教えてくれたんだ。ただ……少し予想よりも事情が違うようだがな」


 シユウが足元に転がるブラッドビーの脚を睨み呟いた。


 ………


 ……


 …



 ニャオが店を去り、店主が魔涎粉の瓶を並べるのを呆然と眺めるレルガとクロード。


「………………見ててもいいが絶対に触れんなよ? クシャミとかは最悪だ」


 店主が中身の確認の為に瓶を全て開けていく。魔涎粉は作成より保存の方が難しく、慎重に開封している。


 その作業を興味深そうに見つめるクロードとレルガ。


「…………リーアっ!!」

「ヒヤァォ!? ぐっ、こ、腰が……!!」

「ん? レルガちゃん、それはどういう……?」


 突然に声を上げたレルガに飛び上がる店主を無視して、シユウが問う。


「さっきリーアがこんな匂いのつけてた」

「ッ…………」


 ぞくりとした最悪の予感と共にレルガが指差した瓶を回し……ラベルを確認する。


 ――『七色蜘蛛』。


 血清や解毒法もなく、噛まれれば七割の確率で死ぬ猛毒を持つ小さな蜘蛛だ。当然、複数に噛まれれば助かる見込みなどない。



 ♢♢♢



「……うちの子達はやっぱり精鋭揃いだな。三人の命を救った。これからの犠牲者も含めてだ」


 大岩の上から飛び降りた男が、雨降るゾーン二十六を背負い三人組の前に立ちはだかる。


「あとは君等だな。早速、動機でも訊こうか」


 大剣を肩にした男は身体付きも見事で、構える事なく突っ立つも何故か隙らしきものを見出せない。


「…………」

「王国側の探索者だろ? 王国と公国の探索者同士の仲が良くないというのは知ってた。でもこれは人としての一線を越えている」


 男の語る言葉から伝わるのは余所者らしきことと探索者としても素人であろうこと。


 そして探索者狩りの理由を追求したがっている。


(大剣か……)


 実力者らしき男の持つ武器が大剣であったのは幸運だ。


 〔重騎士〕の大楯で防ぎつつ、背後の二人が多方面より狙いを付ければ安全かつ迅速に倒せる。


 背に受ける視線からも、仲間に意図は伝わっただろう。


 盾受けする為、腰を落として身構えながら足場の質感を確かめる。ぐっと踏ん張れる感触、これならば重い質の斬撃と言えど受け止めるのに苦労はないだろう。


 と、勝利への筋道を立てた時だ。


「っ…………」


 目の前の空間が捩れ、自分の兜の額部分の装飾が斬り飛ばされる。


「先に話を終わらせよう。質問に答えてくれ」


 男が大剣を振った。いや、“振る”ではない。


 回した・・・……。


 優れた暗殺者が短剣を手首や指先を使い巧みに操るように、くるりと手首で横薙ぎに大剣を回して……一周し、再び担ぎ直している。


 空圧で周辺を震動させた重厚な大剣に、微かな反応もできなかった。


「………………正当な復讐だ」

「君等に権利があるって言いたいのは、さっきの会話で分かってる。……あるとは思えないけどね」

「あるさ……報いなんだから」


 重騎士の言葉を繋ぎ、背後の女が告げた。


「私達の大事な人は…………公国もんに探索者狩りされたんだ」

「…………」


 隣の男がまた繋ぐ。憎しみを声に表して……。


「殺された相棒の盗られた装備を公国で目にした俺の気持ちが分かるか? 売っ払ってんだよっ……。その金で美味い飯でも食ってんだよっ、その装備を買って使う奴がいるんだよっ!」


 息子を、恋人を、相方を失った苦しみは憎悪へと変わっていた。


「……じゃあ、これまで殺されたのは犯人か、関係者とか」

「公国は知っていても犯人を差し出したりは――」

「ではないよね。さっきの君達の話しぶりだと」


 無差別に標的を選んでいた。


 犯人など今も分かっていない。


 だからこそであった。自分がここまで苦しんでいるのに、無関係を装い探索者生活を謳歌している公国の者を許せなかった。


 それにいつかは当たり・・・を引くかもしれない。既に引いているのかもしれない。


 希望的観測であろうとも、可能性が有ると考えると犯行の手は加速する一方であった。蟲や獣を殺到させ、遠くから愉悦に浸る。もはや快楽だ。


「しかもあの二人は指定されて狙ったんだろ? それは殺し屋のやる事だ。君等はもうその犯人と同じ加害者だ」

「違うっ!! これは再び悲劇が起こらぬようにとの自衛の為でもある!!」

「……そういえばさっき、公国の探索者が全員死ぬみたいなことも言ってたな。そんなの自衛どころの話じゃないだろう。ただの虐殺だ」


 大剣を担ぎ直して、熱の入る三人を牽制して再度問う。


「さっきの大技を見てもまだ言えるか? どうやって殺す。シユウを簡単に殺せるとは思えないし、他にも黒雲級はいるらしいよ?」

「クハハッ……。……アレ・・ならやれるさ。あいつなら【昇り龍】と言えどもな」


 協力者と計画を練る中で黒雲級を倒す必要があり、それを証明する試験的な意味も含めて披露された。


「強いだけではどうにもならない。アレは、特定の条件下で正しく神となれる」

「…………」


 大剣担ぐ男の表情はまるで変わらないが、自分達は確信している。


「あとは筋書き通りに王国と公国の黒雲級をぶつかるのを待つのみ。さすれば公国の探索者は終わる、確実に。安心しろ、後は王国の探索者が仕事を全て受け持ってやる」

「……もうすぐ大規模な魔物の氾濫があるから力を合わせようって話だろ?」

「ふっ……」


 協力者の筋書きシナリオは進行している、着々と。


「臆したか、無理もない。こちらには、赤月級の【翡翠弓】と……王国の守護者たる黒騎士がいるのだ」

「…………」


 眉を寄せて面持ち厳しくする男を目にし、やがて公国に下る裁きの剣に思いを馳せる。


「貴様ら公国の愚物共と言えど彼の偉業は聞き及んでいるだろう。彼は今度の魔物氾濫へ参戦を表明している。雌雄を決するならば今をおいて他にないっ」

「かの王国の英雄が、下劣な公国に与する黒雲級を屠る日は近いのよ……。死ねっ、みんな纏めて早く死になさいっ!!」


 三人の内、二人は黒騎士の実力をその目で目の当たりにしていた。


 シユウは確かに図抜けて強い。だが黒騎士は対人にて無類の強さを誇る。負ける道理などない。


「……シルクはどうだか知らないけど、黒騎士は動かない」

「なんだその根拠のない意見は。見苦しい、今更怯えたところでもう遅いわ」

「動かないよ、馬鹿らしい。黒雲級同士ってもう戦争じゃないか」

「その通り。だからこそ黒騎士は動くのだ。高潔なる王国民を守る為に」

「いやそんな事で戦わない。公国にだって高潔な人はいる。良い人も悪い人も。王国だってどこだって同じだ。そんな訳も分からない殺し合いはしない」


 適当な希望を口にする男へ、王国の探索者は呆れ果てたとばかりに嘆息して告げた。


 何も解していない男へ、仕方なしと黒騎士という存在を説く。


「ふん、黒騎士は王国の剣であり盾だ。貴様のような薄汚い公国者になど、あの矜持や気高さは理解できんさ」

「なら今ここで言うよ。俺はどこの国のもんでもない」


 それとなく翳した手に黒いもやを生み出し、生首の如く掲げるそれを証として断言する。


 雄々しく、逞しく、尽く王国の脅威を退けて来たその証を。


「君達に手を貸す気はない」


 見覚えある漆黒の兜を前に、戦慄する。


「なっ……!?」

「く、黒騎士!? あなたが黒騎士なの!?」

「そんな嘘だろ!? なんでこんなところにっ!!」


 犠牲になった公国の探索者を思い、心痛める残された者達を憂い、兜を自分の頭へ嵌め込む。


「俺をあてにするのは止めるんだな」


 黒騎士の兜に、眼光が宿る……。


 闇色のオーラが男の身体を渦巻き、完全体となった漆黒の騎士が姿を現した。


 おもむろに下ろした大剣と揃い、記憶に鮮明に焼け付く闘神のようなあの日の勇猛な戦い様と面影が重なる。


「どうするんだ!? おいっ、おいっ!!」

「逃げるに決まってるでしょう!? 何とか逃げ道を作ってよ!!」


 一歩ずつ歩む。後退りする三人組を追い、影を呑み込む程に暗い魔力を滲ませて歩み迫っていく。


「おい待てよっ、待てってんだよぉ!! 俺達は王国民だぞ!?」

「言っただろ。どこにだって悪い奴はいる。王国だろうと公国だろうと悪人はいる。ここにも……」


 抵抗心も、克己心も、激情も、達成感も、内なる心と共に削ぐようにゆっくりと歩み寄る。


「最後に……あの姉妹を狙う“あいつ”について話してもらおうか」


 黒騎士の左掌が、恐怖に顔面蒼白になった正面の男へと伸びる。



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