第29話、龍の残滓

 ゾーン二十六は蟲達の世界であった。


 床、天井、壁、その全てが一つの植物により埋め尽くされており、真下から滲む魔力によりいつまでも栄養に困らず成長している。


 蟲等は植物や周囲の区画から餌を採集しており、独特の生態系の中で生きていた。


「走れ走れ走れっ!! アレは別の区域の魔物に押し付けるしかないっ!!」

「ッ……ハァっ、ハァっ……!!」

「はっ、くっ……!!」


 びっしりと地面を覆う巨大な根の上を、三人が駆け抜ける。


 焦りを隠せないスパークは背後の何かを気にしながら前を行く二人を急かし、当の姉妹は顔一面に苦痛を表している。


 恐怖に激しく脈打つ鼓動は満足には空気を取り入れさせてはくれない。未だかつてない……スパークですら体験なき危機に脚も震えが止まらなかった。


 ただ言われるがままに前を見て走るのみであった。


(ちぃ……!! あの時かっ!!)


 二ゾーン手前で出くわした三人組の見慣れない探索者チーム。


 男二人と女一人という組み合わせで、警戒したのも束の間に先にいた魔物の情報をと歩み寄って来た。


 〔重騎士〕一人に〔弓術士〕二人、探索者狩りならば遠目から襲うであろう組み合わせであっただけに、とりあえず話を聞く中で判断をと応じてしまった。


 おそらくは、魔涎粉。


 初心者のシーアへ励ましの言葉を送り、肩を叩く等して接触していた女が付けたのだろう。


 その結果がこれだ。


 ――――黒々とした波が空を駆けて迫り来る。


 天井の一画を埋める程のブラッドビーの群れがやって来ていた。推察するに、シーア一人を目掛けて。


「〈雷公ノ一槍〉ッ!!」


 振り向き様に放たれた青雷の投擲槍が蜂の群れを率いる一匹に飛来する。


 穂先に触れた瞬間に感電した蜂は体液も残さず破裂し、有り余る電気は周囲の蜂達にも放電する。


 しかし……一部を抉るもじわじわと空から寄せて来る波の勢いは微かにも衰えない。


 嗅覚に優れる蜂はフェロモンに気付いた端から、後から後からこちらへ集結する。増える一方であった。


「――っ、きゃあ!?」

「リーアっ!!」


 根の出っ張りに引っ掛かり、リーアがごろごろと転倒してしまう。


「くっ――――」

「うわっ……!!」

「っ……!?」


 疾走するスパークが二人を抱え、壁沿いへと走る。


 そして二人を壁にふわりと投げ飛ばし、


「キャッ!?」

「いたっ……!!」


 腰元のバッグから三鈷杵のような魔具を二つ取り出すと、素早く宙へ放る。


「〈雷公ノ痺皮らいこうひひ〉……」


 両手上の魔法陣から生まれた青雷を落ちて来た三鈷杵が纏い、そのままスパークの手に収まる。


「シーアっ!! 時間を稼ぐから肌を洗え!! 肩とか手とか、さっきの奴らに触れられたところ全部!! とにかく念入りにだ!!」

「ふえっ!? り、りょうかいっ……!!」


 スパークが三鈷杵を振る度に、一筋の青き稲妻が空へ放たれる。


 明るくゾーンを照らす青雷が、近付く蜂達を焼き焦がす。


(粉を洗ったらどうにか注意を逸らして逃がさねぇと……)


 ブラッドビーは今のシーア達では一匹ですら危ういレベルだろう。


 しかしリーアはもう走れないのではと、スパークの焦燥感は強くなるばかりであった。



 ………


 ……


 …




 怖気を余儀なくする凶悪な魔物の波が、エリアの空の一部に立ち込めていた。


 仕掛けた自分等ですらぞっとする光景だ。


 監視する為にゾーン端の壁の上にできた穴蔵から、遠くの地上から青い雷が点々とブラッドビーの群れに奔るのを眺める。


「……強い、紫山級か。しかし魔力の残りはどの程度かな」

「着々と公国もんを削れてる。これで終わりなんて止めましょうよ。ねぇ、お願い?」


 憎き公国の探索者を暗殺しながら潜入すること三週間。


「惜しい気持ちは分かるけどな。でもリスクを負わずともどうせもうすぐ公国の探索者は皆殺しになるんだ。焦るな焦るな」


 やられた事をそのままやり返しているだけ。正当な理由ありとする三人組は胸のすく思いに声が弾んでいるようであった。


「それにしても、あいつ・・・はあのガキ共に何の恨みがあるんだ?」


 協力者に感謝はしていれども疑問は残る。魔涎粉から拠点まで何から何まで用意してもらったのだから文句は言えないが。


「…………」


 この子供二人だけは必ず標的に入れろ、とのことであった。 


「公国の子供なんて将来は探索者になるかもって脅威だろ? 後から花咲く毒みたいなもんだ。全て駆除して当然」

「地区のガキを見たでしょう? 下品に騒いで忌々しい。血が腐ってんのよ。流れるのが同じ公国の血なら手遅れでしょう」

「それはそうだが――」


 言い終わるよりも先に。






 ――――死―――――






「ウグァッ……!?」

「な、何っ!? なによぉーッ!!」

「黙れっ、落ち着け!! いいから黙ってろ!!」


 三名の二人は紫山級、一人は蒼樹級。誰もが一流の探索者である。


 頭を埋め尽くす死の予感に、腰が砕けながらも各々に武器を取り出していた。


 刎ねられた首の気分は、もしかしたらこのようなものなのかもしれない。


「あぁ……もう少し話を聞こうかと思ってたんだけど、今の物言いは流石に頭に来ちゃったな。捕縛しようか迷ってた心が決まった。実力的に後から逃げられるかもしれないし、ちょっとこれは改心するとは思えない」


 真隣だ。


 すぐ隣の大岩の上に、大剣を肩に担ぐ黒髪の男が座ってこちらを見下ろしていた。


「……どうする。聞かれたようだぞ」

「殺せるならば殺す。危険ならば逃げる。もう例の子供は助からない。下の階層から王国へ…………」


 三人のリーダー格らしき男の言葉が、不自然な揺らめきにより途絶える。


「あの子達は心配いらない。あっちには自分に任せろって、が向かったからね」


 地面が揺れていた。怒りが表れるように、空間が震えていた。


「怖い顔をしてかなり怒ってたから、俺が見逃しても君達はどの道終わりだ」


 三人は男の視線を追って、揺らぎの根源を目にする。


 目にして、目を疑う。


「…………」

「……なんだ、あれは」


 滝が昇っていく……。


 天地も無用に、大瀑布が昇っていく……。


 ゆっくりと迫り上がる激流の滝、大自然を思わせる光景。


 黒き魔蜂の波を残さず呑み込んで余りある瀑布は、突き破らんばかりにそのまま天井へ激突してゾーン二十六近辺全体を震わせる。


 龍の片鱗を宿す者。これが自然の猛威を身に付ける黒雲級の強さなのか。


 自分達の王国側にも黒雲級はいる。


 しかしニウース地底魔窟に存在する探索者最強と目される【昇り龍】の実力は、また一つ別格のように思えてならなかった。


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