第16話、仕事にかかろう

 

「……ナタリア、よく聞いてくれ」


 ちらりとナタリアの状態を目視した男は、焦る心中を隠して告げた。


 間に合うかは、賭けだ。


「あ、あぁ……あんたか……よかった、これで……」


 感覚の鈍るナタリアに届いた声音は、黒騎士のものに聞こえた。


 少しばかり違うような気もするのだが、声質から感じる穏やかさと力強さが黒騎士だと物語っている。


 そしてそれは、ナタリアには人生で唯一降りた救いに思えていた。


「すぐにその傷を治療しなきゃならない。一度作業を止めてまずはそっちを――」

「バカいうんじゃ、ないよ……」


 自分でも驚く程にか細い声で返して、二人目の子供へ魔力を当てる。


「もし死んだらっ……こ、この子らはどうするんだぃ……」


 苦悶して治癒を続けるナタリア。老いた手を仰向けの子供の胸元へ翳し、治癒を止めようとはしない。


「それは――――っ。……こいつらの仲間が来てる。異変を感じて外から次々降りてくる気配がする。でもその怪我だってこれ以上放っておけない」


 察知した上階からの気配は思いの外に数が多い。しかも断続的にやって来ている。標的の強さを考慮しての数なのか、散らばっていたのは逃がさない為なのか……。


 何れにせよ自分の治療は即時完了するものではなく、自身も対象も無防備になる。繊細な作業で、邪魔が入っては集中もできない。


 出口は一つ、手負のナタリアを雑にも運べず子供の数も六人と多い。全員連れての脱出も不可能。


「長生きしたいわけじゃないんだっ……仕事を、最後まで、きっちりこなしたいだけなんだ……」


 聖女として生きる人生など、いつ終わってもいい。


 しかし手を抜く事なくやって来た自分が、最後の最後に目の前に患者を残して死ぬなどは断固として拒否する。


「たのむよ……これが終わるまで、なんとか持ち堪えてくれないかい……?」


 暗殺者達を牽制していた黒の瞳が……少しの間を置いて背後のナタリアへ向けられる。


「……本当に、それでいいんだね?」

「あぁ……これでいいんだ……」


 子供から視線を外さぬまま、聖女ナタリアは迷わず首肯する。


「……分かった。誰だろうが、あなたには触れさせない」

「ッ…………」


 軽く振るわれた黒刀から放たれる剣気に、暗殺者達が打ち据えられて震える。


 感情無き身が、数歩後退りする。


「見ての通りレディが仕事中だ。こういう時こそ男の見せどころだからね。……何一つ、邪魔は許さない」

「……へへっ、わかってるじゃないか……」


 たまに自分が口にする冗談ジョークを持ち出され、焦燥感に暗くなっていた胸中が途端に明るくなる。


「いい男だねぇ、あんた……」

「これを仕組んだ奴もタダじゃおかない。約束するよ」

「やるなら、ゴフッ……ぉ、おもいっきり、やってやんだよ……」

「あぁ、任せてくれ」


 不敵な笑みに血に濡れた笑みで答え、共に互いの仕事にかかる。


「手を出したことを、しっかりと後悔させておくよ。ッ――――」


 無音で飛び掛かっていた暗殺者二人を、軽やかに斬り捨てる。


 一人の攻撃を紙一重で躱しつつ胸にするりと刃を刺し込み、引き抜いて回る動作のまま二人目を斬り伏せた。


 その太刀筋は異常に速く、酷く計算され、恐ろしく美しい……。


「ナッ……!?」

「ッ……オイ……」


 背筋が凍る程に研ぎ澄まされた刀技を前に、暗殺者達は目の色を変える。


「守り甲斐があると、振るい甲斐がある……――――ッ!!」



 ♢♢♢



 シルクの脳裏にナタリアとの出会いが浮かび、ついぽつりと語り始めた。


「……聖女は普通の女の子なんだ。前も、その前も、それ以前の聖女も知ってるけど、皆どこにでもいる女の子だった」

「でしょうな……不憫な……」


 お洒落をしたかったろう。好きな職にも就きたかったろう。


「ナタリアは特にそうだった。他の者達は成人して子を産んだりなどしてから能力に気付くことがほとんどだったけれど、あの子は物心ついてすぐに国に連れて行かれた」


 恋もしたかったろう。愛を育み、結婚し、子を産みたかっただろう。


 やがて孫を抱き、たくさんの思い出と共に眠りたかったに違いない。


 しかし子や夫などは、弱点になる。弱みは少ない方がいい。


 親からも完全に引き離されそれっきり、周辺国中心の移動に次ぐ移動。様々な人に会い、能力を使う日々。


 ただひたすら、ただひたすらに、その生涯を他者を癒す為に公国に使われる毎日。


『――何故わたしは助けてもらえないんですかっ!!』


 初めて出会ったのはナタリアが十歳の頃。自分の境遇に気付いたナタリアは、顔を合わせる機会のあったシルクに国から連れ出してくれと頼んだ。


 しかしシルクをしても、国の事情には関与できない。


 何をどうするのが正解なのかも分からず、確かに助かる者達も多くいるだけに軽々しく手は出せなかった。


 死の運命から多くの民を救うには聖女は必要なのかもしれないと説いてみるも、


『わ…………わたしは救われるべきじゃないと言うのですかっ!!』


 自分だって女の子だ、父と母にも会いたい、弟も生まれたばかりだったと泣き続けるナタリアにシルクは何もしてあげられなかった。


 憐憫の情に心を痛めるも、何も変わらなかった。


『お久しぶりです、シルク様』


 次にあったのは、彼女が二十六歳の時。


 大人になった彼女を前に、言葉を失ってしまった。


 あまりに疲れており、あまりに……虚ろであった。


 同世代は恋を終え愛を育み母になり、そのような者等を癒していく彼女の中で何かが壊れてしまったのかもしれないと、シルクはかける言葉を失っていた。


 当時の護衛騎士等も外れくじを引いたとばかりでそれを隠そうともせず、休まる時はなかっただろう。


 それからは彼女に会うことが戸惑われ……しかし遂に機会に恵まれた時に顔を出してみた。


 名前が耳に入っただけで、気になって仕方なくなったからだ。


『聖女の運命なんてのは今でもクソったれです。でもね、ここまで来たらもう癒せるだけ癒して……そいつらをあたしの生き様としてこの世に残すってだけなんですよ。そんで……あの世でナターシャ様にそらみたことかと怒鳴りつけてやるんだ』


 別人のように感じられた。拒まれることも想定していたのだが、心良く迎え入れ、カード賭博を教えてくれた。


 相変わらず何処かもの悲しげながら、酒も飲み、賭け事も嗜み、体型も気にせず食事を取り、煙草も吸う。


 悲観するだけでなく、人並みの人生を期待できないのなら、手にできる楽しみは全て楽しむのだと言わんばかりであった。


 彼女なりの答えを出したのだ。


 結局、大英雄と持て囃される自分にしてやれる事はなく、彼女自身で行き着いた答えだった。


「これは私の自己満足なのだろうね……せめて、凶刃からは守ってあげたい……」

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