第11話、漂う雲のその上には……

 

 森の木漏れ日を浴び、苔の生えた岩に座禅で座するは帝国の【武王】ラコンザ。


 無駄な贅肉が微塵も見られない筋肉質な上半身を曝け出し、皺の刻まれた面に似合わぬ老いて益々盛んなラコンザの肉体。


 身動ぎなく、精神の揺らぎなく、自然と同化を図るが如く。


 伝授されし呼吸法は馴染みつつある。


 かつて帝国に名を轟かせた拳法家は、白髪の染まる老齢にしてこれまでとまた異なる道筋を辿り次なる段階ステージへ登り行く。


「――ものになって来たね、ラコンザ」

「ぬっ!?」


 突如として目の前から発生した声に、ラコンザが打ち据えられたかのような跳ね起きた。


 秒などかかる筈もなく、否応なく巨虎を幻視させる拳法の構えを取る。


「……ごめんね、驚かせてしまったようだ。邪魔をしては悪いと思ったのだけど…………そろそろ朝餉にしないかい?」

「シルク様っ、食材ならば儂が採りに行きますと言うとりますのに!」


 精神集中状態にあるラコンザをして気配を掴ませずに、目の前にまで接近していた年若い美麗な人物。


 誰もが知る伝説のエルフ、“シルク・エメラード”であった。


 少年とも少女とも思える中性的な容貌に浮かぶ表情は、異様なまでに穏やかで。自然に溶け込むような大らかな気さえも滲み出ている。


 新緑を宿した見るも美しい長髪を樹々を抜けてやって来た風に揺らし、集めた山菜の籠を手にそこにいた。


「稽古を付けていただいて、その上世話までさせる訳には参りませぬぞ!」

「気にしないで欲しい。まさかこの歳のラコンザとまた旅ができるなんて、私も浮かれているんだよ」


 急ぎ衣服を身に付けるラコンザを待ち、シルクは見た目との激しい違和感のある落ち着きようで続ける。


 長く……何百年もの時を生きる内に達する境地なのやもしれない。


「その呼吸法を身に付ければ多少長生きもできる。技も鋭くなる。……ラコンザもそろそろ黒雲級くらいの実力になって来たようだから、魔窟に行くのもいいかもしれないね」

「ん……? 誰かを訪ねると言うてませんでしたかな?」

「そうだよ、先にナタリアに会いに行こうと思っているんだ」


 公国の聖女が近くを通るとの噂を耳にしたシルクは、どうしてももう一度彼女に会うのだと言って聞かなかった。


 小川沿いの焚き火まで歩きつつ、期待を口にするシルク。


「楽しみだよ。最後に会ったのは十五年前だったかな。彼女は今もカード賭博に夢中なのだろうか。あまりのめり込んでいないといいのだけど」

「し、シルク様っ!!」

「うん……? そんなに大声を出してどうしたの?」

「いや焚き火を超えてジャブジャブ川に入っていっとりますぞ!?」

「…………ぁ」


 膝下まで川に浸かった脚を目にし、微かに声を漏らした。


 結局、料理に意気込んでいたシルクが服を乾かしている内に、いつものようにラコンザが手製の山菜雑炊を作る。


「……私も歳を取ったものだ。いや、もしかしたら昔の道楽が祟ったのかも。足元の感覚がこう……ふわふわしているんだ」

「…………」


 雑炊を味わいつつも、歳のせいだああだこうだと物憂う表情をして言い訳をするシルク。


 その過ぎる“おっとり”は年齢ではなく先天的なものであろうとラコンザは見立てていた。


 畏れ多い為、決して口にはしないが。


「美味しいよ、ラコンザ」

「おお、それはよう御座いました。もうめっきり弟子達に任せておったので、お陰様でこちらも腕を取り戻せましたな。ほっほっほ!!」


 喜ぶラコンザをシルクはまるで子供を見る眼差しでいる。


「弟子達は王都だったかな。そちらにも教えてあげたいけど、今回は連れて行けそうにないから我慢してもらおう」

「儂の稽古ですら音を上げておりましたからな。王都には知り合いの若造がおりましたから、奴で丁度いい塩梅でしょう」


 談笑も花が咲き、雑炊も平らげた二人は近くの街まで徒歩で向かった。


 送迎馬車か馬を買い、ナタリアのいる都市まで赴く為だ。


「……ここに知り合いがいるんだ。彼なら一緒に行ってくれると思う」


 そう言うなりシルクは馬車屋の木の戸を三度ノックした。


「――はぁい、お客さんでぇ?」

「やぁ、ロドリゲス、久しぶりだね。五十年前と何も変わらない…………じゃないか」

「ろ、ロドリゲスは祖父さんだけど、とっくに死んじまってんぞ……?」


 変わらないと口にした時には察していたシルクは、表情に仄かに物悲しげな色を見せた。


「そうか……」

「あ〜……少年よ、馬車で都市まで送って欲しいんだが?」

「無理だな。あんたら知らないんか? 途中のちょっとした平原にバケモンがうじゃうじゃ出て来てんの。もう、わらわらうじゃうじゃ」


 シルクに代わって訊ねたラコンザに、少年は脅かそうとしているのか手振りで不気味な魔物の雰囲気を真似し始める。


「魔物か? 名前などは分からんのかな?」

「樹のバケモンでぇ……たしか、ナ……ナぁ〜……」

「ふむ、はっきりせんが、とりあえずエントではなかったか」

「あ、それだ」

「……出だしから間違えとるじゃないか」



 ………


 ……


 …







 平原には運送馬車屋の跡継ぎ“ティー・アクシー”青年の言うように、エントが群れを為していた。


「いすぎやしないか……? さ、さっさと帰ろうぜっ。いすぎで笑えねぇよ!」

「笑う為に付いて来たんか? お喋りな上に愉快な奴よなぁ……危ないから騒がず下がっとれぃ」

「うひゃあ!?」


 溜め息を漏らしながら首根っこを掴み、自分等よりも後方へ引き戻す。


「ひ、ひでぇよ……」

「やれやれ……シルク様、ここは二手に分かれて討伐するとしますかな。エントはそこそこの強さを持っております故」


 じっと平原を侵攻するエント達を観察しているシルクへ告げつつ前へ出ようとするラコンザだが、


「……エントが群れを形成するというのは通常起こり得ないと思う」

「では何か……例えば何者かの思惑が絡んでいると?」

「どうだろう。しかし今この辺りには新たな遺物の噂がある」

「……何か重大な事件の予兆となるとお思いですか?」

「事件に繋がるかはともかく、どこから出て来たものなのか判明させないといけない。長く生きる私が知らないものなら特に……」

「っ……」


 珍しく視線を若干ばかり鋭くさせるシルクに、ラコンザですらあまりの迫力を感じて息を呑む。


「……何か、心当たりでもおありですかな?」

「まだそうだと決まったわけじゃない。一先ず……ラコンザには悪いけれど、ここは想定外の事態を考慮して一思いに私がやるよ」

「一思いに……ですか?」

「うん……」


 シルクの右手中指に収まる白い指輪により、エメラルド色に輝く矢が形作られる。


「……この一矢で終わらせるから、下がっていてくれる?」


 同時に持ち前の落ち着きは更に静まり、静の気質はすぐに極まる。


「あ、あんなんでどうしようってんだ……?」

「心配は要らぬ。このお方が終わらせると言うとるのだ。もう未来は決した」


 スカ……スカ……。


「ただ沈黙し、眼前で起こる神業を記憶するのだ」

「なぁ、爺さん」

「さすれば、お前さんの将来にも――」

「爺さんってば!」

「どうしたというのだ……、沈黙せぇと言うとるだろう」

「あれ……あれ見てみな」


 ティーの指差す先へ渋々目を向けると、


「…………」


 背中辺りをがさごそと弄るシルクの姿があった。


 そう、空を切るその手はまるで……無い弓を探しているような……。


「まさかシルク様……」

「そう言えば……」


 心なしか気まずそうに振り返り、


「……その、弓は友人に預けて来たんだったよ」


 流石に恥ずかしいのか、落ち着きの中に恥じらいを表して恐る恐るうっかりを報告するシルク。


「か、かわえぇ……っ」

「はぁ……」


 美しい容姿に普段の只者ならぬ気配とのギャップに鼻血を出して卒倒するティーと、反して嘆息するラコンザ。


「えっと……うん、予定と違って少し雑になるけど大丈夫。心配は要らないよ」

「「っ……!?」」


 必要分だけを練り上げた先の矢と違い、大自然が照らされる程の質と量を右手に収束させる。


 翡翠の気配と輝きに人間二人とエント等は堪える隙もなく怯み、次には――


「――つるぎわざをここに……」


 最高位とされる黒雲級の更にその先……長い探索者シーカーの歴史でたった十六人しか至れなかったその称号。


 究極の証、“赤月級”の力が行使された。

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