第10話、翡翠の御技
聖女が王都を訪れてから十日目。再び付き添いに駆り出された黒騎士はとある分岐の街まで聖女を護衛していた。
予定されていた王都の半刻病患者を癒やし終え、他の街二つを回り南下。移動に次ぐ移動にて疲れた身体に恵みを与えるのだとナタリアは高級感漂う宿屋にて酒盛りを堪能していた。
「……あまり飲み過ぎると毒だぞ」
「あぁ、勿論だともさ。あんたもだよ? 身体ってのは突然に悪くなるもんなんだよ。気付いた時にはあっという間。若いからって無茶し……んぐっ、んぐっ」
「若くもない人がゴクゴク無茶してるけど……」
赤に白に、上等なワインを飲み干していく聖女ナタリア。
「……本当に転々としてるんだな。最近は物騒だし、それがなくてもその歳では大変だろうに」
「聖女になって唯一良かったと思えるのはね、それなりの権限があるから色んなところに行って、色んな物食って、綺麗なもん見てってできるってことだよ。それだけさぁ!」
「腕利きの護衛もいるしな。一般人には難しい」
「一度行ったとこにゃ行きたくないんだけどね、ライト王国は肉が旨いから特別だよ! 感謝しな!」
ケラケラと笑うナタリアに、黒騎士は長生きしそうだと笑みを漏らすと同時に先程の一幕を思い返す。
『――ナタリア様っ!!』
一人の老婆が幼い子供を連れて遠目から声をかけた。
丁度、最後の診察を終えて宿屋へ向かう馬車に乗る寸前。
『この子をありがとうございましたっ!! ほんとうにっ、なんと感謝すればよいのか!!』
聞き慣れた台詞であった。何年も、何十年も。
ナタリアや護衛騎士にとっては日常茶飯事で、黒騎士ですら本日だけでも三度目の出来事だ。
『私は幼少の折に公国で癒していただいたのです!! 今度は孫までっ!! おおっ、神よ……!!』
『…………』
慈愛の微笑みを湛え、馬車に足をかけようとしたナタリアの動きが止まる。
『神ブライトよっ、ナタリアさまに御加護をっ!! お恵みをぉぉ……!!』
『…………』
嗄れ声で祈る方へと軽くお辞儀を返し、そそくさと乗り込んでしまった。
だが黒騎士が垣間見たナタリアは……涙を流しているように見えた。本当に泣いていたのかまでは分からないが、そう見えた。
老婆に思い当たる節でもあったのだろうか。はたまた世代を超えて治療した事実に何か感じたのか。
「…………」
「黒騎士殿、今……少しよかろうか?」
護衛騎士ゴーエンの呼びかけに我に帰った黒騎士は立ち上がる。
「ナタリア、少し席を外す。……確か王国内であと一箇所寄ると言っていたな」
「ん? ……たしか西南辺りのイーシュト地方の領地から要請があったから、そっちにも寄るつもりだね」
「俺も依頼でそちらにも寄る。タイミングがあれば顔を出そう」
「おっ、それは楽しみだねぇ。気の利いた手土産でも期待しようかねぇ」
空になったグラスを掲げてニヤけるナタリアに手を挙げて応え、ゴーエンと共に室外へ姿を消した。
「……何とかこの後も護衛を頼めないだろうか。例の都市には魔王教の幹部らしき者がいるらしいとのことだ。貴殿がいてくれると心強いのだが」
「残念だが、近くにあの山賊が残した問題がある。あるのだが…………確かにな」
また狙われる可能性はあるし、遺物相手では傷付ける度に五感を鈍らせる魔槍を持つゴーエンと言えど不安が残る。
「…………」
「ん……?」
片時も離れない黒騎士の従者が、背伸びをして黒騎士へと耳打ちをする。
「…………やはり付いて行けそうにない。こちらは君達がいるが、あちらは俺達がいかなければ解決しないだろうからな」
「そうか……無理を言ってしまった。申し訳ない……」
黒騎士とローブに姿を隠す従者へと、軽く頭を下げる。
「なるべく急いでみるが、俺達が後を追う頃には都市に着いて落ち着いた後だろうな」
「それでも心強い。キシムも遺物が関わっている今回ばかりは心細いようだ。可能な範囲で急いでくれればそれで十分に過ぎる」
そしてゴーエンは再び頭を下げてから、室内へと戻り行く。
長旅を共にして来たからだろう。キシムの事を弟のように可愛がっている様子であった。キシムの方も同様に慕っているようだ。
「……よし」
厳しい鎧姿の黒騎士が、廊下の端で色めき立っていた宿のメイド達へと歩む。
一歩ずつ近寄る度に、絶叫のように歓喜するメイド三人。
「すまない、少しいいだろうか」
「ハイっ!! も、もしかして、夜のお誘いでしょうかっ!!」
「は……? あ、いや、急用ができたのでチェックアウトを頼みたいんだ」
「「「…………」」」
三名が同時に白目を剥いた。
♢♢♢
女の子からの黄色い声って嬉しい。男の子だもん、なんか俳優さんになった気分。
でもやっぱり魔王の時の『ギャーっ!?』とか、『な、なん、だと……?』みたいな驚愕の声が好きだな。笑っちゃ可哀想なんだけど、ついつい笑ってしまう。
強大な力に驚く様が快感なのだ。一度体験したらもう堪らない……。
また耳にしたいものだ、くくくっ。
「……ふむふむ……」
岩陰から平原のターゲットを覗き、作戦を立てる。
「エントが四十体くらいか……」
多い、多いし間隔を空けて広がっていて纏めて始末できそうにない。
あの山賊は近くの森に自分の王国でも作ろうとしていたみたい。女性を攫おうとしてたのも囲って王様気分を味わいたかったのかも。
お陰で親を失った遺物産のエント達は何かを求めるように彷徨い始める始末。
ライト王の苦労を知って欲しい。知ってる俺はこうやって武力で解決できそうな依頼を手伝うのだ。
「あれがこうであっちからこっちまでこうしたらああだから…………よし」
襲撃作戦(斬り殺す順番)を組み立て、岩陰に身を隠す。
「…………」
「…………ち、近いな」
すると間近で顔を突き合わす事になった……セレスさん。
恐ろしく整ったご尊顔がくっつきそうなくらい近くにある。
「そうでしょうか。むしろ日頃からこの距離でいたいものです」
「生活がままならないよ、セレス君……」
ちなみに留守番をかけた決戦に負けたわけではない。試合に勝って勝負に負けただけなのだ。
ちょっとしたハプニングのお詫びと、前持ったセレスの狡猾なる口約束に初めから敗北していただけだ。二手も三手も先を読む子だというのを忘れていた。
「さて、都会っ子の君は不慣れだろうから、俺の指示に従うのと出立前のお手洗いだけは決して忘れないように。具合が悪くなったらすぐに言うのも覚えておきなさい」
「しかと心得ております」
こそこそと密談を交わす間にも、優雅にお辞儀をするセレス。
旅装で顔も隠してるのに、道中やたらと声をかけられて大変。
「お命じいただけるならば、私がすぐに掃討してご覧にいれます」
「待ってよ、俺にいい案がある。折角、修行を共にするんだ。討伐数を競おうじゃないか」
「二人では三十秒もかからずして終わってしまいますね。……遺物の使用はいかが致しましょう」
「……見られたら面倒だから、これを使いなさい。ちょっと重いけどその分、威力は凄いよ」
雑に置かれていた魔王武器シリーズ『黒刀・幕引き』を渡し、丁度いいから俺は魔力の練習とする。
我が《黒の領域》の攻撃型を使えば、セレスが十体を倒す前に三十体はいけるだろう。
「っ、……かしこまりました」
よろけはしたものの、魔改造を受けたセレスは何とか黒刀を手にする。
「じゃあ行こうか。よ〜いスタートで始めだから。スタートって言ってる途中じゃなくて、スタートを言い切った後にスタートだから」
「はい。それでは僭越ながら、よーい」
「待って待って! 俺に言わして欲しい! ……よ〜いっ、すた――」
スタートを待たずして、途轍もない熱量が平原を駆け抜けた。
「ッ……!!」
「なにごとっ……!?」
エントの気配が息つく間もなく消えていく。
岩越しにも感じる焼け付く
「…………」
「な、なん、だと……?」
すげぇ……。
岩陰からこっそり二人並んで覗いてみると……平原全域に渡り翡翠の残り火が燻っていた。
四十体のエントなど影も形もなく、セレスも微かに驚きを表している。
いったい今の間に、何があったと言うのだ……。
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