第8話、扁桃腺に異常なし

 

「――お初にお目にかかる、黒騎士殿」

「初めまして、フリード伯。お見知り置きを。騒ぎが耳に届いた為に迎えを待たずして踏み入った無礼、お許し願いたい」

「か、構わないとも。今宵の宴は殿下とあなたが主役なのだからね。はっはっは」


 リッヒーをして僅かにぎこちなくなる会話。


「…………」


 王国軍を前線にて率いていたらクリストフですら、黒騎士より滲む途方もない魔力の気配に汗が滲む。


 〔魔剣士〕黒騎士。全身鎧の重装と魔剣術を主軸に、今やライト王国の大英雄となった傑物であった。


「では正式なお披露目は後ほどとしまして。……リッヒー?」

「かしこまりました。黒騎士殿、セレスティア様と共に少し耳に入れたい話があるので時間をもらうよ?」


 静かに頷いて了承する黒騎士。


 想像と違い、無力な貴族にも敬意を示す黒騎士に難癖の一つも付けられず、場は静まり返っていた。


「姫様、後でそちらの御仁も紹介していただきたいのですが」


 黒騎士がセレスティアへ伺う。


 どうやら立場としては、やはりセレスティア優位のようだ。


「クリストフですか? 勿論そのつもりですが……旦那様はクリストフにご興味が?」

「かなりの腕前と見受けられました。先程の姫様の危機にも、驚く程に素早く備えておられた」


 かの黒騎士にそう讃えられ、久方ぶりに自身の高めた武に喜びを感じる。


「そうですね。では後でクリストフも紹介しますので」

「老骨など構わず。しかし幼少より知るセレスティア様の婚約者様です。楽しみに控えております」

「えぇ、では後程」


 孫を見送るようなクリストフに、セレスティアも無垢な笑顔で応えた。


 黒騎士の腕を取りリッヒーの後に続き、仕事の話であろう……別部屋へと向かっていった。



 ………


 ……


 …





「……あぁ、君達もいい。扉の前にも誰も立たせるな。誰も部屋に近付かないようにだけ徹底してくれるかい?」

「承知しました」


 使用人達にそう命じ、茶だけ入れさせて退出させる。


「さて、では速やかに終わらせましょう。このような席で仕事の話は無粋と感じる身でして」

「私は仕事という印象ではありませんが、あなたの思うようにしてください」

「……? では、早速……」


 対面の長椅子に座す黒騎士とセレスティア。


 少しばかり距離を空けているところを見ると、まだあまり二人の時間を取れていないのだろうと察した。


 すぐに終わらせて、少しばかりの初々しい二人の時間を楽しんでもらおうと老婆心ながら画策する。


「……私が入手した情報によると、魔王教の幹部らしき者が持つ遺物は記録にありませんでした。後は他国か……探索者等の持つ目録を調べる他ありません」

「…………」


 静かに紅茶に口を付けるセレスティアへ語るも、微動だにしない。これには少しは関心を示すかと思いきや、まさかこの流れも読んでいたのだろうか。


「やはり最悪も想定して、幸運にも例の街を訪れているシルク殿に知恵を借りるのがよろしいのではないでしょうか」

「そうですね……」


 おもむろにカップを置き、セレスティアが立ち上がる。


「…………?」


 挙動が不自然であった。


 ほんの数秒がゆっくりと流れ、それが意味するところがリッヒーにさえもまるで理解ができなかった。


「こう申しておりますが、如何いたしましょうか」

「…………」


 黒騎士に密着するすぐ側に侍り、親しげな声音で伺いを立てるセレスティア。


 それは光と闇が交わるようで、眼前の二名の雰囲気がまるで変わった。


 明らかに二人の立場が入れ替わってしまっている。


「……ふむ、そうだな」


 黒騎士を包んでいた鎧が闇に溶け、一人の男が姿を見せた。


「…………それが……黒騎士どのの姿かな?」


 シックな黒衣に身を包む平凡な男。黒騎士の際には見られなかった尊大な印象を受ける。


 いや、それよりも。


「……申し訳ございません。もう少しは頭の回る者だと考えていましたが、思いの外に察しが悪いようです…………っ」


 自らの柔らかな躰を形が変わるのも構わず押し付け、腕を首に絡めた後に頰へと……お詫びの意思を示してなのか、口付けをした。


 男嫌いで、清廉で、純真潔癖なあの王女が。


「うん……? ……いや、すぐには結論に至らないだろう。本当に考えたくない可能性というものは無意識に遠ざけてしまうものだ」

「そうでしょうか。このような凛々しいお姿を前にすれば一目瞭然のはずです……んっ」

「うん……?」


 再び熱いキスを捧げ、悪戯っ子の少女の面持ちで甘えるセレスティアと、黒騎士? の目が交差している。


 やはりどうしても目を疑ってしまう。


「ふむ、まぁいい……」

「……っ」

「むっ……こういう時がささやかな楽しみなんだから」


 不意を見つける度に口付けをする彼女と再び目を合わせる様。あまりに親しげな様子だ。


 しかし……分からない。分かるのは、自分が試されているということ。そしてもう一つ、この状況が『最悪』らしいこと。


「……………………」


 その考えに至った瞬間、血が凍り付いた。


「やっと気付いたかな?」

「…………」


 ゆっくりと顔を上げ、“悪夢”を覗く。


 気付けばセレスティアの身動きを封じるように、頭とその柔らかな上半身を強く抱き込んでいた。


 いや、自分の所有物とこちらに誇示しているのだろう。


 あのセレスティアを、乱暴に、欲望のままに、我が物として抱き締めているのだから。


「くくっ、憐れだな。この場まで誘導されていることも知らずに、自分は裏から国を操る側と息巻いていたのか。……君が担ぎ上げようとしていた光の王女と黒騎士は、果たして本当に君の望む『希望』となるのかな?」

「ばかな……」


 よろけながら立ち上がるも、愕然として脚が震える。


 何もかも見透かすような黒の瞳が、リッヒーを捉える。


 伝え聞く容姿、タイミング、狙い。


「よろしく、リッヒー君。俺が用意した黒騎士という飴は甘かったか?」


 狡猾に嘲笑う魔王・・を前に、絶望を拒んで思考が拒まれる。耐え難き寒気がリッヒーを襲う。


 王国の危機を退けて来た黒騎士が、魔王……?


「大丈夫か? だがまだまだこれからだ。君にはしっかりと教えてやる。コレは既に私のものだとな。……ほら、自分の口から言ってやるがいい」


 首元に抱き締めていたセレスティアの顔を解放する。


「ぅ…………かしこまりました」

「ッ……!?」


 ゆっくりと向けられたあまりに艶やかな表情に、ぞくりとリッヒーの背筋に震えが走った。


 熱に浮かされたような、定まらぬ濡れた瞳で言う。


「わたしは、クロノ……さまのものです……」

「ほらな………………んんっ!?」


 舌が回らないのだろう。


【黒の魔王】と言えなかったまでも、様を付けている点から見て間違いない。


 セレスティア王女は、完全に魔王の手に堕ちていた。


「よし良くできた。もう喋らなくていいぞ。喋りすぎているくらいだ」

「ありがとうございます……。…………っ!!」


 セレスティアの顎元を掴むと、あまりに酷い命令を告げた。


「……口を開け、舌をべーっと出して……早くっ」

「か、かしこまりましたっ。っ、あぁ…………」


 おもちゃを楽しむように、無防備で従順なセレスティアに恥辱を与える魔王。


 口内を覗くという特殊な性癖でもあるのか、しばらく観察する。


 見ていられない。……いられない筈なのに、何故か情欲の炎が身体を焼くまでに爛々と滾ってしまう。


「……ふん、もういい。だらしのない顔だな。ビタミン不足と見た。しかし私にかかれば、正義を謳う光に塗れた女神といえども……この有り様だ」


 傷一つない美麗な顔を思うがままに左右に揺らされる。


 まるで物のように扱わられるも、拒絶する意思も見せず敏感に反応するセレスティア。恍惚の面持ちで魔王の扱いを受け入れている。


「はぁ……はぁ……」

「随分と火照っているな、調子が悪いのなら少しそこらで横になっているがいい。軟弱者め、気分が悪いのか? 寒いなら早くブランケットでも被って、俺の分の冷たい水でも飲んでいろ」

「っ……それは遠慮します」


 もう手遅れだ。


(……あぁ……なんということだ……)


 全身が脱力して腰から椅子に落ちる。


 あのような扱いを受けながらも、離れてなるものかと腕を絡めている。


 常に凛々しく、賢く、何ものにも靡かず、人の上に立つ存在と定められて生まれ落ち、誰をも見下し駒と見做していたセレスティアが……。


「では何かあれば言うといい。今は……屋敷の主であるリッヒー君がいるしな」

「っ、なにをっ……私は王国の貴族だぞっ!! 栄えある王国のフリード伯なのだぞ!!」

「らしくないな、スマートに考えるんだ。いつもの君らしく」


 脚を組み替え、頬杖を突いて狡猾なる王は諭す。


「君は少しは頭が回ると聞いた。今は見る影もないがな……そこで訊きたい。セレスティアと、何よりこの私を相手にして勝ち目があるのか?」

「っ…………」


 悪夢の如き衝撃的なセレスティアの姿に、確かに思考がお粗末になっていた。


「…………」

「そうだ。セレスティアが私の手にあるならば、クロノスは君の想像よりも深く王国に根を張っている」


 汗が滴るも気にせず、するりと脳髄に入り込む魔王の言葉に抗うように、深く思考する。


「…………………………」


 ……するも、完全に勝ち目がない。そもそもセレスティア一人でも敵対すれば、それは王国の敗北だ。


 クロノスでなくても、クジャーロ国でもラルマーン共和国でもどこも同じだ。


 何故ならその知謀を考慮外としたとしても、セレスティアが声をかければ動く者達が貴族平民国内外問わず多く存在してしまう。


 彼女が正義を掲げれば、王国を悪とする者が無視できない数だけいてしまう。彼女ならば……フリード家のみに敵意を向けることなども造作もない。


「……私に、何を求めるのですか」

「まだ何も求めはしない。君はただ君であればいい」

「何ですと……?」

「とりあえずは君の行動を観察させてもらおう。この状況を国に知らせるもよし。完全にこちらに身を置くもよし。国外に逃げるも隠居するもよし。……ふふっ、安心しなさい。君はまだ自由だよ」


 あがく様を楽しむつもりなのか、試すという愉しげな魔王。


「セレスティアが一先ずの場を用意した。測る為の場を。そこでの君の動きに期待している。楽しませてくれ……なぁ、セレスティア」

「仰る通りです。我等がクロノスにきっと役立ってくれるでしょう」


 貴族として、王国の為にセレスティアを担ぐつもりであった。


 自分ならばこれまで以上に王国を盛り上げられると、自身の能力を信じて疑わなかった。


 誰も成し得なかった繁栄をと。


「君には本当に期待しているよ、リッヒー君」

「…………」


 悪魔に魂を売れと、ほぼ拒否不可能なところまで手を伸ばされていた。


 試験の日まで思考に没頭する必要がありそうだ。


 次は『最悪』を念頭に置いて……。



 ♢♢♢



 リッヒーが扉より出て行く。


「……こんなんで俺の仕事は終わりなの?」

「はい、ご足労いただきありがとうございました」

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