第3話、神話の決闘、王女の午後

 

 その特異な存在が転生して十三年、山間の村を出て一ヶ月。


 湿り気が肌に付き、薄暗く、森深くにある勇者の一族が守る山頂の遺跡。


 少年は、裏ボスとも呼べない打倒不可能な存在に出会ってしまった。


「…………」

『…………』


 現代とは全く格の違う太古の偉人達が揃い、何としても封印せねばとしたならば、どのような部屋ができあがるだろう。


 その存在を滅することを諦め、ただ永久の眠りをと先人達は血を吐くというにも生温い取り組みを何度も経て、とうとうその部屋を創り出す。


 物理的に損壊が不可能。


 消滅の権能、死の魔眼、破滅の呪文、崩壊の魔力、一切が無力。


 魔術的、呪術的解体も受け付けない。


 しかし【太古の魔】を封じるには、これでも不安を残した。


『――《キエウセロ》』


 長い黒髪が床に垂れ、ボロ布と共に傷だらけの身体を僅かに覆う。


 四肢には部屋の隅から伸びる何重もの鎖が巻き付けられている。


 しかし端麗な顔立ちを上げた男が黄金の眼光を覗かせれば、その圧力たるや天も地も鳴動されるほど力強い。


 闇夜よりも黒い十二翼が羽ばたき、薄暗い部屋の奥を漆黒に染め上げる。


「やれるもんならやってみればいいじゃないか」


 対してこちらは凡人に見受けられる黒髪の少年。


 身なりも容姿も平々凡々。


 世に生きる他の者等と違いがあるとするならば、前世がある。記憶がある。ヒーローに憧れ、過労死する程に格闘技に捧げた前世の記憶が丸々と。


 だからこそ、こうならないように絶対強者となるまで鍛えたつもりだった。


 こんな……『死』に程近く、何か一瞬でも間違いがあれば魂もろとも吹き飛ばされかねない状況に陥らないようにだ。


 王道であった英雄の物語を自らで演出せんと裏ボスにも備えたつもりであった。


『《――――》』

「…………」


 閃光よりも速く、遺跡に封じられた男から純白の極光が撃ち出された。


 世界を割る光。


 少年は完璧な見切りで半身になって躱すも、白き奔流は条理も法則もなく『部屋』を削り飛ばして貫通する。


 ただ強く、強く、強く、強く、どこまでも強い、それだけの光。


「ッ――――」

『《フン……》』


 目の前に突如として出現した少年の右拳を、黒翼の男が難なく受け止める。


 瞬間、『部屋』が遺跡のある山岳ごと大きく揺らぐ。


 ただ強く、強く、強く、強く、ひたすらに強い、それだけの拳。


「――――ッ」


 挙動を省略されたと見紛う瞬間的な移動で左手に現れ、左拳を一突き。


 一度目よりも激しく遺跡を揺らすも、受け止められるも更に右方へ移動して右拳が愚直に突き出される。


「っ…………」


 雷鳴を凌駕する一撃だが、翼の男は前腕で容易く受け切ってしまう。


 後に、少年が飛び退き距離を空ける。


「……悪いんだけど時間がかかりそうだ。――お姫様は観覧しててくれる?」


 少年は背後を見る。


「…………」


 自分を殺す為に遺跡の宝物を盗みに来た哀れな王女を背に、少年は剣を抜く。


 比類なき才媛として生まれ落ち、並ぶ者などいないと確信していた愚かな第一王女。


 金色の髪色とふわふわなドレスで人形そのもののようである。


 偶然のような、必然でもあるようなこの決闘を呼び込んだ者とも言える。


 少年は伝説の勇者の一族を探し、行き着いたそこで勇者に剣を習いに来ていた幼き少女を見つける。


 戯れに姿を現し、からかったつもりであったが王女は初めての子供扱いに腹を立てた。


 そこで禁忌とされる遺跡の話を思い出す。遺跡に強力な宝具は付き物だ。


 残念ながら、今回は“最悪”を引いてしまった。


「……まおう……?」


 黒翼の男のオーラに凍り付き、へたり込む王女が無意識に呟く。


「あぁ、そうだ。俺が……魔王だ」


 笑う少年の視線が、相対する黒翼の男と交錯する。


 男もまた心底から笑みを浮かべ、黒い装飾剣を手に生み出した。


 目に見えて漲っていく力、内にある無限に湧き出す黒と白の魔力。


「――――っ」

『《――――ッ》』


 神速で踏み込む少年に完全に対応し、男も装飾剣を振るう。


 共に不敵な笑みを浮かべ、刹那の愉悦へ興じる。


 ここに、――――神話の戦いが現世に巻き起こった。



 ………


 ……


 …






 それから八年と幾月か……。




 ♢♢♢




 ……ま…………さま…………セレス様……?


「っ……すみません、少し考え事をしていました」

「そ、そうでしたかっ。お邪魔をしてしまい、誠に申し訳ございません」


 過去の超常的な一幕を思い起こしていたセレスティアが、学友の呼びかけに我に帰る。


 共に紅茶とお喋りを嗜む学生服姿の令嬢等が、女神の微笑を湛えるセレスティアに見惚れてしまう。


「少し……そう、幼き頃に魔王と出会った時のことが思い起こされて……」

「まぁ……恐ろしい……」

「……私などは想像しただけで身が竦んでしまいますわぁ」


 今やその美貌は大陸に知れ渡り、大人の色気も併せ持つようになった彼女は男女問わず万人を魅了して止まない。


「お国の事で多忙なのだから、学園サロンにいる間くらいは気を楽にするのがよろしいのでは……?」

「ふふっ、あなたはいつも心配をしていますね。ただ懐かしくなったというだけですよ」

「そ、そのようね……」


 ボーイッシュ気味の学友が、疲労感の一切ない眩い大人びた笑顔を受けて赤面する。


 紅茶の香りが漂う白を基調とした老使用人のサロン内で、窓から射し込む光がセレスティアを讃えている。


 天から祝福を受けているかのようであった。


「……そろそろ時間のようです。私は鍛錬があるので失礼します」

「え、もうですか……?」


 立ち上がると一切強調される胸元と煌びやかな金髪。


 見慣れた紺と白の制服がセレスティアが着ると別物とすら思える。


「でも学園の教官では相手にならないと耳にしましたけど……」

「本日はある方に予約してありますので、そちらに」


 視界の端で熟練使用人が微かに機嫌を損ねた様子が窺えた。


「例の使用人に稽古を見てもらうんだっけ。殿下の戦女神って言われる剣技も見てみたいし、私達も行っていいのかしら」

「いけませんわっ、マープルさん……!」


 王女という立場以上に住む世界が違うと思えるセレスティアへの物言い。


 親しげというより無礼ではと青褪める令嬢が窘めつつも、同行はしたいといった友人達にセレスティアは……。


「えぇ、構いません。今もエリカがお世話になっていますし、面白いものが見れるかもしれませんね」

「まぁっ、第二王女殿下まで……! 素晴らしいわっ!」


 今や黒騎士と並び、魔王へ対抗できる数少ない戦力であるセレスティア。


 そして将来有望な第二王女は、学生だけでなく民のほこりであった。



 ………


 ……


 …



 サロンを出て右手の緑溢れる庭園。


 その端を抜けた所には比較的安全な魔獣などの接し方も習えるようにと、森林まで作り出されている。


「――――」


 刀と呼ばれる剣を模した木刀が、空を斬って疾走する。


 振るうのは王国の第二王女、エリカ・ライト。


 スレンダーな少女ながら動きは俊敏で、持ち前の鮮やかな橙色のサイドテールが踏み込みと共に川のように流れる。


 繰り出したのは、抜刀術。


 鯉口を切り、鞘の内を走らせて加速させること能わずともその速度は瞬きの内に終わる。


「「っ……!!」」

「工夫が足らず、狙いが分かり易いですよ」


 令嬢達が息を呑む迫力の抜刀は、エリカに対する使用人により呆気なく防がれる。


 黒縁眼鏡をかけた黒髪の使用人。燕尾服は少しも汚れておらず、立ち姿も非常に無防備に見える。


 しかしエリカの首元を狙う木刀は、使用人が逆手で持つ木刀の柄で弾かれ、


「っ…………」


 そっと手刀がエリカの側頭部へ添えられる。


「くっ…………あたたたたたたたたたた」


 エリカの頭を半周しながら、手刀で細かく連打していく。一流の料理人が野菜を高速で切っていくようである。


「あだだだだだだだだだだだ……!!」

「それでは本日はここまでということで。……それにしても、エリカ様も本当にお強くなられましたね」

「う、うぅ……こんだけいいように遊ばれた後にそんなの言われても……」


 一度だけ離れた木陰にいたセレスティア等へお辞儀をしてから、素知らぬ顔でエリカのお茶の支度を始める。


「……ふぅ。じゃ、茶碗蒸しをお願い」

「おっとこれには私も驚いた……」


 引いた椅子に座した瞬間の一言に、グラスは動きを止める。


「……出会い頭の会話は今ので飛んでいったのですか? 無いと申した筈です。無いんです。材料が無いのに作れるわけがないでしょうに」

「そらまた開き直ってるっ! 事前に連絡すれば作るって言うから、私はきちんと予約したじゃん!」

「予約って……」

「私は予約しましたか? はいかいいえで答えてください」


 テーブルをつんつん突いて説教面で質問するエリカに、グラスの眉根が寄っていく。


「出ましたね。議論を有意に進める為の強引なやつ……」


 やれやれと嘆息混じりの使用人に、尚も諭すように続ける。


「違うよ、グラス。私はただ筋を通したいだけ」

「通ってるのは筋じゃないんですよ。我を通してるって言うんですよ、これは。あなたがただただいつも通りに我が道を行こうとしているだけなんですよ」


 手振りでエリカへ説教する黒縁メガネの使用人。ライト王国の王女といえば、大国ということもあり大変尊ばれているのだがこの使用人はお構いなしだ。


「しかも予約って、あれでしょう? 紙をビッて破った切れ端に“茶碗蒸し”と書いて、私のサロンの扉に挟んでおいたやつでしょ? ……あんな違反切符みたいなことされても困るわけですよ!」


 ほぼ嫌がらせ寄りの予約方法にも思うところがあったようだ。


「…………」


 “違反切符”などとまた訳の分からない物言いをするグラスに、エリカも可愛らしく愛嬌のある顔をムッとさせて応戦する構えを見せ始める。


 わざわざ立ち上がり、肩幅程度に足を広げて立ち向かう。


「もう一つ言わせてもらいます。……私に刀を習っているからと、ご自身の頓珍漢な流儀を私発祥のように吹聴して回るのはお止めくださいっ」

「…………」

「方々から聴こえてきますよ。なんですかっ、“抜刀の動きは蝶と蜂と猫と鷹から取り入れた”って。……多過ぎるっ! せめて二つまでにしてくださいっ! 四つは多過ぎる! フォロー出来ないっ!」

「……カッコ良さそうだから言っちゃったんだもん!! それくらいこじ付けてよ!! インチキ眼鏡のくせにっ!!」

「はい怒った」


 ……本格的に口論する為に、グラスが眼鏡を拭き始める。


「…………」


 それを腕組みして鼻息荒く、律儀に待つエリカ。


 やがてグラスが眼鏡をかけ終えると……。


「……よろしいですかっ? 私はムグっ――」


 唇にそっと添えられた人差し指が、噴火間近のグラスを制する。


「そう熱くならないでください。あなたが熱くなればなるほど、エリカも同調して熱くなっていくのはグラスさんもご存知でしょう?」


 上目遣いでグラスを見上げ、楽しげな口調で諭すセレスティア。


「……ふむ、確かにダイヤモンド並みの熱伝導率をされているのは知っています」

「ぐ、グラス……そんな急に、宝石だなんて……」


 不意打ちに顔を赤くして居心地悪そうにもじもじとするエリカ。


 今まで気にしていなかった僅かばかりの乱れた髪を、少しでも良く見せようというのか手で梳いて整えている。


「……エリカ、今のは分かり辛く馬鹿にされているのですよ?」

「この詐欺師メガネ――――っ!!」

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