第2話、葡萄酒とシチューと情報屋と



 かつて、とある種族は古き都を捨てた。


 永きを生きる上で、地底がより好ましい環境であるとして下へ下へ……。


 旅の末に見つけた奈落へ潜る。


 その種族は保守的で伝統的で、固執しているとさえ言えた。


 生きた月日が長ければ長い程に、比例して凝り固まっているように感じられた。少なくとも、若い世代にはそう感じられていた。


 新たな都を探す旅の最中で……異を胸に抱く者等は群れを離れる。


 掟を破り、仕来りを破り、言い付けを破り、世の安寧を破り、各々が旧い世代から逃げるように散って行った。


 中には取るに足らない人族に興味を示す者もいた。


 二人は土地柄特有のある騒動を目の当たりにする。


 寄り道のつもりであった。


 三度の干渉を試みる。


 結果はそれぞれ、しかし影響はある一点に収束していく。


 これが正解なのか、不正解なのか、対する二人が行き着く答えはすぐそこに……。





 ♢♢♢





 ライト王国。広大で豊かな国土を有し、大陸第二位の国力を誇る大国。


 王都にはスカーレット商会などを筆頭に商業にも賑わい、王家には……大陸の宝ともされる女神の如き王女がいる。


【光の女神】セレスティア・ライト。


 更に賢王の統治に加え、前線で軍を指揮する王子や第二王女も才に秀でており、王国は確固たる繁栄を約束されていた。


 悪辣かつ強大な【黒の魔王】が現れるまでは……。


 その力は個として理不尽なまでに強大。その頭脳は冷血にして悪魔的。


 配下達はどれも凶悪極まり、王国近くのカース森林を拠点に我が物顔で大陸に出現した。


 すると自然に語られるのが、打倒を期待される英雄の話だ。


 初代勇者や今話題の黒騎士。若き勇者や隣国の【炎獅子】などという者もいる。


 だが強力な魔物の坩堝である“魔窟”を冒険する『探索者シーカー』達ならば、殆どの者はこの者の名を挙げるだろう。


【翡翠弓】シルク・エメラード。


 龍を退け、探索者シーカーとして幾度もの魔窟未踏破領域制覇実績、災害駆逐……大昔より数々の偉業を成し遂げて来た伝説のエルフだ。


 晴れやかな日の若葉を思わせる新緑色の長髪に、中性的で整った風貌。エルフ族の尖った耳。


 初めて出会った者は、大抵が妖精のようなその者をシルクだとは思わないのだという。


 剣の腕も超一流、おまけに――


「――いや、そうじゃなくて」

「ん……?」


 王国にあるひっそりとした酒場のカウンターで、全身ローブ姿の若者と老人が会話していた。


 キャンドルに揺れる淡い光源を頼りに、肴はチーズ。酒は濃い血色の赤ワイン。


「やけにあっさり魔王の説明が終わったじゃん。もっと邪悪な伝説とかないの? 文章にしたら魔王が一文で、そのシルクってのが三文を越えようとしてたよ……。なんならシルクはまだまだ続きそうな勢いじゃないか……ファンなの?」


 世間話がてら魔王の情報をとやって来た謎の男。


 訪れるのは何度目かとなる男が差し入れたイカの乾物を噛み締める老人……“ハバルケーレの咎人”なる情報屋は困ったように返す。


「ファンっちゅうか…………今んところ魔王の情報なんてのは、裏に通じているであろうあんたが知ってる以上のことは入って来なくてなぁ」

「……情報料を受け取らない理由が分かったよ」

「不確かなところで言うなら……ラルマーン共和国との境目にある荒野が吹き飛んだなんていう絵空事も風の噂で聞いたが」

「…………」


 男が全く手を付けなかった赤ワインを飲み干す。


「で、まぁこれは有名だが、知っての通り手の付けられん女好きっちゅう話だな。セレスティア王女もスカーレット商会の恐ろしい会長さんも、美人どころは手当たり次第に狙ってるってな」


 情報屋といえども信頼できると確信した客には多少なりとも饒舌になる。


 つい本音を漏らしてしまうことも。


「その割には誰一人ものにできとりゃせんがなぁ。ぷはっ、アッハッハッハ!!」

「あの、マスター? もっとキツいのあります?」


 笑いのツボに入ったらしき老人を他所に、カウンター向こうのマスターが蒸留酒をすかさず男に提供する。


「はっはっは!! ……ふぅ、あぁ……あとはなんかあるかなぁ…………もうすぐリッヒー・フリード伯がセレスティア王女を宴に招待するっちゅうから何か魔王に関する報告があるのかもしれん。……これくらいだな」

「魔王って言ってもそんなもんか。まだまだなんだね……」

「聞こえてくるもんが、あれ壊したこれ消滅させた、女寄越せ、そればっかりだからなぁ」

「う〜む、お酒が回ったのかな。急に涙が……」

「泣き上戸なのか?」


 目元を拭う男に構わず、老人はチーズとワインを腹に入れる。


「ぷはぁ! ……デマだとは思うが、それでもいいなら“魔王教”ってのもある」

「魔王教……」

「邪悪でも信奉する者はいるもんだ。それならまだ分かるが、そこの頭目が『遺物レガリア』を所持してるなんて話が回ってきた。聞いた事のない能力のやつがな。そうするとこればかりは現段階では流石に信じられん」

「…………」


 確かに、『遺物』などそう簡単に手に入れられるものではない。


 神話や伝説を裏付ける過去からの遺産。


 大体が血筋や後継者に受け継がれるか、オークションなどに出品され大きな騒ぎになるかに限られる。


「……ふぅ。おい、なにか軽い食事を頼む」


 マスターが軽く頭を下げて老人の好物であるホワイトシチューを用意する。


 鍋の蓋を開ければ立ち登る食欲をそそる香り。ジャガイモを中心に優しい味付けをした白いシチューが木皿に注がれ、仕上げに黒胡椒がまぶされる。


「まぁ魔王の軍勢を心配しても、当面の大きな変化はなかろう」


 老人は木皿を受け取り、スプーンでシチューを一掬い。


「あふっ、はふはふ……ほぅ……」


 熱々の内に味わい、熱気を吹きながら堪能する。


 次には鶏肉を掬い上げ……。


「…………奴等ぁ、カース森林からはそう簡単に動けん。丁度そのことで数日後には王城で例の国の聖女も交えて会議が開かれることだろう…………はふはふ」

「あぁ、あの仕事熱心な聖女のお婆さんね。旅ばかりで大変だなぁ。あとさぁ……」

「ん……?」


 滑らかなコクを楽しむ情報屋に、手元のシチューを指差して男は告げる。


「……俺もソレ、もらっていい?」

「なんだ、欲しいならとっとと言えば良かっただろうに。儂等の仲だろう。……ほれ」


 ホワイトシチューを掬ったスプーンを無造作に男の眼前に差し出す。


「……誰がお爺さんが半ばまで食ったやつが欲しいって言ったよ! あんなにあるんだから真っ新な状態でくれればいいだろ!」

「ゆ、指を差すから……」


 慌てたマスターがシチューをよそい始める。


「山に籠ってた仙人でももうちょっと気が利くよっ」

「なんだぁ、良かったぞ……てっきり儂と同じスプーンを口にしたくないのかと……」

「勿論それもあるでしょ! 言うまでもないってだけだよ!」

「え…………」


 フードを被り素性の知れない男と情報屋の老人が、気も楽にシチューを食べる。


 魔王や英雄、聖女の話題に花を咲かせながら……。




 ………


 ……


 …





 情報料をしっかりと置いておき、酒場から出た男は、


「……計画日には三日月だな」


 鋭く刀の刃の如き眼光で月を見上げ、一言呟いた。


 数日後の夜には直属の部下からの提案で、一つの仕事が控えていた。


 忠実で自分に心酔する愚かな部下の一人で、最も賢き者。


 男は裏路地に回り、角を曲がると…………目の前に跪いていた黒い衣装のすらりとした身体付きの女性を見下ろす。


「何か用か?」

「はっ、『第四席』が“魔王様”の判断を求めております」


 深い忠誠が見て取れる美女の物言いから、配下で決議できない程の問題が発生したのかもしれないと察する。


 だが、だからこそ面白い。


 裏から支配し、力で我を通す、唯一の悪たれ。


 それが、黒の魔王軍【クロノス】である。

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