第18話 吸血鬼と呪いの卵
人込みの熱気とビルの明りが独特の雰囲気を生み出す、夜の都会の喧騒の中。
様々な人種、年齢、立場の人間が行きかう街で、その事件は起こった。
内容としては、ショッキングではあるが単純な話だ。
とてつもなく女癖の悪いクズ男を、彼を愛する愚かな女が、思い余って包丁で刺し殺し、自分も首を切り裂いて死んだのである。
痴情のもつれの無理心中が日本中、いや世界中に報道される大事件となった理由は、その後の出来事にあった。
女は事件を起こす前、ありとあらゆる神社仏閣、それどころか心霊スポットまで手当たり次第に巡り、手首を切って、毎回ひとつお祈りをしていたのだ。
彼と自分が、死後結ばれますように、ひとつになれますように、と。
様々な浮遊霊や怨霊のいる場所で滴るような愛憎を込めて捧げられた乙女の祈りは、その場の穢れを一身に集め、そうして事件現場の渋谷スクランブル交差点のど真ん中で花開いた。
二つの死体を包んで発生した黒い繭のような呪いの塊は、ほんの10日ほど前までのこの世界でなら、死体とともに回収され、専門家によって入念に祓われて、この世に生れ落ちぬまま消えていたことだろう。
しかし数日前に流された動画が、事件現場にその繭が見える人間を大勢生み出してしまっていた。
それだけではない。
これはまったくもって偶然の話なのだが、見える人間を増やすための手段として、スクランブル交差点のすぐそばのビルの大画面に流すことになったショウのチャンネルの広告が、よりにもよってこのタイミングで人々の目に触れたのだ。
通りすがりに、触れられるようなすぐそばで起きた殺人事件。被害者の絶叫、加害者の哄笑と、切られた首の大動脈から飛び散る血液。
それらを見て、聞いて、あるいは浴びてしまった人々の悲鳴。逃げ惑う流れに巻き込まれて転倒した人の流した血。
そしてその直後に生まれた、二つの死体を包み込む、直径3mはあろうかという半透明の黒い繭。
その中にいる、二人の人間の姿が歪に溶けあったような、異形の化物。
それら全てがその場に生み出した恐怖を、畏怖を、嫌悪を、穢れを浴びて、その繭は瞬く間に巨大に成長し、交差点の中央を埋め尽くした。
いつ生れ落ちるとも知れぬ呪いの塊を抱え込んだ繭を、抗う術を持たぬ人々はただ茫然と見上げ、ひび割れかけた自分達の日常が決定的に壊れる予感を、胸に抱いたのだ。
というゴリゴリの大惨事までのカウントダウンがスタートしたころ。
マスターが周囲に隠れてこっそり行っていたVTuber活動の一環の、雑談歌配信もスタートしていた。
「はいどうも~~~。ものども元気であったか? 最近は配信の頻度が下がっていてすまんのお。ちと用事が立て込んでいたのだ。あっ、今日もスパチャありがたいの~~~。いつも助かっておるぞ!
さて今日は久々の雑談歌配信ということで、」
「マスター!!」
「ヴェアーーーーーーーーッ!!!??!?!??」
とんでもない声量の悲鳴を上げてマスターが椅子からスッ転び、キャプチャーが外れてガワの顔が笑顔のまま固まり、コメント欄が急に乱入してきたイケボに阿鼻叫喚の渦になっているのも気にせず、部屋に駆け込んできたショウはぽりぽりと頭を掻いた。
「あっごめんごめんなんか配信してた? いやでも今それどころじゃないって。仕事の緊急依頼きたよ」
「おまっ、なんっ、鍵!!」
「バトラーさんが緊急事態だからって開けたっていうか壊してくれた」
「あの野郎ぶっ殺してやる!!!!!!!!」
「マスターミュートしてる?」
「あああああああ!!!!!!!!!」
していなかった。
遠慮も容赦もなく流されてしまったプライベートに嘆きつつ、マスターはショウを部屋の外へ蹴り出してから配信を切り閲覧不可にした。
そこそこ人気の美少女ボイス吸血鬼系Vtuberとして活動していた彼女は後に、ガチ吸血鬼美少女真祖系VTuberとして人気を博すことになるのだがそれはさておき。
不機嫌顔のマスターが配信部屋を出た途端、彼女を指さして腹を抱えて笑いだしたバトラーを、宣言通り腹を拳でぶち抜いてマスターが一度殺した後、三人は仕事用PCに映し出された渋谷の様子を見た。
なおショウは、拳で穴をあけられた位置を平然と再生しながら席に着いたバトラーと、血まみれのこぶしを拭いもせずに仕事を始めたマスターに普通に引いた。
別のタブには通話アプリが開かれ、雨水が陰陽省東京支部の施設内から連絡を入れている。
画面の中の雨水は、大騒ぎになっている事務所内の様子がガラスの仕切り越しに見える支部長用の個室のなかから、いつもの胡散臭い笑顔を浮かべて三人を見た。
「まあ御覧の通りのありさまでしてね。渋谷スクランブル交差点は現在全面通行止めですが、それまでに非常に大勢の目撃者が出ました。なにせ若者の多い街ですから、見えるようになった人間の割合も多かったようでして。
幸いなのは外国からの観光客に怪我人が出なかったことですね。面倒ごとがこれ以上増えるのは、さすがに私も困ります」
「ふむ。随分とまあぶくぶく育ったものよ。生まれるまでにはあと1時間もかかるまい。周囲の野次馬をそれまでに追い払えそうか?」
「完全に、となると難しいですね。見えないものにとって、起きていることはただの無理心中ですから。どうして死体を回収しないのかと問い合わせも来ています」
「まだ見鬼は少数派だからの。無理もない。マスコミは?」
「来ている局もありますが、報道規制を掛けました。ただ、マスコミ全体が報道に積極的、というわけでもないようですね」
「記者は見えている者も多いようだからな。ショウにくる取材の依頼が、個人のネットニュースや週刊誌だけなのがよい証拠だ」
「話題にはなるでしょうが、この局が地上波に彼を流したせいで世界に混乱が広がった、と後ろ指をさされる事態になるのは間違いありませんからね。さすがに尻込みしているようだ」
「ま、ここはこれ以上混乱が広がる前に疾く片付けるか」
「ええ。周囲のビルから一般人に撮影される可能性もありますが、仕方ありませんね。動かない代わりに固いせいで、派手な攻撃をせざるを得ない相手なのが厄介です。どうしたって目立ってしまう」
大人達が普段より真面目に仕事の話をするなか、ショウは画面に映し出された化物の卵とでも呼ぶべき存在を、食い入るように見つめていた。
大都会のど真ん中という場所に現れた、本能に訴えかける悍ましさを湛えた特大の怪異。
彼にとってこれは、なにより魅力的な存在に見えたのだ。
こんなの動画で流したら、きっとみんなビビるし大興奮するだろうな、とただただ腹の底から思っている彼は、いつもと同じく、やりたいことが即口から出てしまう特性を発揮した。
「なあマスター、これ撮りに行っちゃダメ?」
「なに?」
「いや撮ろうよ。絶対バリバリに再生数伸びるじゃん。渋谷スクランブル交差点のど真ん中に出現した巨大な怪物の退治動画!」
「おぬし……、いや、それならただ撮るだけでは勿体ない。雨水」
にい、と口元を釣り上げて不吉に微笑む化物の親玉に、雨水は画面越しに、いつも通りうすっぺらな笑顔で相対した。
「はいはい。なんでしょう」
「おぬし、腹をくくる準備は出来ておるか?」
「出来ていない日なんてありませんよ」
「よく言った。よいか、これからこの化物の相手をショウにさせる」
「おや」
「えっ」
マスターの発言に、ショウは面食らってぽかんと口を開く。
彼は今まで通り、他の吸血鬼に化物退治をしてもらい、それをそばで撮影する気でいたのだ。
まだ新人気分でいるショウをマスターは鼻で笑い、間抜けヅラを晒している彼の頬を指先でつついた。
「良い機会だ。相手は巨大とはいえ身動きもせぬただの置物。防御はそのぶん固いが、新人のおぬしにも出来る火力の上げ方を教えてやろう。そろそろ自分の力で怪異を退治する、という経験をしても良い頃だからのお。おぬしも立派な吸血鬼なのだ、当然その程度こなしてくれなくてはなぁ?」
挑発にも等しいような笑顔でそう言われ、ショウは口をへの字に曲げた。
ショウは面白いことは好きだが、危険なことと痛いことはそれなりに嫌いだ。
しかしながらこうまで言われて逃げるほどに臆病ではない。彼はなにせ、無理矢理だったとはいえジャングルの中で猛獣と戦えるメンタルをしているのだ。
「おっしゃ。それじゃ吸血鬼チャンネル初のショウのアクション動画、撮ってやるよ。最高の出来になるぜ」
「その意気よ。さて雨水、そういうことになったからな。動画配信だけでは勿体ない。いっそこれをテレビで流してしまえ」
「おやまあ。随分積極的な案ですね。いったいどうしてまた、そのような?」
そう言う雨水の声は、言葉ほどには困惑している様子もない。
この狐顔の男のトチ狂った内面にそれなりの信頼を置いている真祖の少女は、薄ら笑いを浮かべながら、渋谷の様子が映し出された液晶を爪の先でカツリとつついた。
「これほどの人口密集地の、目立つ場所で、こんなにも巨大な怪異が生れ落ちかけ、周囲に危害を加える前に都合よく退治されるなどという機会、次にいつあるかわからぬ。
よいか、これはチャンスだ。この世には今まで見えていなかった脅威があるのだ、と無知な民草に知らしめるためのな」
「……ええ、おっしゃりたいことは良くわかりますとも。まったくもって、これは千載一遇です。
わかりました。吸血鬼の頭領がこの事態を無事に解決すると、そう約束していただけるのですね?」
「ま、おぬしらの協力も多少は必要だがの」
「ええ、それは勿論。
よろしい。この仕事について十年ばかり経ちましたが、この世に蔓延る危険への警鐘を鳴らす必要があるとは、私も常々感じておりました。いまがその機会。そういうことです」
「いやまったく。事件を利用するようで心苦しいがのお」
「ええほんとうに。しかしこれも世のため人のため、私も心を鬼にして立ち向かいましょう」
「なんと謹厳実直で仕事熱心な公僕であろうかや。いやはや、大変な苦難であろうが、ぜひ手を取り合って共に乗り越えようではないか」
「ハイもう是非とも。では私はしかるべき筋を説得してまいりましょう。いやあ、大変だなあ」
クソのような小芝居をうちながら、きたない大人二人は通話を終えた。
それを見て社会って嫌な場所だなあとしみじみ思っていたショウは、マスターに腕を引かれて立ち上がる。
同時に、一連の流れを見ながらすっかり健康体に戻っていたバトラーが、マスターの部屋の扉を恭しい仕草で開けた。
その向こうにあったのは、いつもの吸血鬼の館の廊下ではなく、薄暗い緑がかった魔法の明りが灯る部屋だ。
わけがわからないまま中へ引きずられていくショウは、はじめて入る部屋の中をきょろきょろと見回す。
先頭をずんずんと進んでいくマスターと、いまは執事モードなのか後ろに黙って付き従っているバトラー、どちらに話しかけようか迷ったショウは、とりあえずマスターに声をかけた。
「マスターの部屋の扉って、いつも出掛けるのに使ってる魔法の扉だったの?」
「ん? いや、今回のアレはバトラーの能力だ。あやつは空間操作系能力を持っていてな、ある程度制約はあるが、好きに空間同士を繋げることができる」
「なにその格好いい能力?? は?? 羨ましいんですけど??」
吸血鬼の中でも珍しいレア能力に、ショウは素直に嫉妬をむき出しにした。反則級のチートとはいえ戦闘系能力は持っていない彼にとって、いかにも強キャラ感あふれるバトラーは眩し過ぎたのだ。なおバトラー自身は運転が趣味なので、外では気が向いた時しかこの能力を使わないのだが。
いつの日かチート能力で無双をするのだという夢を胸に抱いているショウを無視して、マスターは部屋の一角で足を止める。
彼女の目の前には、ショウの背丈より大きな、細やかな彫刻の施された鋼鉄製の箱が鎮座していた。よく見ると蓋に鍵穴が付いているのだが、そこにも鉄が流し込まれて封をされている。
マスターがそこへ触れ、ショウの知らない言語で何事かを呟くと、鍵穴に詰め込まれていた鉄は火花を散らしながら赤く溶けだし、蓋の上を流れ落ちていった。
重厚な蓋が開けられ、中から取り出されたのは、鋼鉄製の巨大な両手槍だ。
炎のような複雑な形状の刃をしたそれは美しく、一見儀礼用にも見えるが、よくよく見れば細かな傷がいたるところにつき、実戦に使われていたのだろうとうかがえる。
マスターの華奢な手がその槍の柄を握り、いともたやすくひょいと持ち上げてショウへ渡した。
ショウは初めて手にするロマンあふれる凶器に、興奮に頬をぱっと赤く染める。
「なんすかこの……なん……、かっ、かっっっこよ……!」
「おうウブな反応をするの。この槍はとてつもなく頑丈でな、おぬしのようなド素人が扱っても壊れる心配がない」
「いやでも俺槍術とか体術とか、全然習ったことないよ」
元一般男子高校生である以上当たり前のことだが、ショウは戦闘経験が極めて少ない。ゴリラ相手の修行が精々だ。
マスターのほうでも当然それは織り込み済みである。
彼女はにやりと笑顔を浮かべ、ショウが持つ槍の刃を爪でキンと軽く弾いた。
「わかっておる。しかしおぬしはただの人間ではなく、頑丈で再生能力に優れた吸血鬼。動かぬ的を相手にするなら方法などいくらでもある。
よいかショウ。今回は化物らしく空を飛んで、あの化物の卵を打ち壊すがよい」
真祖の少女の思いがけない命令に、新米吸血鬼は槍を握ったまま、期待と不安に口を笑みの形にひきつらせた。
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