第14話 全日本馬鹿選手権小学生部門・後
夕日が周囲の景色を赤く染める、黄昏時。
少年の小さな体の真正面、放棄されて久しいスクラップ置き場から、かたんと何かが落ちる音がした。
かたん。
きい、きい。
かたん、ことん、ぎし。
ぎち、ぎり、きりきりきりきりきり。
金属の擦れるような、あるいは黒板に爪を立てるような、頭にきんと響く音が、スクラップ置き場からいくつもいくつも響き、そしてだんだん大きくなっていく。
この場所が危険だという真琴の予想はきちんと当たっていた。
的中しすぎていたと言ってもいい。
彼は知らなかったことだが、このスクラップ置き場には、事故車のパーツがいくつも運び込まれ、そしてそのまま放置されていたのだ。
ただの鉄になり別の物へと生まれ変われば、何の問題もなく落ちてしまう程度の穢れが、この場にはいくつもいくつも、文字通り山のように積まれ、放置されていた。
それらが真琴の行ったこっくりさんの影響で一斉に活性化し、集まり、いま、ひとつの化物として生み出されようとしている。
仮に真琴が同じように血文字を使ったこっくりさんを別の場所で行っていたとしても、学校や家のような、きちんと守られた場所であれば、これほどにまで周囲に影響を与えることは無かっただろう。
場所も、道具も、そうして闇が濃くなる時間帯も、あらゆる要素が、ただの子供の遊びであったはずの行為を、降霊の儀式へと変貌させてしまったのだ。
きりきりと鳴りやまない金属音を聞きながら、真琴は冷や汗をびっしりかき、それでもその場を動けずにいた。
だって、彼の指先が置かれた10円玉は、紙の上をゆっくり滑り、はい、に止まってしまっていたのだから。
ここで逃げ出したなら、呼び出した何かは帰らず真琴のそばに留まるだろう。彼はそれを本能で察した。
始める前に考えていた当たり障りのない質問は、予想以上の成果を目の当たりにして、真琴の頭から吹っ飛んでしまっている。
なにを言えばいいのか、どうするのが最適解か。
彼は考え、そして気付いてしまった。
まだ音しか聞こえない。
まだ姿を見せていない。
見えないわけではないはずだ。だってクラスのみんなも自分も、幽霊が見えるようになったんだから。
それならこの場にいるなにかは、いったいどこに居るんだろう?
そう思った瞬間、真琴の口が、彼自身にも予想外の言葉をつぶやいてしまっていた。
「こっくりさん、姿を見せてください」
その瞬間、足元にひやりと冷たい風が吹いた気がした。
はっとして紙から目を離し、座り込んでうつむいたまま、自分の後ろへ視線を向ける。
赤い夕日に照らされて、真っ黒な影が伸びていた。
見えなかったんじゃない。真琴の後ろにいたから、気付かなかっただけなのだ。
そう理解した途端、きり、きり、という音が、背後から聞こえた。
それはゆっくり移動して、真琴の斜め上、それから前方へと進んでいく。
そうして、下を見ている真琴の視界の上側に、ゆっくりと黒い何かがおりてきた。
髪の毛だ。
後ろに立っている何かが、人間には不可能な形で体を折り曲げ、首を伸ばして、真琴の体に覆いかぶさるようにして頭を下げているのだ。
見ないようにと十円玉を凝視しているのに、危険から逃れようと必死になっている体は意に反して、痙攣するように時折視線を上げてしまう。
髪の毛がゆっくりゆっくり降りてきて地面にざらりとつき、真琴の視界に、青白い額が見えた。
もう少し下がれば。
目が、合う。
その瞬間、真琴の上を風のようになにかが通り抜けた。
ドンという大きな音と共に、化物が弾き飛ばされたのだ。
「大丈夫か!?」
どこか聞き覚えのある声がして、真琴の肩に温かい手が触れる。
それでも真琴は10円玉から指を離せずにいたが、横から伸びてきた男の手が、真琴の手に上からそっと触れた。
「いいかい、お帰り下さいと言うんだ。大丈夫」
男の声は優しく、まるで父親のようで、真琴は促されるまま口を開く。
「こ、こっくりさん、おかえりください」
その言葉と同時に、真琴の手を男が動かし、10円玉を最初に「はい」へ、つぎに鳥居マークへ移動させた。
とたんに緊張が途切れ、わっと泣きながら、真琴はそばの男に抱き着いた。
優しく背中を叩かれながら、真琴は恐怖に突き動かされて周囲を見回した。
自分の後ろにいた何かがどうなったのか確認しないことには、完全には安心できなかったからだ。
答えはすぐに見つかった。
周囲の背の高い草をなぎ倒して、異様に胴体と首の長い黒髪の化物が、大きな狼に爪と牙で引き裂かれ、倒されていたのだ。
それはそれでショッキングな光景だったのだが、普段散々アクションゲームをやり込んでいる真琴少年は、これに目を輝かせた。
「えっ、すげえ!! え!? なに!? えっ!?」
語彙を失うレベルで楽しくなってしまっている少年の姿に、彼を助けた男は安心半分呆れ半分に笑い、化物が黒い煙となって消えたのを確認してから、狼をそばへ呼び戻した。
「白秋、おいで」
呼ばれれば、白秋という名の狼は、犬のように無邪気な顔をして主人の元へ走り寄ってくる。
それがまた可愛くて、真琴は歓声を上げた。
いったいこれはなんだろう。
質問しようと、かたわらに立つ男の顔を見上げ、そこで真琴は彼の正体を理解してもう一度驚いた。
「用務員のおじさん!」
「うん、そうだよ。きみ5年生の子だろう。だめじゃないか、こんなことをしちゃあ」
真琴を助けた男は彼の通う小学校で、用務員兼陰陽省長野支部児童対策課職員として働いている、矢野順一という名の中年陰陽師だ。
元々は化物退治を生業としていた矢野は、現在58歳。なかなか優秀な退治屋だった彼も寄る年波には勝てず、穏便な仕事を探し求めて、こうして田舎町で働いていたのである。
普段の矢野は学校と通学路を中心に街中のお祓いをしたり、危険そうな幽霊を人に危害を加える前に退治したりと、それなりに穏やかに暮らしている。が、彼が用務員として働く小学校の生徒たちに異様に見鬼の力を有した子供が増えた影響で、ここ数日の彼の生活はすっかり変わってしまっていた。
いつもは夕方に飼い犬のポチの散歩をしながら街中を歩き、通りすがりに霊を式神の白秋で払っていくだけの単調な作業が、周囲を歩き回っている小学生に見られるかもしれないせいで、一気に難易度が上がってしまったのだ。
おかげで昼は用務員としての仕事をし、夕方家に帰って仮眠を取り、彼が陰陽師であることを知らない家族に言い訳をしながら夜に散歩に出て幽霊を祓う、という生活を送る羽目になっていた彼は、そろそろ纏まった睡眠時間を取りたいと嘆きつつ今日も職務に励んでいた。
そんな彼の耳に、部活で帰るのが遅くなった小学生たちの会話が聞こえたのは、本当に偶然の出来事だった。
おかげでこのスクラップ置き場でこっくりさんをしようとしている馬鹿がいるらしいと知り、彼は間一髪、真琴少年の救出に間に合ったのである。
「いいかい、こういう場所は妙なものが居付きやすいから、そういう危険な事をしちゃいけないよ」
「うん。だろうと思ってやりに来たんだ」
「どうして??」
小学生男子の中でもトップクラスの馬鹿に位置する真琴の発言に、矢野は純粋に理解が及ばず疑問符を浮かべた。彼は常識人なのである。
可哀想な用務員兼陰陽師の気持ちを置いてきぼりに、真琴は大はしゃぎで狼の式神を観察した。
白秋は子供なら背中に乗れそうなほどの大きさの白狼で、しかも耳には翡翠の耳飾りを付け、全身にほんのりと白い光を纏って、一目で神秘的だとわかる見た目をしている。これに小学生が食いつかないはずがない。
矢野は困って頬を掻きながら、白秋とともに真琴を人目につかなそうな物陰に移動させ、こっそりと話し始めた。
「あのね、絶対に内緒にできるって約束できるかな」
「うん! 誰にも言わないよ!」
「そうか、うん。いいかい、おじさんは普段は用務員をしているけれど、本当は陰陽師といって、こういう式神、ええと、なんて言ったらいいかな。まあ魔法のような、そういう存在を使っておばけ退治をしているんだ」
「えっ!? すげえ!!」
冴えない中年男性が本当は魔法使いだった、というシチュエーションが刺さるタイプである真琴は、この告白に目を輝かせた。
「格好良い! おじさん、魔法使いだったんだ! みんなにも教えたらいいのに!」
「いやあ、そういうのは、ええと」
「だってきっと、みんな喜ぶよ! ほら、オレ達だけでおばけマップ作ったんだけどさ、やっぱ退治できる人がいるのといないのとじゃ、全然安心感が違うもん」
そう言って真琴に小学生お手製の幽霊出没スポットマップを見せられ、矢野はあまりのことに一瞬目眩を感じた。
やけに見える子が増えたとは思っていたが、こんなものが出回るほどになっているとは、いったいどういうことなのか。何が原因なのか。
彼が生きてきた58年の人生の中でも類を見ない状況に、矢野は指先を震えさせながら、真琴に質問をした。
「その……、きみみたいにおばけが見える子は、多いのかい」
「うん、クラス全員見えるよ。っていうか、多分5年生は全員見えるし、兄弟にも教えたりしてるから、うちの学校で見えない奴のほうが少ないんじゃないかな。だってほら、おばけに気付けないと危ないじゃん」
「……ちょっと待ってくれ、教えて、というのは、どういうことなんだい?」
「えっ? あ、おじさん知らねーの? 動画があるんだよ。見ると、おばけが見えるようになるっていうやつ」
「そんなものが……!?」
にわかには信じがたいが、現状を見れば、おそらくその情報は正しいのだろう。
矢野が表情を険しくしたことを気にせず、真琴は大はしゃぎしたまま白秋の背中を少しだけ撫で、さらさらの毛並みに頬を興奮で赤く染めて満面の笑顔を浮かべた。
「あっ、そうだ、忘れてた! おじさん、助けてくれてありがとう!」
その言葉に、謎の動画について考え込んでいたこともぽんと忘れ、矢野は意表を突かれてぱちぱちと瞬きをした。
彼は陰陽師となって長く、襲われている人間の救助もこれまでに何度もしてきたが、助けた相手からこんなに笑顔で礼を言われたことというのは、ほとんどない。
なにせ助ける相手は一般人。何に襲われているのかも、矢野がなにをしたのかもわからないのだ。
見えていない危機から助けて、礼を言われるはずもない。むしろ気味悪がられることのほうが多かった。
だから術者たちは隠れて行動する。最近ではふらふら歩いているだけで、特に住宅街や通学路付近では不審に思われるので、矢野のように犬の散歩を装って行動するケースも多い。
矢野は目頭がじんと熱くなるのを感じて、真琴からすこし顔を逸らした。真琴はそれに気づかず、大人しい白秋の背中を、今度はもうすこし長めに撫でている。
世界に今何が起きているのかはわからないし、そのことに不安を感じてはいるが、この時矢野は、忘れかけていた仕事への情熱を思い出していた。
この先どうなるのかはわからない。けれど、この子達のために一生懸命働こう。
自分の仕事は、この笑顔を守ることなのだ。
この日、ベテラン中年陰陽師は、そう胸に誓ったのだった。
そしてこの事件を筆頭に、全国各地で似たような事例が多発していたのである。
現場のヒラ職員たちは、救助者に気味悪がられるどころかお礼を言われるという展開に、揃って胸に熱いものが込み上げていた。
普段隠れてこっそりと幽霊退治をしたりお祓いをしたりと活動していた彼らは、一般人からのありがとうという言葉に、非常に弱かったのだ。
世間に認知されていない職業についてしまったことを後悔していたぶんだけ、助けた相手も見える人であり、真っ当に礼を言われ報われる。というそれだけのことで、とてつもなくやり甲斐を感じてしまったのである。
場合によってはファンタジックな能力にキャーキャー言われることすらあり、オカルト職という身内のなかでしか評価されない仕事で承認欲求を殺されてきた彼らは、瞬く間にやる気をみなぎらせた。
見える人がいっぱいいる社会って、いいな。
そんな認識が、彼らの中に芽生えたのである。
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