第9話 裏社会と吸血鬼

社会の裏側で化物どもを狩る秘密組織に呼び出され、おそらくボコボコに怒られるのだろう己の未来を憂いて、ショウは自室でしょんぼりと電話をした。

相手は叔父の新月しんげつ冬至とうじである。

彼の生活リズムに合わせてド深夜にかけた甲斐があり、電話はすぐに繋がった。


「はい新月です」

「とーじ叔父さん! ちょっと聞いて!」

「なんだいひかるくん。あ、いまはショウくんだったかな」

「なんで知ってんの?」

「動画見たからね」

「マジかあ。じゃあ話がはえーわ」


ショウはソファに寝転がり、天井を見上げながら表情をしわくちゃにした。


「なんかあの動画とか俺の能力のこととかで、偉い人に呼び出されてさあ」

「それは愉快だね」

「愉快じゃないよお。俺きっとめっちゃ怒られるって」

「そう言われたのかい」

「言われてないけど、絶対そうじゃん」

「そうとも限らないと思うけれどね。私がとても偉くて、かつきみの動画を問題視しているなら、呼び出しをした時に、動画を削除しろと一言伝えているよ」

「……あ、そっか」


言われてみればそうである。なにもショウを怒ってからでなければ動画を消せないなどという道理はないのだ。

ショウは寝そべっていた体をがばりと起こし、無意味に片手をうろうろ動かしながら首を傾げた。


「……じゃあ俺ひょっとして怒られない?」

「まあ多少は注意を受けるかもしれないけれどね」

「なーんだぁ」


ショウは安堵し、再びソファに仰向けにばたんと倒れ込こんだ。

ちょっと怒られる程度なら何も問題ない。ショウは反省とは無縁の性格と頭をしているので、その程度ではへこたれないのだ。

ならいいや、と言いかけて、彼はふと口を噤んだ。無言でいる彼を、電話の向こうの冬至は辛抱強く待つ。甥のペースに慣れているからだ。


「……ねえとーじ叔父さん。俺動画の投稿とか配信とかやってさあ、楽しく生きていきてーなって思ってんだけど、叔父さんはそういうのどう思う?」

「楽しそうだなと思うよ。きみはもう納税義務も無いし就職もしなくていい立場らしいから、好きにやってみたらどうかな」

「んー、まあ叔父さんならそう言うか。

……あのさー、俺最初に投稿した動画がめっちゃ伸びちゃったじゃん。次に何するかちょっと悩んでるんだよね」


ショウにとって、今現在住んでいる場所こそこの吸血鬼の館であるが、実家だと思っているのは冬至と住んでいた家だ。

両親を亡くしてから今日まで世話になっていた叔父は彼にとって、死んで吸血鬼となった今でも、保護者だという認識のままなのである。

そのため彼は自然と自分の悩みを冬至に相談していた。冬至は非常に性格に難のある人物ではあるが、それでもこれまでショウこと新月光をのびのびと育ててきた、それなりに頼りになる大人でもある。

冬至はふむと頷き、少し考えてから口を開いた。


「ちょっと私の話をしようか。私はホラー小説を書いて生計を立てる暮らしをはじめて数年経ち、いまではそれなりに熱心なファンがついている。

そういう人たちの中には、通販で届くまで待ちきれなくて、発売日には店に並んで本を買ってくれるという人たちもいるんだ。

彼らが財布片手に店で私の本を買うだろう? そうしてそれを小さなレジ袋なんかに入れて、カサカサいわせながら家まで帰る。

自分の部屋のお気に入りの椅子でも、クッションの上でも、好きな場所に腰を下ろして、買ってきたばかりの本を読み始めるんだ。彼らは時間を忘れてページをめくり、物語の世界に没入し、楽しんでくれる。

そういう読者のみんなが、最終的にそのへんに置いておいたレジ袋にゲロ吐いて、なんで自分はこんなキッツイホラー読んでんだアホかと後悔するような話を書くことが私の楽しみなんだ」

「叔父さんそういうとこあるよね」

「私は仕事用にSNSをやっているんだけれど、発売日なんかはよくそこに、なんてもん読ませてくれたんだこのクソ外道野郎と感想を書き込んでくるファンがいてね。私はそれを見るたび最高の気分になるよ。

サイン会で面と向かって、大ファンだけれど一生恨みますと言われたこともある。あれは本当に愉快だったな。生まれてきて良かったと噛みしめた瞬間の一つだ」

「俺とーじ叔父さんのこと最悪だと思うけれど嫌いじゃないよ」


冬至の声は穏やかで幸せに満ち足りており、自分の人生になんの疑問もなく、やりがいを感じていることが伝わってきた。

ショウは数年間を彼と共に過ごしてきたが、いまだにこの男の底が知れない性格の悪さに引く瞬間がある。今がまさにそうだ。


「まあそういうわけだから、きみも自分のしたいことをして、楽しいと思う人生を送りなさい。目の前に広がる選択肢のどれをとろうかと悩んだときは、一番ワクワクするものを選ぶことが、後悔しない秘訣だよ」

「なるほどなあ。

うん、参考になった。ありがとね叔父さん。また電話する」

「ああ、いつでもかけておいで」


そうしてショウはクソ外道の人生の先輩への相談を終え、今後の活動の方針を決めた。

吸血鬼になってから、はじめて外出したあの夜。見慣れた世界が、本当はもっと広かったのだと気付いた瞬間。あの時のわくわくする気持ちを、大勢の人々と分かち合いたい。

そんな気持ちがショウの中にはあった。

昨日上げた動画は、彼の中の感動を、少しだけ世界と共有できたことだろう。

自分は、もっと世界を面白くしたいと思っているのだ。

そのことに気付いたショウは満足し、スマホを枕元に放ってぐっすりと眠りについた。


そして翌日ショウは、お偉いさんに呼び出された場所へ出向くべく、昨夜とは打って変わってげんなりとした顔で身支度をした。

言われたから渋々やっていますという様子を隠さない、ある意味学生さんらしく素直で可愛げがあるとも言える態度である。

迎えに来てくれた引率のバトラーには、それでも一応ぺこりと頭を下げ、ショウはほんのりと不安げな顔で先輩吸血鬼の顔を見上げた。

今日も黒の三つ揃えをかっちりと着込んでいるバトラーは、後輩に対してにこやかに、あるいは胡散臭い、と形容されそうな笑顔を浮かべている。


「おやまあショウくん、緊張していますか?」

「や、それほどでも」


そう言われるとそれはそれでなにか照れくささのあるショウは、澄ました顔をしてみせた。

しかしながらバトラーのほうは吸血鬼歴の長いベテラン。新米の繊細な感情の機微など気にするような男ではない。


「まあ若いうちはそれくらいのほうが、可愛げがあってよろしいですよ。さて、それでは今から我々は陰陽省の東京支部の管轄である、新宿営業所へと行きます。我々のような退治屋稼業をしている者が仕事がないか聞きに行ったり、情報交換をする場です」

「東京って支部なんすか?」

「ええ。陰陽省の本部は京都に置かれていますから。今日はわたくしが一緒に行くので大丈夫でしょうが、この界隈は基本的にどこも北九州より治安が悪いので、今後一人で行く機会があれば十分気を付けるのですよ」

「なんで急に北九州に喧嘩を売ったんだ……」


先輩の突然の北九州disに釈然としない気持ちを抱えつつ、ショウは例の魔法の扉をくぐった。なおバトラーの発言に深い理由はとくにない。

扉の向こうに広がっていたのは、高そうな調度品が置かれ、煌びやかな照明に照らされた、娯楽施設のような場所だった。というか有体に言って、どう見てもカジノであった。

省庁というからには一応公務員が務める施設なのだろうと考え、お役所に行くのだと思っていたショウは、予想外の内装に目を白黒させる。


「いや、え? ここで合ってるんすか?」

「合っていますよ。この職業はなにせ、我々のような化物も取引相手としていますからね。娯楽を提供することで歓心を買っているのです。なにもおかしくありません」

「そうすか……」

「ええ。合法ですよ。現金は賭けられませんし」

「へえー」


日本の賭博事情に詳しいわけではないショウはするりと丸め込まれ、感心してきょろきょろと店内を見回しながらバトラーの後についていく。

彼の言うとおり、店内にいるのは人間だけではない。

キツネのような耳としっぽのある女がカウンターの端で書類を見ていたり、ウロコの生えた異様に白い肌の男がブラックジャックで負けてディーラーを睨みつけていり、そこかしこに手のひらサイズのスライムのような生き物がぴょんぴょん飛び跳ねていたりと、なんなら人間より化物のほうが多いくらいだ。

その中を素通りし、奥まったVIP席という雰囲気の個室へと、二人は入っていった。

中で待っていたのは、カジノには似合わない白い狩衣姿の若い男だ。

三十代そこそこに見える、狐のような糸目の、食えない人間だということが一目で分かるような男が、背後に部下らしい同じく狩衣姿の青年を従えてソファに座り寛いでいる。

バトラーはそれに慣れた仕草でお辞儀をし、ショウを連れて対面のソファに座った。

そうそう見ることの無い衣装に目を輝かせているショウを放置して、胡散臭い笑顔の男達は会話を始めた。

最初に声をかけたのは、狩衣の男だ。


「本日はお呼び立てして申し訳ありません。なにせ忙しい身で、そちらへ向かうことも難しいものでして」

「いえいえ、構いませんとも。わたくしも館に引きこもってばかりいては、体がなまってしまいますからね。こうしてたびたび外に出ておかなければ」

「おやおや、貴方が直々に出なければならないような仕事が無いことは、我々としては喜ばしいのですがね」

「酷いことをおっしゃる。わたくしとて、時には活躍してみたいというのに。ま、それはどうでも良い。本日はどういったご用件で、うちのかわいい新人に声をかけたのです?」

「ああ、いえ、そうたいした話ではないのですがね。

ショウくん、とおっしゃいましたか。私は陰陽省東京支部の支部長を務めさせていただいております、安倍あべ雨水うすいと申します。どうぞよろしく」


ソファにもたれて大人の会話をぼうっと聞いていたショウは、急に挨拶をされてぱっと身を起こし、若者らしくぺこりと頭を下げた。


「あー、どうも。ショウです。よろしく」

「はいどうも。まあ楽になさってください。今日はべつに何か問題があって呼んだわけではないのですよ。

なにせ日本人の吸血鬼が生まれるというのは、それだけで珍しいうえに、貴方の持つ能力もまた珍しいもののようでしたから、ぜひ一度直接お話をしたいと思いまして」

「えっと、そうなんですね」


顔と雰囲気の胡散臭さのわりに、案外声色は穏やかな雨水に、ショウは内心ほっとする。

これならやはり、動画の件は怒られずに済むのかと考えていると、その思考を読んだかのように雨水が口を開いた。


「動画、見ましたよ」

「ハイ」

「よく撮れていましたね」

「アどうも。えっと、まずかったっすか」

「まあ顔をしかめる者もいるでしょうが、あの程度問題ありませんよ。このご時世、一般人は誰も本物の化物と吸血鬼だなどと思わないでしょうから」

「あっ、じゃあ今後もああいうの、やっても大丈夫ですか」

「ええ。今後もそちらの頭領殿に、動画をネットに公開する許可を取ってからやっていただけるのであれば。私としてはむしろ、面白く思いながら見させていただきましたよ」

「マジすか。良かったです」


ほっと胸を撫でおろし、ショウはふと、ひとつアイデアを思い付いた。

少し考え込んでから、まあいいか、と彼は若者ならではの勢いで口を開く。


「あのー、俺今後は配信もやっていきたいって思ってるんですけれど」

「配信。なるほど。リアルタイムでやりたいと」

「はい。今回出した動画みたいな化物退治とか、あとはまあもっと日常的な、こう、企画みたいなやつなんかも。……まずいすかね」


最初の動画はマスターに問題がないが確認してもらって出したが、ショウがやってみたいのは、動画投稿よりはむしろ配信だ。

双方向でのコミュニケーションが取れる生放送で、あんなふうに現実離れした映像を届けられたなら、きっとその際の視聴者の興奮は動画の比ではないだろう。

楽しいことを思う存分やりたいショウとしては、これは外せないコンテンツなのだ。

雨水は唇に指を添え、少しの間考え込んだ後、にこりと笑って頷いた。


「ええ、まあ、良いでしょう。本部で問題視されない限りは、私は貴方の活動にケチを付けたりはしませんよ。

その代わり守っていただきたいことがあります。まずは当支部の名前など、この業界に関する固有名詞を出さないこと。存在を匂わせる程度は問題ありません。

次に、削除の要請があった場合は逆らわずにすぐ従うこと。よろしいですか?」

「はい! 問題ないっす!」


ショウはにこにこと頷いた。

国家権力に話が通ったなら、もう心配することなどひとつもないだろう。いまいちどこからどこまでを隠しているのか分からない怪しい組織ではあるが、案外話が分かるものだと安心しているショウを見て、雨水はただでさえ細い目をますます細めて微笑んだ。


「一昔前でしたら、ああいったものには火消しのために、作り物だと声高に非難することもあったらしいですがね。今ではCG技術も発達して、逆に言い訳をする必要というのも減りました。我々としては楽なものです。

ああ、ただし、なにか重大な問題を起こした際は、さすがに責任を取っていただきますよ。貴方の腎臓を片方取って、代わりにゴキブリの群れを詰めたりしますからね。気を付けてください」

「ヒェ」


ショウは顔を青くしてバトラーの腕に縋りついた。目の前の人物がサイコ野郎であるという事実を唐突に突き付けられ、彼の心には深い悲しみが生まれた。

怯える新人の背中をさすってやりながら、先輩はやれやれと首を横に振ってサイコ野郎を見る。


「なんということを言うのです。まだ世間に慣れていない子供に向かって、可哀想だとは思わないのですか。そこは片目を抉って豚の餌にしてやりますからね、程度の表現に止めておくべきでしょう」

「エウゥ……」


ショウは泣いた。縋った相手も大差ないサイコ野郎だったため、逃げ場がなかった。

この場でショウの感情に寄り添ってくれるのは、雨水の後ろに控えて一連の流れにドン引きしている青年だけである。

雨水はパンと手を叩き、さて、と白々しく話を変えた。


「こうして挨拶も済んで顔見知りになりましたし、本日の要件は無事済みましたね。何故かショウくんが泣き出してしまいましたから、お開きとしましょうか」

「そうですねえ。お忙しい雨水殿のお時間をあまりとっては申し訳ない」

「こちらこそ、本日はご足労頂き申し訳ありませんでした。では今後も、よい関係を続けていきましょうね」

「はい、勿論」


ニコニコと挨拶を終えたバトラーは、一度泣いてスッキリしたのか既に平気な顔をしているショウを連れて、さっさと個室を出ていった。

その姿を見送った雨水は、笑顔のまま、後ろに控えている青年へ一瞥すらせず声をかける。


「可哀想だと思いましたか?」

「え、いえ、その」

「気持ちはわかりますよ。彼らはなかなかコミカルで親しみやすい言動をしますからね」


今日雨水の従者として付いてきた青年は、吸血鬼たちを間近で見るのはこれが初めて、という新人である。

雨水の言う通り、吸血鬼というものはなかなか人間味があって面白いものだと思っていた彼は、おそるおそる上司の言葉に頷いた。

そんな新人に、雨水は小さく首を傾げる。


「吸血鬼の性格面での特徴は知っていますか?」

「享楽主義で、あまり物事を深く考えず、いささか倫理観が薄い、と聞いております」

「そのとおり。頭と性格が悪く神経が図太い。なぜかわかりますか?」

「……申し訳ありません、不勉強なもので……」


反省する部下に、雨水は鷹揚に頷いてみせた。


「いえいえ、これから知っていけばいいのです。そう卑下することはありませんよ。

吸血鬼は化物として分類される存在の中では非常に理性的で話が通じ、定期的な血液の供給さえしていれば、こうして問題なくビジネスパートナーになれるほどに穏やかな種族です。

しかし彼らの特徴は結局のところ、彼らが元々は同胞であった人間を食料とすることにまったく忌避感を抱かない。という残虐性を示唆している」


雨水は目を無感情に細め、口元だけをにこりと釣り上げた。

笑顔を浮かべていることの多いこの男がそうしていると、その切れ長の目が、本来はあまりにも酷薄に見えるのだということが際立ってしまう。

部下の男は緊張に喉をぐ、と詰まらせた。


「親しく接することは問題ありません。ただし気を許し過ぎないように。いいですね?」

「……はい。肝に銘じます」


それだけ言い、男は黙って頭を下げる。

顎からぽつりと一滴雫がたれ、それで彼は、自分が冷や汗をかいているのだと気が付いた。

脳裏に、先程去って行った白髪の少年の姿が浮かぶ。

ほんの数日前まではごく普通の高校生として生活していたという彼もまた、人間の血を飲むのだろう。

そしてそのことを、彼は食事としか思わないのだろうか。

そう考えてやっと、化物たちと関わる仕事に就いたばかりのこの新人は、己が恐ろしい存在のそばにいるのだという実感を噛みしめたのだった。

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