第7話 初撮影吸血鬼

ビルの裏口から薄暗い路地裏に出てしばらく歩き、すれ違う人の数が増えるにつれて、ショウはあからさまなほどの周囲の視線を感じた。

美形以外は吸血鬼になれないという法則に従い、当然ショウは元々人目に慣れているが、今夜ほどに大注目を浴びたことはこれまでの人生でもそうそうない。

とはいえ当然といえば当然だ。

国籍不詳のオールバックロン毛アルビノブラックスーツという属性大盛りの美青年と、奇跡のような抜群のスタイルにヒールをプラスした180cmを軽く超える銀髪長身美女の組み合わせが、街中を悠然と歩いているのだ。もはやそれだけで映画じみている。

とはいえこれだけなら、馬鹿かつ神経の図太いショウからすれば、たいしたことではない。

むしろ問題なのは、人間以外からの視線だ。


周囲の人間達には全く見えていないようだったが、街中にはいたるところに人外の存在がうろついていた。

道路の端で俯いている、交通事故で死んだと思しき浮遊霊。ビルの谷間を飛んでいく蝙蝠羽の猫のような小動物。連なって歩道の上をイルミネーションのように彩る鬼火。

この世界はこんなにも不可思議な存在で満ちていたのかと、ショウが驚いて目を見張るほど、あちこちに異形の者の姿がある。

最初に注意を受けていなかったら、きょろきょろと不審者丸出しであたりを見回してしまっていただろう。

自分の人生が大いに楽しい方向へ舵を切っている事実に興奮しつつ、ショウはヴォルの堂々とした背中についていった。

彼女は全く迷いのない足取りで某有名ブランド店に入ると、個性的な美貌の二人組に驚く店内の客には一瞥もせず、ヒールの音を鳴らして一直線に店員へと近付いた。


「ねぇ、ちょっと」

「は、はい。いかがなさいましたか」

「ショーウィンドウのワンピースを試着したいの。別の色もあるならそれも。あとジャケットも見たいわ」

「かしこまりました!」


そこからはもう試着というより、ファッションショーと言ったほうが良いありさまだった。

ヴォルが服を着て試着室から出てくるたびに、店員と客がため息を漏らし、小さく歓声を上げ、お写真良いですかと頬を上気させた女性たちが話しかけてくる。

ヴォルはそれに気前よく応えてやり、店員たちが興奮しながらあれもこれもと勧めてくる服を試着し、バッグを持ち、気に入ったものを片っ端から買っていった。

ひょっとしてそれ全部を俺が持たされるのか、というショウの心配はありがたいことに外れ、ヴォルは購入品を吸血鬼の館である例のビルへ送るよう店員に言いつけ、また次の店へと向かう。

再び路上で注目を集めつつ、ショウは小声でヴォルに話しかけた。


「そういや通販届くんすねあのビル」

「そうよ。人間にはただのよくあるビルに見えるらしいわ。だから買い放題なの。覚悟して付き合いなさいよ」

「うっす……」


なんとなく彼女には逆らえないショウは、そのままヴォルに連れられて何件もの店を回り、途中メンズ物の取り扱いもある場所では様々な服を試着させられ、店内の注目を浴びまくったのち数点を買い与えられた。買い物に連れて行くたびほかの吸血鬼の服を借りさせるのは面倒くさい、というのがヴォルの言い分である。

そうして中国人セレブ観光客もかくやという爆買いを続け、最後だという店に入ると、ヴォルはその端麗な眉をほんの少しだけしかめた。

その原因は、ショウにも一目でわかった。

店員の中でもひときわ美しい女性の肩に、紫と銀のカラーリングに三つの目という、一目でこの世のものではないとわかる蛇が巻き付いていたのだ。

よくよく見てみれば、店内も照明が煌々と灯っているにもかかわらず、どこか薄暗い。

それでもヴォルは今までの店と同じく買い物をし、ふと店内のマネキンの足元に視線を落とした。


「ねえ、あのミュール、アタシの足に合うのはあるかしら。25.5なんだけれど」

「申し訳ありません、あちら24までとなっておりまして……」

「まあそうよね」


サイズの大きい女性用の靴というのは、日本では取り扱いが少ない。諦めたヴォルに、例の蛇に巻き付かれている店員が商品を映したタブレットの画面を見せ、こっそりと耳打ちをした。


「あの、お客様。当店では取り扱いが無いのですが、あちらのミュールによく似たものでサイズの合うものが別の店にございまして……」

「へえ、こっちも良いわね。……でもこれよそのブランドじゃない。いいの?」

「ええ。日本ではサイズの合うものを探すのは苦労しますもの。お客様にはぜひ、気に入ったものを買っていただきたくて……」


そう言ってはにかみながら笑顔を浮かべる店員は、ヴォル程ではないが、女性にしては高身長の部類だ。彼女自身、靴を探すときに苦労しているのだろう。

ヴォルは頷き、近くで手持ち無沙汰にアクセサリーを眺めていたショウを手招きした。

近付いてきたショウに、ヴォルはこっそりと耳打ちをする。


「いまから2秒だけ、アタシにかけてる能力を解きなさい。いいわね?」


銀髪の美女が白髪の美青年の髪を指先でつんと引き、耳元に囁きかけるその姿に、店内からキャアと黄色い悲鳴が上がる。

ショウは言われたとおりの秒数だけ、彼女にかけていた能力を解いた。

途端、ヴォルの体から、ただの人間の目には見えない炎が立ち上る。

赤い炎は一瞬で店中に広がり、親切な店員の首元に巻き付いていた蛇と、店内に薄く漂っていた暗さを焼き尽くした。

それが消えた瞬間、ショウが再びヴォルに能力を掛け直す。

何事も無かったかのように、ヴォルは店員に今日買ったものを住居まで送るよう言いつけた。そうして帰り際、例の店員にだけこっそりと微笑みかける。


「アンタ良い子ね。今日からはぐっすり眠れるから安心しなさい」

「えっ……?」


困惑する店員にすぐに背中を向け、ヴォルは颯爽と店を出ていった。

便利な新人の初同伴外出権をマスターから与えられるだけあって、吸血鬼としては比較的温厚で人格者な彼女に、ショウは意外だという顔を隠さず話しかける。


「いやー、ヴォルさんてめちゃくちゃ女王様気質でアレっすけど、良い子には優しいんだ」

「当然でしょ。良い店員は良い買い物に必須よ。ショボい化物如きにちょっかい出されちゃ困るわ。というわけでもう一か所寄るからついて来なさい。これが終わったら帰るから」

「うぃっす」


彼女が歩いて行った先は、煌びやかな店ではなく、すぐそばの細い路地だ。

周囲の店の裏口や搬送路として使用されることが多い道なのか、活気のある通りから一本曲がっただけだというのに、そこはやけに薄暗く人気が無い。

人間時代だったなら自分も近づかなかっただろう、奇妙な肌寒さのある道の異変の原因に、吸血鬼となったショウはすぐに気が付いた。

先程の店の裏口付近に、一人の男が立っている。

高級ブランド店の並ぶ通りではまず見ないような、薄汚れたスーツを着た、猫背でべったりとした黒髪の男だ。背中側から見たなら、ただの草臥れた中年男のようにも見える。

しかしその姿を正面から見たなら、異常は一目瞭然だ。


額に張り付く前髪の奥にかくれた男の目には、人間の眼球ではなく虫の複眼が嵌っていた。

口は完全にトンボのそれになっていて、なにより胸部が一番化物らしく変形している。

あばら骨ががばりと前に開き、骨に混じって昆虫の足が一緒になって飛び出しているのだ。

内臓の上は人間の筋肉の代わりに、虫のものによく似た外皮に覆われ、所々に空いた隙間からトンボによく似た虫が這い出して、男の周りを飛び交っていた。

人生二回目の醜悪な化物との対面に、ショウは目を見開き、ヴォルに向かって声を上げる。


「ヴォルさんこれと闘うの!? 撮っていい!?」


自分自身が化物になった影響なのか元々の性質なのか、やはり全く恐怖は感じないショウは、これをチャンスと捉えた。

このいかにも醜悪なモンスターとヴォルの戦闘は、さぞや格好良いだろう。そしてそれはいかにも動画向きに違いない。いま彼の頭の中はそんな思考でいっぱいになっているのだ。


「べつにいいわよ。下手くそに撮ったら容赦しないからね」

「っしゃ! 頑張ります!」


即座にスマホを取り出しカメラを起動したショウが、暗い路地裏を映す。

最初に撮るのはグロテスクなモンスター。こちらはあまり鮮明に撮ると、動画に年齢制限を掛けなければいけないような見た目なので、多少ブレても構わない。

大事なのは、豪奢で美しい吸血鬼がきっちり画面におさまることだ。

ショウは二人の間に立ち、ヴォルのほうがよく見えるようにカメラの角度を調整する。

幸いトンボ男は新人吸血鬼よりも、自分にびしびしと敵意を向けてくる美女吸血鬼に夢中らしく、撮影を邪魔されるような気配はない。

どんどん数を増すトンボにも動じず、ヴォルはふんと鼻を鳴らした。


「いやあね、数さえ増やせば勝てるとでも思ってるのかしら。だから芸のない奴は嫌いなのよ」


蔑まれたことを理解しているのか、男は口元をカチカチと鳴らし、トンボの群れをヴォルへけしかけた。

ヴォルの長い手がゆらりと優美に振られ、そこから生み出された火花がチリチリと音を立てる。

次の瞬間、一瞬で燃え広がった炎が、トンボの群れと男を飲み込んだ。

男は悲鳴を上げて体を縮こまらせたが、すぐに背中から虫の羽を出し、ヴォルに向かって飛び掛かった。

軽く首を傾げてその様子を見ていたヴォルは、男が自分に触れる直前、高いヒールをものともせずに、空中へと飛び上がる。

くるりと回転しながら男の背後へ飛び降りたヴォルの手には、炎の剣が握られていた。

攻撃は既に済んでいる。避けながら男を真っ二つに切り裂いていたヴォルは、軽く手を振って剣を消した。

彼女の背後で、トンボ男は頭の天辺から股までを切り裂かれ、灰になって消えていく。


「無粋な男。アタシの肌に触れていいのは、炎とシルクと香水だけよ」


痺れるような流し目で、美貌の吸血鬼は決め台詞を言い放った。

路地の薄暗い街灯ですら、彼女がその下に立つだけで、気の利いた舞台照明のように見えてしまう。それだけの華のある女が、つんと澄まして瞼を閉じる。

ちなみに彼女はス○ブラ大会の際は上下ダルダルのスウェットを着用していた。


「はいカットオォ!!! いいっすよ!! 最高でしたよヴォルさん!!」

「そうでしょう。前々からアタシほど被写体として輝く女は居ないと思ってたの」


ショウの全力の賛辞を、ヴォルは真正面から受け止めてみせた。吸血鬼になるような女なので、自分の美貌をひけらかすことに一切の抵抗を持っていない。さすがの自己肯定力である。

しっかり動画を保存し終え、ホクホクと笑顔を浮かべている後輩に、先輩はふふんと得意気な笑顔を浮かべた。


「いやそれにしても、さっきの何だったんすか?」

「悪霊の一種ね。普通の人間には男もトンボも見えないわ。多分あのトンボを使役して人間の生気をかじり取って、回収して餌にしてたんじゃないかしら。知らないけど」


新人の質問に答えるヴォルの口調はそっけない。

あくまであの化物がお気に入りの店の近くにいたことが気にくわなかったのであって、その正体だとか、発生原因だとか、そういったものには興味がないのだ。

ショウも化物自体には倒され役としての興味しかないため、深く追求することはない。彼は面白い動画が取れさえすればそれでいいと心底思っている。

先程までの肌寒さの無くなった路地で、ヴォルはスッキリした顔で胸を張った。


「さ、帰るわよ!」

「ハイ姐さん!」


こうして服と動画の素材という戦利品を手に入れ、ショウの初めての外出は順調に終了したのであった。

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