第6話 イメチェン吸血鬼
マスターの部屋から叩き出された光は、暗い目をしながらズタボロの体を引きずって自室へと戻った。
その胸には、いつかあのクソロリババアぶん殴ってやるという強い決意が宿っている。吸血鬼たちはこうして大人になってゆくのだ。
引っ越し初日に修行編へ突入したせいで、豪奢な屋敷と吸血鬼より、ジャングルとゴリラを眺めていた時間のほうが圧倒的に長いという事態になっていたが、彼は持ち前の記憶力の乏しさを発揮して前向きに気持ちを切り替えた。というかジャングルでの出来事は早く忘れたかった。
失うものも多かったが、とにかく光は常時発動型だった能力を、息をするように自在にオンオフの切り替えができるようになった。
そのうえ、今までは半径10mほどだった能力の効果範囲も、いまでは50m以上に広がっている。
光はスマホで自分を撮影し、それを流しつつ、能力をオフにしてみた。
動画の中の光は、問題なく映っている。写真も撮ってみたが、そちらも問題ない。
一度撮影したものは光が能力を使用しているかどうかに関わらず、きちんと残るのだということが判明した。
「よしっ!」
これで動画配信のための一番の懸念は解決した。
次に考えなくてはいけないことは、身バレについてだ。
仮に生前通っていた学校の友人達やクラスメイトに動画のチャンネルが見つかる可能性は十分あるが、あなたは死んだ友達にそっくりです。なんてコメントする人間はまずいないだろう。あまりにも不謹慎すぎて普通はためらうからだ。
書類上では故人であるという事実は、身バレ防止のためにはあまりにも都合が良かった。
それから外出時、仮に視聴者に見つかったとしても、この認識阻害の魔法がかかっているというビルまで付いてこられるような奴はいないだろうから、そちらについても対策する必要はない。あったとしても、これはマスターに頼めば解決しそうだ。
となると、覆面等で顔を完全に隠すだとか、整形をするだとか、本格的なことをする必要はないだろう。なんらかの変装でもすれば十分だ。
光がカツラでも被ってみるかと考えていると、部屋のドアが突如怒涛のような勢いでノックされた。
「ハイハイハイなんすかぁ」
チンタラした動きで光がカギを開けると、その手を弾き飛ばすほど素早くドアが開かれる。
廊下に立っていたのは、眩い銀髪の美女吸血鬼だった。
「ちょっとアンタ! ホラ! 早く! いいからお姉さんの部屋に来なさい!」
「なんすかマジでいやちょっとムリっすわ勘弁してください」
ウェーブの掛かった腰までのボリュームのある銀髪をなびかせ、スタイル抜群の体をタイトなワンピースにつつんだ、いかにも気の強そうな美女の大迫力の要請。
光は完全に引いて、ヤクザに絡まれた弱小チンピラのような声を出した。
美女はそれに構わず光の腕を掴み、ずるずると廊下を引きずって歩いて行く。
「なによ知らされてないの? アンタ能力訓練及第点だったんでしょ? それで外出もOKになったのよ。まだほかの吸血鬼と一緒じゃないとダメだけれど、まあそこは仕方ないわよね。それでアタシが一番にマスターから同行の許可を貰ったってわけよ。アンタは当然アタシと一緒に来るでしょう? そう。良い子ね」
「すげーや俺全然返事してねえのにな」
流れるように同意を捏造された光は、逆に感心して素直に彼女の後を付いていった。
着いた先は彼女の部屋だ。この館で貰える部屋はキッチンとバスルームをのぞくと一人二部屋で、彼女は一つ目の部屋を客間として使用しているらしい。
光は布張りのソファに座らされ、適当に紅茶のボトルを放り投げられてキャッチした。
「そのへんの雑誌でもなんでも見てていいわよ。アタシは隣の部屋で化粧してくるから。アンタが来てくれたから、これからは誰か誘って化粧頼まなくていいわ。もう本当に楽。最高よ。めちゃくちゃにイカした能力だわ」
「あざます~。お姉さんなんてお名前すか」
「ヴォルカンよ。ヴォルって呼んでいいわ」
「うっす。俺光って言います」
「あらそ。本名? 早く次の名前考えたほうが良いわよ。外で呼べないじゃないの」
「いやあ全然思いつかなくて」
当初は美女の襲来にビビっていた光は早々に状況に慣れ、寝室兼ドレスルームに入っていったヴォルと、薄く開いた扉越しに会話を始めた。
彼女は声を張っているというわけでもないのだが、女性としては低く澄んだ、よく響く声をしていて聞き取りやすい。
光のほうはジャングル帰りで散々叫んで喉を鍛えたばかりだったため、問題なく声を張れる。
光は貰った紅茶を一気飲みした後、ラックに入ったファッション誌から適当に一冊を取り出した。好みのモデルを探してぺらぺらとページをめくりつつ、せっかくなので先輩吸血鬼にいろいろと質問をする。
「ヴォルさんは本名?」
「偽名よ。本名なんて忘れちゃったわ」
「へえ。じゃ名付け親? がいたり?」
「そうね。アタシ炎使いなの。だから火山って意味の名前をマスターから貰った。アンタも思いつかないなら、あのひとに頼んじゃいなさいよ」
「そうしようかなあ。あとそうだ。なんか吸血鬼って色素薄いひと多いすよね。マスターもお姉さんも、白髪に銀髪だし」
「マスターは地毛だけど、アタシのこれは魔法で染めてんのよ。もとは赤毛。そっちも気に入ってるんだけれどね、気分転換。この館に吸血鬼の美容師がいるから、そいつに頼むの」
「マジすか」
「マジよ。アンタも染めてもらってくる? アタシそろそろメイク終わるから、案内してあげるわよ」
「ありがてえっす」
そんな会話の数分後、ヴォルは濃いゴールドのアイシャドウと口紅に、白の三つ揃えのスーツという格好で部屋を出てきた。
光は、彼女が長さ10cmの凶器のようなピンヒールで絨毯を踏みしめて進む後ろへついていき、また見知らぬ部屋へとたどり着く。
今度は私室ではなく、シンプルな白い内装に大きな鏡と椅子の置かれた、それこそどこかの街中の美容室かと思うような部屋だ。
違う点は、シャンプーやスタイリング剤の代わりに、謎のビン詰めの細かな破片や粒が並んでいることくらいだろうか。
そこには来客用らしい椅子に座り、長い脚を組んでコーヒー片手にスマホを弄っている長身の男がいた。
長い黒髪の一部だけをコーンロウにして後ろで一つにくくった、彫りの深い、どこかけだるげな雰囲気の男だ。
ヴォルは彼の前に、光をぽいと放り投げるように押しだした。
「ねえちょっと、この新人いじってくれる? いまから出掛けるの」
「ああ、これが噂の? へえ。はじめまして。俺はメル」
「はじめましてぇ。俺光って言います。なんか可愛い名前っすね」
「元々はメタモルフォーゼとかそのへんの意味の名前だったんだけれどさ、長すぎるからロクに呼ばれなくてこうなったんだよ」
「そういう場合もあるんすねぇ」
喋りながらメルは椅子の後ろへ移動し、座面をくるりと光へ向けた。
座れという意味らしいと察してそうすれば、椅子を動かして鏡へ向けられる。
長身に見合った長い指が、髪質でも見ているのか、光のショートの黒髪を摘まんだ。
「で? ご要望は?」
「えーっと、とりあえず印象がめちゃくちゃ変わる感じで。俺死んだばっかりなんで身バレしたくないんすよ」
「なるほどね。じゃあ全部白にしちゃう?」
「全部? 髪以外もってこと? 眉毛とか睫毛とか」
「そ、アルビノみたいな感じ。きみ吸血鬼になったばっかりだから、まだ全然日光への耐性も弱いままでしょ。日中外出た時に、俺体質的に日焼けしたくないんですー、って顔してずっと日陰にいられるだろ? 不自然じゃないし印象変わりやすいし、オススメだけど」
「ぜひお願いします!」
「OK」
白髪紅眼という厨二大歓喜の外見を手に入れる機会が訪れ、光は当然一も二もなく飛びついた。
メルが光の頭に長い指でそっと触れると、そこからホタルのような淡い灯りが波紋のように体中へと広がっていき、通り過ぎた場所の体毛が全て黒から白へと完全に変色していく。
吸血鬼らしい赤色に変化していた目の色と相まって、光はあっというまにアルビノのような見た目になった。
おお、と声を上げて驚く光の髪をメルが指で梳くと、今度はその動きに合わせて髪がみるみる伸びていく。背中まで伸びたところでメルが手を止め、鏡を持って光の後頭部が本人からも見えるよう映す。ハサミも薬剤も使わないが、動きは非常に本職の美容師めいていた。
元々日本人にしてはやや彫りの深い美貌を持っていた光は、真っ白な長髪に赤い瞳というファンタジックな要素が加わり、国籍不詳の神秘的な外見を手に入れた。
これならたとえ以前の学校の友人たちに会ったとしても、すぐに自分だとは思わないだろうと、光は感心して自分の髪を指先で摘む。
「ハイこれでどう? あとは前髪あげてオールバックにでもしたら、もっと印象変わるんじゃない」
「すげーや。……ところで後ろの棚の缶の中身とかって使わないんすか?」
「あれコーヒー豆と茶葉だから」
謎めいたアイテムの生活感あふれる正体が判明し、光は若干テンションを落としかけたが、気を取り直す。
「いやでもすいませんね、こんなんタダでしてもらっちゃって」
「あ? タダなわけないでしょ一回10万だよ」
「ゴリゴリに毟られている……」
「これ三カ月はもつよ。それに吸血鬼は新陳代謝が無いから、こーゆう方法じゃなきゃ髪伸びないし。破格だろ。ツケといてやるから、任務回ってくるようになったら払いに来いよ」
「うっす……」
大きな手で頭をぎちぎちと鷲掴みにされ、光は顔を不満いっぱいにしかめつつも一応頷いた。この先輩は吸血鬼の馬鹿でクズという特徴のうち、クズのほうが前に出ているタイプの性格なのだと理解したため、口答えする危険性を本能で察知したのだ。
吸血鬼などという種族は大抵がめつく、ツケてくれるだけまだマシなのだが、吸血鬼生活が短い光にはそのあたりのことはまだよく分からない。
二人のやりとりが終わるのを、ゴールドのネイルを眺めながら待っていたヴォルが、つまらなさそうに顔を上げた。
「もういい? じゃあさっさと行くわよ。その前に光、アンタは着替えてもらうからね。アタシの横を歩くのに冴えない格好されちゃ困るわ」
「清々しい女王様っぷりだなほんと」
再び腕を掴んで連行された光はまた別の吸血鬼の部屋で服を借り、ブラックスーツと革靴に身を包み、ついでにさっさと名前を決めろとマスターの部屋へ寄らされた。
某名作RPGのRTAに精を出していた彼女は、光をちらりと見て軽く片手を上げた後、すぐに画面へ視線を戻した。他の吸血鬼は遊びに集中している時に声を掛けられると反射で罵倒を返す個体が多いため、これはかなり優しい反応である。
「あー、では見えぬものを見せる能力ということで、ショウとでも名付けるか」
光、もといショウの名付けは数秒で終了した。
今後の人生に関わってくるような重要なイベントをRTAのついでに勢いで済まされた彼は、ぶつぶつと文句を言いながらヴォルに廊下を引きずられていく。
「いやさすがに……、ひとの名前をあのノリで付けんのはどうかと思わないっすかヴォルさん」
「別にいいじゃないの名前なんてどうでも。それにアンタ、もし自分で考えてたら、どうせ気合入れまくりの自分的にはカッコイイやつを付けようとするでしょ。何年か経ったらそんなのただの恥ずかしい思い出になるわよ」
「否定できねえ」
「だったら気楽に決まったもののほうが良いじゃない。少なくともダサいって言われてもマスターのせいにできるんだから」
厨二の自覚があるショウはぐうの音も出ずに黙り込んだ。
まあ言われてみれば、ネーミングセンスの有無を人に擦り付けられるというのは良いことである。ショウは吸血鬼になるような男なので当然性格が悪く、人のせいにできる、ということに対して魅力を感じるのだ。最低だがこれがこの世界の吸血鬼のスタンダードなのだから仕方がない。
二人は最後に、吸血鬼の館の一角にある、重厚な彫刻に飾られた扉の前に立った。
ヴォルがその扉を開けると、その向こうはバロック調の館の内装とは全く違う、どこかのビルの一室になっている。
「この扉を通ると任意の場所に出られるのよ。事前に使用許可が必要だけれどね。ここはマスターが所持してるビルの部屋。目的地に近いからここから行くわよ」
「どこ○もドアじゃん」
「そんなに自由度の高い魔法じゃないらしいわ」
「ヴォルさんあれ魔法じゃなくて科学だぜ」
「いいのよどっちも似たようなもんでしょ」
長命種の大雑把さを発揮するヴォルの後に続いて、ショウは扉を通り抜けた。
振り返ってみれば、そこにはどこにでもありそうな、うすっぺらな量産品の扉があるばかりだ。こちらからは魔法の扉だとは分からない見た目になっているらしい。
室内は、見た目だけはどこかの会社の事務所のように取り繕われており、窓の向こうには都会の明るい夜の街が広がっている。ショウが窓辺に寄って道路を見下ろしていると、ヴォルが落ち着きのない彼の頬を長い爪で抓った。
「ショウ、アンタ能力の範囲を自分とアタシだけに設定しなさい。じゃなきゃそのへんの浮遊霊でもなんでも人間に見えるようになっちゃうでしょ」
「いやでも、俺そんな訓練したことないんだけど」
「できるわよ。自分とアタシだけがオン、それ以外はオフって考えりゃいいの」
ショウが半信半疑で言われるままそうしてみれば、コツは意外と簡単に掴めた。
例えるなら、アクションゲームのロックオンを自分とヴォルに付けるような感覚だ。
ジャングル修行の成果がきちんと出ていることには若干複雑な気持ちがあるが、普通に訓練をしていたなら、こんなに早く外出できるようにはならなかっただろう。と思えば少しは感謝の気持ちが湧くかといったら、全くそんなことはないのだが。
幽霊会社の一室を通り過ぎ、廊下へ出てエレベータに乗り込むと、ヴォルはヒールで高くなった身長のぶんショウを見下ろしてその美貌をぐいと近づけた。
「いいこと? 外で幽霊を見かけようがバケモノを見かけようが、あわてず騒がず堂々としてなさい。街中に強いのが出たら速攻で誰か退治に向かわされてるんだから、アタシたちが対処する必要は無いの。わかった?」
「了解っす。でも俺住宅街で襲われかけたことあるんだけど」
「近くで誰か死ぬとそういうこともあるけれどね。狂暴性の高い奴が引き寄せられるから。でも大抵ぶん殴りゃ倒せるわよ」
「吸血鬼って全員脳筋なのかな」
「あ? 喧嘩売ってんなら買うわよ。関節全部雑巾みたいに絞ってあげる」
「ハイじゃあ一階に着きましたんでね、そろそろ行きましょうね!」
スラム在住のような発言をする先輩から逃れるべく、ショウはエレベータから足早に降りた。その後ろからヴォルが舌打ちをしながら降り、ヒールを鳴らしてビルの裏口へと向かう。
吸血鬼となって初めての、というより生まれて初めての大都会の夜の街に、ショウは足を踏み出した。
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