第5話 吸血鬼修行
「マスターッ! 俺配信者で食ってくよ!」
貴族的な居室の見本のようなマスターの部屋に怒涛の勢いで勝手に入室し、開口一番光はこのように叫んだ。
優雅に輸血パックのトマトジュース割りを飲んでいたマスターは、あわてず騒がず重々しく頷く。
「よもやわらわの人生に、斯様な発言をナマで聞く機会が訪れようとはな……」
マスターは無謀の代名詞のようなことを言い出した新米吸血鬼を、感慨深い面持ちで眺め、ちょいと椅子を指さして座らせてから、おもむろに自分のスマホを取り出した。
それを光へ向け、ふむ、と何度か頷くマスターを、光はどきどきしながら見つめる。気分は親に無茶な進路相談をした子供のそれである。
マスターはスマホの画面に先程撮った光の動画を流してみせながら、落ち着いた声で話始めた。
「やはり電子機器での撮影も問題ないようだな。よく撮れておる」
「マスター手馴れてんね」
「わらわほどの吸血鬼にもなるとスマホの扱いとて一流になるものよ。
さて、光や。おぬしの能力はこうして、目、鏡、映像記録装置と種類を問わず、本来見えないはずのものを見える状態にする力だ。
しかし考えてもみよ。おぬしは現在はこの力を常時発動しているが、今後能力のオンオフを覚えたとして、もしもオフにした際、仮にそれまで撮っていた超常の存在全てが「見える」状態から「見えない」状態に切り替わるとしたらどうなる?」
「めちゃくちゃ放送事故です……」
「であろう。おぬしは地道に能力の制御を学んでゆき、出来ることと出来ないことを把握し、それから改めて自分がなにをしたいのか考えてゆくがよい」
「でも俺、動画でウッハウハに稼いでいきたいんだ!!!!!」
光は心の底から叫んだ。馬鹿なので思いついたことをすぐにやってみたくて仕方がないのだ。
マスターもそういった吸血鬼にありがちな馬鹿な習性は理解している。
これを厳しくも優しく諭すためにかかる手間暇について考え、マスターはひとつ決断をした。
「ふむ。では光。これからおぬしに修行を課そう。それを見事成し遂げれば、そのときにはおぬしは能力のオンオフだけでなく、ある程度のパワーアップもするはずだ」
「本当っすかマスター!」
光は少年漫画によくある修行パートが自分の人生の中に現れたということに、拳を握って鼻息荒く興奮した。
彼のチートに対する憧れや、物語の主人公のような活躍をしてみたいという欲求は、未だ胸の内に燻ったままだ。
当然この申し出には勢いよく頷く。
そんな光にマスターも神妙な顔で頷き、彼の眉間へとその華奢な指先を伸ばし、ひたりと触れた。
「では容赦はせぬ。ゆくぞ」
その言葉と共に、世界がマスターを中心として円を描くように、真っ白に塗り替えられ始めた。
そして白色が世界を覆い尽くしたと思った次の瞬間、そこにはじめじめと暑い、夜のジャングルが広がっていた。
柔らかい草に覆われた足元を確かめるように踏みしめ、光はきょろきょろと周囲を見回す。
これがマスターの魔法だということはなんとなくわかるが、こんなところへ連れてきて、いったい何をしろと言うのか。
困惑しながら真っ白な少女を見つめれば、彼女は指先を離し、深紅の瞳で光を見つめ返してくる。
「先に言っておくが、これは転移魔法ではない。おぬしはいま、わらわが作り出した空間の中に閉じ込められておる」
「すげえ強キャラっぽい技だ……」
「そうであろうそうであろう。
ここは本当のジャングルではなく、限りなくそれに似せて作られた、いわば幻のようなものだ」
「へえ」
「よいか、光。このジャングルには、男子高校生が性癖のゴリラの群れが生息しておる」
「男子高校生が性癖のゴリラの群れが」
「さよう」
突然話題の急カーブを切られ、光はスンと表情を無くしたが、真祖の吸血鬼は新米吸血鬼のテンションの落差になど一切気を使わない。
「おぬしには現在、自分の能力を知覚しやすいよう、能力が使用されている時には姿が見え、使用を止めている時には姿が消えたようにみえる魔法をかけている。
ゴリラたちはおぬしの姿が見えた途端、それはもう文字通り獣のように襲い掛かってくることだろう」
「すみませんそれはどういった意味で襲われるのかだけ明確に教えていただくことは」
「当然ゴリラどもに追いつかれれば、戦いは熾烈を極めるだろうな。おぬしは吸血鬼となり、人間より身体能力が上がったとはいえ、まだ自分の体の扱いにも慣れておらぬ」
「あの」
「もしも捕まった時にはそれなりの扱いを受けよう」
「どういう意味で?? ねえ」
「これは戦闘訓練でもある。人間では及びもつかぬ筋力と察知能力を有した相手と戦うということが、どういうことか、おぬしはここで学ぶことになるだろう」
「聞いてらっしゃいます??」
自分の質問に一切答えず済まそうとするマスターに、光は怯えつつも、そういえばこれは幻なのだったかと思い出した。
となれば、まあ、もしゴリラに捕まったとしても、受けたダメージも幻だということだ。そう思えば少しは安心できなくもない。
しかしここで、マスターは光の思考を見透かしたように、神秘的な瞳をすっと細めた。
「知っているか? 深い催眠状態の人間に、これは焼けた火箸だ、と言ってただの木の棒を腕に押し当てると、まるで本当に熱い物を押し当てられたかのように火傷に似た症状がでるそうだ。
おぬしはいま、目で、耳で、鼻で、肌で、この空間がまるで本物のジャングルのように感じているだろうな。これが幻だなどとは、知識としては知っていても、実感を持って信じられるか? 難しいであろう。
さて、そんな状況で襲われたなら……、一体おぬしはどうなってしまうのだろうなぁ」
ああおそろしい、と白々しく言い残し、マスターはその場から姿を消した。
あとに残された光はだらだらと冷や汗を流し、どこから襲ってくるかわからないゴリラから隠れるべく、周囲の物音に怯えながら移動を開始する。
そんな彼の前方、ツタまみれの木々の間から、突如ぬっと巨体が現れた。
ゴリラなどと言葉で言われただけではその迫力は伝わりにくいが、このジャングルにいるのはゴリラの中でも最大級のマウンテンゴリラだ。
その体長は190cm、体重は220kgにも及ぶ。
光は身長176cmとけして小さいわけではないが、これに比べれば華奢と言ってもいいだろう。
自分よりも大きな、筋骨隆々とした存在が目の前にいる、という迫力は相当なものがある。
言葉の通じない、到底太刀打ちできそうにない筋肉の塊ども。
しかもこれが複数存在しているのだ。
ゴリラたちは光を見つけた途端、ドラミングすらせず、目を血走らせて唸りながら真っ直ぐに走ってきた。本来のゴリラの性格と比べて、このジャングルのゴリラは非常に狂暴な性格になっていることがうかがえる。
その息遣いや重い足音には、へたな化物より恐ろしい、動物ならではの生々しさがあった。
オリンピック短距離走選手の平均を超える時速で走るゴリラたちに追われ、光は最初、近くの高い木に登って難を逃れようとしたが、当然これは悪手である。
ゴリラたちは500kgの握力で枝に指の跡を付けながら木を登り、光を追った。彼は恐怖のあまり樹高が30mはある木の天辺から飛び降り、そのまま吸血鬼の高い身体能力を発揮してジャングルの中を飛ぶように走っていく。
悲鳴を上げて逃げ回る光の様子を、マスターは自室の大きな鏡に映して見物しながら、けらけらと笑い声をあげた。
新米吸血鬼を保護し、衣食住の整った快適な環境と仕事を教えてくれる彼女は、吸血鬼にしては人格者であり優しいが、当然それだけの人物であるはずがない。
この世界における吸血鬼という存在は、敵に回すと厄介だが、味方に回すと外聞が悪い。と酷い意味で大評判の種族なのだ。
その頭領ともなれば、性格は推して知るべし。
彼女は光が怯え、叫び、息を殺し、それでも捕まりかけて絶叫しながらゴリラと格闘し逃げ惑う様子を、お茶とおやつ片手に大爆笑して観戦し、ついでに録画もした。
そして部屋の前を通った吸血鬼を呼び込み、皆で楽しく新入りの苦難を見守った。
完全にお茶の間を賑わせる愉快なコンテンツ扱いである。
異空間内の時間は現実世界とは流れが違うため、マスターはダレているシーンは飛ばしてハイライトを見ながらヤジを飛ばしつつ夕飯を食べ、風呂上がりにはゴリラと鉢合わせて絶叫するシーン集を見て爆笑し、翌日は映画鑑賞に誘われたのでうっかり忘れて光を放置した。
哀れだが、彼を気にかけてくれる心優しい者などここには居ない。所詮は化物の住む館なので当然である。
見終わった映画の感想を語り合いながら昼食をとり、マスターが満足して部屋に戻ってきたころには、光は目からハイライトを消してジャングルの中でゴリラを殴り倒していた。
能力のオンオフを覚えた光は姿を消してゴリラたちのそばへ忍び寄り、比較的体格の小さいものから順に一撃で昏倒させ、彼らが異変に気付くまえにさっと離れるという戦法を取ることにしたのだ。
そうして徐々にゴリラたちを追い詰め、光は最後に、群れのボスである体長2m越えの巨大ゴリラと相対した。
激しい攻防の末、体にいくつもの傷を負いつつも、光はついに男子高校生が性癖の狂暴なゴリラの群れに打ち勝ったのである。ちなみに決まり手は高速ジャイアントスイングだった。
暗いジャングルの中、色々なものを失った男の顔で、木々の枝の間からのぞく夜空を見上げていた光を、マスターは異空間から部屋へと呼び戻した。
光の体感ではずいぶん久しぶりに見た気がする文化的な建物、そして自分以外の、ゴリラではない生命体。
床に膝から崩れ落ち、安堵のあまり涙する光を、マスターは優しく抱きしめた。
「よくやった、なんと素晴らしい戦果か。おぬしはこの過酷な訓練を、見事やり遂げたのだ」
染み入るような穏やかな声に、光は瞼を閉じて、ゆっくりと万感の思いを込めて頷く。
凄惨な戦いを潜り抜けてきた者と、それを見守り続けた者の間にだけ存在する、強い絆がそこにはあった。
「俺、俺、やりきったよ。頑張ったんだ……」
「ああ、すべて見ていたとも。おぬしはわらわの誇り、自慢の吸血鬼だ! どこに出しても恥ずかしくない戦士だ!」
熱い称賛をうけ、光は泣きながらくしゃりと笑顔を浮かべる。
そうだ、きっとこの言葉が欲しくて俺は頑張っていたんだ。そう思えるようなカリスマ性が、真祖の少女の声にはあった。
やがて泣きつかれて眠ってしまった光を、マスターは部屋まで送り届け、ベッドヘ寝かせてやる。
そしてあどけない寝顔を眺め、ふっと満足げに笑顔を浮かべた。
「いや愉快だったの」
語尾に単芝が付きそうな感想を言い残し、新人チョロ吸血鬼を良い具合に言い包めて寝かしつけたマスターは、さっさと自室へ戻って行ったのだった。
ちなみに翌日起きて正気を取り戻した光は、絶叫しながらマスターの部屋へ怒りの殴り込みに向かい、1秒で負けて叩き出された。
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