脚本家の仕事とは脚本を書くまでであってストーリーを作ることではない
よく、ドラマやアニメの重要な要素として語られる一つに、「脚本の出来」があります。
シーンのコマ割りやセリフの割り振り、動きの指示や間の取り方まで決める、重要な役割です。
それを担っているのが脚本家であり、その質によってはしばしば巷の議題に上がることは皆さんご承知の通りです。
ただし、この脚本家という仕事が、世間の認識との間でかなりのズレがあるように、個人的に思います。
最近、とある漫画の一幕で気づかされることがあったので、素人なりに考察していきます。
「あのドラマが炎上したのは役者のせいじゃない!脚本が悪いからだ!」
人気俳優を擁護するときに、SNSとかでファンがつぶやく常套句の一つです。
確かに、役者の演技以外で悪い点を見つけようとすれば、最初に目が行く点かもしれません、実際、無知蒙昧な私もかつて口にした覚えもあります。
ただ、ここでひとつ考えてもらいたいことがあります。
はたして脚本とは何なのか?ということです。
一言で言うと、脚本という文字の連なりがドラマなりアニメなりの映像化されるにあたって、100%忠実に再現されることなんて、皆無といっても過言ではありません。
じゃあ何%なのか?
ここで知るべきは、映像作品の最終的な責任者が、監督になるという点です。
監督をカテゴライズすると一般的にはアーティストとなると思いますが、彼らの仕事ぶりは個人個人で大きく違います。つまり、映像化するにあたって、どこまで脚本通りに進めるかは監督の裁量に任されているということです。
さらに、プロデューサーやスポンサーの介入、現場での突発的なアクシデント、俳優のアドリブ、法令やコンプライアンスの順守。
ユーザーの目に触れるまでに、脚本が改変される要素なんて、私程度が考えてもいくらでも見つかります。
しかもこれは、オリジナル脚本に限った例です。
現在、映像作品の大部分を占める小説原作の脚本化に至っては、さらなるハードルが待ち受けているのは確実です。
改めて言いますが、これらを加味した上でも「脚本が悪い!」と声高に言えるでしょうか?
もちろん、一流の脚本家なら、ある程度自分の意志を押し通す力を持っている場合もあるでしょうが、何のために監督やプロデューサーがいるか、一流の俳優があれだけもてはやされるのか、少し考えてみてもいいのではないでしょうか?
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