第7話 幸せになろうね


 実家に戻った私は、父さんに烈火の如く叱られた。


 お前の為に篤史あつしくんが頑張ってるのに、彼を支えるどころか、足を引っ張って何を考えてるんだ!


 そう言われ、殴られそうになった。

 母さんが何とかなだめてくれたけど、でも母さんも、父さんと同じ意見だと言った。


 言われなくたって分かってるわよ、そんなの。


 これは私の我儘。

 ただの八つ当たり。


 分かってるんだけど……もうちょっとだけ優しい言葉、かけてほしかったのよ。

 甘やかされたい。甘えたい。

 優しくされたい。


 私のことだけ考えて欲しい。

 それの何が悪いの?


 私、プリンセスから通行人Aに戻ったのよ?

 そんな私のこと、かわいそうだと思ってくれないの?

 もう一度主役にしてあげる、そう言ってはくれないの?


 そんな子供が言いそうな言葉が、頭の中でぐるぐる回った。


 母さんがあっくんに電話してた。

 何度も何度も頭を下げて、しばらく美玖みくはうちで預かります、篤史さんもどうか、体を壊さないようにね、無理しないでね、そう言って謝っていた。






 土曜日。


 近所の公園で一人、私はベンチに座っていた。

 遊んでる子供たちを見ていると、何だかほっとした。

 私にもあんな時があったな。




 あの頃はこの世界が、本当に輝いて見えていた。

 世界の中心に私はいるんだ、そう思ってた。

 父さんも母さんも、いつも私を見てくれていた。

 私の言葉に喜び、笑い、泣いてくれた。

 私はお姫様なんだ、そう思ってた。


 でも時が経ち、成長していくにつれて。

 自分は世界の中心なんかにいない、そう思うようになっていった。




 自分が思っていたよりずっと、世界は広かった。

 人もたくさんいた。


 そんな中で私は思った。

 もし私が消えてしまっても、世界は何事もなかったように動くんだなって。

 私なんて、その程度の存在なんだ。




 なんてちっぽけなんだろう、私って。




 昔は私の言葉に、父さんや母さんが一喜一憂してた。

 それが嬉しくて、楽しくて仕方なかった。

 私は主人公なんだ、そう信じた。


 でもそれは、私が狭い世界しか知らなかったから。

 少しずつ広がっていく世界の中で、私は悟った。


 道行くたびにすれ違う人たち。

 私は彼らの名前も知らない。

 彼らがもし消えたとしても、そのことにすら気付かないだろう。

 でも、彼らからすれば、私もそうなんだ。

 私もこの広い世界の中では、ただのすれ違う一人の通行人なんだ。

 そう思って、少しだけ寂しくなった。


 その頃の気持ちが蘇ってくる。


 私はただの通行人。

 物語に何の影響もない、ただのエキストラ。


 結婚して、泡沫うたかたの夢を見ていただけなんだ。

 もし映画なら、私はカメラに映ることすらないだろう。

 そんな存在なんだ。

 何で忘れてたんだろう、私。






「ここにいたんだ」


 突然聞こえたあっくんの声。

 顔を上げると目の前に、肩で息をしているあっくんがいた。


 涙のせいで、あっくんが歪んで見える。

 私は慌てて涙を拭いた。


「な、何よ、こんな時間に……まだ夕方じゃない。仕事はどうしたのよ」


 あっくんの登場。心の準備が出来てない。

 私は口をとがらせて、また憎まれ口を叩いてしまった。


 違う、違うのあっくん。ほんとは私、謝りたいの。


「仕事、何とか片付いたんだ。この時間なら大丈夫かなと思って、急いで来たんだ」


「ふ、ふーん……仕事、終わったんだ」


「うん、何とかなったよ。来週からは通常勤務に戻ると思う」


「……そうなんだ。頑張ったんだね」


「ありがとう。美玖にそう言って貰えて、やっと終わったって気がするよ」


 夕陽を背にして笑うあっくんに、私は不覚にも照れてしまった。

 でも、勘違いしないでよね。私の顔が赤いのは、夕陽のせいなんだから。


「隣、座ってもいいかな」


「……勝手にすれば」


「うん……」


 あっくんがゆっくりと腰を下ろす。久しぶりに感じるあっくんの体温に、胸がドキドキした。




「……色々と寂しい思い、させちゃったね。ごめん」


 あっくんの先制攻撃に、私は動揺した。

 ごめんなさい、謝らなければいけないのは私なの。


「美玖が色々と感じてたこと、いなくなってからずっと考えてた」


「……」


「結婚って、第二の人生のスタートだって言われてるよね。美玖はどう思う?」


「どうって……その通りだと思うけど」


「だよね。僕もそう思う。ある意味人生最大のイベント、そう言ってもいいと思う。だから美玖は、式の打ち合わせでも本当に真剣だった。新しいスタートを最高のものにしたい、そうすればきっと、いい人生を歩めるに違いないって」


「……からかってるの?」


「いやいや、からかってなんかないよ。すごいって思ってたんだ」


「ほんとに?」


「うん。僕は……結局最後まで、そういう風に考えることが出来なかった。お金がいくらかかるとか、そんなことしか考えられなかった。

 でも、美玖の真剣な顔を見ている内に、美玖が望むことを叶えたい、そう思うようになった」


「……」


「おかげで式、僕も感動しっぱなしだった。美玖には本当、感謝してるよ。いい式にしてくれて、本当にありがとう」


「……私こそ、我儘ばっかり言って、あっくんを困らせてばっかだった……ごめんなさい」


「新しい人生が始まった。最初の頃はきっと、美玖の周りに人が集まってきたと思う。おめでとう、綺麗だったよって」


「うん……」


「美玖の顔を見てたら伝わってきた。本当に嬉しかったと思う。幸せだったと思う」


「そうだと思う」


「でもいつの間にか、元の日常に戻ってた」


「……」


「ごめんね。僕がもっと早く気付くべきだった」


「ううん、違うの。あっくんは何も悪くない。私が……私が結婚に夢を見すぎてただけなの。勘違いしてただけなの」


「美玖……」


「私、ちゃんと分かってるの。式でみんなが私を見てた。私のことを綺麗だって言ってくれた。私の言葉に笑って、泣いてくれた。写真だって、全部私が真ん中だった。

 あっくんだってそう。あの会場で、あっくんが何か言うたびに、みんなが注目してくれた。手を叩いて喜んでくれた。笑ってくれた。

 じゃんけん大会の時だって、あっくんがみんなの中心に立って、あっくんの声掛けにみんなが従って……部長だって、あんなに盛り上げてくれた。

 だから勘違いしたの。私たちの結婚式なんだから、私たちが主役なのは当たり前なんだよね。言ってみれば私たち、300万円払って、人生の数時間主役になる舞台を作っただけなんだよね。なのに、なのに……

 勘違いしちゃってた。私、本当に主役になったんだって、勘違いしてた」


「美玖……」


 あっくんが私の手を握る。

 振り返ると、あっくんは優しく笑ってこう言ってくれた。




「僕にとっての主役は美玖だよ。それはこれからも、ずっと変わらないよ」




 その言葉に、私の涙腺は一気に崩壊した。

 何よそれ。

 あっくん、何て反則技を出してくるのよ。


 あっくんの人生の主役は私。

 そう、そうなんだ。そうなんだよね。

 私の人生の主役はあっくん。


 この広い世界の中では、本当にちっぽけな箱の中なのかもしれない。

 でもその箱の中で、私たちは主役なんだ。

 あっくんの言葉は、私の中にあったもやを一瞬にして晴らしてくれた。


 私は泣きながらあっくんに抱き着いた。

 あっくんも力強く、私を抱き締めてくれる。


 優しい人。

 誠実な人。

 一途な人。


 そんなあなたに認められた私は、あなたにとっての主役なんだ。

 それはきっと、世界の中心に立つよりも幸せなことなんだ。


 私は嬉しくて、幸せ過ぎて。


 何度も何度もあっくんの名前を呼んだ。あっくんの胸で泣いた。

 ごめんなさい。それから、ありがとう。

 私はこれからも、あなたと一緒にこの舞台で、頑張っていきます。






 こうして、プロポーズから始まった私のマリッヂブルーは、ようやく終わりを告げました。


 これからは地に足を付けて、日常の中でいっぱい幸せを感じていきたい、そう思います。


 私の大切な、あっくんと一緒に。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Just Married! 栗須帳(くりす・とばり) @kurisutobari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ