京の風は私を浪漫へ連れて行く

 私は上京してから、しばしば京都随所の地へ思いを馳せるようになった。

 というより、旅行を計画するようになった。


 結局計画止まりで、実行できたのは一、二回程しか無いが。


 地元にいた頃から古都として知られる京都に対し、憧れと尊敬を抱いていた。古本屋や書店へ行けば旅行誌や写真集の京都特集を読み漁り、行ったことのない場所、景色を想像したものである。

 数歩進めば石畳、前も後ろも寺社仏閣、過去と現在を行き来する、そんな浪漫溢れるステキな都市なのだ、と。

 親元を離れ、関西に距離を近づけた私にとって、京都はもうすぐそこまで届く場所になった。

 


 これは上京一年目、そして去年の思い出である。


 〇


 京都駅前はビルと車でいっぱいで古都の様相など見る影もないが、駅は広く色々な路線を繋いでいるため、嵯峨野線なんかに乗り込めば、たちまち現実から引き離される感じがした。

 それぞれを走る電車の形式も首都圏とは異なり、どことなく懐かしさ、異質さをもって私を乗せて走ってくれた。


 烏丸線と阪急電鉄を乗り継いで訪れるは清水のお膝下、四条河原町。

 四条大橋を挟んで東側には辛うじて過去のきらめきが見えるが、ひとたび橋を西側に渡ってしまえば途端に現代である。

 鴨川の土手には、夕暮れになれば沢山のカップルが一定の規則性をもって肩を並べている。そうして猥談を繰り広げる連中を尻目に、私は東へずんずん進んでゆく。


 清水へ向かう途中、祇園には花見小路が見られる。

 夜を迎えると通りは橙色に染まり、とりわけ用の無い私でさえ呑み込もうとする。

 歩む人の顔ぶれには現実を思わせるが、その通りの存在だけは私を異世界へ取り込むようにてらてらと輝いていた。


 四条通の夕暮れは、どことなく函館の駅前を思い起こさせた。

 とはいえ、現在の函館市の駅前商店街は、見るも無惨なシャッター街。四条と比較して語るなど、おこがましいにもほどがある。


 四条大橋の西側、木屋町通りの脇を流れる高瀬川を辿ると、とある天丼屋に出逢う。

 いつも観光客で賑わうこの店は、大きな穴子天と食べ放題の九条葱が名物で、普段は少食の私もつい大きな穴子天を頼んで苦しめられた。

 幼いころ、食べきれない料理が出てくると直ぐにギブアップしていたことを思い出すが、今は大人である。頼んだものを残すなど、私の良識に反するのだ。

 かくして私は心の中にモッタイナイお化けを飼い慣らすようになった。私の良心によるところのお化けなので、今後とも仲良くしていきたい所存である。


 四条通を右に曲がり、二年坂を登る。夕暮れ時にここから八坂の塔を見ると、それはステキな景色が広がる。

 ただ、近隣は一般の住宅が多くあるので、間違っても良い写真を撮りたいからと不法侵入をしてはならない。慎ましく京の街を巡るための、最低限のマナーだ。


 三年坂へ足を進めると、いよいよ清水が見えてくる。

 仁王門をくぐり本堂へ行くと、京都の街が一望できる。この景色は過去、高校時代に修学旅行で訪れた際にも見ているが、たしかその時は本堂が改修中だったために写真写りに若干の水を差す形になった。改修のために本堂を覆っていたカバーは無くなり、今は本堂と共に京都の街を捉えることが出来るが、振り返ってみれば改修中の清水寺など生きているうちにお目にかかれるかさえ怪しい。

 そんな珍しいタイミングで京都を訪れることができた学生時代の方がよっぽど良いモノだったのではないか、と思案せずにはいられなかった。


 ひとしきり清水を満喫した後は、来た道を戻って八坂の塔を目指す。

 直上に塔を見上げる形で少し歩けば、今度は高台寺を訪れることが出来た。

 時刻はちょうど十七時半ごろ、今頃か少し冬に近い時期であったために、日はとうに暮れていた。

 煌々とライトアップされた木々が静かな水面に映り、まるでどちらが本物か、覗き込めば反対側へと連れて行かれそうな、そんな景色であった。


 緑と歴史的建造物を飽きるほど満喫した私は、京都駅方面を目指す。

 錦市場の通りにある居酒屋で、景色という戦果を思い起こしながらハイボールの入ったジョッキを傾ける。

 日々現場仕事に追われる中で、これほどゆったりとした時間を過ごせるのは至上の幸福であったが、おそらくこの時に紛失したであろうアップルウォッチに現実へ引き戻された恨みはたぶん一生忘れない。


 〇


 現在地を京都駅へ戻し、今度は嵯峨方面の話をする。

 上京一年目の時も去年も、嵯峨の竹林を訪れた。年末年始に京都への訪問を予定しているが、おそらくその時もここへは行くことだろう。

 上京一年目の時は、始発の嵯峨野線で嵯峨嵐山へ。観光名所ということもあってか、意外にも人はちらほら見られた。

 家々や店が立ち並ぶ通りを抜けた先に、竹林はあった。

 夏真っ只中での訪問だというのに、竹林の中は涼しく、やや肌寒さを覚えるほどであった。

 まだマスクを必要としていない頃、外国人の笑いとも感嘆とも取れない、何とも言えない顔をしていたのをよく覚えている。

 じっくりと竹林を堪能した後は、某アニメ映画でその存在を知る事になった渡月橋を見に行った。

 小川のせせらぎを眺めながらゆったりと渡る渡月橋――そのシチュエーションでうっとりしてしまいそうだったが、そんな私の淡い期待は簡単に打ち砕かれた。

 そもそも始発で行っているため涼しいのはもちろん、その昨日に豪雨であったことを私は完全に忘れていた。


 眼前に広がるのは、重苦しい曇天とごぉう、ごぉうと音を立てて流れる濁流の桂川だった。

 鬱蒼とした竹林では空模様がうまく判別できず、やや明るい、ということだけを判別していたために、曇天であることは完全に理解の外である。

 もはや笑うしかなかった。

 風情もへったくれもあったものではない。


 渡月橋をバックに流れる濁流を動画撮影し、同期へ見せた。

「ひっでぇ、なんだこれ」けたけた笑っていた。


 ちなみに去年訪れた時は前日も当日も晴れていたため、あるべき姿の渡月橋と桂川を見ることが出来た。

 とはいえ、上京一年目の時に経験した桂川のインパクトが大きすぎてあまり新鮮な感動が得られなかったのは秘めていた事実である。


 〇


 伏見稲荷の千本鳥居や、二日酔いという悪魔によってついぞ行けなかった貴船や鞍馬の話など、京都に関わる私の持ち玉は多い。

 対して、日本文化の発信地として深く知識を持ちたいと思う私を笑うかの如く京都はその広い大地を私にありありと見せてくる。天橋立だって行けていない。

 数日の仕事休みでは巡り切れない土地の広さを持つ京都に対抗する術は、もはや住むしかないと思っている。


 そのうち京都に定住することを密かな目標として掲げているので、それまでの間に私の中の京都への愛は燃焼し尽して、あとは馴染むようにして定住できるよう準備しておきたい。

 要所は巡った。後は地元としたときの京都の歩き方である。


 待ってろ京都。年末年始に、また世話になる。


 年末年始の小旅行が終わったころ、また京都の話を持ち出すかもしれない。

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