内面描写の鬼は人を物語へ引き摺り込む

 登場人物の心情を克明に書き表す事ほど難しいものはない。


 ともすれば一人歩きをし始め、書き手側の予想だにしない行動を取る登場人物もいるというのだから、小説は恐ろしいものである。


 私はまだその域に達していないので、私の作品の登場人物は私の手のひらの上でころころと転がりながら楽しそうに遊んでいる。全く羨ましい限りだ。


 有川浩氏の作品『空の中』の描写にウンウンと唸り感心を深め、今ここに思った。


 ​────人物の内なる気持ちを映すのは、なんと難しいのだろう。


 〇


 図書館戦争シリーズのラブコメ展開で馴染み深い有川浩氏であるが、その実は綿密で精巧な文章構成をされている。


 隅の隅まで張り巡らされた各方面の知識のみならず、オリジナリティを持たせた場面展開は読み手側を決して飽きさせないうえ、ひとたび読み進めればあっという間に脳内での場面想像が可能となる。

 そのレベルまで達している文章を書く人なのだ。


 自衛隊三部作や図書館シリーズのみならず、一転して現実味を持たせた『フリーター、家を買う』もまた、人気の火付け役になっただろう。


 私のようにドラマ色の強い作品を好む人間にとってはこの上なく読みやすい、また惹き込まれる作品であった。


 そんな氏の作品の魅力は、情景描写に留まらない。

 人物の心情を表すのもまた、とても上手なのだ。


 とある場面を想像してほしい。

 自分にとって最も大事な人を事故で亡くし、更にその遺骨すらも拾われる事はなく、その伝達に来た人物に対して起こる自分の心情を。


 さあ、これを文字に起こせるだろうか。

 多分、私には十年ほどの歳月が要ると思う。


 上記のシーンは自衛隊三部作の一つ『空の中』で描かれるものだが、その場面での主人公の心情を見事に文章で表している。これは本当に物凄い話なのである。


 自作品の人物といえど、究極的に言ってしまえば他人なので、他人の心情など知る由もない。

 それを氏は理解し、他人にも分かる言葉で説明を付けている。


『空の中』を読了して数年経つが、未だに氏の表現を超える作家に出会えていない。


 ラブコメも書ける。

 シリアスドラマも書ける。

 青春コメディも書ける。


 その上、文章構成、表現力、理解力を兼ね備えている。


 これはもう、無敵と呼ぶまである。

 文体の好みはあれど、これ程までに緻密に書かれた文章は私は知らない。


 〇


『空の中』での表現力も然ることながら、私は氏の作品では『三匹のおっさん』が大好きである。


 孫に敬遠され、長年勤め上げた会社を定年退職した主人公と、かつて共に『三匹の悪ガキ』と呼ばれた二人の仲間と再び勧善懲悪に立ち上がるコメディ作品だ。


 独自性の強い世界観を持つ自衛隊三部作や図書館シリーズと比較しても現実に寄っており、これこそ万人受けしやすい作品である。


 何より「ジジイが主人公」という点が他作品には見られない独特の個性となり、読者へ楽しみを届ける。

 内容も「現代版・水戸黄門」のように見事な勧善懲悪、読み終えた後はスッキリする。


 ちなみにドラマ化もされているが、そちらも面白い。

 古本屋でDVD-BOXが売られていたが、確か4万円くらいした気がする。買えない。


 いずれの作品にも通じて言えるのは「心情、内面の表現力がえげつない」という事である。

 これを身に付けることができれば、物書きとして至上の幸せであろうが、未だその域には達せない。


 なんなら今後もその域まで行けるのかすら分からない。


 〇


『キケン』を読了したのが高校に入る頃。

 彼らの愉快な日々に夢見ていた自分が、いつの間にか彼らの年齢を超えている。


 こうしてほんのりと切なくなりながら、良い作品と出会えたな、良い作家と巡り会えたな、と思う。


 作品の登場人物の年齢と自身の年齢を比較して思いを馳せるのは、その作品が如何に良い物であるかを物語っている。


 有川作品は、良い物の条件を沢山持った、本当に良い作品なのだ。

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