戦う巫女さん

増田朋美

戦う巫女さん

ある日、蘭が、いつも通り起きて、いつもどおりに朝食をとっていたときのことであった。蘭の妻アリスは、ちょうど今日出産予定の人が居るとかで、昨日から、担当の妊婦さんの家に行ってしまっているし、本当につまらない、一人ぼっちの朝だった。せめて、杉ちゃんの家の様に、ペットを飼っていれば、この寂しさも忘れられるかななんて、考えたが、その前にテレビを付ければなんとかなるかと思い、テレビのスイッチを入れたところ。テレビは報道番組をやっていて、ちょうど、有る事件のことについて、暇そうな女性キャスターがこう話をしていた。

「生後一ヶ月の女の赤ちゃんを、床に落として死亡させたとして、35歳の女が逮捕されました。逮捕されたのは、静岡県富士市に在住する主婦、久保田繭子、、、。」

蘭は、それを聞いて、眠いのが一気に覚めた。久保田繭子、どこかで聞いたことのある名前。急いで蘭は顧客名簿を開いて、客の名前を調べてみる。その中にちゃんとあった。久保田繭子。確か、自傷行為がどうしてもやめられないので、腕に絵でも描けば、やめられるかもしれないと思って、こちらに来ましたと言っていた女性だ。まあ、そういう事をお願いしてくる女性は、多いのであるが、彼女のような女性に限って、こんな事をしてしまうとは、どうしても思えないのだが、、、。とにかく蘭は、彼女の顔を思い出しながら、大いに驚く。

「捜査関係者への取材によりますと、久保田繭子は、赤ちゃんが生まれてからも、育児ができないことでかなり悩んでいたようで、警察では、育児への悩みが会ったのではないかと見て捜査を続けています。」

蘭は、もう聞きたくなくて、テレビのスイッチを消した。いきなり、いつもどおりの朝から、知り合いの女性が殺人を犯したという怖い朝になってしまったので、蘭は、なんでこんなにと思ってしまうのである。それと同時に、蘭の家のインターホンが鳴った。

「おーい蘭。何をしているんだ。今日は、買い物に行くって約束していたじゃないか。いつまでも出ないから、どうしたんだと思ったよ。」

インターフォンを押したのは、間違いなく杉ちゃんである。

「ああ、杉ちゃんか。とてもそんな事をする気分にはなれないんだよ。」

と、蘭は、そう答えを出すのであるが、杉ちゃんという人は、どんな理由でも聞かないではいってしまうものであった。

「そんな事をする気分にはなれないって、何があったんだ。嫌なことは、他人に話ちまったほうが、気が楽になるというものだ。だったら、僕に話しちまえ。それとも、僕みたいなバカに聞かせても意味がないか?」

杉ちゃんにいわれて、蘭は、杉ちゃんという人が、一度疑問に思うと解決するまでいつまでも喋り続ける人であるということを知っていたから、一気に話してしまうことにした。そのほうが、蘭も楽になると思った。

「ああ、あのね。実は僕のお客さんの一人が、殺人を犯したんだ。別に、その人が悪いわけじゃないと思う。彼女は、とても優しくて、そんな事ができるような女性ではない。それが、実の娘さんを、床に落として殺害したというんだ。」

「そうか、まあ、事実は、事実だからさ。その女性に対して、蘭はどうしたらいいのかを考えよう。確かに、蘭に背中を預けてきたかもしれないけど、それだけの関係だからね。別にそれ以外に、なにかしたということでは無いんだから、あとはもう忘れちまおうぜ。」

杉ちゃんは、あっけらかんと言ったが、蘭はとてもそう言う気分になれなかった。

「そういう踏ん切りがなかなかつかないところ、蘭の悪いところだよ。」

「そうだねえ。まあ確かに、僕は彼女の腕を預かっただけで、何も無いといえば無いんだが、でもねえ、刺青師は、ある意味では、お客さんの人生を背負うことも有るからねえ。」

蘭は大きなため息をついた。杉ちゃんが、蘭はすぐそうなると言おうとした時、玄関のインターフォンがピンポーンとなった。

「はい、どなたでしょうか。訪問販売ならお断りですが。」

と蘭が言うと、

「蘭さん、ちょっとお尋ねしたい事がありまして、弁護士の小久保です。」

と聞こえてきたので、蘭は、さらにびっくりする。

「まあとりあえず入れ。」

と、杉ちゃんが言うと、小久保さんはお邪魔いたしますと言って、蘭の家にはいった。

「どうしたの小久保さん。なにかあったのか?」

杉ちゃんはとりあえず小久保さんに椅子に座ってもらう様に言った。

「はい。実は、ワイドショーでも話題になっているので、事件の事は知っていると思いますが、久保田繭子さんが逮捕された事件がありましたよね。久保田繭子さんの弁護を引き受けることになりました。繭子さんのご主人から、繭子さんが、蘭さんのところに、通っていた事を聞きましたので、それで繭子さんについて、教えて頂きたいことが有るんですが。」

小久保さんは、蘭の前で手帳を開いて、書く姿勢を示した。

「はい、何でも聞いてください、僕も、繭子さんのことは、心配でしょうがないんです。」

蘭が答えると、

「ではお尋ねします。繭子さんが、蘭さんのところへ通ったときに、娘さんの事を話したりしましたか?」

と、小久保さんは聞いた。

「ええ。僕のところに来たときは、確か、娘さんを出産したばかりで、これから家族が二人から三人になって嬉しいなと仰っていました。」

蘭は正直に答える。

「わかりました。繭子さんは、娘さんが、憎たらしいとか、嫌な存在とか、そんな話はしていましたか?」

小久保さんは、そういう事を言った。蘭は、もっと面食らいながら、

「いいえ、そんな事は、一切言いませんでした。僕には彼女が、娘さんができて、大喜びをしているようにしか見えなかったんですが。彼女は、娘さんが憎たらしいとか、そんなセリフは一度も言いませんでしたよ。僕の目の前では、リストカットをやめようと努力をしながら、一生懸命母親をやっている女性だと思ったんですが。」

と、小久保さんに言った。

「リストカット。確かに、彼女の右手には、バラの刺青がありました。それは、蘭さんが入れたものだったわけですね。」

「ええ。そうです。彼女は、リストカットの癖がありました。ですが、娘さんが生まれて、金輪際自傷行為は辞めると誓を出す意味で、刺青を入れに来たんだと、僕はそう思っていましたが、それでは違ったのでしょうか?」

小久保さんの話に、蘭は、彼女、久保田繭子がいったことをそのまま喋った。

「つまり、繭子という人は、警察の自供や、お前さんへの供述で、娘さんが憎たらしいから、殺してしまいたいと言っていたのか?」

と、杉ちゃんが小久保さんに聞くと、

「ええ、直接的にそういう事を言ったわけでは無いのですが、娘の美保ちゃんは、極度の虚弱な子供さんだったようです。内蔵に疾患があったと聞きました。繭子は、美保はとてもかわいそうな子供なので、生きていてもしょうがないのではないかと絶望したと、僕に話しています。」

と、小久保さんは答える。

「そんな、待ってください。僕は、刺青師として、言えることなんですが、機械彫りでは、さほど激痛ではありませんが、手彫りでは激痛を伴います。ですから、そこから気をそらそうと、お客さんはいろんな事を喋ります。手彫りの激痛で、お客さんは、話をこしらえて僕を騙すという余裕は無いと思います。ですから、彼女は、僕を騙すという口実は作れないと思うんです。」

急いで蘭はそういう事を言った。確かに、蘭のところに来る客は、皆喋る。蘭自信も知っているが、機械彫り以上に手彫りは激痛になるのだ。それは、刺青を入れた人間でないとわからないことで、注射針以上に痛くなるものである。

「そうかも知れませんが、事実、僕の前でそういう事を言いましたよ。彼女は。美保があまりにも、弱い子供になってしまうのなら、今生きていないほうがいいのではないかと。」

そういう小久保さんに、蘭は、余計にわからないという顔をした。

「まあ、蘭がお客さんのことを、刺青師として信じてあげたいという気持ちはわかるけどさ。人間にできることって、事実に対してどうするかを考えるだけだよな。」

と、杉ちゃんは言うのだった。

「そうかも知れないけど。僕は、彼女、久保田繭子さんの言うことは、嘘じゃないと思うんだよな。あんな激痛で、嘘がつけるとは到底思えない。」

と、蘭は、杉ちゃんの話に、急いでそう反論する。

「はい、ですが、彼女の犯行で有ることは間違いありません。あの事件が起きた日、彼女は一人で部屋の中にいましたし、あの日は、夫の久保田則孝は、出張で出ていました。ですから、ほかに、美保ちゃんを殺害できる人物はいないのですよ。久保田繭子は、家政婦を雇っているようでもありませんでしたので、ほかに人間が部屋にいたわけでもありませんから。」

と、小久保さんは、蘭の話にそういった。

「ご主人は、いつもでかけていたんですか?繭子さんの。」

蘭が聞くと、小久保さんは、出張の多い仕事だったと答えた。

「まあ確かに、田んぼで力を出して働くのが男だけど、それは、どうかな。ある意味、逃げる理由にもなるんだからねえ。」

と、杉ちゃんが言う。

「ええ。その説も考えられましたが、逃げる理由にはなりませんでした。繭子さんのご主人に愛人がいたという事は全くありません。繭子さんのご主人は、そういう事には不向きな容姿をしていたので。事件が起きた日、彼は、盛岡に出張にでかけていて、同僚と、盛岡駅近くの喫茶店で飲んでいたそうです。」

と、小久保さんは言った。

「はあ、そうなのか。普通に仕事をしていたんだな。それでは、本当に、久保田繭子さんの単独犯ということになるな。」

杉ちゃんが腕組みをした。

「本当に、そんな事ができるものでしょうか、僕はうちの妻が、仕事をしているのを見て、赤ちゃんというのは本当に罪のないものだなと実感しています。そのような赤ちゃんを、手にかけることが、母親にできるものなのでしょうか。絶対にそんな事は無いと思うのですが。」

蘭はそういう事を言うと、

「じゃあ、蘭も、小久保さんに同行させてもらってさ、二人で繭子さんに話してきたらどうだ?」

と杉ちゃんにいわれて、急いで蘭は、

「いわれなくてもそうするよ。僕のところにやってきた大事なお客さんだからね。」

とすぐに言った。

「じゃあ、これから、行きましょうか。繭子さんのご自宅をもう一回拝見させてもらおうかと思っています。」

と、小久保さんにいわれて、蘭は、わかりましたといった。蘭は、急いで羽織を着ると、カバンを持って、小久保さんと一緒に、タクシーに乗った。杉ちゃんは頑張れようと蘭を見送った。

繭子さんの自宅は、富士市内の、富士駅からちょっと離れたところにあった。確かに可愛いお家である。玄関の前庭には、赤いホウキグサが植えられていた。蘭は、小久保さんに手伝ってもらいながらタクシーを降りた。本当に、こんなかわいい家に住んでいる人が、あんな赤ちゃんを殺害するという事件を起こしただろうか?それとはとても考えられないほど、かわいい家であった。表札には、小さな子どもさんが居るという事を示しているのか、チューリップの花をモチーフにした看板があってそこにひらがなでくぼたと書かれていた。

「こんなかわいい家に住んでいる人が、殺人をすることがあるだろうか。そんな事、ありそうな家では無いんだけどなあ。」

蘭が考えこでいると、小久保さんもそうですねえといった。と、同時に、隣の家の玄関ドアがガラッと開いて、隣の家のおばさんが、二人にこんな事を言った。

「私のちからが足りなかったんですね。私、時々、久保田さんのお宅にこさせてもらったんですけどね。彼女、一生懸命やろうとしてましたよ。でも、彼女は、可哀想でしたね。私、久保田さんのご主人に頼んで、時々、美保ちゃんを見てやってくれといわれていたんですけど。でも、繭子さんは、私が、繭子さんのご主人を盗ったと言ってまして。」

「そういう事を、彼女が喋っていたんですか?」

と、小久保さんは、急いでおばさんに確認した。

「はい。そう言ってました。私、最初はそんなつもりは無いと言ったんですけどね。でも、彼女はそうなっていると言い続けていました。彼女の右手に、刺青があったでしょう?彼女は、きっと根性焼きのようなそういうものをやっているんじゃないかって私思ってたから。だから、何もいわなかったんですけど。」

「そうですか。せめて何もいわないではなくて、なにか言ってくれればよかったのかもしれ無いですね。そうなってくれれば、繭子さんは、美保ちゃんを殺さなくても良かったかもしれません。精神がおかしくなったひとだからと言って、遠ざけてしまうのはかえって危険だということですね。」

「ごめんなさい。そういうこと、私何も知らなかったものだから。」

隣のおばさんは、小さい声で言った。

「繭子さんは、本当にだれにも相談できなかったんですか?ご主人にも、あるいは精神科に行くとか、そういう事もできなかったのでしょうか?」

と、蘭が隣のおばさんに聞いてみる。

「ええ、だれにもいえなかったみたいです。ただ、白い着物を着て、赤い長袴をつけた女性が、時折繭子さんの家にはいっていくのを見ました。でもその女性が、何をする女性だったかは、私は、よく知らないのですが。」

蘭の答えに隣のおばさんはそういう事を言った。

「それは、どこかの新宗教とか、そういうものでしょうか?」

と、小久保さんはいうと、

「わかりません。もしかしたら、繭子さん、そういうものを当てにしていたのかもしれません。」

と、隣のおばさんは言った。

「わかりました。その事がわかっただけでも進歩です。繭子さんが、そういう女性を当てにしていたのなら、その女性を突き止めることができます。」

小久保さんは、急いで手帳に白い着物に赤い長袴の女性と書き込んだ。

「そのような、服装と言いますと、神社の巫女ですかね?」

蘭は急いで富士市内にある神社をスマートフォンで調べてみた。隣のおばさんは、もういいですかというので、二人は、その場から離れたが、蘭はずっとスマートフォンで、神社を探していた。小久保さんとタクシーに乗っている間も、スマートフォンばかり見つめて何も答えなかった。駅の近くまで来たときに、

「ああ、ここだ!この神社が、育児に悩む人の相談に乗っている!三日市場浅間神社だ!」

と蘭は高らかに言ったのであった。小久保さんは、駅に着くまでに蘭さんが調べてくれて良かったと思いながら、

「ええわかりました。じゃあ、その三日市場浅間神社にいってみましょう。」と

と言って、そこへ回してもらうように頼んだ。タクシーの運転手は、わかりましたと言って、急いでUターンし、三日市場浅間神社に行った。

二人が、神社の敷地内に入ると、一人の巫女が、神社の敷地内を掃除していた。やっぱり白い着物に赤い袴を履いている。

「あのすみません。こちらに、久保田繭子さんという女性が、育児のことで相談に着ませんでしたでしょうか?お宅は、確か、若いお母さんたちの相談にも乗っているんでしたよね?それは、間違いありませんよね?」

と蘭は、急いでその巫女さんにたずねてみた。

「ええ、やってますよ。」

巫女さんは、きつい表情で、二人に言った。

「だって、だれも若いお母さんの話を聞かないじゃないですか。お父さんなんて、どうせ何も力にならないし、ほかの肉親の方々も、期待をするばかりで、お母さんの気持ちを何も察してくれない。だから私達神職が戦うんですよ。私達は、そうやって若いお母さんのみかたになってあげるんです。」

「は、はあ、はあ。そうですか。それでは、久保田繭子さんは、相談に来たんですね。それで、彼女はあなたに何を話したのでしょう?」

と、蘭は急いでその巫女さんに聞いてみる。

「ええ。美保ちゃんが病気になって、なんで人並みに幸せが持てないんだと話していらしたので、私は、神様はあなたを見捨てないと答えました。ほかに、彼女の味方になってやれそうな人物は私以外いませんでした。」

「そ、そうだったんですか、、、。」

蘭は、驚いてしまって、巫女さんの話を聞く。

「それなら、なぜ、美保ちゃんを殺害するまでにいたったんですかね。美保ちゃんを殺害する動機が見えてきませんね。」

と、小久保さんはいった。

「あなた、もしかして、彼女になにかいい含めたんですか?」

「そんな事、できるわけないじゃないですか。私は、ただ、彼女の話を聞いて、ただ、大丈夫だと励まし続けただけです。きっと、乗り越えられるって彼女に話しました。彼女も、私には、いつも本音で話してくれましたし、でも、彼女がそういえばそう言うほど、周りの人は、逃げてしまうのではないかと思いました。彼女もそれを、感じているみたいで、だんだん孤立していきました。そうなってしまうのは、私には止められなかった。」

結局の所、繭子さんの意思で、美保ちゃんは殺されてしまったのかと蘭は思った。もしかしたら、育児で悩みすぎて、だれも信じられなくなってしまい、殺害にいたったのかもしれない。きっと純真な繭子さんだったからこそ、誰かの保護を得られなくなる気持ちも、強かったのでは無いか。

「そうですよね。だれも、彼女を殺人者にしようとするつもりは無いですよ。ただ、彼女がそう思ってしまったんだ。皆、自分から逃げていくせいで。」

小久保さんがそういった。蘭もそうだと思った。隣のおばさんも、繭子さんの事をかばいきれなかったと言うし、この巫女さんも完璧に味方になることはできなかった。そういうことだろう。現代社会は、居場所がありそうで実は無い。そういう社会であるからである。

「そうですか。繭子さんに一歩手を差し伸べてくれる人がいてくれれば、こうはならなかった。」

蘭は、涙をこぼして泣いた。繭子さんになにかできることは本当になかったのかと思いながら。

「でも私は、戦い続けますよ。もう少し若いお母さんたちに関心を向けてくれる人が増えるためにも。」

そういう巫女さんが、救世主に見えてきた。



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戦う巫女さん 増田朋美 @masubuchi4996

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