第4話 この船の名前はチャートリアル号ですから

「私は、『A-ramエイ・ラム』の愛咲あいさきカオル。どれほど不愉快なイメージを持たれている相手にも、礼儀と心遣い、自己紹介すらきちんとできる、愛咲カオルです」

 少し冷たい印象もそのままに、愛咲カオルが頭を下げた。

 胸元についてネームプレートにも、彼女の名前がある。

 僕の知らない人の、初めて聞く名前。

 だけど、その名前は名乗る前から、プレートについている。

 僕が作ったのか。それとも、元々そうなのかは、わからない。


 紺色のショートヘア。宝塚の男役のスターような凛々しい顔つき。背は星谷陽太より高い。足も長い。

 細く引き締まったスタイルながら、肉つきもいい。初対面の時のように、肌を見せていない服を着ていても、豊かなふくらみや腰つきは、むしろ強調されている。

 

「ああ、僕の名前は……」

 星谷陽太は、ガッツポーズを下ろし、ちょっと緊張しながら自己紹介をしようと口を開いた。

「星谷陽太様ですね。勿論、知っています」

 名乗ってもいない相手に、自分の名前を既に知られているのは、突然家に刑事がきて、「聞きたいことがある」と言われているような、後ろめたい気持ちになる。


                 *


「この船の名前は『チュートリアル号』。弊社の『エクスペリエンス』、その試用品にのみ備わっている『特別世界』です。

 世界の創造主となった、星谷陽太様、それに気が付いた様子もなく、ただ強い力で、無法図に作り上げた世界を、ただ見捨てていく迷惑な神様。

 我々は、そんな『世界の終わり』は望んではいないので。

 ……と、退屈な前置きをしている最中になんですが、どうしてそんなにヘラヘラと、だらしなく笑っているのですか、星谷陽太様」

 陽太は、世界の創造主、という肩書きが自分についている事が嬉しかった。

「それって、凄い才能って事ですよね」

「こんな力が、どこの誰にでも備わっていたら、我々の身が持ちません」

 愛咲カオルは、努めて冷淡な口調で断言した。

「本来なら、三回目。連続した世界に違和感を覚え、これは夢ではなく、別世界のようなものだ、と認識してから出航し、創造主となった方が、無限に広がる海原の中で、母港にきちんと戻れるように導くのが、『ナビ』である私の役目です」

 確かに、試用品は『三回分』と書いてあった。見落としていたけど。

 陽太は、デッキの向こうに広がる、青い空と大海原を見渡す。

「確かに、いかにもチュートリアル画面って世界。何もないね」

 何もないという事はないのですが。愛咲カオルはそう言ったが、陽太にとっては、このシンプルに広い、この世界は、未知の大地にたどり着く前の心ときめく時間、という感じがする。

「ここ、僕が作った世界って事か」

 誰かに言われて、改めて気づく事も多い。

 高校に合格した時もそうだった。

 合格した事をどれだけ自分で確認しても不安だったのに、「おめでとう」と誰かに言われて初めて、実感がわいた時みたいだ。

「そういう認識で正しい、とは思いますが。二回目にしては、冷静ですね」

「そりゃあ、色々と心構えしてますから」

 いつか美しい妖精か何かが現れ、手を引かれ、別世界に呼びこまれる。

 その世界では救世主、勇者ともてはやされる。

 僕の力がなければ、この世界は救えない。だから、僕は戦う。

 僕しかない、僕だけの力。世界を導き救う力。

 現実には、そんなものは欠片もなくて、ただの平凡な高校生になっているけれど。

 自分にも知らない隠された力が、こんな形で誰かに認めてもらえると思わなかった。

 ただの、夢とそう思っていた。

 届かない憧れを都合良く書き換えて、手に届く理想の彼女にした。

 ただ、現実にも、『理想の彼女』ではなく、『少なくとも僕と遊ぶことにイエスと言った』女性が現れた。

 どちらも、まだ始まってもいない関係だ。

 スタートボタンも押していない。

 それなのに……葛藤している。

 一歩目を踏み出す前。扉を開ける前から結末ばかり気にしている。

「覚悟がついている、という顔には見えませんよ、星谷陽太様」    

 愛咲カオルにそう言われ、陽太は戸惑った。

 何か特別な事が起こっている。

 それは嬉しい、喜ぶべき人生の転換点だ。

 そのはずなのに。

「何かを始める前にリスクマネージメントから入る子供は、ちょっと可愛げがないです。自分を戒める行為を美徳と勘違いしている、何事も、やってみなくちゃわからない。私の知る、最もリラックスできる言葉です」

「やってみたら、ダメでしたって、現実がそんな素直に割り切れるぐらい簡単なら、こんな世界で下準備なんて、しないじゃないですか」

「こんな世界、ね。寂しい言葉です。我々は、そういう創造主を何人も見てきました。生まれ落ちた世界と人。こちら側の都合など、お構いなしの冷たい言葉。勝手に作って、勝手に捨てる」

 愛咲カオルは、どうぞこちらへ、と陽太を先導して歩き出す。

 船内通路を歩いていくと、船内に入る扉の前に、軍服のような服を着た青年が立っていた。

 黒髪の短髪。腰に、銃器と軍刀。長身痩躯。殺伐とした戦場を生き抜いてきました、と言わんばかりの風貌だ。

 勿論、と言っていいのか、陽太はその男を知らないし、頭に思い描いたことすらない。

「カオル、いいのかよ。このまま終わらせた方が、そいつの為なんじゃねえの」

「お黙りなさい、マサムネ」

 愛咲カオルが、扉を開けようとする。その手を掴んだマサムネと、しばらく睨み合う形になった。

「陽太って言ったか。俺はジンマサムネ。こいつと同じ立場だが、このドアは開けない方が良い。見なくてもいいもんを、こいつはわざわざお節介で見せようとしてんだ。俺は、お前はこんな状態からさっさと抜けて、普通に生きればいいと思ってる。

 お前が生み出したもんは、処理する。夢みたいな体験をした。それだけでいい」

「星谷陽太様、戯言に耳を貸さないで下さい」

 どっちが、とマサムネが呟く。

「……貴方はまだ、この物語を閉じるべきではないのです」

 カオルが断言する。

「以前なら、とうに失われていた世界です。若い世代が、豊かな創造力をもって形を成した創造世界は、ひどく脆い。

 創造主の負担も大きく、一つ間違えば、心がもたない。

 だからこそ、我々『A-ram』は事前に資格と才能を持つ者を見つけ、正しい道を示す必要性がある、と判断しました」

 カオルの言葉に圧倒される。

「才能を持つ者。創造の源『セエル』をその身に宿す者を、我々は新天地を目指す船に乗せるのです。世界を壊すのは容易い事ですが、広げるのは難しい。続けるのはもっと、難しい」

 愛咲カオルは、マサムネの手を払う。

「マサムネ、お前はこの船の目的地がわかっていない」

「噂の新天地に興味もねえよ。俺は、アムさえ守れればそれで良い。

 ガキの妄想は確かに強い。未経験の強み、さ。

 だけどな、こいつらの作り出した『捨て身の世界』を、コントロールできると思っているなら、とんだ自信家だな」

 マサムネが、陽太を見る。

「いいか、俺はお前ら創造主がどうなろうが、知ったこちゃねえが、こいつはお前がどうなるのか知ったうえで、育てようとしている。お前じゃない、お前の『世界』を、だ。連続してログインするとボーナスもらえるみたいに、続ければ続けるほど、創造世界もおいしく『セエル』をため込むからな。主人公を続けるなら、お前はあの世界の中心でいられるが、そもそも無事でいられたのは、この船があったから。

 お前は、冴えないエンディングルートをたどって、無事にバッドエンドを迎えるはずだったのさ」

 果てのない新天地を目指して、エンディングを否定して航海を続ける、『サンタ・マリア』なのよ、この船は。

「怯えさせても無駄だ、マサムネ」

 そんな気はねえさ、とマサムネはあっさりと降りる。

「三度目の『好井杏里』、今度こそ、って鼻息荒くするのはいいが、あの子はいちいち、創造主を食い物にするねえ」

 三度目……。陽太は絶句する。

 なんの話、と食い下がろうとするも、マサムネはとっくに背中を向けて、どこかに立ち去ってしまった。

「あの、愛咲さん」

「彼女を一目見れば、胸に熱くなるものを抱いてしまう。だからこそ、創造世界のヒロイン役に、好井杏里さんが選ばれてしまう事も多いのですよ」

 他の二人は、どうなったのだろう。

 お前はバッドエンドで終わるはずだった、と言われた。

 そんな事を言われて、そうですね、と笑って流せるほど、人間はできてない。むしろ出来損ないの自覚はある。

「彼女のようになりたい。彼女の傍にいたい。好きな男をとられた事で彼女を憎らしく思う。願望も様々です。作り上げられる世界も」

 愛咲さんが、扉を開ける。

 船内に通じるはずの扉の先に、空が見えた。夕暮れだった。地平の先まで町が続いている。途轍もなく不自然に、広い世界が『船内』に存在していた。

「まあ、彼女を猟奇的殺人者にするのは、さすがに初めてですが……」

 あ、と陽太は呟く。あれ、まだ生きてたのか。

「あの洋館、何なんですか」

 学校の傍、まったく見慣れない場所に、どう見てもそれっぽい、いかにもバケモノがいそうな洋館が建っていた。

 愛咲さんに尋ねても、詮のない話だ。作った本人らしい僕が、わかっていないのだから。

「拷問器具がズラリと並んでいましたよ。もしあそこにいたら、随分と楽しまれていたのでしょうね、今頃は」

「……痛いですかね」

「はい。軽率に作り出したにしては、死ぬほど痛いでしょう。だからこそ、この船に貴方を避難させ、世界を一時的に『主役なし』にしているのです。別に死んでいる訳でもなく、いるはずの場所にいない、というだけなので、ああして混乱してます」

 遥か空高く、まるでドローンの空撮映像のような場所に、ぽつんと存在している扉。そこはかなり高い場所にあるにも関わらず、好井さんらしい女性の、泣き叫ぶような声が聞こえてくる。「陽太さん、どこなの!」と、何かを振り回しながら叫んでいる。

「……なんてこった」

 陽太は、申し訳なさで胸からこみ上げるものを感じた。

 反吐が出る、という表現がバッチリと当て嵌まる。

「同感です。一つ、学びましたね、星谷陽太様」

 愛咲さんが、にっこりと微笑む。やっぱり殺意しか感じねえよ、この人の笑顔。

 初めから思っていたけれど、様、とつけられて、これほど尊称と感じないのは初めての体験だった。


 

  

  











  

 

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