第百五十四話 調整




永禄元年(1557)十二月上旬 尾張国海東郡津島村 堀田 正道



「我々が扱う荷を焼いておきながら、美濃と取引はするな、長島とも取引するなとは横暴が過ぎまする」

「過ぎまするっ!」

隣に座る息子の孫右衛門が唾を吐くように声を荒げている。若さからくる血気か、孫右衛門が随分と興奮をしている。同席する町衆も孫右衛門に続いて声を荒げる。儂とて冷静でいるように務めているが気持ちは皆と同じだ。

「美濃との取引をするなとは申しておらぬ。美濃の荷を長島に送るのを許さぬと申しているだけじゃ。長島との取引は既に御屋形様が禁止する触を出している筈じゃ。熱田も伊勢も皆が長島との取引を控えておる」

今川の使者として訪れた林佐渡守が今川としての意見を述べると、部屋に詰める皆が口々に批判の声をあげた。佐渡守の隣に座る千秋四郎次郎が佐渡守の視線を受けて応じる。四郎次郎は熱田神宮に由緒ある千秋家に連なる者だ。桶狭間で亡くなった加賀守の実弟で、今は熱田社の大宮司代を務めている。其の男が此処に来ているという事は、"熱田は従っている"とでも言いたいのだろう。忌々しい思いを感じた。


「長島との交易は此の津島に取って一大事にござる。其れを後から頭ごなしに取引を禁じるとは横暴じゃ。駿河の御屋形様は我等に死ねと申されるのかっ!」

「「そうじゃっっ」」

孫右衛門が一際大きく声を荒げ、同席する町衆が同調して声をあげる。皆の圧迫を受けて佐渡守が疲れた表情を浮かべた。目の前の御仁とは過去に何度も面識がある。何といっても織田弾正忠家の家老であった者だ。今は駿河にあって今川の評定に参加を許される立場の様だが、すっかり今川の臣になったように見える。


駿河の御屋形様と言えば悪名を轟かせている。寺社を幾つも焼いたと聞くが、流石に町は同じようには行かぬだろう。大した理由もなく町を焼くなど醜聞が立つ筈だ。町からの上がりも得られなくなる。以前今川から荷留を受けた時、今川は町を焼くのを躊躇った。無理に焼き討ちを進めては今川の身を滅ぼす事になるのだ。目の前の御仁は虎の威を借りて脅しに来ているに過ぎない。我々とて先々を睨めば頑張らねばならぬところだ。今少し粘れば前の御仁は駿河に帰るだろう。現に疲れた表情を見せて……。



「……そうじゃ」

佐渡守殿が目頭に力を込めた覇気のある表情で呟いた。

「な、何と申された」

孫右衛門が声を震わせて問い返す。

「今川に従えぬなら死んでもらうしかござらぬ。町は跡形も無く焼かれる事になろう」

佐渡守が先程までの困惑した表情を消して、はっきりとした面持ちで事を告げて来る。

「か、斯様な事が出来る訳が」

「御屋形様は津島が従わぬ時は塵一つ残らぬよう焼いて構わぬ。其の決は某に任せると仰せになられた」

「お、脅しには屈しませぬぞ」

"さ、左様!"

"そうじゃ。我等は一団となって反抗しますぞ"

皆が相変わらず頑張っている。目の前の御仁が言うことは脅しか本音か。どうも本音の可能性が高そうだ。まさか本当に町まで焼くというのか??

津島は小さく無い町だ。これを本当に焼くというのか?そんな馬鹿な……。


「畏くも今川権中納言様の名代として最後に問おう。今川に頭を下げ従属するか、あくまで支配を拒否して炭と化すのか」

居ずまいを正した佐渡守が気迫ある表情で我等に迫ってきた。

「……し、暫く」

目の前の男の気迫に刻が欲しくなる。考える暇を貰おうとするが佐渡守がゆらゆらと首を振った。

「勘三郎殿!此処まで来て屈しまするのか。どのみち交易を封じられては津島は滅しまする」

「左様!我等は我等の生き方がござりまする」

啖呵を切った者達が気勢をあげる。大口を叩いた以上引き下がれぬのだろうと思うた。


「今川は大きい。そして強うござる。織田とは異なるぞ」

佐渡守が続け様に言葉を放つ。冷静を保って言葉を紡ごうとするが、隣の孫右衛門が立ち上がって刀を構えた。

「去ねっ!津島は我等の町ぞ。脅しには屈しはせぬ!」

佐渡守が儂の目を捉えて表情で問うてくる。最後の問い掛けだと訴えている。戦になるのが誠であれば尾張を切り取った軍に我等が敵うわけが無い。隠忍、ここは膝を折るしかない。

「去ねと申しておろうっ!」

「「そうじゃっ!!」」

孫右衛門や周りの若い衆が佐渡守を押し退けるようにして摘まみ出す。皆を制しようと声をあげようとするが、皆からの突き刺さる視線を受けて言葉が出てこなかった。使者の二人が部屋から追い出されていった。



「み、美濃と長島に報せを。両者が兵を挙げれば津島処では無くなる」

やっとの思いで声をあげると、皆が意気軒昂に応じた。




永祿元年(1557)十二月上旬 尾張国春日井郡清洲村 清洲城 林 通秀




「小牧山への城替えに忙しいと言うに、更に兵まで出せと申すか」

旧主・織田上総介様の異母兄である織田三郎五郎様が呆れたような表情で声を上げる。

「津島が愚かにも御屋形様に屈服しませぬ。岡部丹波守殿が兵を集める事になるでしょう。城替えで忙しい時ではありまするが、織田の忠義を見せねばなりませぬ。無理をしてでも兵をお出し下さいませ」

此処が正念場だ。床に額をつけんばかりに頭を下げて意を伝えた。


「今兵を出せとは、権中納言様は織田を疑っておられるのでござるか」

島田所之助が不満を込めた声で儂に問い掛ける。所之助は今川と激戦を繰り広げている頃に儂と同じく徹底抗戦を主張した。今川への感情は良くない筈だ。

「いや、駿河の御屋形様は公明正大な御方にござる。確と今川のために尽くさば必ずや報いて下さる。だからこそじゃ。織田が心入れ換え、今川のために尽くす姿勢を見せねばなりませぬ。其れに織田は出兵を命じられた訳には御座らぬ。此れは某の判断にござる」

不満そうな表情を浮かべる者達の顔を順に眺め、最後に三郎五郎様のお顔を見て“何卒お願い致しまする”と申し添えて今一度頭を下げた。


「駿河に出向いている佐渡守殿がこう申しているのじゃ。此処は兵を揃えましょう」

柴田権六が出兵の用意を告げると、佐久間右衛門尉殿や佐々内蔵助等が賛意を示して応じた。

“いや、織田に出兵の命が無いのならば無理をする必要は御座らぬ”

“左様。兵を集める事自体が危ういかもしれぬ”

“如何にも。謀反と思われては元も子もありませぬ”

反対をする者達が表情を顰めて理由を次々に述べて来る。




「丹波守殿には織田も兵を出せぬか掛け合ってみると伝えておりまする。謀反と思われることはござりませぬ。織田が兵を出せば、奇妙丸様のお立場も良くなる筈に御座りまする」

儂の言葉を受けて三郎五郎様が"奇妙丸様の……"と呟かれる。元々賛意を示した者達が“得心いった”というような表情を浮かべる。反対している者達も勢いが弱まった。

「相分かった。右衛門尉と権六は出兵の準備をせよ」

意を決したように三郎五郎様が言を放った。右衛門尉殿と権六が大きな声とともに応じる。

「ありがとうございまする」

儂が礼を申すと、三郎五郎様が笑みを浮かべながら頭を振られた。


「礼を申すのは儂の方じゃ。此れから駿河に向かう奥方様と奇妙丸様の事まで至らなかった」

「有難き御言葉。此の佐渡守、報われる思いにございまする」

「ふむ。駿河の居心地はどうじゃ」

ふと、不意に問い掛けられた。確と三郎五郎様の目をみて応える。

「悪く御座りませぬ」

「ハハハ。其の言は嘘では無さそうじゃな。御屋形様の事を申すその方に不満があるようには見えぬ」

「此度の津島征伐に織田が尽くせば御屋形様の覚えは良くなりましょう。弾正忠家の先々に取って良い結果となる筈で御座りまする」

「うむ。その方には苦労を掛けるが引き続き頼む」

三郎五郎様が温かく声を掛けて下さった。疲れが取れた気がした。




永禄元年(1557)十二月中旬 美濃国厚見郡井之口 稲葉 良通




「長島に流している荷でござりますが、どうやら今川の手勢によって焼かれたようにござりまする」

「……チッ」

儂の報告に殿が大きな舌打ちを打たれた。続けて手持ちの扇子で床を叩く音が響く。全く以てご機嫌麗しくないな。殿のご様子にこの先の報告をする気が失せるが、御家の為にも言わぬ訳にはいかぬ。

「今川勢でござるが、五千の兵で津島を囲んでおりまする。津島から当家に遣わされた使者からは今川に対する挙兵、もしくは今川権中納言様との執り成しを要望しておりする」

「様などと敬わずともよい」

殿が扇子で叩いている床を眺めながら吐き捨てるように呟かれた。"ははっ"と素直に応じておく。


さて、儂からの報告は終わった。次は安藤日向守殿の番だ。日向守殿に視線を向けると大きく頷いて応じた。日向守殿が殿の方へと姿勢を向ける。

「殿。恐れながら申し上げまする。稲葉山城下の商人達から尾張との交易が細る事について申し出が出ておりまする。此処は津島への執り成しも」

「捨て置け」

「は?」

「どうせ物が売れなくなっただとか、尾張方面からの仕入れが悪くなったとか愚痴を申すだけであろう?商家の常道よ。奴等は目先の利ばかりを追うておる。長い目で見て暫く待てとな。我が一色が尾張を制すれば事は解決する」

「はっ。あいや、しかし」

「其れに今暫くすれば、商人達が案ずる件については解決する」

殿が日向守殿の表情を捉えて断言された。商人の悩みは解決すると申されたか?


「と申されますと」

日向守殿が眉を顰めて聞き返す。殿が不敵な笑みを浮かべながら言葉を放たれた。

「甲斐、信濃の武田から大口の注文が入っている。武田も今川に荷留めをくろうて仕入れが何かと苦しい様だ。我等に荷を求めて来ておる。武田の年貢事情は苦しい様だが、奴等には金山があるからな。銭の支払いに問題は無さそうだ」

「甲斐と信濃にございまするか。荷運びが苦労しそうにござりますな」

美濃と信濃を繋ぐ街道には木曾路があるが、これは険しく細い道だ。軍勢が通るのは無論の事、荷駄が通るのも難しい。美濃と信濃の間で大掛かりな戦が起きない理由の一つでもある。此の細道を使うて荷を運ぶということか。

「実入りの為だ。商人達も努力するだろう」

殿が笑みを浮かべて呟かれた。


「殿の仰せの通りじゃ。甲斐と信濃から銭が入れば商家は黙るはずじゃ」

日根野備中守が殿の言を繰り返す様に話す。取って付けた様な発言に思わず頭に血が上った。そもそも商家達が西美濃を拠点とする儂達にまで相談をして来るのは側用人の備中守が禄に相手をしないからだ。




……そうか。信濃や甲斐との話があったからかも知れぬ。

ふと、何故備中守が動かなかったのかを邪推した。この話を聞けば商人達は我先にと手を上げるだろう。焦らされた後だ。必死になるだろうな。となれば大きく銭が動く。備中守を通じて殿に銭が入るのだろう。

強かだと思うた。これ以上この件で物を申しても仕方ない。日向守殿と合わせて殿に向かって頭を下げると、殿が静かに頷かれた。此れを見た備中守が次の議へと話を移す。




備中守が次の議について述べる中、頭の中で思案する。

今や五ヶ国を治める大国今川を前に何をすべきか。御家は六角や武田と縁を深めて今川に備えてはいる。此れも一つの手であろう。だが此れだけで済むだろうか。

真剣に悩んでみるが一向に答えは出なかった。



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