第百五十三話 縁組




永禄元年(1557)十二月上旬 駿河国安倍郡府中 今川館 望月 まつ




「府中ですべき事を終えましたゆえ、明日にでも京へ立ちまする」

草ヶ谷五位蔵人様が嶺様へ出立の挨拶にお見えになった。蔵人様が此の部屋に見えるのも何度目になるだろうか。はじめは固かったお顔と動きであったが、今日は随分と落ち着いて見える。

「そうですか。くれぐれも道中お気をつけくだされ」

嶺様が京までの道中を案ずる言葉を掛けられると、蔵人様が少し寂寥とした表情で応じた。姫様、あと一声が足りませぬ。暫しの別れになるのです。今少しお言葉を掛けるべきだと思うた。傍らのさちも同じことを思うているようだ。顔に出ている。


嶺様は甲斐から府中に戻ると、時を置かずして蔵人様との縁談が決められた。嶺様は御屋形様から蔵人様との縁談を告げられるまでは甲斐の若殿の死を悼んでおられたが、縁談が決まって蔵人様が訪れる様になると若殿の事を口にされることがなくなった。頻繁に蔵人様がお見えになるものだから考える暇もなかったというのが本音だろうが、逢瀬を重ねれば蔵人の人柄も分かるというもの。嶺様も徐々に蔵人様に惹かれている筈だ。嶺様の事を思えば、此度の縁談は良い事だと思う。だからこそ今一歩踏み込んだ方が良いのだ。


「嶺姫様に置かれてはご健勝であられることを祈念しておじゃります。では此れにて失礼いたしまする」

蔵人様が早々に辞去されようとしている。不味い。思わず嶺様がお召しになられている着物の裾を摘まんで引っ張った。嶺姫様が私の顔を御覧になる。"今少しお言葉を"という思いを込めて顔を覗き返す。嶺姫様が顔を少しばかり赤くしながらも分かったというようなお顔をされて頷かれた。


「蔵人様」

部屋を出るために立ち上がって、此方に背を向けていた蔵人様が振り返る。

"風吹けば 峰に分かるる 白雲の"

嶺姫様が歌をお読みになられた。蔵人様が驚いた様な、だが確実に嬉しそうなお顔をされた。此方に姿勢を向けた蔵人様が"行きめぐりても 会はむとぞ思ふ"と応じられた。

私には誰の歌かまでは分からない。

だが伝えたい内容は分かる。恐らく再会を願っておられるのだ。


「道中の無事を願っております」

嶺様が先程と同じ様な言葉を告げられた。

蔵人様が先程とは変わって嬉しそうに頷かれていた。




永禄元年(1557)十二月上旬 近江国 観音寺城 六角 義賢




「政所執事の伊勢伊勢守様から一色家との縁組の件、公方様の裁可相成ったと文がござりました」

重臣の蒲生下野守が儂に報告をすると、息子の右衛門督が嬉々とした表情を浮かべて大きく頷いた。

「若殿、よろしゅうござりましたな」

「おめでとうございまする」

居合わせている進藤山城守、三雲新左衛門尉が右衛門督に向けて賛意を贈る。後藤但馬守が“まことに”と取って付けたように呟いた。平井加賀守は皆の動きを受けて笑みを浮かべている。愛想笑いかも知れぬ。心の奥底までは読めなかった。


渋い表情をしている但馬守は今回の縁組に初めから懐疑的であった。但馬守の所領の多くは神崎郡だ。此れは東近江にあたる。美濃の齋藤、いや、一色と六角とでは緊張した関係が続いて来た。西美濃の連中とは小競りが起こるのも少なく無かった。但馬守に不満が覗くのはこうした背景があろう。幕府との調整を務めた下野守は但馬と懇意にしている。此奴も内心では良く思っていまい。一色との和議を訴えたのは右衛門督だ。和議に思うところある者がいるのは分かるが、右衛門督に実績を作らねばならぬ。其れに東が固まれば北に専念が出来る。三好と和議なりし今、此の縁組が成立すれば北陸方面に専念が出来るのだ。


「婚儀が終わりて盟約が成りし暁には、右衛門督に家督を譲る」

「ま、誠にございまするか!?」

儂の言葉に皆が怪訝な表情を浮かべる。右衛門督が声をあげて嬉しそうに応じた。

「御屋形様。お言葉ではありまするが些か早うござるかと」

「但馬守殿の申す通りにござる。畿内の動き慌ただしい中、今暫く落ち着いてからで宜しいかと存じまする」

「但馬守も下野守も儂が当主になるのに反対か」

右衛門督が口を尖らせて言葉を放った。子供の様だな。儂から見ても我が息子は子供染みた時がある。だが我が家中には優れた者が多い。当主として経験を重ねながら、皆の支えで育ってくれれば良いのだ。


「儂も右衛門督を支えるゆえ案ずるでない。皆は右衛門督を盛り立ててやって欲しい」

「は、ははっ」

「「ははっ」」

皆が奥に物が詰まったような反応をしながら頭を下げた。ま、皆が不安を覚えるのも分からぬではない。暫くは仕方無かろう。次に行くとするか。今日は今一つ縁談の話がある。



「加賀守」

「はっ」

「以前に話をした浅井との縁組が纏まった」

儂の言葉に加賀守が頭を上げる。話の先を悟った皆が明るい顔をした。

「うむ。現当主が嫡男、浅井新九郎に其の方の娘を嫁がせる。儂の養女としてな」

「ありがとうございまする」

「加賀守殿、おめでとうござる」

「おめでとうございまする」

皆が加賀守に賛辞を贈る。浅井との縁組は近江の安定を意味する。そして重臣である平井家の娘を送り込むという事は、六角と浅井の立場が主と従であることをはっきりとさせる。其れが分かるからこそ皆は賛辞を贈るのだろう。だが右衛門督は面白くないようだ。自分の縁談に比べて皆が笑みを進んで浮かべる状況が気に食わぬのかも知れぬ。全く。当主になろうとしているものがこれでは困る。後で叱らねばならぬな。


両縁組が終われば北進に触りはない。

幕府では何かと朝倉の話が上がるようだが、奴らは最近出てきた成り上がりに過ぎぬ。六角が右で朝倉が左というのも気に食わぬ。どちらか上かはっきりとしてくれよう。




永禄元年(1557)十二月上旬 山城国上京 進士邸 進士 晴舎 




「失礼致す」

蝋燭の灯火が部屋を微かに照らす中、客人のしわがれた声がした。

「入られよ」

儂の声を受けて障子が開けられ、上野民部少輔殿が現れる。既に部屋には膳が二膳置いてある。手招きをすると膳の手前に腰を掛けた。膳には酒と京野菜を用いて作られた香の物が置かれている。

「斯様な夜更けに申し訳御座らぬ」

「何の。明日は特に用も御座らぬ。時にはこうして語り合うのも悪く御座らぬ」

儂の言葉に民部少輔殿が笑いながら応じた。

「さ、まずは一献」

「忝ない」

儂が民部殿の酒杯に酒を注ぐと、民部少輔殿が一思いに飲んだ。続けて儂の杯に酒を注いでくる。


「しかし旨いのう。この澄んだ酒は」

「駿河の酒にござる」

民部少輔殿の言葉に儂が応えると、目の前の御仁が失笑して息を一つ吐いた。

「上方の蔵処も清酒を作ろうと手を尽くしているようだが中々に上手く行かぬ用でござるの」

「うむ。その様に御座るの。故に上方からも駿河へ少なくない銭が流れている」

二人して溜め息を吐きながら顔を見合わせた。だが飲み始めた以上手が止まらぬのが怖いところよ。


「辛気臭くしてしもうたの。すまぬ。さて今日は如何用かな」

「此の酒を作っている家の事じゃ」

民部少輔殿が杯を上げて儂の顔をじっと覗いてくる。何となく察しはついていたがやはりそうであったか。

「……政所が扱っている今川の件にござるか」

儂が呟くと民部殿がゆっくりと、そして唸る様に頷いた。顔を朱くしている。早くも酒が少しまわったようだ。


先日、今川が囲っている公家が政所執事の下を訪れて北條と上杉の和議斡旋を願ったらしい。少々前なら北條、強いては今川を利する事など不要と差し戻す議案だが、上杉の戦況が芳しくないという報せが幾つか入って来ている。京の豪商角倉に聞けば、関東では兵糧の値が著しく上がっており、参陣している諸将の多くが苦しんでいるとの事だ。一方、北條方の兵糧事情は潤沢らしい。最近は相模の海で今川の水軍が跋扈し、我が物顔で行き交っているという。極め付けなのは囲いに綻びが生じた小田原城に今川の軍勢が兵糧を積み込んだとの事だ。連合軍も傍観していた訳では無い。積み込みを邪魔立てしようと一隊を派遣したが、悉く返り討ちにあったらしい。


「既に連合軍の兵糧は厳しい状況の様じゃ。冬が深くなれば更に厳しいものになるじゃろう。関東管領就任という成果をもって目的は果たした事にして、一度和議を結ぶのも手で御座るな」

「左様。無理をして上杉が敗れる事になるのは避けねばならぬ。せっかく幕府に忠義厚い長尾が上杉となり、関東管領に就任したのじゃ。名声に傷を付けるのは望ましくない」

「其れに……今川が提示してきた献金の額をご存知で御座るか」

儂が民部少輔殿に問い掛けると、目を大きくして"聞き及んで御座る。二万貫だとか"と申された。


「其の通りじゃ。献金の額を聞いて公方様も和議の斡旋について吝かではなさそうにござる」

「公方様は何かと気に食わぬ行いの多かった今川を認める事に一抹の不満があるようじゃな」

「だが二万貫は捨てがたい。御所建てかえに御執心の公方様は何れお認めになるでござろう。となると此の件を取り纏めている伊勢守の力が増す事になる」

儂の言葉に民部殿が再び頷く。"面白うないの!"と悪態をついて酒杯を一気にあけている。




「……一つ思い付いた策が御座る」

暫しの沈黙の後、民部殿が悪戯をする童子のような表情を浮かべながら言を放った。

「ほう」

「小侍従殿を小侍従局様にしてはどうじゃ」

「娘を局に?」

儂の言葉に民部殿が大きく頷いた。確かに娘は随分と公方様に可愛がられている。何時かは局にと思うてはいるが、宮様の降嫁があったばかりだ。何と応えたものかと思案していると、民部殿が“案ずるでない”と言を放ちながら儂の目を捉える。

「公方様は其処元の娘殿を随分と可愛がられている。儂から公方様に具申してみよう。家臣から薦められれば幸いとばかりに首を縦に振られるかも知れぬ」

「流石に時期をお考えになられるのではござらぬか」

「何、今川も公方様を頼りにされている中、最早公方様に出来ぬ事などと申せばよかろう。其れに足利は血が細っている。子宝は多い方が良いとな。此れは事実じゃ」

「……良い策かも知れぬ。娘に話してみよう」

「小侍従殿に仔細は話さぬ方が良い。小侍従殿は今まで通り、そうじゃな。もそっと近くにいたいとでも申してくれれば良い」

「承知してござる」

互いに顔を合わせて頷き合い、杯を一気に空けた。


旨い一杯であった。




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