第百五十二話 論功行賞




永禄元年(1557)十一月中旬 駿河国安倍郡府中 今川館 林 通秀



論功行賞は甲斐との戦、三河尾張での戦、関東出陣と、立て続けに続いた戦を総括する形で行われた。源氏の間と呼ばれる、絢爛豪華だが何処か締まりのある部屋には多くの武将や吏僚が詰め、皆が大紋や直垂といった正装を身に付けている。御屋形様に至っては黒い束帯をお召しになられていた。良くお似合いで眩しく感じる。家柄の良い名家に仕えはじめたのだと改めて感じた。


論功の主だった所では、吉良上野介殿の弟である左兵衛佐殿が三河の旗頭として吉良荘に三万石が与えられた。一方、兄の上野介殿は吉良宗家としての立場を持ちながら、今川の家老として駿府在中が申し渡された。所領は駿河に二万石、それに禄として一万石であった。今川家中は代々家老を務める三浦、朝比奈家に吉良を加えて三家老体制となった。


伊豆の旗頭には甲斐との戦で武功を上げた葛山播磨守が任じられた。葛山家は駿東郡に所領を持っていたが伊豆国田方郡熱海へ転封となり、北條との外交も任されることになった。甲斐との戦においては、長野信濃守が其の戦い振りを激賞され、興国寺城と一万石が所領として与えられた。信濃守殿は他国者ではあるが並々ならぬ活躍をしている。今回の論功が発表された時、今川家中に驚きはあったが嫉妬の様なものは感じられなかった。此の事は尾張の旧織田家中に伝えた方が良いな。今川は働きを正当に評価してもらえる家だ。御屋形様は公正明大な御方だと知らせよう。


最後に申し渡された尾張の仕置きだが、十分に納得のいくものだった。知多方面は御屋形様直轄とし、織田弾正忠家は小牧山城へ転封こそ命じられたものの家は残された。今川に反抗した知多の水野家は御取り潰し、岩倉織田家や犬山織田家等、弾正忠家に降伏したばかりで今川への降伏時に動きが悪かった家も悉く取り潰された。尾張には城代として清洲城に岡部丹波守殿が置かれた。丹波守殿は今川譜代であるが事を公平に裁かれる御方の様だ。国許からの知らせでも丹波守殿への不満は上がっていない。丹波守殿の下、尾張での今川統治が進んで行くことだろう。


「本年も後一月を残すだけになった。今年は我が父を失い、武田とは盟約の手切れ、其れに関東遠征と困難と苦労が続く年であった。だが、皆々の励精によって此れを乗り越え、今川は寧ろ飛躍する事となった。後世になって振り返り見れば、今川の栄光は本年に始まったと書かれるであろう」

御屋形様の言葉に皆が耳を澄ませる。興奮した面持ちで皆が聞いていた。今川の御屋形様は亡き殿とは異なりよくお話になられる。そして語りがお上手だ。


「此の国のため、此の国の民に安寧を齎すための八紘一宇だ。引き続き皆に期待している」

「我等家臣一同、御屋形様のため、今川のため益々励みまする」

「「励みまするっ!!」

三浦左衛門尉殿の言葉に皆が唱和する。まだ慣れぬ儂も遅れを取らぬよう何とか合わせることが出来た。


大部屋の皆が一つになった雰囲気の中、御屋形様が"ところで"と醒めたお声で呟かれる。明るい雰囲気を一刀に切るような声に、皆が何事かと振り向く様に御屋形様の方へ顔を向けた。

「皆が余に従い、国を良くせんと励んでいる中、余の命に従わず、敵を益する行いを続ける不届き者がいる」

御屋形様の低い御声が部屋に響く。冷徹な御顔も相まって畏怖を覚えさせる。常滑か水野の残党か。いや、それとも……もしやっ!

「津島だ」

怒気を孕んだ声と共に御屋形様の御顔が儂を捉える。自然と身震いがした。


「津島の商人達は余に降伏したにも関わらず、美濃からの荷を長島へと流している。其れも兵糧だけでない。弓矢や材木といった軍備まで流しているのだ。不届千万である」

「はっ」

津島に怪しき動きありとの報せは儂も受けている。だが尾張の織田家は内部を納めるだけで苦労し、其れ以上の注意を払えていない。儂とて今は府中に身を置き、織田の方々を迎え入れる準備に追われていたところだ。此れは謗りを受けるのだろうか。己が背中に冷や汗が流れているのを感じる。

「佐渡」

御屋形様の視線を受けながら名を呼ばれた。

「……は、ははっ」

喉を詰まらせながら声を絞り出す。儂が何とか応じると、御屋形様が其の場に立ち上がられて“近う”と仰せになった。詰める将達の合間を縫って下座の手前にまで向かって深々と平伏をした。今川の御屋形様に此れ程近づくのは初めてだ。

「其の方は急ぎ津島に向かって商家達へ今一度誰に従うのか問うてこい。余に従わないのなら津島は要らぬ。塵一つ残らぬまで悉く燃やせ。そうだな、手始めに美濃からの荷は直ぐに抑えて此れを焼き払え」

御屋形様の怒りを含んだお声が頭上から掛けられる。


「御屋形様。御言葉ではありますが美濃からの荷は川の上流で差し押さえれば、燃やすよりも軍備の足しになろうかと存じまする」

尾張旗頭となった丹波守殿の声が聞こえた。

「今川の蔵にある財貨、兵糧の量に比べれば美濃が流している荷等塵の如き量だ。美濃や津島に今川の力、そして余の怒りが浅く無き事を知らしめる為にも焼いてくれよう」

「斯様なお考えとあらば、良き御思案かと存じまする。要らぬ事を申しました」

「構わぬ。丹波守は清州に戻り次第兵を率いて津島へ向かえ。佐渡守の交渉に助力せよ」

「御意にございまする」


「津島だが、美濃からの流れてくる荷は少なくない収入の筈だ。此の糶取りを押さえられては利を大きく損なう、とでも申して反発してくるかも知れぬ」

津島は木曽川の水運で発達した町だ。大いにあり得る。同意を示すために再び頭を下げて応じた。

「其の時は余の言葉としてこう伝えよ。新たな特産を作るなり、物が集まる仕組みを作るなり、汗を流してから文句は申せとな。汗も流さずに口だけ動かすとは笑止千万なりとだ。其れでも異議を唱えるなら商人共を府中に引き連れて参れ。宮若、左文字っ!」

御屋形様が突如として上げられた大きな声に、傍らにいる小姓が反応して刀を差し出す。御屋形様が刀を受け取って鞘から僅かに抜き、波紋を御覧になられる。

「織田を降して取り戻した此の刀が切れ味、余自ら試してくれよう」

波紋を御覧になりながら話されている視線が儂に向けられる。まるで突き刺さるような視線だ。

「か、必ずや津島を説き伏せまする」

「であるか。佐渡には大いに期待している。励めよ」

御屋形様が満足されたように大きく頷かれた。




永禄元年(1557)十一月下旬 山城国上京 室町御所 慶寿院




「伏見宮様の女王御迎えの儀、万事整いましてございまする。来月早々には御所入り遊ばされる予定でございまする」

政所執事の伊勢伊勢守が平伏をして事の報告をしてくる。宮家からの降嫁に間違いがあっては行かぬ。もとより仕儀は有職故実に精通した政所に頼む他無いが、伊勢は伊勢で自らの立場を誇示するためか一人で謁見に来ている。他の幕臣は政所ばかり何事かと地団駄を踏んでおる事であろう。鬱屈した内心を政所執事に読まれぬ様に心を整えた。


「うむ。相分かった」

大樹が短く、関心等まるで無さそうに応えた。いや、此れは明らかに不満を持っている。大樹は此の婚儀が決まった時から乗り気では無さそうな顔をしていた。大樹としての立場から縁組こそ承知していたが、何処か他人事の様な感があった。全く世話が焼ける息子に溜め息が溢れそうになる。

「大樹。今少し態度を改めなければ此の縁組に不満があるように受け取られる恐れがありますよ」

不満があると言明してはならぬ。言葉を選んで告げると、妾の言葉に伊勢守が鷹揚に頷いた。伊勢守の態度に大樹が眉をひそめる。伊勢は太々しい所ある者だが、幕府を思う心に疑いない。幕府を重んじるという点では安心出来る幕臣なのだから、上手く使えば良いのだ。だが、残念ながら我が子には其れが分からぬようだ。いや、分かっていても伊勢の態度が気に障るのかも知れぬ。何れにしても今少し大人になってくれると良いのだが……。此れまで我が子は其れなりに苦労を重ねた筈であるが思うような成長に繋がっていない。


「此度の縁組には二條太閤殿下が並々ならぬお骨折りを下さりました。今や太閤殿下は朝廷で日の出の勢いにございまする。公方様の御力によって威光を取り戻しつつある幕府が続けて隆盛を得るためにも此度の縁組、大事になさって下さいませ」

「其の方に言われずとも分かっておる。母上も、にございまする」

大樹が不満を隠さずに伊勢守へ告げた後、其の表情と声色を保ったまま妾の方へ話しかけて来た。丁度良い機会だ。一つ苦言を呈しておこう。


「そういえば最近は随分と蓮の育ちがよろしいようですね」

「……小侍従の事でございまするか」

妾の小言に大樹が顔を上げて呟く。

「大液池に千葉の蓮開くはよろしゅうございますが、傾国に至る道とならぬか懸念しておりますよ」

妾の言葉に大樹が大きな溜息を付いた。仮にも大樹なのだ。妾が何のことを申しているのか察しはついておろう。


最近大樹は一人の侍従を寵愛している。進士美馬守の娘で愛くるしい女子だ。平時なら女子遊びの一人や二人、側室にすれば子を増やせると喜び様もあるが、宮家から女王殿下を迎えるとあっては慎重を期さねばならぬ。正室を大事にし、其の他の女子は次いでで無くてはならぬ。

「仰せになりたい事は分かり申した」

妾から顔を背けた大樹が不承不承といった表情で声を上げた。妾に同意とばかりに伊勢守がゆっくりと、だが大きく頷いた。

「努々、お気を付け下され」

妾の言葉に大樹が軽く頷き、席を立とうとすると"公方様"と伊勢守が声を掛けた。




「何だ」

上げようとした腰を今一度落ち着かせて大樹が応える。

「六角家と美濃の一色家との間で縁組の話がございまする」

伊勢守の言葉に大樹が関心を得たとばかりに伊勢守の方へと顔を向ける。此の婚儀の話は一色と懇意にしつつある進士美作守から既に報告を受けている。伊勢守は政所執事として六角から相談を受けたのかもしれぬ。

「美作から聞いている」

大樹の言葉に伊勢守の眉が僅かに動いた。此処は"承知している"とでも答えておけば良いものを……。こうした所が息子は駆け引きが得意ではないと思わせるところだ。


「六角家中の蒲生殿からそれとなく話がございました。此の話、畿内が安定する良い話にございまする。是非にでも公方様から許可をお与え頂きたく願いまする」

「ふむ。美濃の一色にとっては尾張にまで迫った今川を防ぐための盟約だろう。だが六角はどうであろうか。三好と和議がなった今、北へ向かうための盟約にするだけかも知れぬ。良いように余が使われかねぬ」

大樹が結わえている顎髭を触りながら物憂げに視線を落としている。

「良いではありませぬか。利用するのは此方も同じにございますよ。伊勢は大樹からの許可を与えたいと申しているのです。此れは征夷大将軍が家臣である六角と一色の縁組を承諾するという事なれば、将軍と幕府の威光も益々上がるというもの。憂う必要はありませぬよ」

妾の言葉に伊勢守がゆっくりと頷いた。目が合うと微かに笑みの様な表情を浮かべる。腹に一物有る様な印象を受けるが異を唱えてこないのだ。同意とみていいだろう。


「畿内が此れで収まり、後は関東が忠節厚い上杉弾正少弼の手に落ちれば、幕府の威光はいよいよ取り戻されます。日の本に安寧が齎されれば、諸大名が京に集う日も遠くありません。鹿苑院の治世有りし頃が来ます。今は一つ一つ慎重に事を進めましょう」

妾の言葉に大樹が大きな息を吐きつつ意を決したように頷いた。満更でもないと思うたのだろう。

「伊勢守。六角と一色の縁組、上手く行くよう差配せよ。文も必要なら書く」

「ありがとうございまする」

伊勢守が淡々と応じて頭を下げた。



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