第百五十話 主導権




永禄元年(1557)十月下旬 山城国上京 近衛邸 近衛 前久




「草ヶ谷権右少弁殿と五位蔵人殿がお見えになりましておじゃりまする」

諸太夫の今大路治部少丞が現れて客の到着を告げる。

「奥の間へ通すようにせよ。麿も直ぐに故、茶も手配しておいてくりゃれ。其の後は呼ぶまで人を通さぬように」

「承知しておじゃりまする」

物々しい雰囲気を察した表情で治部少丞が去っていった。少し呼吸をして奥の間へと向かうと、女中が茶を運びに来ていた。座して客人の到来を待つ。


「失礼致しまする」

聞き慣れた蔵人の声がして"中へ入るがよい"と告げると、障子が明けられて権右少弁と蔵人が現れた。

「呼び立てしてすまぬ」

「構いませぬ。急ぎの御用が出来したとか」

蔵人が声を上げると、隣の権右少弁も麿の顔を覗いていた。

二人とも落ち着いてはいるが、表情には何事が起きたかという、少しそぞろな様子が伺えた。


「即位の礼じゃ」

慌ただしく呼び出しておいて世間話をする訳にも行かぬ。用件を単刀直入に切り出した。

「即位の礼……」

麿の呟きに蔵人が反芻し、権右少弁は悟ったように頷いている。

「今川の尽力もあって改元は成ったが、今上の帝はまだ即位の礼をされておらぬ。先帝の喪が明け次第即位の礼をしたいというのが御叡慮じゃ」

「費えにおじゃりまするな」

「その通りじゃ。費えを用意したとて、普段ならば横槍が入る。じゃが幸いにして幕府は中で何かと対立をしておるようじゃ。今なら幕府を横目に推し進める事叶うかも知れぬ」

「急ぎ駿府へ戻って権中納言様に献金を願いましょう」

権右少弁が洛中を立って帰国すると申し出る。話が早くて助かる。頷きながら"頼む"と伝えた。


「山科卿に同道を頂いた方がよろしゅうおじゃりまするか」

権右少弁が朝廷の蔵処を担っている参議山科内蔵頭を連れていくべきかを尋ねて来る。銭周りを担う"山科内蔵頭に花を持たせる必要があるか"と言う確認であろう。此の親子はこういう細かな確認に聡い。やはり使えると思うた。だからこそ今の程度では困るのだ。


「いざ即位の礼が進む運びとなれば内蔵頭は忙しゅうなろう。予め準備をしておく刻が必要になる。此度は其の方等で事を進めよ。内蔵頭には麿から話をしておこう」

「其の方等と言うことは麿も駿府へという事におじゃりまするか」

蔵人が幾らか驚いた様な表情で応じる。

「妻君となる姫と会うて来るが良いぞ。悠々と洛中で待つのは得策ではない」

「あ、いや……はぁ」


「今川の姫の機嫌を損ねるで無いぞ。蔵人が無事に婚儀を終えれば我等は縁戚になるのじゃ。其の方等には益々もって期待しておる」

期待している旨を伝えると、二人が恐縮したような面持ちで頷いて頭を下げた。


主上が即位の礼について麿に叡慮を溢された。

新帝は三好が畿内を押さえる中で今川に期待されている。

二條太閤の権勢が日に増大していく中、麿としても確かな後ろ楯を手に入れねばならぬ。近衛は足利に血を入れたが今や其の血は宛にならぬ。幕府は二條太閤に絡め獲られつつある。


朝廷の中とて二條太閤を推す派閥の台頭が著しい。主上とて麿や今川にお目掛け下さるとは言っても、血筋は万里小路や勧修寺だ。此の二家は二條家との繋がりも強い。

摂関家では九條がすっかり二條の御親兵と化している。一條も当主はまだ元服前であてにならぬ。鷹司は断絶状態なれば、近衛の立場は苦しいところにある。


此処は目の前の二人に大きな手柄を取らせて官位を上げさせたい。

二人も近衛と一蓮托生なのは理解しておろう。今川と近衛もだ。

「道中の無事を願っておる」

麿の言葉に二人が真剣な表情を浮かべて"はっ"と応じた。




永禄元年(1557)十一月上旬 伊豆国賀茂郡 伊豆諸島 伊豆大島 今川 氏真 




「此方が特産の椿油になりまする」

代官に任じている男が緊張した面持ちで器に入った油を差し出してくる。急な今川当主の来訪に戸惑っているのだろう。手が震えている。男の心情を思うと少し不憫に思えた。田舎の離れ小島で真面目に役人をしていたら急に首相の視察が決まって、しかも直ぐに来る事になったようなものだからな。


今は伊豆大島に来ている。里見水軍の拠点を叩いた後、熱海に一度寄航して駿河や遠江といった大型艦を置いて此の島まで視察に来た。伊豆諸島など中々視察に来れるものではない。半分思い付きの様なものであったが、一度見ておくのも悪くない。実際に来てみて良かったと思う。

「中々良い品ではないか。引き続き励むがよいぞ」

椿油に触れながら仕事振りを褒めてやると、代官の江川源四郎が緊張しつつも嬉しそうな表情で頷いた。此の源四郎は韮山に総家を持つ江川家に連なる者らしい。前世が静岡出身だから辛うじて知っているようなものだが、韮山で江川と言えば代官として有名だ。韮山に残っている反射炉を見学した時に江川という代官について知った記憶がある。


反射炉ということは諸に幕末だ。少なくとも黒船来航以降だと思うと、今は其の頃から三百年は前の時代になる。だが、江川は既に結構な旧家らしい。身分こそあまり高くないが歴史は相当な家なのだと思った。数百年も代官職にあるというのも凄いものだな。目の前に立つ源四郎は如何にも真面目な役人という印象を受ける。

「他にも特産はあるのか」

「はっ。塩が幾らかと薪や炭を本島に送っておりまする」

「ほぅ。塩作りとな。現場を見よう」

「は?あっ……ははっ!」

源四郎の顔には"御屋形様が現場を?"と書かれている。源四郎の後ろに控える小役人達も驚いている。

「せっかく大島まで来たのだ。現場を見ずしてどうする。案内せよ」

「はっ。只今!」


源四郎達の案内で塩作りをしている場所に辿り着くと、天秤棒を担いだ男達が大きな桶に海水を入れていた。

「権太夫。懐かしいな」

「はっ!仰せの通りにございまする」

笑みを含んだ声で権太夫が応える。里見水軍を撃滅した我が水軍も、初めは塩作りで体力をつけ、船を造るための銭を稼いだものだ。

「入浜ではなく揚浜で作っているのだな」

「あ、入浜にございまするか」

源四郎が戸惑ったような声を上げている。入浜式の事自体知らないのかもしれぬ。


「天秤棒を使って海水を運ぶのは難儀であろう。其処でな、駿河では干満の差を利用して塩を作っているのだ。権太夫、水軍で塩作りに詳しい者を何人か島に置いてくれるか」

「畏まってござる」

「源四郎。水軍の者がもっと効率の良い塩作りを教えてくれる筈だ。よく聞いて島の者に覚えさせよ。入浜式が出来れば作る量も増えよう。民の暮らしも豊かになる」

「励みまする」

源四郎が緊張した面持ちで大きく頷いた。後は薪と炭だったな。どちらも腐って減る様な物ではない。確実に銭を得たい島で作らせるには良い品だろう。炭は茶にも欠かせぬ。品質を良くするのは当たり前だが、大きさや長さを揃えさせるか。見た目も良くする事でブランドになる。朝廷に献上して箔をつけるか、今川御用達にするのも良いかも知れぬ。先ずは現場を視察しよう。源四郎は見るからに真面目な男だ。確と役をこなしそうだからな。良い炭手前には良い炭が必須よ。茶の湯の事を思い浮かべて口角が少し上がるのを感じた。


「源四郎」

必死に俺の下知を書き留めている源四郎へ声を掛ける。

「はっ」

額に汗をかきながら緊張した面持ちで源四郎が応じる。

「次は薪と炭を作る場所を見るぞ」

計画的に植林と間伐、伐採をして生産性と品質を上げさせねばならぬ。確と現場を見て下知をしよう。

「あ……はっ、ははっ。ご案内致しまする」

源四郎が驚いた様な、疲れた様な表情で頷いた。真面目な故にやる事の多さと求められる成果に緊張を感じているのかも知れぬ。


まぁ改善を命じているのは駿河や伊豆本島で実績のある策ばかりだ。

指示通りに作業や工程管理を行えば上手く行く筈だ。

だが鞭で叩いてばかりでは行かぬな。石高が上がったら禄で応えてやろう。民にも何か振る舞ってやるか。豊かになるといいな。数年後の大島が楽しみだ。

自然溢れる景色を眺めながら踏み込む脚に力が入った。




永禄元年(1557)十一月中旬 相模国鎌倉郡 鶴岡八幡宮 上杉勢本陣 佐竹 義昭




「小田原からの報せに寄れば、力攻めをしたものの城はびくともしなかったとの由。兵糧が心許なくなる中、長い陣で兵達も疲れており申す。此処は一度国元へ帰陣をお許し願いたい」

「常陸介様」

「お待ち下されっ」

儂が声を上げると、柿崎和泉守や斎藤下野守等、関東管領麾下の将達が声を上げて制してきた。


「小田原は堅牢な城なれば一度や二度の総攻めで落ちるとは思うておりませぬ。だからこそ八幡宮に本陣も置いているのでござる。此処はじっと腰を据えて事を進める事が肝要にござる」

「左様。この鎌倉の地に公方様もお迎え遊ばした上、関東管領に就かれた御屋形様がお見えになられる。今や鎌倉は基氏公以来の栄光を取り戻しているので御座る」

柿崎和泉守の言葉に直江大和守が続く。長尾、いや、上杉の家中とて苦しい状況は分かっているのだろう。だからこそ鎌倉公方などと過去の栄光と言った話を持ち出すのだ。


「御言葉ではあるが栄光では飯は食えぬ。兵や民が求めているのは確かな勝利と其の先にある安寧で御座る。其のような中で、総攻めをしても全く響かず、我等に兵糧を届けていた里見の水軍が壊滅したとあっては不安になるのも致し方無いというものに御座る」

「北條とて苦しい筈に御座る!此処で小田原を落とさば北條は終わる。関東に静謐がもたらされるので御座る。尊い戦の最中に佐竹は兵を引くと申されるか」

儂が吐き捨てる様に告げると、和泉守が顔を赤くして声を上げる。他の将は腹に一物を抱えている表情をしつつも黙っている。押し黙る関東諸将の表情を見て、和泉守も押せば何とかなると思うているのだろう。


「そうじゃ。常陸の懸念も分かるが、関東諸将が一つになっている時じゃ。引き続き励んでたもれ」

殺伐とした雰囲気を無視して、前の関東管領が声を上げる。相変わらず暢気な御方よ。無礼を承知で溜め息を付いた。

"常陸介殿"

"前の関東管領様に対して無礼で御座るぞ"

上杉家中が姦しい。


「国元から急ぎの報せが御座り申した。行商が兵糧を買い漁っているように御座る。只でさえ最近は荷の動きが細くなって値上がりの傾向にある。遠からず武蔵、此の相模でも兵糧が不足しましょう。此のままでは戦処では無くなり申す。此れは今川の策かも知れませぬ」

領国からの報せを本陣の皆に伝えると皆が騒がしくなった。

"何と"

"馬鹿な"

上杉家中が驚いた表情をしている。上杉家中だけではない。関東の各地より参陣している諸将も驚いている。国元が心配なのだろう。勝てるか分からぬ手伝い戦程無駄なものは無い。


「大和守」

関東管領殿が口を開いた。

「はっ」

大和守が恭しく応じる。関東管領殿の声に、諸将が不安を口にして騒がしくなっていた場が鎮まった。

「越後から兵糧は運べるか」

関東管領殿の言葉に諸将が期待の顔を浮かべている。

"おぉ"

"流石は関東管領様"

手元不如意な将達が喜色を浮かべて声を上げている。


「…やってみまする」

大和守が応じて頭を下げる。僅かではあったが逡巡したような反応であった。大和守は上杉が兵糧を持つことに反対なのかも知れぬ。何せ此度の兵力は十万を号しているのだ。いくら上杉が大大名と言えど大きな負担になる。其れにあと一ヵ月もすれば雪が越後から関東への道を塞ぐ。今から手配して運んでいては十分な量は確保出来ぬだろう。

いや、関東管領は雪が道を閉ざす事など見越しておるやも知れぬ。一、二ヶ月分なら上杉でも用意出来る。其れで面子を保てる。其のように思うて話されたのかも知れぬ。関東管領殿は寡黙で人となりが今一つ伺えぬが中々の策士だと思うた。




「善光寺平の戦では今川に痛い目にあわされた。今また儂の邪魔立てをしてくれている。今川は不倶戴天の敵だな」

関東管領殿が呟くように声を上げられた。

「余自ら北條を攻めし時も今川は共闘から一人先に離脱して迷惑を掛けられた。全く迷惑な存在よ。今川許すまじじゃ」

前の関東管領が続けて気勢を上げる。全く此の御仁は戦国の世を分かっておらぬ。皆が己の利の為に動いているのだ。今川は先の関東管領に与して北條と戦をするよりも、和した方が利は大きくなると思ったのだろう。如何に相手に利を供する事が出来るか、利が齎されると思わせる事が出来るかが肝要なのだ。

弾正少弼殿は此の事を悟っているからこそ兵糧を出そうとしているのではなかろうか。




何度目かになる溜め息を飲み込みながら、諸将の表情を伺っていた。



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