第百四十九話 三浦沖海戦




永禄元年(1557)十月下旬 相模国三浦郡 城ヶ島近郊 聯合艦隊旗艦 駿河艦橋 今川 氏真




“亥の方向、里見の水軍らしき艦隊を発見。距離、凡そ四十町っ!”

監視役の大きな声が聞こえると、艦橋に積まれている大太鼓が打ち鳴らされて臨戦態勢を整える様に伝えられる。旗振り役は艦隊の各艦に連絡をして大忙しだ。

「後ろを取りに来ましたな」

「此方の足が遅いのを見て廻り込んで後ろを取ったのだろう。ま、我が兵達は後ろを取られたところで動じる事も無ければ困るわけでもない。然したる意味はないな」

隣に立つ伊丹権太夫に応えると、俺の言葉に権太夫が豪快に笑った。


此の駿河は後続の遠江と対で作らせた超弩級戦艦だ。長さだけで三十間もある。赤鳥を大きく誂えた大きな帆が威風堂々としている。ただ、此の帆が風を拾っても五ノットを出すのが限界だ。風が無く、手漕きの艪だけの場合は三ノットしか出ない。小早は早ければ八ノット程度出る。やはり大きくても速度の出る南蛮船が欲しいな。それもキャラック船でなくガレオン船だ。澳門辺りには既にいるのだろうか。人を派遣して調べさせるのも必要かも知れぬ。前世で、此の時代は既に東南アジアの至る所に日本人町があったと書籍で読んだ事がある。犯罪をして逃れた者や、交易のために進んで出て行った者等が作った日本人町だ。悲しい事ではあるが、此れからは切支丹の連中が人買いをして運ぶ日本人も増えて来る。今の内に海外の様子を調べる事も考えてみるか。何れにしてもまずは南蛮船が欲しいな。アルメイダに図面の確保を依頼しているがどうなるか。落ち着いたら確認しよう。意外と其の内手に入るかもしれん。


「敵が仕掛けて来るなら望むところでございまする。応戦致しまする」

権太夫が水軍式の敬礼をしながら俺に許可を求めてくる。海の戦いを見るために出張ったのだ。里見の艦隊を遠目に眺めながら"全て任せる"と鷹揚に応えた。権太夫が大きく頷いて皆に檄を飛ばす。

「全艦応戦準備。面舵ぃ一杯っ!里見の艦隊に側面向けよっっ!」

「面舵ぃぃ一杯っっ!敵に側面向けぇっ!」

権太夫の下知を艦の者が繰り返す。後続の艦にも手旗で伝えられ、淀み無い艦隊運動が続く。


"敵艦隊との距離、凡そ二十五町っ!“

監視役からの張り上げた声が聞こえる。

「統制射撃を行う。距離二十町で撃ち方始め」

「統制射撃用意っ!距離二十町で撃ち方始めぇ!」

権太夫の下知が順次全艦に伝えられる。親衛隊の大筒部隊から抽出された者達が諸元の算定を急いでいる。大筒隊は岡部忠兵衛の下で長島の圧迫に精を出しているが、此れを率いている松井八郎に頼んで副隊長の功野主税助と何人かを派遣してもらった。其の部隊が南蛮法と呼んでいる方法で諸元を導くと、速やかに艦隊に伝達されていった。

統率の取れた行動を見ているのは心地が良いな。




“敵艦隊との距離、凡そ二十町っ!”

監視役が大きく声を上げると、権太夫が右手を振り下ろしながら“撃ち方始め”と言を放つ。

「撃ち方ぁぁ始めぇぇっ!」

"ドドォォン"

轟音と共に右舷の大筒が火を噴いた。強い風が通るような高い音が響いた後、遠くに水柱が立つ。

「弾ちぁぁーーくっ」

“駿河からの砲撃、敵艦隊奥に遠弾!遠江の砲撃は手前、近弾でありますっ!”

“よぅおおしっ!”

“すぐに修正じゃっ”

“次は当てるぞ”

監視役が一際大きな声を張り上げると、皆がどっと大きな声を上げた。

「いきなり夾叉か。やるではないか。主税助、大儀ぞっ!」

諸元を算定した親衛隊の主税助に向かって声を張ると、満更でもない表情と敬礼で応対してきた。あまり邪魔をしても行かぬ。"次を楽しみにしている"と伝えて仕事に戻れという仕草をすると、次弾の諸元算定に勤しんでいた。


「船に大筒というのも驚きますが、何よりも皆の練度の高さに驚きまする」

感嘆した声で隣に立つ武田甲斐守氏信が言を放った。氏信は俺が誘って参陣をさせている。形式的には三国同盟への援軍という体だ。尤も、五百の武田勢を迎えるために我が今川は二千の兵を巨摩郡に派遣している。今川としては出費が嵩んでいるが、氏信は甲斐を攻める時に大事な大義になる。此れは先行投資だ。其れに氏信には広い世界を見せてやりたい。大事な義弟なのだ。今川の軍事力を目の当たりにして感じる事も多いだろう。間違っても弓引こうとは思わなくなる筈だ。此の点では北條にも期待したいが、義父上殿は我が水軍を見てどう感じただろうか。戦が終わったら北條助五郎にそれとなく確認しなければならんな。


「甲斐も信濃も海は無いからな。此処迄の水軍が必要になる事は無いかもしれんが見分は多い方が良い。そう思って呼んだのだが、国の開発が何かと大変な中にあって良く来てくれたな」

「何を仰せになられますか。某こそ此の様な貴重な機会を与えて下さり、義兄上にお礼申し上げまする」

氏信が恐縮した様子で頭を下げて来る。中々愛い奴になって来た。氏信の肩に手を置いて馬鞭で艦隊や水軍の説明をしてやると目を輝かせながら頷いていた。


「次は当てたいですな」

氏信や幕僚たちと様子を眺めていると、権太夫が近づいて来た。引き続き主税助をはじめとした測量役が算盤を叩いて次弾の諸元を計算している。芝川と違って目標が小さい上動いているからな。中々に大変だろう。測量計算の姿は分度器に定規と、南蛮から仕入れた道具を用いて近代的な景色だ。後は望遠鏡があれば完璧なのだがな。まだ此の時代は無いのか?戦が終わったら此れも南蛮商人に聞いてみよう。


"敵艦隊との距離、凡そ十六町っ!"

「修正諸元出来ましたっ!」

測量役が走り書きした紙切れを主税助に渡している。渡された主税助が小さく頷くと権太夫の所にまで駆け寄って来た。権太夫が直ぐに確認しては諸元を用いた砲撃準備を指示され、皆が機敏に動く。


「撃ち方ぁ始めぇぇ!!」

“ドドォーーンッ!”

駿河の号砲を合図に各艦が続けて一斉に砲撃を行う。

今度は着弾して沈む敵艦が見えはじめた。里見の船団は纏まっているから狙いやすい。此の時代の大筒の砲撃はどうしてもムラが出るが、良い具合に命中している。砲弾の中に火薬が入っていないので当たっても爆ぜるわけでは無いが、小舟には耐えられない大きな穴が空いたのだろう。瞬く間に沈む船が幾つか見えた。

当たり処が悪かったのか船体が割れて直ぐに沈む船もある。


敵との距離が縮まるに連れて次弾装填が済み次第砲撃するようになった。命中弾がさらに増えて来る。其の内に里見の艦隊が陣形を崩しはじめた。


此れだけ大筒の数を揃えると威力も大きいな。

だが火薬の消費量が半端ない。此の海戦で在庫はまた減るだろう。麻機村や峰之澤で大増産は続けているが安定的に生産量が増えるまで一、二年は掛かる。関東での手伝い戦はあまり深追いしない方が良いな。斎藤や武田、長島の対応もある中、貴重な火薬を浪費したくない。暫くは内政開発の時間になりそうだ。


何だか燃料不足に悩まされる帝国海軍みたいだな。

戦果を拡張する味方を眺めながら悩みは尽きなかった。




永禄元年(1557)十月下旬 安房国安房郡豊浦町 岡本城近郊 聯合艦隊旗艦 駿河艦橋 伊丹 雅勝



黒々と煙が方々から立ち上っている。

此のまま行けば大きな大きな山火事になりそうだ。旗艦駿河の艦橋からは里見水軍が根城とする岡本城とその周辺が次々と火の手に落ちて行く景色が見えていた。菅ヶ谷村で採れる臭水は全くよく燃える。船内での取り扱いには随分と気を揉んだが、苦労して運んできた甲斐があったと感じた。

「此処まで破壊されては里見の水軍連中も驚くだろうな」

隣に立たれる御屋形様が火の手をご覧になりながら呟かれた。


「そうでしょうな。大方敵は久留里城方面に撤退しているのでしょうが、戻って来たらさぞ驚きましょうな。城の備蓄が無くなっているのではなく、城そのものが無くなっている訳ですからな」

儂の言葉に御屋形様が声を上げて笑われている。


上陸している先遣隊からの報告に寄れば、里見の兵は付近に見当たらないらしい。先の海戦で散々に叩いた里見水軍は、岡本城近郊の湊で船を乗り捨てて逃げるものと、海戦の場から房総半島の東側へ逃げる船団に分かれた。此の辺りに逃げ延びた者達は岡本城に籠るのかと思うたが、辺りを見回したところ全く敵兵の気配が無かった。此処から北東に十里以上離れたところにある里見の居城にでも逃げているのだろう。今回は岡本城を叩ければ十分だ。駿河と遠江の足が理由で遅々として此処に来る事となったが、返って事を成すには都合が良いように思えた。


「事が終わったかな」

御屋形様が此方に向かってくる小舟を眺められながら呟かれる。

「そうかも知れませぬな」

小舟には伝令役である事を示す白い腕章を身に着けた陸戦隊の兵が乗船していた。近くにまで辿り着くと、駿河の艦橋にまでやって来る。伝令役が水軍式の敬礼をしてくる。御屋形様とともに敬礼をして応えた。

「聯合艦隊特別陸戦隊を率いる、庵原美作守様からの伝言でありまする」

御屋形様の御顔を覗くと頷かれたので“申せ”と伝令に告げる。

「はっ。目標は概ね達成せり。日暮れ前に撤収すべく引き上げの許可を願いたしとの由にございまする」

「問題ありませぬな」

伝令の言葉を受けて、儂が御屋形様に向けて言葉を掛けると、御屋形様が頷かれながら“敵の伏兵が引き際を狙っているかも知れぬ。撤収はくれぐれも用心しながら行うように”と話された。御屋形様の御懸念は尤もだ。

「はっ。お伝えいたしまする」

伝令役が再び敬礼をして小舟に向かって行った。


「一部は裏側に逃がしましたが、里見の水軍のかなりを叩け申した。此れで関東管領は苦しくなりましょう」

「うむ。小田原を囲む軍勢と鶴岡八幡宮の辺りにいる軍勢は苦しくなろうな。だが、此れだけでは頑張る可能性がある。其処でな、今常陸の行方郡という場所で一つ策を打っている」

行方郡?確か鹿島神宮がある鹿島郡の西側にある場所であったか?儂ですら辛うじて知っている程度の場所だが何故そのような場所で策を打たれているのであろう。


「北條の風間出羽守に敵の背を脅かす策が無いか問うたのだ。出羽守からは里見を叩いて兵糧を心許なくしてくれるなら、兵糧で突くのが良いと話があった。行方郡は水運の要衝で何かと荷が動く場所らしい。此処で荒鷲を使って兵糧を買い占めさせる手筈を進めている」

「成程。常陸となると、参陣している佐竹あたりが騒ぐという訳ですな」

「其の通りだ。食うものが無くては精強と呼び声高い上杉の兵も戦えまい。ましてや参陣している関東の諸将に刺されてはなおの事な」

御屋形様が濛々と立ち上る火の手を遠目にご覧になりながら呟かれる。隣に立たれる甲斐守様が畏怖するような表情で御屋形様をご覧になられている。


「荒鷲は行商でも装って乗り込むのかと思われますが、買い付けた兵糧は如何なさるのでしょうや?流石に常陸にまで船は出せませぬぞ」

ふと思った疑問を投げかける。御屋形様が山火事のようになりつつある火の手を指さしながら“運べぬ時は悉く燃やしてしまうよう下知してある”と呟かれた。

「も、燃やす」

つい、驚いて声が出る。

「左様。常陸から米が無くなる事が肝要なのだ。無理をして運んで、賊に奪われでもしたら買い付けた意味が無い。燃やしてしまう方が得策よ」

御屋形様が火の手から視線を移して儂の顔をご覧になられる。微かに笑みを含んだ御顔をされているのが寧ろ恐さを際立たせている。やはり此の御方は並みの人では思いつかぬ事を成さる。


「出羽守も何とか人をくれて手伝えぬか考えると申していた。まぁ燃やさずに済めば良いが、目的を見失ってはならぬ。今回の目的は関東の連合軍を食うに困らせ兵を引かせる事だ。兵糧は失ってもまた作ればいい。銭とてそうだ。また稼げば良い。だが人はそうは行かぬ。人は簡単には作れぬからな。兵を失わずに敵を退けさせる事叶えば、北條も関東を取り戻すことが容易になろう。人は城、人は石垣よ。人を大事に出来ぬ軍に先は無い」

御屋形様が諭すように甲斐守様に向かって話されると、甲斐守様が“人は城、人は石垣……”と御屋形様の言葉を甲斐守様が反芻されていた。


「うむ。皆の働きで今回は兵を失わずに援軍が出来そうだ。余は何よりも嬉しいぞ」

御屋形様が艦橋にいる将達を眺めながらお話になられる。皆が嬉しそうに頷いた。


御屋形様の事を仏敵や第六天魔王、暴君だなどと蔑む者共がいる。何と愚かな者達であるか。我が主は誰よりも家中や民の事を思われている。

ふと、共に塩作りに励んだ頃を思い出した。水軍を立ち上げたばかりの頃だ。龍王丸さまは我等と共に汗を流して下さった。龍王丸さまは今や五カ国の太守で我等も関東では聞こえた里見水軍を完膚なきまでに叩ける水軍を手にしている。


此れ迄の十と数年、矢の如し早さであったが楽しき日々であった。

だが、此れからを思うとなお楽しくて仕方がならぬ。

粛々と引き上げて来る味方の上陸部隊を眺めながら心が躍った。



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