第百四十七話 天命




永禄元年(1557)十月上旬 山城国上京 内裏 清涼殿 二條 晴良




「話があると聞いた。何ぞ用かの」

清涼殿の昼御座に通されて主上をお待ち申し上げていると、暫くしてお見えになられた。表情に少しお疲れが見える。院の御隠れによって禁裏は何かと慌ただしい中にある。此のような最中に恐れ多いが、悠長にしていては近衛の、いや、此れは私怨ではない。畿内の安寧のためにやむを得ぬ事だ。


主上が脇息に持たれながら麿に近くへと寄るよう促される。ご指示に従って玉体の近くまで伺うと、"如何致した"と親しく御言葉をお掛け賜うた。

「伏見宮様より女王殿下の事で内々に相談を受けておじゃります」

「貞敦が?」

「はっ。畏こくも麿の義父に当たりまする」

「そうか。太閤の室は伏見の出であったな」

得心したといった表情で主上が頷かれている。

「其の縁で相談がおじゃったのであります。宮様は既に二人の女王を寺へと入れており、末の殿下まで髪を落とすのは忍びないと。何ぞ良い縁談は無いかと麿に相談を頂いておじゃります」

「そうか。だが女王の降嫁ともなると行き先が限られよう。公家に手頃な所はあるまい。大名は家格が合わぬ。面倒になるぞ」

憂いの表情で主上が言葉を放たれる。此の御顔は女王殿下の先を憂いてか、大名との面倒事を憂いてか……。不遜にも主上の内心を勘繰っていた。


「大樹の正室としては如何かと考えておじゃります」

「大樹に?」

主上が驚いた御顔をなさるが、忌避されているご様子は無い。ゆっくりと頷くと"悪くはないが費えは大事無いか"と仰せになられた。

「何とか致しまする。まずは御上のお考えを頂戴致したく、本日は伺ったまででおじゃりまする。問題無ければ諸々進めて参りまする」

「費えが心配無いなら寺に入れるよりは良かろう。後は貞敦が良いならだ」

「承知しておじゃりまする」

事の相談が済むと、幾らか雑談をしてから主上が奥へと下がれた。




先ずは上手くいった。

誰かに見られて入るわけでは無いが、不意に上がる口角を笏で隠す。

先程まで主上がお座り遊ばされていた玉座を眺めながら考えに耽る。伏見宮様には女王の降嫁先として草ヶ谷五位蔵人を推挙する予定だった。だが、五位蔵人の父が上洛して丁重に断ってきた。あの権右少弁を思い出すだけで怒りが込み上げてくる。田舎暮らしの貧乏貴族かと思うていたが、全く老獪な翁であった。


断られた宮様と言えば、今川が詫び料を随分と積んで来たため御気分を害される処かご満悦であられた。蔵人や其の父の権右少弁に至っては、此を機に宮様と近付こうとする節さえある。策を打たねば宮が今川の方へと取り込まれかねぬ。其処で浮かんだのが女王を大樹の正室に当てる策だ。幕府は最早麿の手の内にある。勧修寺も広橋も武家伝奏にあたる公家は麿の手足だ。女王を大樹の正室に迎えられれば二條は将軍家と縁戚にもなる。近衛が何かと将軍家に近かったが、此れを機に離間してくれる。


将軍家ならば女王が降嫁する家格として不足無い。懸念は費えであったが、今川からの援助が此を解決している。今川からの銭を使わねばならぬというのが腹立たしいが、考え方を変えれば"伏見宮へ近付こうと今川が積んだ銭"を寧ろ"今川と伏見宮は疎遠に"、そして"近衛と将軍家をも疎遠に"させるために使うと思うと面白い。自然に笑みが浮かんで溜飲が下がった。


事を進めるのに障害は二つだ。宮様の承知と大樹の承知が得られるか。どちらも外堀を埋めて行けば何とかなるだろう。其のために頂いた叡慮だ。大樹の生母は近衛の出身だが、主上の叡慮と今川の幕府を粗末に扱う姿勢を訴えれば首を縦に振る筈だ。慶寿院が落ちれば大樹も落ちる。大樹が承服すれば宮様も反対はしまい。女王が尼にならずに済むのだ。


関東では長尾が北條を小田原に押し込んで破竹の勢いらしい。間も無弾正少弼が上杉家の養子となって関東管領に就任する手筈だ。弾正は幕府への忠義に厚い。だからこそ麿も弾正を関東管領にすべく色々と骨を折ったのだ。


畿内の三好、坂東の上杉で海道の今川を囲う。後は中国の尼子に九州の大友を加えれば日の本の大半を押さえる事になる。尼子も大友も今少し大きゅうなり、益々幕府に忠節を尽くすなら其々を西国探題、九州探題にしても良いな。本来こうした事は大樹なり幕臣が考えねばならぬのだが皆あるのは気位ばかりで頼りにならぬ。


まぁ良い 。気位の高い者は返って扱い安い。適当に官位なり役を与えて転がせば良い。公武共々取りまとめて日の本に安寧を取り戻す。


麿にしか出来ぬ。

此れは麿に与えられた天命なのだ。




永禄元年(1557)十月中旬 駿河国安倍郡府中 今川館 由比 静




「待たせたな」

御屋形様が現れ、声を上げながら部屋にお入りになる。

「御出なさいませ」

春姫さまが指を揃えてご挨拶をなさった。私も揃えて頭を下げる。

「うむ」

御屋形様が返事をされながら座られた後、お召し物の狩衣を気にされている。少し皺があるとは思うが何か気になるのだろうか。春姫さまが御屋形様の動きを気にされている。代わりに伺って見よう。

「如何されました」

「麻機村に行っていたのだが予定よりも時間が掛かってな。春との時間を減らす訳には行かぬ。着替えはやめて其のまま来たのだ」

「まぁ。だからお召し物を気にされていたのですね」

私の言葉に御屋形様が頷かれる。其れを見た春姫さまが頬を朱くして俯かれた。

御屋形様が政務に御熱心なのは今に始まった事ではない。特に最近は戦続きだったため公事方の裁定や領内の視察に力を入れられている。


「春との時間にあまり遅れては静が恐い顔をするからな」

「まぁ酷い言われ様でございますこと」

私が大袈裟に膨れた顔をすると、御屋形様が笑みを浮かべられた。私達のやり取りを見て春姫さまが笑みを浮かべられる。

「ただ遅れた訳では無いぞ。此れを作っていたのだ」

御屋形様が襷掛けしてお持ちの風呂敷を軽く叩いて言葉を放たれる。御屋形様が続けて荷解きをされると、風呂敷から竹皮で包まれた物を取り出された。竹皮を剝ぐと、其処には羊羹が入っていた。


「御屋形様が此れを?」

「そうだ。皆で食しようと思うてな。早駆けで来たから余り量は持ってこれなんだが、余と春、其れに静の分としては十分だろう」

御屋形様の言葉に春姫さまが笑みを浮かべて喜ばれる。

「人を呼びまするか?」

「無用だ。菓子切りも持ってきた。黒文字もある」

御屋形様が言葉と同時に胸元から菓子切りをお出しになって羊羹をお切りになる。続けて懐紙と黒文字も出て来た。取り分けた羊羹を春姫さまと私に下さる。相変わらず所作に無駄が無い。


「どうした」

春さまの手が進まない事を見て御屋形様が声を掛けられる。

「食するのが勿体のうて困ります」

「気に入ったらまた作ってやろう。だから気にせず食すが良い」

「ありがとうございます」

御屋形様の言葉を受けて春さまがようやく手を進められた。

“美味しゅうございます”

春さまの言葉に御屋形様が笑みを浮かべて応じられる。確かに絶妙な甘さ加減と口当たりの良さを感じる羊羹だ。


「……尤も、次に作るのは少し先になるだろう」

不意に掛けられた言葉に思わず御屋形様の御顔を覗くと、御屋形様は庭先をご覧になられていた。其の視線はどこか遠くを見ている様な気がした。

「どういう意味でございますか」

春姫さまが問われると、御屋形様が此方に顔を向けられた。其のお顔には既に笑みは無く君主の御顔だった。


「水軍を率いて関東へ出陣してくる」

「御出陣を」

春姫さまが驚きながら呟かれる。関東への出陣の可能性は小耳にはさんではいたが、御屋形様が春姫さまに表の話をされるとは珍しい。

「北條様の援軍でございまするか」

「である。関東管領と長尾が率いる軍勢に小田原がいよいよ囲まれた。本隊は鶴岡八幡宮にいるらしい。小田原に八万、八幡宮に二万、合わせて十万もの大軍らしい」

「十万」

春姫さまが驚かれるように呟く。聞いた事もない大軍だ。


「案ずるな。十万ともなると途方もない兵糧が必要になる。里見の水軍が懸命に運んでいる様だが、此れを叩きに行って来る。其れに小田原は堅城だ。北條方の兵糧は助五郎がたんまりと積み込んだ。簡単には落ちぬ」

御屋形様が決まった事の様に話される。昔から頼りがいのある方だったが、当主なられてから一層強まった。

「ご無事を……、ご無事を祈っております」

春姫さまが平伏するように頭を下げて言葉を紡がれる。御屋形様が春姫さまの肩に手を当てられながら今一度“案ずるな”と仰せになられた。


「静、春を頼んだぞ」

「畏まりました。ご武運を祈っておりまする」

「うむ。まだ暫し刻がある。続きを食そう」

御屋形様の言葉で羊羹の残りを食べ始める。

穏やかな一時だった。




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