第百四十四話 和睦




弘治三年(1557)九月上旬 山城国上京 近衛邸 草ヶ谷 之長




「ほほほっ。参議の妹を其方が娶るか。実に妙案じゃ。我が義弟はすべき事をよく心得ておじゃる」

今川参議様からの文を読んでいると、関白殿下からの使者が現れて急ぎ屋敷に来るよう呼び出しを受けた。文の内容に驚く暇もなく近衛邸に向かうと、御機嫌麗しい殿下がいらっしゃった。会うた時からこの調子だ。

「参議の回答を聞いた時の二條太閤の顔を想像するだけで、わ、笑いが堪えられぬ。ほっ、ほほほっ」

「しかし、宮様への説明は何とかなりましょうや」

「案じなくても良いでおじゃる。参議の妹を娶るとあらば断わるには十分な理由じゃ。其れに詫び料を積むとおじゃる。宮様も御気分を害されずにご納得されよう」

関白殿下が笑いながら“大事無い”と仰せになる。


……しかし、まさか嶺姫様を娶る事になるとは。今までも公家や商家からの縁談が無いわけでは無かったが役目に忙しく適当に断っていた。思えば麿も二十八になる。そろそろとは思うがまさか嶺姫とは……。

参議様の元服と婚儀の席で見た嶺姫様を思い出す。参議様によく似て顔立ちは美しく、また凛とした御方だ。武田では不遇の時を過ごされている。麿が労ると言うのは烏滸がましいかもしれぬが、気遣いは必要だな。さて、如何するか。


「顔が曇っておじゃるぞ。如何した」

「いえ、姫様に何を贈るべきか思案しておじゃりました」

「ほほほ。案外に気乗りではおじゃらぬか。そうじゃな反物が無難とは思うが女子の心は難しゅうおじゃるからの」

殿下が意地悪いお顔をしながら麿の顔を覗いて来る。

「貴人に贈り物をするのは慣れておじゃりますが、自分の妻に迎える人にとなると困りまする」

「ほほほ。蔵人にも其のようなところがあるとは面白いものを見た」

「誠に困っておじゃるのです」

終始笑うておられる関白殿下に誠に困ったと訴えると、幾らか同情の御顔を浮かべた後、策をお考え下さる表情を浮かべられた。


「ふむ。ならば姉上にでも聞いてみようかの。何ぞ知恵を授かれるかもしれぬ」

「姉君様に?」

「そうじゃ」

関白殿下には歳の近い姉君様がお見えになる。確かに参考となるやも知れぬが急が過ぎる。此処は改めるとしよう。

「有り難き儀にございまするが、今お声を掛けては些か急が過ぎまする。またご都合の宜しい時に麿が伺いまする」

「ほほほ。そうじゃな。姉上には其の方が来る事を伝えておこう。その気遣いが出来るのじゃ。ま、此度の縁組に心配は無かろう」


関白殿下がまた勺を口に当てて笑みを浮かべになる。

麿はこの先を思うと苦笑いしか出てこない。


何から手を付けたら良いか。頭を悩ます日々が続きそうだ。




弘治三年(1557)九月中旬 近江国蒲生郡 観音寺城 松永 久秀




「三好家家臣、松永弾正忠久秀にございまする」

「六角左京大夫じゃ。此方に同席させたのは息子の亀寿丸じゃ。元服前ではあるが、三好家の家宰と面識を得る良い機会と思うて同席させた」

「亀寿丸にござる」

左京大夫様が嫡男の亀寿丸様を紹介されると、呼ばれた亀寿丸様が儂に向かって名乗られた。言葉は丁重に聞こえるが、顎を上げ居丈高な態度だ。草の調べと一致している。報告の内容は"六角の嫡男は名門意識高し"だった。


「二條太閤殿下と政所の伊勢守殿から文を受けている。粗方予想は付くが来訪の要件を聞くとしよう」

「はっ。我が主筑前守は六角家との和睦を願っておりまする」

「ふむ。太閤殿下からは三好と我が六角の和睦がなれば亀寿丸に官位を、伊勢守殿からは儂を管領代にとあった。中々に擽られる内容よ」

「名門六角家に相応しい内容かと存じまする」

儂が迎合して持ち上げる反応をすると、亀寿丸様が大きく頷いた。差し詰め己に相応しいと思うておられるのだろうか。其の一方で、左京大夫様は声を上げて一頻り笑った後、"三好の差し金か?"と言葉を放たれる。其の御顔はもはや笑っていない。


「六角と和睦したいと思う心に曇りはありませぬが、誰が絵を書いたかと申さば三好ではござりませぬ。禁裏と室町にございまする」

此処で腹の内を隠すのは愚策だ。本音を交えて言を放つ。

「ふむ。嘘は付いてなさそうじゃの。大方、畠山と対峙するには此の和睦は利があると思うたのじゃろう」

左京大夫様が冷静な表情で問いかけて来る。流石は三好を何度も苦しめて来た御仁だ。

「六角様に置かれても北を……江北を固める良い機会になろうかと存じまする」

草の調べによれば、六角は浅井の仕置きに苦労している。調べている事を晒す事になるが、牽制しつつ探りを入れた。亀寿丸様の顔が不快感を示している。分かりやすい御方だ。

「浅井の事を申しておるか。そうじゃの。洛中方面が落ち着くなら其れも良いかもしれぬ」

左京大夫様が表情を変えずに淡々と応えて来る。


互いにじっと顔を見合う一時があった後、左京大夫様がおもむろに姿勢を正され“弾正忠殿”と声が掛けられる。

「ははっ」

「我が六角は此の和睦に異議は無い。筑前守殿によろしく伝えてくれ」

「祝着至極に存じまする」

平伏をして応えると、“斎藤が上洛を考えている”と言葉が掛けられた。中々に関心を覚える内容であるが、直ぐに反応をしてはみっともない。ゆっくりと面を上げ応じた。

「美濃の齋藤家が?」

「如何にも。領国通過の願いに関する文があった」

「父上」

「良い。三好とは此れから手を携えていく仲じゃ。態々此処に来た弾正忠殿に手土産の一つでも持たせてやろう」

亀寿丸殿が不満気な表情を浮かべながら黙った。考えている事が顔に出やすい上に結構な短気の様だ。一方で左京大夫様には老獪さがあった。


「斎藤が上洛すれば禁裏や幕府を訪れる事になろう。今川に対する盟約を結ぶ事になるかもしれぬ」

対今川か。確かにあり得る。今川が尾張を着々と侵食しているのは商家伝手に聞いている。堺の商家どもは“何時参議様が尾張をお治めになられるか”等と好意的ですらあった。幕府は今川をあまりよく思っていない。今川を押さえようとしても不思議ではない。

「北畠家は今川と親密なれば、尾張を押さえた今川がどう出るか。此れはお互い気になるところですな」

「左様。北畠の権中納言殿は我が妹を室に迎えている。血のつながりはあるが、今川の尾張攻めでは北畠が兵を北伊勢へ向かわせている。盟約を結んでいるかの如きじゃ。気掛かりであるのは確かじゃの」

「大和と伊勢は隣国なれば、当方も伊勢の動きには今まで以上に注視しておきましょう。何卒、以後は昵懇に願いまする」

儂の言葉に、左京大夫様が笑みを浮かべながら鷹揚に頷いた。




弘治三年(1557)九月下旬 山城国上京 室町御所 伊勢 貞孝




「三好筑前守長慶」

「ははっ」

「今少し前へ」

「はっ」

重臣の大館左衛門佐が名を呼ぶと、筑前守殿が腹の奥から出したような深い声で応じた。左衛門佐の表情からは、腹にある一物を懸命に抑えようとしているのが読み取れる。左衛門佐は反三好派の急先鋒だ。今回は二條太閤殿下の意向を受けた上様の説得に応じて従っている。反三好と言われてきた左衛門佐が祝詞を述べるには意味がある。


“筑前”

「ははっ」

筑前守殿が上様がおはす上段の間に近づくと、御簾の向こうから上様のお声が聞こえた。筑前守殿が応じられる。先程とは違う声色だ。積年の思いが詰まっているのだろう。何とも言えぬ反応に感じられた。


「大義ぞ」

「有り難き御言葉にございまするっ!」

短く呟く様に言を放った上様に対して、筑前守殿が力強く大きな声で応える。上様も愚かな……。此の場で斯様な態度を御取りになられては三好の勢威に敗けたと言う様なもの。朽木谷に幾度落ちても此の御方は学ばれておらぬ様だ。

「左衛門佐」

「は、ははっ」

上様が"後は任せた"とばかりに左衛門佐を呼ぶと、左衛門佐が顰めた表情を浮かべながら、三方に置かれた証書を手に取った。

「三好筑前守。幕府への奉公、特に其処元の畿内安寧に向けた努力誠に大義である。ついては、此処に其の忠節を認め、御供衆改め相伴衆に任じる」


幕府内で議論のあった文書を左衛門佐が読む。三好の行いを幕府の為だったとして認めるか、単に畿内安寧を労うものとするかという議論だ。幕臣の中で意見が分かれて随分と揉めた表現だ。三好の此れまでの所業を幕府の為と認めれば、今までを水に流すばかりか褒める事となる。片や幕府の為で無かったとすれば、幕府が無くとも畿内の安寧が図られているように聞こえてしまう。結論が出ない中、状況を聞かれた二條太閤が"三好を認める事致し方無し"と介入をされた。二條太閤に押されて上様が寛恕のお気持ちを溢された。幕臣達が総じて苦々しい表情をしているのは葛藤があることも影響しているのだろう。


ま、儂としては此の場が三好の勢威を認める場になる都合が良い。今や洛中の安寧は三好無くして成り立たぬ。三好を背にして事を進める方が儀が滞りなく進むだろう。であれば……。

「上様」

「何用じゃ」

儂の問い掛けに上様が顔を向けられる。


「公家も商家も民も、筑前守殿が洛中にもたらした安寧を評しておりまする。此処は今一度上様から筑前守殿に労いの御言葉を掛けられるが宜しいかと存じまする」

"伊勢守殿!"

"政所様っ!"

他の幕臣どもが吠えている。相も変わらず騒がしい者達よ。


「控えよ」

"う、上様"

"なれど"

「伊勢」

「はっ」

上様に呼び掛けられる。御尊顔を覗くと、静かな怒りが伝わってくるお顔をされていた。“御主はどちらの味方か”とでも問いたいように見えた。


「筑前」

「ははぁっ!」

上様に呼ばれて筑前守殿が仰々しく応える。

「此れからも其の方の働きに期待している」

「有り難き御言葉、恐悦至極にございまするっ!」

筑前守殿が頭を下げると、上様がお立ちになって奥へと下がられる。儂も付いていくとしようか。席を立とうとすると、面を上げようとする筑前守殿と目があった。筑前守殿が小さく頷いている。満足のいく会見となったようだ。儂も微かに頷き返して奥へと下がる廊下へ出る。




儂としても何かと得るものは多かった会談となった。三好の勢威を利用して幕政を進める良い機会となろう。

鎌倉の御代も将軍に力など無かった。だが、秩序ある形が保たれたのは執権という力を持つ存在があったからだ。今は執権の変わりが三好というだけだ。

事の大事は、幕府の形を確固たるものとして民に安寧をもたらす事だ。



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