第百四十二話 御家騒動




弘治三年(1557)八月下旬 尾張国春日井郡清洲村 清洲城 佐久間 信盛




「此処は奇妙丸様を跡目にして皆でお支えするしかあるまい」

「奇妙丸様はまだ産まれたばかりぞ。家中が纏まるとは思えぬ」

「権六様の仰せの通りにござる」

林佐渡守が言葉を発すると、柴田権六が大きな声を上げて否定した。権六の言に味方するように佐々内蔵助が声を上げる。

「ならば権六は何方様が相応しいと考えているのじゃ」

佐渡守が訝しむような顔を浮かべて問い返す。


「やはり此処は三郎五郎様に継いで頂くしか御座らぬ。三郎五郎様なら戦場での経験豊富なれば共に戦場に立つ我等としても不安御座らぬ」

「権六の申す事は如何にも其の通りじゃ。なれど三郎五郎様は一度」

「御家に背いたのは佐渡守殿とて同じに御座る」

佐渡守が苦言を呈しようとすると、その言を遮るように森三左衛門が声を上げた。

「三左衛門!如何に其方とは言え此れは聞き捨てならぬぞ」

三左衛門の言に佐渡守がいよいよ顔を赤くして応えている。

「某は事実を申した迄に御座る」

「何をっ!」

侃々諤々と意見を交わしているが、あくまでも血筋を大事にする佐渡守達と、今川との戦を前に現実的な考えをしている権六達の意見に大別されている。話をややこしくしているのは桶狭間や長篠の戦に出ていない内務方が奇妙丸様を推し、戦方の権六等が三郎五郎様を推しているからだ。


「先程から右衛門尉殿に発言がありませぬが、右衛門尉殿は如何お考えでござるか」

「そうじゃ。右衛門尉殿のお考えをお聞きしたい」

前田又左衛門が儂の顔を覗いて言を放つと、内蔵助や蜂屋兵庫頭等が続いた。戦に出た者の意見を求めているのだろう。それに儂は家中の筆頭だ。割れる意見を纏めてほしいと思うているのだろう。

「跡目は奇妙丸様としつつ、後見役として三郎五郎様を立てる。三郎五郎様の後見は奇妙丸様が元服をするまでじゃ。此れしか無かろう」

儂が意見を申すと、佐渡守が"成る程の"と言い、権六が"ふむ"と言って半ば同意の表情を作った。他の者達からも異を唱える声が出ない。此れなら儂の意見で纏まるなと思うていると、簗田出羽守が広間に現れて側まで足早に寄ってくる。何ぞ起きたかと皆が出羽守の顔を覗いている。


「如何致した」

儂が出羽に話し掛けると、出羽が一息吐いてから腹に力の入った声で"犬山城の下野様御謀反っ!"と声を上げた。

“何だと?”

“この様な時に!”

“この様な時なればこそじゃっ”

皆が色めきだって非難をしている。

「美濃じゃ!そうで御座らぬか!?出羽殿っ!」

「兵庫頭殿が申された通りじゃ。下野様の背後には美濃の齋藤がおるようでござる」

「となると殿へ刺客を遣わしたのもやはり美濃か」

「佐渡守殿、それは分かりませぬ。宿の者に聞く所に寄れば、殿を撃った者どもは確かに美濃の言葉を使っていた様に御座る。なれど其れだけで齋藤の手の者とするのは早計に御座る。今川が美濃の者を雇って遣わした可能性も御座る」

「津島や熱田の手という事も捨てきれぬ」

出羽が冷静に応えると、権六が商家の可能性を告げる。答えの出ぬ問いに皆が苛立ちを見せる。殿の存在は大きいと思うてはいたが、此処まで家中が纏まりを無くすとは思いもよらなんだ。


「殿の御遺体の傷みが激しい。葬儀も早く行わなければならぬ」

「佐渡守様。下野様、いや、織田下野の対応をどうするかが先に御座らぬか」

「又左、気持ちは分かるが織田家中が一枚岩だということを見せねばならぬ。殿の葬儀も大事よ」

「しかし!下野の謀反は二度目に御座りますぞ。殿の恩情を受けておきながら殿が亡くなるとすぐに謀反とは。許せませぬっ!」

「又左、控えよ。其の方の気持ちは分かるが佐渡守殿の言い分も分かる」

「権六様!」

権六が内蔵助に目をくれると、意を察した内蔵助が又左衛門を宥めている。


「中途半端な対応は為にならぬ。此処は全軍で下野様を叩くとしよう。佐渡守は我等が出陣中に跡目の手続きと葬儀の準備をして欲しい」

儂の言葉に佐渡守が"承ってござる"と応じる。権六に目線をくれると、大きく頷いた。承知したという事だ。

「今川は如何致しまするか」

簗田出羽守が苦しそうな声で尋ねて来る。

「上洛中の村井吉兵衛と丹羽五郎左に期待したいところじゃが難しかろう。只でさえ難しい任じゃ。出羽の方で今川と繋ぎを得られるか」

「やってみまする」

「うむ。今川が織田をどの様に考えているか探ってくれ」

「御意」

「よし。其れでは馬廻衆は直ちに出陣、その他の者は兵を集めて此の城に集合じゃ。牛の刻に立つ事とする」

「「おぅ」」

皆が少し戸惑った顔を浮かべながら応じた。

上総介様という大きな柱を失った家中は、謀反人という存在を前に辛うじて纏まっている。


……此のままでは早晩弾正忠家は崩れる。

筆頭家老の儂ですら不安を覚えるのだ。他の者達の不安たるや察するに余りある。

場合に寄っては今川へ降る事も考えねばならぬやも知れぬ。

齋藤か北畠か。間違っても斯波や他の織田ではあるまい。

この中ならやはり今川か……。

戦の間に権六らの意を探ってみよう。




弘治三年(1557)八月下旬 近江国高島郡朽木谷 朽木城 三淵 晴英




「面を上げよ」

上様に代わって言を放つと、中年の男と若い男が揃って頭を上げた。動きに粗さがある。やはり田舎者が来たのだと思うた。其れに相手は守護どころか守護代ですらない者の、そのまた家臣なのだ。本来なら上様がお会いになられるような者どもでは無い。伊勢伊勢守殿の取り次ぎ書が無ければ御目見えは叶わなかっただろう。

「此方におはすは公方様である。公方様より予め許しを頂戴しているゆえ、名乗られるがよい」

「ははっ。お許しを得て名乗りまする。織田上総介が家臣、村井吉兵衛貞勝に御座りまする」

「同じく丹羽五郎左長秀に御座りまする」

「遠路遥々よう参った。上様に代わって其方らの労を労うとしよう」

再び上様に変わって声を上げると、二人が深々と頭を下げた。動きが固いのは上様を前にしての緊張か、伊勢守殿からの文に書いてあった幕府への願いの沙汰がどうなるかを気にしてか。……両方であろうな。


「要件は伊勢守殿からの文にて把握している」

二人に向かって儂が続けて話す。上様が御言葉を話すには相手の身分が低すぎる。致し方ない事ではあるが、今日は儂の出番が多くて疲れると思うた。

「……はっ」

織田からの使者二人が変わらず緊張した面持ちで応じた。儂の顔をじっと伺っている。少しだけ腹に力を込めて声を出す。

「今川と織田の和睦願いであるが、幕府は先代の今川家当主を尾張守護に任じている。今川が尾張を治めるに理はあるのだ。だが、其の方達が相次ぐ戦に苦しむ民のために幕府による和睦の斡旋を願う気持ちも分からぬでもない。其れに公方様からは遠路幕府を頼みに参った其の方らの心情を思えば、骨をおってやりたいとの御言葉を頂戴している」

「おぉ」

「それは」

織田の使者二人が声を明るくして此方を見てくる。伊勢守殿の文に寄れば、此の使者達は五百貫もの貢物を持って来たらしい。此れだけの貢物を得て何もしない訳にはいかぬ。何しろ後数日もすれば、我等は此の谷を後にして室町に戻る。洛中に戻ってからは何かと入り用の筈だ。銭はいくらあっても足りぬ。

「上様に置かれては、今川と織田の和議を促す文をお書き下される。また、幕府としても織田と今川の和議がなるよう朝廷への取次を行おう。武家伝奏へ儀を依頼しておく」

「「あ、有難き幸せにございまする」」

幕府の回答を告げると、織田の使者二人が嬉しそうな表情を浮かべて頭を下げた。

平伏する二人を前にして上様が下がられる。上様に幕臣が続いていく。

此の広間での謁見も此れが最後になろう。今後は室町で行う事になる。窮屈な朽木での生活が終わるかと思うと、晴れやかな気になった。




弘治三年(1557)八月下旬 駿河国安倍郡府中 今川館 今川 嶺




日が暮れそうな刻限となった頃、目通りが許され部屋に通された。部屋で待っていると聞き慣れた足音が近づいて来る。すぐ後ろに控えている妹と共に頭を下げていると、此の部屋に入られた後、上段の席に腰を落とされた気配がした。

「待たせたな」

兄上の、いや、今川当主殿と言った方が良いのだろうか。低いがよく通る声が掛けられる。

「此の度は三河での大勝利、おめでとうございます」

「おめでとうございます」

私が三河であった大戦の勝利を言祝ぐと、"斯様に畏まらなくて良い。面も上げよ"と声が掛けられた。ゆっくりと面を上げると、よく見知った兄上の顔があった。


「どうした」

兄上に声を掛けられるまで暫く呆然と兄上の御顔を眺めていた。ふと、帰って来たのだと思うた。

「いえ、失礼いたしました。何でもありませぬ」

「此度は大変であった。何と声を掛けて良いか言葉が見つからぬ」

兄上が息を吐きながら視線を私から外す。私に気を遣って下さるのだと思うた。

「お気遣いありがとうございまする」

声が思わず噎せると、隆が私の背に優しく手を掛けて来た。改めて“家”に戻って来たのだと思うた。

短い間に様々な事が起きた。頭の中に絵となって過る。目に雫が溜まるが、泣くのは本意ではない。唇を引き締めて、伏せそうになる顔を上に向け、兄上の顔を覗いた。


思わず息を呑んだ。

視線の先には先程あった優しい兄上ではなく、“当主”としての御顔があった。

「嶺にはどうしてもらうのが良いかと思案していた」

低いがはっきりとした声が掛けられる。

「はい」

何となく覚悟をした方が良いような気がした。


「嶺には京の御祖母様の下に行ってもらおうと思う」

「……御祖母様のところに?」

そう言えば御祖母は兄上の差配によって京に行かれたと聞いた。京の御祖母様と文を交わした事もある。思うたよりもお元気そうで安堵したものだ。

「そうだ」

兄上の御顔が、既に決まった事だと訴えている。私の事を気遣っての措置かも知れぬ。“承知しました”と気丈に応じた。

「京での暮らしについては草ヶ谷蔵人が差配する。何か希望があれば予め伝えておくと良い」

蔵人……。兄上腹心の男だ。何かと細かな気配りをする者だったと記憶している。確か私が武田に輿入れする時にも上方の珍しい品をくれた事を覚えている。

「委細承知してございまする」

「此れは先々の話となろうが、嶺には蔵人に嫁いでもらおうと考えている」

「!」

「少々事情があってな。だが蔵人は悪い男ではない。それに公家ならば武家とは違う苦労こそあるものの泣き別れる事もなかろう」

「その、何と申したよいか」

驚きのあまり何から話したものかと思うていると、“失礼致しまする”という声がした。上段の間に続く障子の先に人影が見えた。


「伊豆介か。今は家の大事を話している。急ぎか」

“申し訳御座りませぬ。なれど急ぎ御耳に入れたい事が出来してございまする”

「であるか。……相分かった。執務室へ向かう故伊豆介は付いて来い。嶺、詳しい事はまた話すとしよう。隆、嶺を頼む」

「あ、兄上」

「案ずるな。悪い様にはならぬし、せぬ積もりだ」

考えの追い付かないまま兄上が立ち上がって奥へと下がられる。


「姉上」

優しい言葉と共に、再び手が掛けられる。振り向くと私を心から心配する様な表情の妹がいた。

妹が私の手を取って握ってくる。

その手を握り返すと心が落ち着いた。




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