第百二十五話 千客万来





弘治三年(1557)八月上旬 遠江国敷知郡濱松 曳馬城 鳥屋尾 満栄




「間も無く主が見えまする」

飯尾豊前守殿が現れて今川参議様の来訪を告げる。先程まで豊前守殿は儂に菓子と茶を出して歓待をしてくれていたが、先触れが訪れた事で内容を聞くべく席を外していた。豊前守殿が席を外されている間に用を済ませて着衣の乱れが無いかを確認してはあったが、参議様に無礼があっては行かぬ。改めて身形を整えていると、大きな足音が幾つも近づいて来た。平伏してお迎えする。


「石見守、待たせたな。面を上げよ」

許しを得て面を上げると、狩衣に身を纏い、扇子で風を起こされている参議様がおられた。親し気な御顔が嬉しく感じる。随分と汗を掛かれているな。参議様と共に広間へ見えた重臣の方々も汗まみれだ。

「湊から馬を駆けてそのまま来たのだ。水浴び位はと思うたが北畠家からの大事な客人を待たせる訳には行かぬ。それに当家は戦の最中なれば汗くらいは許してくれ」

常には冷静に、公家の様な佇まいの参議様だが、今のお姿は狩衣を纏って隠せぬ気品こそお有だが、御顔と覇気は武人そのものだ。此度の参議様は全く武の御人であったとでも御所様に報せよう。大層お慶びになるに違いない。

「某を気遣っての事なれば、許す等滅相もありませぬ。寧ろ某の方こそ礼を述べなければなりませぬ」

儂が慌てて頭をさらに深く下げると、参議様が"そう固くなるな。用向きを聞こう"と明るい声で仰せになった。

「はっ。今川様に置かれましては甲斐との戦に大勝利との由、北畠家を代してお慶び申し上げまする。細やかではありまするが、戦勝を祝う品をお届け致しました。御笑納頂ければ有り難く存じまする」

「うむ。北畠権中納言殿の心配り、この参議痛み入る。権中納言殿にはくれぐれも宜しく伝えられよ」

「御意にございまする」

参議様が笑みを浮かべて応じられた。今川は甲斐方面を片付けたとは言え三河で苦境にある。何かと悩み多き筈だが、参議様のご機嫌は麗しい様に見える。


「権中納言殿には北畠の北伊勢出兵、余が喜んでいたとも伝えてくれ」

戦勝の祝とは別にお聞きしたかった用件を、参議様の方から切り出された。

「必ずや伝えまする。その件については、兵糧の都合を頂けるとの由、主に代わってお礼申し上げまする」

「うむ。兵糧は既に余の水軍に手配させている。直ぐに届くだろう」

「もう御手配を?」

「で、ある。まぁそう案ずるでない。いきなり余の水軍が大湊に押し寄せる事はない。先触れの船が行く筈だ」

儂の驚きが顔に出ていたのだろう。参議様が扇子で顔を隠されながらお笑いになった。参議様の動きの速さには相変わらず驚かされる。御所様に今川の使者が訪れ、北伊勢への出兵の応諾をしたのはつい先日だ。儂は御所様からその後に呼び出され、使者として今川へ赴いて武田戦の祝をするとともに、今川様のお考えを今少し探る様に命を受けてきた。この対応は……まるで己の心の内を読まれている、いや手の上で転がされている様にさえ思える。


「余は此れより徹底的に熱田と津島を成敗する。海を制してな。余には小田原の北條に遣わしている水軍もある。此れから尾張に差し向ける船で足らねば、東にまわしている船を駆り出してでも熱田と津島の息の根を止めてくれる。織田は大層弱ろうな。だが弱るのは織田だけでは無いぞ。伊勢長島の坊主も困るだろう。三河で余に刃向ける一向衆の船を長島へ通してやる義理はない。坊主の船も見つけては荷を取り上げてくれる。さすれば何かと小五月蝿い長島も外との戦処ではあるまい。其処で、だ。北畠家におかれてはこの機に乗じて北伊勢を平定願いたい。此の今川参議が三河と尾張を制し、北畠が伊勢を制する。兄の様と慕う権中納言殿が隣国とならば、余はどれだけ安堵しようものかと思うている」

今川参議様が儂に流し目をくれながら声を上げられる。其の御顔は一見すると親しみのある笑みを浮かべておられるが、今はそこはかとない威を感じる。


……此の御方を敵にしてはならぬ。

其の様に感じさせる何かがある。

深く頭を下げながら、よくよく御所様に報告しようと思うていた。




弘治三年(1557)八月上旬 遠江国敷知郡濱松 曳馬城 今川 氏真




「美濃守護代斎藤家家臣、日根野備中守弘就にございまする。今川参議様におかれましては三河征討の折、火急の最中にご尊顔を拝し奉る機会を得ましたる事、祝着至極に存じまする」

「面を上げよ。先ずもって詫びを申すぞ。家臣から其処元ははじめ府中へ向かわれたが、此の城に出向くよう差配されたと聞いた。手間を掛けたようで済まぬ」

歳は四十前後と言ったところか。俺の言葉を受けて、男が少し白い髪を浮かべた頭を慌てた様に振った。

「とんでもない事にございまする。当家の都合で赴いただけにござればお気になさらずに願いまする」


田子ノ浦の湊に着いた時、府中での来客について報告が上げられた。面会を求めてくる客の殆どが下向している公家や領内の神官、それに坊主達だった。急いで会う必要の無い者達は粗方帰したが、どうしても案内をせねばならぬ者がいた。其の内の一人に今会っている日根野備中守がいた。伊豆介の報告に寄れば備中守は道三を破る戦で活躍し、最近においては家中で不穏な動きをしていた者を義龍の命で処断して主君の信頼厚く、まさに日の出の勢いらしい。美濃の重臣が何用で今川へ来たのか。……全く想像がつかぬ。涼しい顔を浮かべるようにしているが、実のところ俺の胸中は穏やかならずだ。


「さて、知っての通り余はこれから三河へ出向くところでな。遠路遥々見えた客人ともそっと話したい気持ちは山々だが刻が許さぬ。用向きを聞こう」

「はっ。されば荷の動きでご相談したき儀がありまする」

備中守が困った様な表情を浮かべて言を放つ。

「ほぅ。荷動きとな」

「はっ。ご存知の通り美濃は海の無い内陸なれば、塩や味噌は上方から流れて来たものを買う事が多うございまする」

言葉を紡ぐように備中守が話す。何となく続きが見えてきた。これは興味深い。後はどう転ぶかだが……。

「続けられよ」

備中の顔をじっと見て続きを促す。


「はっ。美濃は今川家と事を構えるつもりありませぬ。つきましては京で構えている御当家の問屋に美濃への荷を融通するよう差配願いたく存じまする」

フフフ、都合の良い方に転んだと思った。

「……荷の都合か」

俺の勿体ぶった素振りに日根野備中守が深々と頭を下げる。義龍から斎藤という家を背負った重い命を受けているのだろう。その身体から伝わってくるものがある。しかし蔵人の買い占めで美濃まで困ったか。予想してなかったな。何時の世も銭が事を動かす。改めて銭の力を感じた。

「其処元は荷の都合をと申すが、卸問屋は数程ある。なぜ余の元へと来たのか訪ねたい」

「此のところ物の値が急に上がっているのは、明らかに京と堺で今川様の手の者が仕掛けたからにございまする。それに商人は足元を見てきまする。それに比べれば、当家は今川様とは話が出来ると思うておりまする」

「話が出来るとな」

「はっ。今川家が塩や味噌といった我等が所望する物を融通してくださるならば、我等は南へ兵を向けましょう」


日根野備中守がゆっくりと面を上げて囁く。その顔には不敵な笑みがあった。流石は美濃の梟雄を討ち取った男の右腕なだけはある。中々黒い事を考えてくるではないか。尾張に向けた威力出兵か。いよいよ織田を追い詰める事が出来るな。悪く無いぞ。思わず笑みが零れた。

「相分かった。京の赤鳥堂に斎藤家へ都合を付けるよう文を書いておこう。御当主に伝えられよ。尾張出兵の儀、参議が楽しみにしていたとな」

尾張を制した後は美濃だ。斎藤と好を通じる気は余り無いが、尾張の後はと皮算用しても仕方ない。今は確実に織田を仕留めるために使えるものは使ってくれよう。しかし物をくれとせがんでくるとはな。美濃は意外と付き処があるかも知れぬ。

近江を先に落として美濃を閉じ込めれば干上がるかもだ。

何れにしても銭の力は偉大よ。


「御言葉、確と伝えまする」

安堵したように頭を下げる日根野備中守を眺めながら、戦が終わったら内政に励まねばならぬと思っていた。




弘治三年(1557)八月上旬 遠江国敷知郡濱松 曳馬城 堯慧




「はじめてお目に掛かりまする。堯慧と申しまする」

「うむ。余が今川参議氏真である。面を上げられよ」

許しを得て面を上げると、狩衣に身を包んだ、若いが堂々とした男がいた。北畠の御所様と同じような育ちの良さを感じる。だが、目の前の御仁には言い知れぬ迫力があった。


「せっかく来たところ悪いが、余は逆賊の討伐に向かうところでな。刻が惜しい。用件を述べられよ」

参議様が厳しい表情で三河入りを表明される。"逆賊"の中には真宗の門徒も入っているだろう。

「はっ。参議様に刃を向けている宗門は真宗でも本願寺に連なる者達でありまする。我が門徒は刃向かうつもり毛頭ありませぬ。参議様に我等の意向をお伝えしたく罷り越しました」

「うむ。宗門の叛徒共の殆どは蓮如の教えを大事にする者達であると認識している」

「仰せの通りにございまする。本願寺の者達は見境無く刀を向けるところがありまして、加賀では我等も争うておりまする」

「それも知っている。初めは其の方らが優勢であったが、今や本願寺の勢いに押されて風前の灯であろう」

「……仰せの通りでございまする」

中々他国での事にまでご存じの様だ。商いに力を入れられているだけはある。色々と事情に明るいようだ。


「繰り返しになりますが、我等に属する寺は今川様に刀向けるつもりありませぬ。何卒寺に戦火の及ばぬようお心配りを頂きたく存じまする」

「それは今川の法による支配を受けるという事だな」

「そのつもりでございまする」

参議様が厳しい表情で儂に追及をされる。ここで誤解されては後に尾を引く事になる。切実に訴えた。

「刃を向けないだけでなく、政を語る事もするでないぞ。僧の役目は仏の教えを伝える事であり、政に対する不満を述べたり民を扇動することではない」

冷徹なお顔を浮かべながら参議様が呟かれる。“委細承知してございまする”と力強く応じた。


「相分かった。なれば其の方に連なる寺、そうだな高田派とでも呼べば良いだろうか。高田派の寺を記載した台帳を余に提出せよ。その台帳に名の無い真宗の寺は本願寺と見なして差し支えないだろう」

「はっ」

真宗には他にも派閥があるが、三河にある寺は概ね本願寺か高田に連なる寺だ。参議様の御認識で問題は無い。

「本願寺の門徒達は余の治める領内から追放するつもりだ。布告を出してな。中には其の方の寺に逃げ込む者達も少なからずいるだろう。此れについて其の方はどう考える」

「受け入れたいと思いまする」

「であるか。ならば高田派の寺に向かった者の躾けは其の方でしっかりと行うようにな。でなければ本願寺と高田の区別が付かなくなる」

“本願寺と同じ様なら容赦はせぬ”参議様はその様に仰せになりたいのだろう。厳しい御顔から犇々と伝わって来る。

「この堯慧が確と誓いまする」

「うむ。本願寺の寺は本證寺だろうと上宮司だろうと容赦はせぬ。悉く焼き尽くしてくれる。灰と化す迄な」

儂の言葉を受けて参議様が満足そうに応じられた後、恐ろしい事を仰せになる。


「……愚僧に出来る事は念仏を唱える事だけにございまする」

「其の方の様な高僧の念仏で彼の世に行けるのなら叛徒共も本望だろう。何しろ極楽浄土が待っているのだからな」

参議様が笑みの中にも凄みを含んだ御顔で言葉を放たれる。


第六天魔王と呼ばれる御方が目の前におられる。

……今儂は魔王と約定を交わしたのだ。

約定を違えれば我が寺も灰塵と化す。確と門徒達に言い聞かせねばならぬ。

一難去ってまた一難が待っている。そのように思うた。



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