第百十三話 冷徹




弘治三年(1557)七月下旬 駿河国有渡郡三保村 清水湊 今川 氏真




"御屋形様にぃぃ捧げぇ銃っっ"

俺が姿を見せると、陸戦隊が林の如く整列して俺を迎えた。船の上でも水兵達が海岸側に整列して敬礼をしている。今ではすっかり"今川式"と呼ばれる様になった敬礼をするために、右手を真っ直ぐに伸ばして全将兵に応えながら歩く。


南蛮甲冑なら尚映えるのだが、製作が間に合わなかった。甲冑はルイス・デ・アルメイダに注文し、長い月日を経て納品はされたのだが、大きさや重さが酷くて俺には合わなかった。今は南蛮甲冑を見本にして俺の好みを取り入れた写を作らせている。峰之澤の鉄次郎が南蛮甲冑を見て眼を輝かせた後、喜んでこれを引き受けた。今は仕方がないので従来の鎧を着ている訳だが、俺を見る皆の顔に少し驚く感があるのは羽織っている外套マントの影響だろう。


アルメイダが鎧発注の礼にと添えてきたのがこのマントだ。丈が大きくてこれまた仕立て直しが必要だったが、外側が漆黒、内側は臙脂えんじ色で中々に品がある。仕立て直しの際、次いでに銀糸で両胸と背中に家紋を入れさせた。俺は元々、装飾品にするならゴールドよりもプラチナ派なんだ。今日は程よく風もある。俺が歩くに従ってマントが揺れ、時折風で棚引いている。これが後世まで残れば間違い無く国宝だろう。この景色を絵師に描かせるのもいいな。落ち着いたら考えよう。



閲兵が終わると、船の近くに伊丹権太夫が立っていた。小さく畳まれたような水軍式の敬礼をしながら俺を見ている。

「ケ號作戰が終わったばかりに、また遠くまですまぬな」

水軍式の敬礼を返しながら話しかけると、権太夫が嬉しそうな顔を浮かべて応えてくる。

「何を仰せになりまするか。兵は皆、お家の大事に役立てると意気込んでおりまする」

「であるか。無論の事ではあるが皆には期待している。荷積みは順調か。余に気を使う必要は無いぞ。寧ろ手は止めるな」

「はっ。然らば御免」

俺が兵糧の荷積み作業を再開するように命じると、権太夫が"荷積み再開っっ!"と得意の大声を出して水夫達に檄を飛ばす。

権太夫の掛け声を受けて水夫達が俵をせっせと運び始める。


「助五郎」

「はっ」

傍らに引き連れている北條助五郎氏規に声を掛けると、慣れない親衛隊の動作で助五郎が応じた。最近まで寿桂尼の手元にあったからな。不慣れなのは仕方が無い。ここで笑ってはいかぬ。上位者がする受け礼を丁寧にして応じた。

「其の方はこれより海路で小田原を目指す訳だが、今川からは見ての通り、送る事ができるだけ兵糧を送る。それも一度だけではない。関東管領が北條の本領に攻め寄せるまでは今暫く時があるだろう。其の方が小田原に留まる間にも何度か兵糧を送る」

俺が話すと権太夫が頷く。権太夫には小田原が敵に囲まれるまで何度でも輸送を繰り返すよう命じている。数多の大名が兵糧を欲しがる中で、今川には大量の兵糧があるからな。草ヶ谷蔵人が相変わらず痒いところに手が届く差配をしてくれた。


この北條への援軍には、史実だと万を越える大軍を出したはずだ。北條との盟約は守られたが、仇討ちの機を逸して松平増長の機会を与えてしまった。なれど俺に史実の氏真非難はできない。"援軍を出さねば北條との縁が終わる"、もしくは"北條が滅びてしまう"と思っていたのなら氏真の判断も理解できる。俺は援軍こそ出すが、兵は必要最低限しか出さない。この選択が出来るのは小田原が落ちないのを知っているからだ。だからといって北條から"兵が少ない"と謗りを受けるのも面白くない。今川は苦しい中にあっても兵を出すだけでなく、山のような兵糧を出したと喧伝してやる。式楽にするのもいいな。府中の舞台でやらせよう。氏康は表向き俺に感謝をしなくてはならなくなるはずだ。


「其の方に預けた文にも書いたが、左京大夫の義父上には兵をあまり出せずに済まぬと伝えてくれ」

正直に言えば、済まぬという気持ちは大して無い。だがここは浮かない表情を作った方が皆は都合よく解釈するだろう。春の顔も立つ。

「武田の侵攻を知れば、父上も参議様の窮状を理解されましょう。その中での援軍に感謝するはずです」

「そうだと有り難いな。それと、これも文に書いてあるが、此度の戦は小田原で籠城策を取るのが良かろう。長尾の軍勢は関東の将を麾下に入れて日毎増えているようだ。急に増えた兵力を食わせる余力は長尾には無い。小田原で腰を据えて構えれば自ずと北條に勝利が舞い込んでくる」

「某からも父に参議様の言葉を伝えまする」

「うむ。其の方の伴には助四郎の他に、朝比奈兵衛尉も付ける事にした。兵衛尉は左京大夫の義父上だけでなく北條の将に明るい。其の方の力となってくれるだろう」

「助五郎様。助四郎殿、よろしくお願い致しまする」

兵衛尉が助五郎と由比助四郎に挨拶をすると、助五郎が笑みを浮かべて"私こそよろしく頼む"と応えた。兵衛尉は北條との盟約に関わる外交を担っていた。助五郎としても安心するだろう。



暫くすると兵糧の荷積みが終わって出港の用意が整った。沼津の親衛隊は既に陸路で熱海に向かっている。助五郎は熱海に一度寄港して親衛隊と合流して小田原に向かう事になる。大した距離では無いが、船に慣れていなければそれなりに厳しいはずだ。

「権太夫。助五郎を頼むぞ」

「お任せ下され」

俺の言葉に権太夫が敬礼をして応じる。




里見の水軍が嫌がらせをしてくるかも知れない。北條へ我が水軍を堂々と見せるいい機会でもある。そう思って臨時編成した大艦隊が清水湊を後にした。




弘治三年(1557)七月下旬 駿河国庵原郡興津村 清見寺 武田 信友




「六郎、これを見よ」

義兄上が仕立てられたばかりの旗印を指し示しながら、私の顔を覗いて来られた。旗には武田菱の下に駿河と甲斐の頭文字を取って“駿甲協和”と書かれている。

「駿甲協和、でござりまするか」

「其の方の旗印にどうかと思ってな。いくつか急いで作らせた」

「良い言葉にございまする。有難く頂戴致しまする」

「うむ。其の方には余の近くで戦場を見てもらえばよしと思うているが、もしやすると敵と刃交える事もあるかも知れぬ。その時にはこれを使うが良い」

「御意にございまする」

義兄上に深く頭を下げて旗印を拝領すると、"あまり気負うな"と声を掛けられた。やはり気負ったように見えるか。そうだな。やはり自分は気負っているのだろう。


富士郡へ向けた出陣の軍議において、義兄上が今川の盟約先は私の武田だと宣言された。その直後、一門筆頭の席に座る事になった。あの時から今川家中の私に対する接し方は明らかに変わった。今までは義兄上の義弟とはいえ、甲斐を追放された父上が作った子に、何を思ったか先の御屋形様が娘を嫁がせた。甲斐武田の存在を考えれば難しい存在だっただろう。無礼を働かれる訳では無いが、皆の顔にどうしたものかと戸惑いの表情が垣間見えた。だが、あの時から違う。仲間の様な目で見てもらえるようになった。三河の戦で励んだのもよかったかも知れぬ。


甲斐の武田との決戦に義兄上がどのように兵を動かすのか。これを真横で見て学ぶ事が出来る。己の立場を喜ぶべきなのだろう。京にいる父上からは義兄上によく学び、よく付いていけと言われている。決して弓を引くなとも。今川と対立するなら甲斐の武田と同じになる。その道を行くのなら始めから甲斐の武田に膝を折ればいい。だが、甲斐の武田が栄えた世に父上と私が栄える場所は無いはずだ。我等は今川と共に進むしかない。


"申し上げまする"

義兄上から頂戴した旗印を見て考えていると、鎧を着た使いが慌てた様子で現れた。

「如何した」

義兄上が使いに問いかける。騒ぎを聞き付けて安倍大蔵尉や庵原安房守といった既に寺へと参集している重臣も集まって来た。


「はっ。芝川砦からの使いと申す者が現れておりまする」

「何だと?芝川砦は武田に囲まれているはずだろう」

義兄上が静かに驚かれている。狩野伊豆介に顔を向けられるが、彼の者も知らぬらしい。

「使者は何と名乗っておるのじゃ」

安房守が使いの者へ問い掛ける。

「はっ。篠原隠岐守忠常と名乗っておりまする」

使いの言葉に義兄上が首を傾げた後、伊豆介と安房守等へ顔を向けられる。一番詳しい伊賀崎小三太は、既に次の策の為にここにはいない。

「確か富士大宮司殿の配下にその様な名があったやに記憶しておりまする」

伊豆介が面目無さそうに言葉を放つと、義兄上が"その方が気に病むことは無い。会おう。此処へ呼べ"と仰せになった。安房守が眉をひそめるが、義兄上の決が早いのは何時もの事だ。それに使者が変な動きをしたら皆で義兄上を守ればよい。




弘治三年(1557)七月下旬 駿河国庵原郡興津村 清見寺 今川 氏真




「急な目通しをお許し賜り恐悦至極に存じまする。富士兵部少輔が家臣、篠原隠岐守忠常にございまする」

伊豆介によれば、篠原家は大宮司の重臣であったはずとの事だが、見窄らしい格好に目立つ汚れが目の前の男は雑兵かと思わせる。だが、目の前の男は格好こそ汚いが、頭を下げる動作や平伏する所作から品を感じる。恐らく大宮司の者なのだろうと思った。


簡単に命無くなる乱世だ。ここは念には念を入れるとするか。

「うむ。武田の囲いが厳しい中の伝令大儀である。せっかくの所悪いが、その方を欺瞞の使いと思う懸念を払拭したい。芝川砦には長野信濃が遣わした親衛隊が入っていただろう。部隊の隊長は何という名だったか」

「はっ。芝川砦に入っている親衛隊は山田商三郎殿が指揮を執っておりまする」

俺の問い掛けに隠岐守が淀み無く応える。商三郎……。確か商家の三男坊だった男だな。成績優秀で大学校を卒業する時に紋入りの刀と商三郎真義という名を与えた覚えがある。

「商三郎か。覚えがある。しかと務めておるか」

俺が"疑いは晴れた"と笑みを浮かべながら話すと、隠岐守が安堵した様な表情をする。集まった皆も隠岐守が芝川砦から来たのだと認めたようだ。

「はっ。砦では商三郎殿を始めとする親衛隊や味方の奮戦で武田の猛攻を凌いでおりまする。なれど敵の攻勢まことに激しく、御屋形様に援軍を願いたく参上仕ってございまする」

「それほど武田の攻撃は厳しいのでござるか」

幕閣の一人である葛山六郎が尋ねると、隠岐守が大きく頷いた。

「それはもう凄まじいものでござりまする。何としてでも芝川を越えんと武田も必死なれば、昼夜を問わず砦に猛攻を加えておりまする。今や大手門は崩れ落ちんとしており、門の周りの堀は埋められつつありまする。門が破られれば、後は兵の数がものをいう戦いになりまする」

隠岐守が悲壮感を漂わせながら切実に訴えてくる。門の周りの堀が埋められつつあるという状況を聞いて皆が厳しい表情を浮かべている。援軍の行き先は芝川に決まりだな。武田の本隊がどう動くか。何れにしても芝川を落とされるのは都合が悪い。長野信濃には今少し頑張ってもらおう。


「で、あるか。大宮司や将兵の奮戦、誠に大儀だ。隠岐守、案ずるでないぞ。既に察していようが、余は富士郡へ援軍に向かう途中だ。幸い宍原に押し寄せている武田は信濃守が綽々の余裕を持って防いでいる。ここは芝川への援軍を優先しよう」

「ま、誠にございまするかっ!」

目の前の男が顔を明るくして大きな声を上げる。

「うむ。明日は田子ノ浦にて補給となるが、明後日には芝川へと辿り着けるだろう。富士大宮司と砦の皆は今少しの辛抱だ」

「有り難き幸せにございまする。御屋形様の旗印を見れば砦の者は益々奮い立ちましょう」

「うむ。その方のお陰で砦の状況がよく分かった。大儀であったぞ。明日の出陣まで身体を休めるがよい」

隠岐守が此処まで来た労を労うと、目の前の男が眼に光るものを浮かべながら首を振った。

「御屋形様の御心配りは隠岐守、この上ない感動を覚えまするが、ここは一刻も早く砦に参って味方に援軍の報せを告げとうござりまする」

隠岐守の言葉に広間に集う重臣等がざわめく。皆が危険だと身を案じている。

「砦に戻るというのか。その方が抜け出した事に武田も気付いているやも知れぬ。危険極まり無いぞ」

「砦の者は今も不安を抱えながら奮戦しておりまする。一刻でも早く伝えとうござりまする。何卒お許しを願いたくっ」

隠岐守が声を大きくして言葉を発し、平伏をしてくる。目の前の男は手柄が欲しいのではない。純粋に味方の心配をしているのだ。熱いものを感じて俺の眼も少し潤む。


確か史実でも徳川の家臣で似たような男がいたな。名前は思い出せないが、決死の報を知らせた男がな。その男も陪臣であった気がする。今回の隠岐守の決意は俺に損をもたらす要素がほとんど無い。

上手く行っても史実の様になっても砦の者は獅子奮迅の働きをするだろう。失敗しても陪臣が一人減るだけだ。となれば断る必要等無い。

「隠岐守の自らの危険を顧みず、味方の為に尽くさんとの姿勢や天晴れだ。今川の者はよく見習うように」

俺が皆の方を向いて告げると、広間に詰めている皆が"ははっ"と平伏をした。

「無事を祈っている」

隠岐守の顔を確りと見ながら戻る事の許しを伝えると、"有り難き幸せ。然らば御免っ!"と決意の表情を浮かべながら声を上げ、後ろに下がろうとする。


九死に一生の任に付こうとしているのだ。一点の曇り無く、晴々とした気持ちで任に付けるようにしてやろう。

「隠岐守」

「は、ははっ」

俺が下がり掛けた男に声を掛けると、隠岐守が振り返って畏まった。

「戦が終わった暁には大宮司とその方とで酒でもやろう。その方の武勲を肴にな」




俺の言葉に男が眼を潤ませて応じた後、駆けるように去っていった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る