第百四話 専制




弘治三年(1557)六月上旬 信濃国筑摩郡筑摩野松本 深志城 山本 勘助




今川参議様への挨拶を済ませて一人甲斐へ向かっていると、伊那郡の宿で御屋形様からの使いに遭遇した。躑躅ヶ崎館にまで行かず、深志城にて待つようにとの下知だった。御屋形様が信濃北部へ出兵なさるらしい。信濃方面への威力出兵が名目だが、目的は今後の方針について静かな所で話す事だろう。深志城に到着するなり小部屋へと通された。御屋形様はすでにご到着されているようだ。


「おぉ勘助。よくぞ戻った」

城内の小部屋で待っていると、御屋形様に続いて二人の弟君である左馬助様と刑部少輔様、それに馬場民部少輔殿が入ってきた。平伏して言葉を待つ。


「勘助、面を上げよ。此度の働き誠に大儀であった」

「……はっ」

儂が面を上げつつ、どう応えたものかと俊巡していると、御屋形様が笑みを浮かべて"案ずるな"と述べられた。

「予め人払いはしてある。それにここにいる者達には此度の顛末を話してある。人の口に戸は立てられぬが、この者達ならば案じなくともよい。逆にここの者以外には一切他言は無用じゃ。記録にも残すな」

今のお言葉は武田が織田に手を貸した事を仰せなのだろう。織田も独力で今川を退けたと喧伝した方が利になる。武田との事は言うまい。御屋形様へ"はっ"と応じて頭を下げた。

「しかし……あの今川権中納言が落命するとはの。改めてこの世は恐ろしいものよ」

恐ろしいと仰せになりながらも、御屋形様の口角が少し上がっている。声色も高く聞こえるのは気のせいではあるまい。


「勘助、今川参議は如何であった」

左馬助様が儂に問いかける。援軍部隊を率いていた左馬助様としては、参議様や今川家の反応が気になるのだろう。

「今川家では武田家に対するかなりの非難の声が上がっているようでございまする」

「左様であるか。それで?」

「はっ。それだけにございまする。何故織田に気付かなかったのかと問われはしましたが、雨風酷くやむを得なかったと申した所、参議様がそれ以上仰せになる事はありませなんだ。無論、武田を非難するような事も仰せになっておりませぬ。淡々と家臣達の意を代弁し、武田の事情を聞いてきただけにございまする」

「ふむ。参議は不可解に思いつつも武田との盟約、利を取ったか」

御屋形様が御自身の解釈を述べられた。そういう事だろうか。参議様の最後の一言が、魚の骨の様に喉へと引っ掛かっている。だがあれは儂一人に向けられた言葉だ。それに儂の思い込みで事を話す訳にもいかぬ。伝える必要はあるまい。


「今川参議様は、先の兵糧とは別に援軍の謝礼を下さる事に加えて、引き続き武田との盟約を続けたいと仰せでございました」

「ほぅ、やはり利を取った。そういう事であろうな。参議は尾張にいる味方の救援に、三河反乱の対処と忙しい。武田との盟約は切れぬ。勝手に盟約を切れば北條との間もややこしくなる。此度の盟約は三国にして正解であったの。しかしそれにしても謝礼は別か。相変わらず豪気よな」

御屋形様が笑みを浮かべながら仰せになる。

「勘助、謝礼は何時頃もらえるのだ?三河の揺れを見ていると、今川が謝礼を寄越すのは遅くなるのではなかろうか。兵糧に心許ない時期だ。貰える物は得たいところだが、徒に待っては時の運を失うぞ」

「参議様が尾張三河を理由に支払いを遅くするとは思えませぬ。申し出た以上滞りなく渡されましょう。参議様の事です。秋の収穫を前に、今時分に渡すが得策と分かっておいででしょう」

「となると今月か来月には払われるか。受け渡しを済ませてから駿河へ攻め込むか……」

決を仰ぐような物言いで左馬助様が御屋形様の顔をご覧になる。


「駒井高白斎に駿河へ向かわせる。謝礼の対応と、引き続き盟約をと返答させよう。目処がたち次第、奥三河の下條兵部少輔に兵を南下させる。参議は遠江は今川のものと謗って来ような。その時は強気に行く。我等に服属している者へ下知とは何事かとな。だが、盟約の破棄を誠にするのは今川が三河平定の兵を動かした時じゃ。参議は尾張の兵と三河にいる兵を使って三河の叛徒を挟撃しようとするはずじゃ。これ自体はよい策じゃが、我等に取っても都合がよい。参議が三河で事を成そうとする時、富士郡は手薄になっておろう。我等が攻め込んだ時に参議が慌てた所で、富士郡へまわす兵はおらぬ」

御屋形様が不敵な笑みを浮かべながら、皆に向かって力強く仰せになった。


「御屋形様の策は見事かと思いまするが、本当に盟約を反故にして今川へ攻め込めましょうか。御屋形様が仰せになられた通り、此度は三国の盟約なれば、北條との関係がややこしくなるのは我等も同じにございまする」

民部少輔殿が冷静に意見を具申する。この顔合わせの中では民部少輔殿は新参だ。対今川という話の他に、細かな部分は知らぬのかも知れぬ。


「先程御屋形様が仰せになった下條兵部少輔殿は、奥三河を拠点にする国人で武田に服属しておりまする。過日この者は、今川に敵対する地場の国人を攻めた所、今川から咎めを受けておりまする。それも、まるで家臣の様な扱いをされてございまする。此度も同じように謗りを受ける事になりましょう。これを今川に申し出まする」

「そのような些末な理由で盟約を破棄できると?」

「民部、理由など小さくともよい。たとえ言い掛かりでもな。駿河を攻め獲った後に刻を掛けて真実となるよう上塗りをしていけばよいのじゃ。やがて小さな理由が大きく、真になって残る」

「左様に上手く行けばよいのですが……」

御屋形様の言葉に民部少輔殿が不安を続けると、ゆっくりとお顔を縦に動かしながら"民部が言いたい事は分かる"と話された。


「暫く今川は三河の鎮圧と織田への仇討ちに掛かりきりになる。だがこれが成功すれば、我が武田と今川の差は埋めようが無いものになる。今川が苦しく武田に勝機あるは今しか無い。今を逃せば我等は参議に膝を折り続けることになる」

「しかし御屋形様。北條は如何なさいまする。今川と北條の二つを敵に回すのは些か苦しゅうございますぞ」

「当家と北條の国境は互いに攻めにくく守りやすい。北條と事となっても対処はできよう。それよりも、今川を攻めるにはあたって後二つすることがある。太郎とその室への対処、それから駒井高白斎と穴山伊豆守を押さえる事じゃ」

御屋形様が厳しいお顔で仰せになった。その通りだ。若殿と御裏方様の仲は睦まじい。今川家への侵攻が決まれば御屋形様と若殿の間には亀裂が入るだろう。それに今川に詳しい高白斎殿と今川領との境を治める伊豆守殿は味方にしておかねばならぬ。特に伊豆守殿は出兵にあたって領国を通過せねばならぬ存在だ。


「高白斎と伊豆守は間もなくこの城へやって来るはすじゃ。特別に呼び出した」

流石は御屋形様だ。ご準備がよろしいな。お顔を覗くと、ニヤリとしたお顔を浮かべて“皆も同席せよ。人が多い方が二人も落ちるだろう”と仰せになった。誠、御屋形様は心内を動かすのがお上手よ。




弘治三年(1557)六月上旬 山城国上京 近衛邸 草ヶ谷 之長 




「蔵人、来たか」

部屋にお越しになるなり、関白殿下からお声掛けがあった。殿下の後には久我権大納言様も続いている。お二人が麿の前にお座りになられた。

「草ヶ谷蔵人、お呼びに寄り罷り越しておじゃりまする」

「うむ。堺に出向いておったそうじゃの」

「はっ。所用がおじゃりまして少し外しておりました。お伺いが遅くなりまして恐れ入りまする」

麿が頭を下げると、関白殿下と権大納言様が顔を見合わせて笑みを浮かべられた。また麿が何かしていると笑いあっている様に見える。

「うむ。その方を呼んだのは他でもない。依頼のあった本願寺の件じゃ。此度の蜂起、天文二十一年に発布された綸旨を侵す行為との申し立てを認め、本願寺に説明を求める事となった」

「ありがとうおじゃりまする」

関白殿下に向かって大きく頭を下げると、殿下が“よい”と仰せになりながら応じた。


三河で僧侶の空誓が門徒を扇動して今川へ反旗を翻している。五月に拠点の本證寺が放火にあったのだが、あろう事か今川の手によるものと喧伝していた。この綸旨、天文二十一年に主の働きによって西三河の寺に発布された“勅願寺である大樹寺の付近で物騒な事は止めるように”という内容の綸旨だ。今川としては一向衆の主張には証拠もない上、綸旨にも違反する行為と訴えた。綸旨違反と言われては朝廷も何らかの対応をせねばならない。


「我が……いえ、今川参議からの文によれば、三河の事態は一刻を争うようにおじゃりまする。一向衆に証拠を求める事、ならびに綸旨違反を糾弾致しまするが、これを確認して返答が無いようでおじゃれば、戦をせねばならぬやも知れませぬ。ご承知おき願いまする」

我が主と言いかけて口籠った麿の顔を見て、関白殿下が扇子で口元を隠して笑われている。公家である以上、皆の前での主は御上だ。気を付けねばならぬ。

「義弟の事情は分かっているつもりじゃ。戦になる前に確認した事実を作ればよかろう。他宗の僧なり神官を使うなり、中立と思しき者を使って上手くやればよい」

成程。これは良い助言だ。急ぎ主へ伝えよう。

「御指南ありがとうおじゃりまする」

礼を述べると、“ほほほ”と殿下がお笑いになりながら“せっかく骨を折ったのじゃ。しっかりと、な。と参議に伝えよ”と仰せになった。


骨を折ったか……。此度の措置、もしかしたら二條や九條といった反近衛の抵抗があったのかも知れぬ。また調べておく様にしよう。何れにしても一先ず大義名分が手に入った。朝廷の使い過ぎは良くないが、使うべき時に使わねば意味が無い。

京で育っていたら、朝廷を利用するような事など出来なんだであろう。

府中の苦節もこのためと思えば悪くないと思うた。




弘治三年(1557)六月上旬 駿河国安倍郡府中 今川館 今川 氏真




今川館に帰ると、悲壮感が館を覆い、所々で女子どもが啜り泣く声も聞こえた。先代当主という屋台骨の戦死に、人質の女子、女中等がどことなく不安そうにしている。だが、俺が常の顔で館を歩くと、すぐに義元戦死の重苦しい雰囲気は薄れていった。その代わりに、今頃は俺の事でも噂しているかも知れぬ。頼りがいはあるが、実の父が死んでも涙すら流さない冷酷な男だとな。後世の歴史が俺を何と書くか。気になったが確かめようもない。雑念を捨て、すぐにすべき事を考えるよう頭を切り替えた。


朝比奈備中守の先導で廊下を歩く。館の中で最も大きな広間の前に着くと、歩みが止まると同時に、“御屋形様御成ーっ!”と三浦左衛門尉の声が聞こえた。備中守の姿をみて声を上げたのだろう。広間の中に入ると、一族や重臣、家臣等でまさしく鮨詰の状態になっていた。今川仮名目録追加の場を思い出すな。皆が俺に向かって平伏している。

「皆面を上げよ。此度は心配を掛けた」

腰を掛けてから言葉を放つと、皆が面を上げた。顔が赤い者が多いな。泣く事を堪えている者もいるようだ。不安そうな顔の者も少なくない。

敢えてすぐに話さず、鷹揚に構えて時間を置いた。こういう時は沈黙こそ金だ。


しばらくすると、備中守が俺の顔を伺ってきた。少し顔に戸惑いがある。まだ若いな。皆に聞かせる時は時間を置く方がいい時がある。

さて、そろそろ良いか。

「……昔、三河岡崎でこう訓示したことがある」

俺が口を開くと、皆が真剣な眼差しで聞き始めた。俺の言葉を聞き漏らさんと懸命に耳を傾けている。


「この国は今、朝廷も幕府にも力なく乱れに乱れている。この乱れを正すには旧来の秩序に頼っていては叶わない。武を用いて、暴を禁じ、戦を止め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊にする、七つの徳を実現する。これ則ち天下布武であるとな。今もこの気持ちに変わりは無い。松平の者達には伝わらなかったようだが、ここにいる者達ならば、余の意図が分かると信じている」

皆をゆっくりと睥睨へいげいすると、目のあった者達が頷いて応える。

「余は天下を治めるため武を振るう。天下に静謐を齎すためにだ。よいか。全ての責はこの余が持つ。今後、今川一門、全ての武士、全ての神官、僧、民、下人に至るまで、万民は余の命こそ至上の命とせよ。大義は余の命にある」

俺が話を終えると、広間に静寂が訪れた。


「御意にございまするっ!」

「「「御意にございまするっ」!!!」」

三浦左衛門尉が口火を切ると、広間にいる皆が次々と応じた。皆の顔に熱を感じる。明らかに広間の空気が変わったと感じた。




転生して短くない時を過ごした。

俺なりに得た思いは、やはり"恐怖や畏怖"が多くに勝るという事だ。統一政権が無い戦国において、倫理観に頼るには限度がある。人を治めるには恐怖を植え付ける方がいい。時には飴が必要なのは否定しないがな。

そのために、俺の治世のために、まずは三河の坊主と松平に犠牲になってもらう。


俺が導いた答えが間違っている時は、本能寺の様な事変が起きて俺は命を落とすだろう。

答えが出るまでは走り続ける。修羅となっても、鬼神となっても、第六天魔王と呼ばれても。


このために作った道だ。

我この道を行く、だ。



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