第九十一話 尾張統一




弘治三年(1557)一月上旬 駿河国安倍郡府中 今川館 今川 氏真




「新年明けましておめでとうございまする!」

「「おめでとうございまする!!」」

大広間に重臣一同が集う中、新年の祝いを告げると皆が続いた。

"うむ"

父上が鷹揚に頷く。


「本年も我が今川にとって飛躍の一年となる事を心より祈念致しまする」

「うむ。参議の申す通りじゃ。本年はいよいよ尾張一国を我が掌中におさめてくれる」

「おぉ」

「もしや」

場にいる重臣達から声があげられる。期待の声が入るのは、市井でいつ今川が尾張を取るのかと突き上げをくらっているからだ。俺が狩野伊豆介に命じて、“父上が尾張守護に任じられた事”や“三河が平定された事”、“尾張は内乱が続いている事”を喧伝させまくった。伊豆介には尾張攻めの状況が整えられた今、士気を上げるために広めよと言ってやらせたが、訝し気な顔を浮かべていたな。伊豆介は諜報部門の責任者で持っている情報が多い。俺との距離も近いから俺が何を考えているのかは何となく察しているだろう。だが何も言わず黙って頷いていた。


すっかり府中の町民は、近々今川による尾張征討が行われるばかりと思っているようだ。尾張は内乱続きと聞いて侮り、すでに今川領となったものと考える者までいる。内乱が続いているのは確かだが、尾張は信長の元で急速に統一され、むしろ強敵になっている。だが、俺が“内乱”だけを切り取って喧伝しているからこうなるのは自明の理だな。前世のメディアを思い出すわ。赤鳥堂に至っては、“今日は尾張、明日は美濃”等と言って割引の催しを行っている。皆が浮かれて府中の商いはかなり盛況の様だ。


「うむ、本年は春過ぎに兵を挙げる。皆も左様心得るように」

「「ははっ」」

重臣一同に合わせて俺も父上に向かって頭を下げる中、“参議”と声が掛けられる。

「はっ」

「兵は三河と遠江を中心に挙げる事になるだろう。その際、その方には兵糧の都合を命じる」

「はっ。父上が尾張に向けた軍略に専念できますよう尽くしまする」

「うむ。頼むぞ」

駿河衆は後方支援とな。尾張攻めという大事な戦に対して当主は後詰め、兵糧担当という明らかな父子の確執に、場にいる皆が苦い表情をしている。だが俺としては、こうなる事は予想通りだ。駿河伊豆衆は出兵になっても求められる兵は数千で、しかも荷駄を担う事になる。皆は俺を不憫に思うかも知れないが、俺としては大歓迎だ。貴重な兵を失わずに済む。それに兵糧の保管を理由に、何かと改修している今橋城をさらに拡充してしまおう。




弘治三年(1557)一月中旬 尾張国丹羽郡岩倉 岩倉城 柴田 勝家




“わー”

“かかれぇー”

岩倉城に攻めかかっていると、犬山方面から織田下野守様の兵が援軍に駆け付けたのが見えた。味方の攻勢が増すにつれて、敵の反撃が弱まっていく。


「敵に勢いは無いぞ!あと少しじゃ!」

「「おぅ」」

儂が手勢の兵を鼓舞すると、皆が力強く応じた。岩倉城を守っている守護又代様とは、先に浮野で行われた野戦から続けての戦いになる。あの野戦は厳しい戦いであったが、犬山からの援軍が駆け付けた事によって形勢が決まり、味方が多くの首を挙げることができた。結果的には大勝利だった。


下野守様が今少し早く駆け付けて下されば良いのだがな。ご自身のお陰で勝てたと見せるためか、出陣を勿体ぶる事が多い。殿は扱い辛い下野守様を良くは思われておらぬだろう。


それに下野守様は勝ち戦の後の論功行賞でも声が大きい。先に行われた浮野の戦いの所領配分も、殿の差配に異論を唱えていた。確かに形勢を決めたのは下野守様かも知れぬ。だが、それまで激戦を戦っていたのは我らじゃ。下野守様にある程度譲歩された殿に、馬廻り衆からは小言が漏れている。今川が戦仕度をする中で争うのは得策でないとご判断されたのであろうが、足元をみてくる下野守様への不満が高まっている。御顔には出されないが、殿も苦心されておられるに違いない。


岩倉方は浮野の戦いで力を出しきったのだろう。此度の籠城は浮野の野戦の時のような覇気がない。美濃からの援軍に期待しているのだろうが、今のところ美濃が動く気配は無い。味方に犬山からの援軍が来たことで勝敗は決まったように見える。


戦場に目をやりながら雑念に少し掻き乱されていると、城内から白い布が挙げられるのが見えた。

"降参じゃっ"

"参った"


城内にいる雑兵らしき兵が、必死に白い布を振りながら叫んでいる。勝負あったか。

「弓隊、斉射やめ!」

味方の弓兵に下知して弓を射るのを止めさせると、城の門が開門された。しばらく互いに様子を見ていると、開け放たれた門に士分と思しき将が出て来た。

「織田伊勢守が弟の久兵衛にござる。上総介様に目通り願いたい」

降伏の交渉か。守護又代様の実弟なら申し分無い。殿のおられる方を見ると、殿と目が合って頷かれた。連れて来いという事であろう。


「織田上総介が家臣、柴田権六にござる。迎えの兵を遣わす故、我が陣へ参られよ」

声を張って久兵衛殿に伝え、手勢から何人かを選出して送り出す。相手方に不審な動きはない。降伏に偽りは無いようだ。


論功行賞で下野守様が出張ってきそうな予感はするが、一先ずこれで殿は尾張のほとんどを掌中に収めた事になる。先代でも成し遂げられなかった事だ。勘十郎様ではなく上総介様が……。不思議な感覚はあったが、己の主君が勢力を大きくしていく事が誇らしかった。




弘治三年(1557)一月下旬 甲斐国山梨郡府中 躑躅ヶ崎館 武田 晴信




「駿河の権中納言様から文が来た」

「ハハハ。さて、今川様は何と」

儂が今川の隠居殿を権中納言"様"と呼ぶと、左馬助が笑いながら応える。


「いよいよ尾張攻略に向けた準備に取り掛かるようだ。春過ぎには兵を挙げたいと書いてある」

「雪斎殿でも難儀した尾張攻略に挑まれますか」

「その通りじゃ、刑部。ついては、出兵の折に武田からも援軍を願うとある」

「北信攻めにおいては随分と世話になりましたゆえ、兵を出さぬわけには行かぬでしょう」

「北信攻めの礼は金子で既に支払っておる。何か適当な理由をつけて断ることもできようぞ」

「兄上、そうは申されても我らに適当な理由がありますまい」

二人が問答を終えると、儂の顔を覗いた。


「刑部の言う通りじゃ。北の長尾とは和睦を結んでおり、その和睦は今や幕府の認めるところになっている。北條はその長尾と交戦中だ。我が武田は領内も外も落ち着いていて断る理由がないゆえ兵は出す。それに出兵した方が今川の動きがよく分かるであろう」

「今川の動き?」

刑部少輔が訝し気に眉を顰めて来る。刑部は今川を好むところがあるからな。

「織田と今川の戦、力の差を考えれば今川殿が勝利を収めるだろう。だが戦に絶対はない。万が一敗れるような事あらば、武田が今川を喰う事もあり得る」

「なんと!今川様は大事な盟友。太郎様と御裏方の縁もあれば、今川を攻めなどすれば、武田は世の非難を受けるだけでなく家中を混乱させまするぞ」

儂が今川攻めをする可能性を示唆すると、刑部少輔が腰を浮かせて驚いた。


「某は御屋形様のお考えに賛成致しまする。むしろ今川が尾張を取れば美濃にも手を伸ばす。美濃は降りましょうな。さすれば武田は今川に南を囲まれまする。甲斐と信濃の二ヶ国だけでは防げませぬ。我等が膝を屈する事になりまする。……今川に尾張を取らせてはなりませぬ」

「うむ。左馬助の申す通りじゃ。今川に尾張を取らせてはならぬ。今位が丁度良い。あるいは敗れてぐらついてくれる方が良いの。そして我等がこれを喰らう」

「しかし、我等が今川と戦になれば、家中は混乱を極めましょう。若殿や親今川の家臣が反対するはずでござりまする。某は賛同できませぬ」

「信濃平定を成し遂げられた御屋形様に反対する者等、いや、反対できる者等おりますまい。あるとすれば若殿と飯富兵部……。これを如何するか」

「そうじゃな。左馬助の申す通りじゃ。もし今川と手切れにするのなら太郎をどうするか考えねばならぬ。その今川だがの、先頃南信濃の下條兵部少輔が奥三河の武節城を攻めた。今川に反抗している菅沼の一族が治めておるゆえ、取れるなら取ってよいと儂の軍令に従って攻めたのだが権中納言は納得していないらしい。三河は今川の所領であって武田の指図は認めずと書いてある」


「馬鹿な!今川に反抗的な国人を切り取っただけではありませぬか。感謝されるならまだしも三河に立ち入るなとは権中納言様の増長も甚だしい」

「御屋形様、兄上も落ち着いて下され。お気持ちは分かりまするが奥三河は石高も限られる場所なれば、大を成すために小は捨てるのが寛容。ここは堪えくだされ」

「刑部、今でさえ今川はこのように我等を下に見ている。尾張を取れば上と下の関係になるのは想像に難くない。やはり今川に尾張を取らせてはならぬ」

儂が腹から声を出して訴えると、刑部少輔がごくりと唾を飲んだ。


「……して、今川の尾張攻め、如何して横槍を入れましょう」

しばらく言葉無く静かな時が過ぎた後、左馬助が口を開く。

「今川が尾張に軍勢を動かした時、乱波を使って三河の寺に火をかけよう。さすれば燻り続けている宗門の収拾がつかなくなる。随分と混乱するだろうて」

「それは良い。少なくとも進軍は止まりますな」

「……見つかれば謗りは免れませぬぞ」

「見つからなければよい。それに謗る理由を作らねば良いのだ。表向き我等は援軍を出し、盟約の役目を果たす」

儂が告げると左馬助が力強く頷いた。刑部少輔も思うところあるようだが儂の気迫に押されてか黙っている。


……今日の所はこの二人に今川との戦を示唆できた程度で十分だろう。あとは勘助に命を出さねばいかぬな。三河の一向衆を焚き付けるだけでは足りぬ。今川の動きを織田に伝えさせよう。

フフフ、勘助の今川への怨みは相当なものだ。今川を苦しめるために何かと努力するだろう。


出陣は五月か六月か。それまでにどこまで仕込めるか。これは武田にとっても大きな戦になるだろう。




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