第八十七話 南蛮貿易




弘治二年(1556)一月下旬 駿河国安倍郡府中 今川館 狩野 直信




「大変美味しゅうござる。殿の点てて下さる茶は格別にございまするな」

飲み切る音を立てた後に思わず息を吐いた。丁度良い塩梅に練られている。それに心のこもった茶だ。殿に倣って儂も茶を嗜むようにしているが、ここまで奥深い味わいの茶を点てる事は出来ない。殿は遠出をなさるとその土地の水を試される。常に茶にとって良いものを探された結果がこの茶碗に現れているのだろう。

「その方も茶を嗜むそうではないか。京の蔵人からの文に書いてあったぞ」

茶碗に残った濃茶の跡を眺めながら考えに耽っていると、殿から思いも寄らぬ事を掛けられた。

「あ、いや、まだまだでございまする」

蔵人殿め。恥ずかしい事を言わぬでも良いものを。殿の点前に比べれば儂の点前など稚児のようなものだ。つい慌てて否定するような形になった。


「ところで、三河の事だが」

"はっ"

政の話に変わった。気兼ねない話はここまでだ。口を結んで殿の言葉に耳を澄ます。

「最近の様子はどうなっている」

「はっ。一向衆は遠からず息を吹き返しましょう。先ごろの蜂起における首謀者は粗方首を刎ねられましたが、肝心の空誓上人を捕らえる事が出来ておりませぬ。それに門徒達もほとんど無傷でおりまする。空誓上人が檄を飛ばせばすぐに立ち上がりまする」

「無辜の民を巻き込んでおいて何が上人だ」

殿が吐き捨てるように呟かれた。空誓は本願寺派の首領であった蓮如上人の孫にあたる。本願寺派は二年前に門首であった証如上人が入滅して、子の顕如上人が門首になっているがまだ歳は十三と若い。

 顕如上人の正確な歳まで把握できていなかったが、京にいる草ヶ谷五位蔵人殿から教えてもらうことができた。顕如上人は九条太閤の猶子になっている。そのため公家との交流で情報を得る事が出来たようだ。


これも蔵人殿から得た話だが、本願寺は証如上人が若くして、それも突然の病で入滅したため多少のごたつきがあったようだ。最近は若い門首を支えようと、側近達が励んでいるらしいが、三河の空誓上人は上方の本願寺が混乱しているのに乗じて、宗派内で勢力を増そうと三河で吠えているのかも知れぬ。


「国人たちの動きはどうなっている」

「はっ。新たに反旗を翻した上野城の酒井将監が叛徒の中心となって周辺の国人を焚き付けておりまする。尤も、この酒井将監は今川に不満があるというよりも、松平に不満があるようでございまする」

「松平に?」

殿の眉が僅かに動く。酒井の話までは御存じ無かったか。


「はっ。酒井将監は三河の国人の中でも大きな勢力として一目置かれ、御屋形様も松平とは別の勢力として扱われておりました。そのような中、此度の三河征討で備中守殿の麾下に入った松平次郎三郎殿が活躍した事で松平一族の勢威が高まり、予ねてからの不満に耐えられず蜂起したようでございまする」

御屋形様の命によって備中守殿の麾下に入り、三河へ初陣した次郎三郎殿は、叛乱した国人達を鎮める戦に大活躍した。三河に根を張る松平の将らしく、叛徒の将との戦では元々折り合いの良くなかった国人を当てる等、上手く人を使いながら事を収めていったと報告を受けている。備中守殿が倒れて遠江衆は退却したが、次郎三郎殿は今も岡崎城で任にあたっている。


「次郎三郎が活躍したのは聞いている。だがあの者が増長するとも思えぬ。驕った素振りをするような男でもないだろう」

「その通りでございまする。次郎三郎殿は、初陣を飾った後も常と変わらずになされておりまするが、問題は松平の一族でござる。名を上げたのは松平宗家でありまするが、宗家に味方する分家が大きな顔をしている

状況にございまする。対等であった松平と酒井の関係を格下に扱うようになったところに反発されたようで」

「次郎三郎も大変だな。松平には分家が多いが、反旗を翻す分家もいれば、味方でも大きな顔をして敵を作る者がいる。悩みの種は尽きまい」

殿が同情するように微笑みを零された。殿も色々とお辛い立場だ。思うところがあるのかも知れぬ。静かに頭を下げて応じた。


「……しかし、次郎三郎が経験を積み武名を上げるのは良いが、余りに過ぎては今川にとって都合が悪いな」

先程までの笑みが嘘のように醒めた表情で殿が囁かれる。儂が返した茶碗を清めるその横顔は冷徹そのものだ。

「はっ。流石は雪斎様の薫陶を受けただけはあると、三河の国人達が影響を受けておりまする」

「やはりな。元康を岡崎に長く留めておくのは危険だ。左衛門尉にでも今の事を話して父上に伝えさせよう」

殿が仰せの通りだ。


「殿、三河に流布している御屋形様を誹る声については如何致しまするか?それに弥次郎からの報告によれば、三河は以前よりも他国者が増えているとのことでございまする」

弥次郎からの報告では、他国者は尾張からの者が多いようだが、最近は尾張に限らないらしい。甲斐の者も増えている様子だとか。盟約関係にあっても、甲斐の武田様は情報を集める事に余念がない。わざわざ三河に遣わす人を増やしている事には疑念を抱くが……。

「……その件については報告無用だ。今何か伝えて変わる状況ではあるまい」

「しかし間者を野放しにして」

「伊豆介」

殿に名を呼ばれて顔を見合わせた刹那、研ぎ澄まされた刃のようなお顔が写った。




弘治二年(1556)二月上旬 三河国額田郡岡崎 岡崎城近郊・松平勢の陣 松平 元康




「殿、今川の御屋形様は何と」

私が御屋形様から届いた文を読んで思案していると、家臣の酒井小五郎が声を掛けて来た。文を読んでいる最中に小五郎が声を掛けて来るとは珍しい。それだけ長い間私が止まっていたという事か。

「兵をまとめて二月中に帰国せよとある。後は岡部丹波守殿に任せよとな」

「なんと。まだ落ち着いたとは言えないこの状況で殿に帰国を命じるとは今川の御屋形様は何をお考えなのじゃ」

私の言葉に譜代家臣の阿倍大蔵が怒りの声を上げる。

「御屋形様は殿が名声を得るのに恐れをなしたに違いありませぬ。手元に置いておかれたいのでしょう」

岡崎に残している家臣団の中で長老にあたる鳥居伊賀守が御屋形様の意図を読むと、息巻いていた皆が“なるほど”と頷いた。


「武勲を上げなければ役立たずと謗られ、名を上げれば警戒をされる。何とおいたわしい」

大蔵が涙を浮かべながら叫ぶと、周りの者達が同じようにすすり泣いた。


「まぁ皆の者、御屋形様が手元に戻したいと思われる程、我が殿は武勇に優れる御方になられたということじゃ。この伊賀守、我が殿の深謀遠慮さはあの雪斎禅師を勝るとも劣らぬ程と思うぞ」

「「そうじゃ」」

「「おぉ!」」

「うむ、そこまでの存在になったとは思えぬが、皆の気持ちは嬉しいぞ」

皆の熱い視線を受けて、その勢いに押されるように応える。

此度の戦は皆がくれた人の情報を少し上手く使っただけだ。大したことをしたわけではないのだが……。


「殿の才があれば、再び松平が三河の雄になる日も遠くあるまい」

「左様左様。今川に膝を屈する日も残り少ないかもしれぬ」

「これ、言葉が過ぎるぞ。じゃがその通りかもしれぬな」

岡崎に詰めている譜代の家臣たちが思い思いに好きな事を発している。戦で気持ちが高ぶったのかも知れぬが、今川の間者がいないとも限らない。後で釘を刺さねばならぬな。


不意に治部大輔様のお顔が浮かぶ。ここにいる皆はあのお方の才を知らない。雪斎禅師でも及ぶかどうかというあの底知れぬ才を。皆が熱気を帯びる中、私は顔に笑みを浮かべながらも一人冷めていた。




弘治二年(1556)二月下旬 駿河国安倍郡用宗村 ルイス・デ・アルメイダ




決して大きくは無いが、壁や天井の所々に意匠が凝らされた屋敷の広間に通される。湊からほとんど離れていない場所だ。府中の館に案内されないのは我等の存在を警戒しての事だろうか。

しばらくすると治部大輔様の到着が告げられ、頭を下げて迎える。この国の言葉で言うところの“平伏”だ。


「よく来たな。面を上げよ」

低いが良く通る声のお許しを得て頭を上げると、興味深そうにこちらを眺めている御仁がいた。お若いとは聞いていたが十代の後半だろうか。日本人は我々から見るとただでさえ若く見えるからな。もしかしたら十代の半ばかも知れない。しっかりとした体形をされている。それにこの国の人にしては大きいようだ。


「治部大輔様にお目通りがかないまして、まことにうれしく存じまする。わたしはルイス・アルメイダと申しましてポルトガル王国の出身でございまする。今は平戸や豊後府中を拠点に商いをしております」

「うむ。俺もその方に会えてうれしいぞ。遠路はるばるご苦労だな」

治部大輔様が微笑を浮かべながら言葉を掛けて下さる。何人かの大名にお会いしたが初めての反応だ。大体は我等の風貌に驚き忌避するか、物珍しいものでも見るような素振りをされる。治部大輔様も驚かれているようには見えるが、今までの大名とは違う驚き方をされているように見える。不思議な方だ。


「あたたかいお言葉ありがとうございまする。ささやかではありますが南蛮の品をお持ち致しました。ごしょうのういただければありがたく存じまする」

「うむ。せっかくだ。ここで見せてもらおう」

「は、ははっ。まずこちらの丸い物は世界の地図になります」

私が紹介をすると、近習の方が手に持って治部大輔様に届ける。受け取った治部大輔様が地図を回転させて詳しくご覧になる。綺麗な柄が入った玩具程度にしか理解できぬかも知れぬ。まぁ南蛮の代物という事はよく伝わるはずだ。


「思ったよりも日の本は大きいな」

「は?あ、いえ、ははっ」

「この地図だと明が日の本の二倍程度しかない。古来我が国から数えきれない程の人々が唐へと学びに行っている。皆が口を揃えて唐は大きな国だったと言う……どうした」

驚きの余り言葉に窮していると、治部大輔様が案じて言葉を掛けて下さった。今の言葉を聞く限り、治部大輔様はこの世界が丸い事を疑われていない。大内の御屋形様も大友の御屋形様も理解されなかった事を目の前の方は瞬時に、それに問う事もせず理解されている様に見える。

「いえ、少し驚いておりました」

「驚く?」

「治部大輔様はこの世界が丸い事をお聞きになりませんでした。この国の方はその地図を見た時、まずそのことにぎもんを持たれます」

私が驚いた理由を説明すると、治部大輔様が“で、あるか”と鷹揚に頷きながら仰せになった。

「船に乗った時、遠くに陸地が見えると、陸地の足元が見えない事がある。それに船の上に上ると遠くがより見える。これは大地が平らでなく丸い事を示している」

なんと……。目の前におられる方は、明らかに今まであったこの国の支配層とは異質だ。


「続いてこちらは西洋の菓子でコンフェイトと言うものになります」

「ほう。食してみよう。……甘いな。苦い茶によく合うだろう」

コンフェイトに続いてカステーラ王国の焼き菓子を贈ったが、どちらも大きな反応は得られなかった。堺で面識を得た今井殿に、駿河の治部大輔様に物を贈るのであれば武器が良いと言われたが、やはり武器が必要であろうか。トーレス神父からは治部大輔様と縁を作るよう命じられている。本来ならば今川様の領国でも布教をしたいところだが、今川様は美しい織物や竹細工等、本国や唐で飛ぶように売れる代物を作っている。悲しい事ではあるが、布教には多くの富が必要になる。拙速に布教の許可を求めては嫌厭される恐れがある。ここは無理をせず知己を得るのが先だ。だがこのままでは不味い。治部大輔様に何か喜んでいただかねば……。


「こちらにはお持ちできませんでしたが、船に南蛮の大きな鉄砲を用意しております」

「大きな鉄砲とな」

焼き菓子を眺めていた治部大輔様の視線が私の顔へと向けられる。明らかに今までの進物と反応が違う。やはり治部大輔様は南蛮の兵器に関心がおありの様だ。

「はい。武器を持ってくるのはご無礼かとはばかりましたが、お許しを頂けるのならばじさんいたしまする」

「遠慮はいらぬ。是非にでも持ってくるが良い。すぐに持ってこれるのか?」

「大きな代物でございますので、すぐには難しゅうございまする。明日以降に今ひとたびお目通りの機会をいただけますればありがたく存じまする」

「で、あるか。ならば明日にでもこの屋敷に来るが良い。楽しみにしているぞ」

明日の面会がすぐに許された。この国の大名たちは何かと勿体ぶることが多いが、治部大輔様は異なるようだ。今井殿から変わった御方だとは聞いていたが、身をもって知った気がする。


それに今まであったどの大名よりも頭が良く、底知れぬ印象を持った。




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