第七十五話 複雑な元服




天文二十三年(1554)四月下旬 駿河国安倍郡府中 今川館 今川 氏真




またやってしまった……。


櫻が美しく描かれた蒔絵の器から、味噌の芳しい香りが立ち上る。盛られた小山の所々にはパッと開いた青い大輪の花のようなものが散見される。志都呂焼の器に美しく盛られた白米も紅葉にそまっていく吉野の山のように色付いている。



……青カビだ。



文を書いていた時、小腹が減ったから小姓に何か軽いものを頼むと、海苔と味噌と米を少し持ってきてくれたのだ。届いた頃には書き物に集中してしまっていて食べるのを忘れていた。忘れたまましばらく富士方面の視察に出向いていた。この部屋には重要な書類等がたくさんあるので、不用意に人が入ることを制限している。それに文机の隅に隠れていたからな。気付かれる事なく春の心地よい気候にカビが生えたのだろう。


前世でもたまにあったな。俺は家で酒をやる時は風呂も入って寝るだけの状態でやるのが好きだった。そうすると時々片付けを忘れてしまうのだ。今世でも何度目だろう。まだ歳が若いから酒は宴席の他では控えている。だが摘まみは時々欲しくなる。前世のスナック菓子みたいな感覚だな。無性に塩濃いのが食べたくなる時がある。人を呼んで片付けさせようとした時にふと思い出す。


抗生物質のペニシリンは青カビから作られたのだったか?コミック原作でドラマ化された作品で、医者が幕末に転生する作品があったな。ペニシリンが特徴的に取り扱われていたのを思い出す。


南蛮貿易が本格的になると交易品とともに梅毒が入ってくるからな。今のうちにペニシリンを作れるなら作っておいた方がいい。黒田官兵衛、前田利長、加藤清正は梅毒で死んだという資料を見たことがある。

それに江戸時代の遊女の罹患率は相当なものだったとか。南蛮人と行為に及んだ日本人は僅かだと思うが、五十年もたてば国のどこにでも存在している。しかも不治の病だ。性欲は人間が持つ大きな欲の一つではあるが、感染症というのは恐ろしいな。


そういえば徳川家康は遊女を抱かなかったという資料も呼んだことがある。当時はまだ梅毒という存在が知られはじめたばかりの時期だが、遊女と遊ぶ人間で病が相次いで危険を察したのだろう。君子危うきに近寄らずというやつか。そこで家康は寡婦でしかも出産経験のある女性を側室にすることが多かったとか。大したものだよな。そこまで自重するというのは。流石は“鳴かぬなら鳴くまで待とう”だ。


幸い俺は可愛らしい女性を正室に迎えることが出来た。もうすぐ二人目の妻も出来る。聡子の身体が大人になるまで……後二、三年は我慢だな。元来欲はある方だったからな。今自制できているのは聡子を大事にしたいという気持ちが大きいからだ。


さて、ペニシリンだが、芋の煮汁を米のとぎ汁と合わせて培養液としてそこに青カビを入れて培養するところからだったな。江戸時代に出来る事なのかと訝しんで何度も見返したから何となく記憶に覚えている。菜種油や炭も必要だな。荒鷲に取り組ませよう。


ところでペニシリンは注射で投与するのだったか?服用でも効果があるのだったか?使い方まで覚えていないところが悔しい。まぁ注射器まで俺の知識とこの時代の技術では作れない。その内に梅毒らしき症状の者が出始めたらペニシリンを内服させて効果を確かめていこう。


もし完成したら歴史に名を残すかな。ノーベル賞物だよな。ノーベル賞自体まだ遥か先に出来る賞だが……。

薬名にウジザーネとか名前ついたらどうしよう。読みにくいと欧米圏で評判が悪くなりそうだな。

これを機に医術に関する専門機関を立ち上げることにしよう。明との貿易で漢方に関する書籍や東洋医学に関する書籍が多く入ってきているらしい。その内に南蛮貿易で欧州の医書も手に入るかもしれん。それらを研究して民に提供する機関だ。葛根湯ですらまだ市中に広がっていない。前世では喘息に苦しめられた。基本的にはステロイドの吸入で治療だったが、漢方を併用して症状を和らげる治療もされた。漢方も結構使えるのだよな。新たな特産品に出来るかも知れない。……いかぬ。すぐ銭の事を考えてしまうな。




天文二十三年(1554)五月上旬 駿河国志太郡相川村 今川 氏真




目の前には去年来たときよりも大きく広がった甘蔗畑が広がっている。甘蔗は収穫まで一年は掛かる。植えたばかりの甘蔗から砂糖が採れるまでには今しばらく時が掛かるだろう。

青々と風に甘蔗が棚引く畑を眺めていると、新たに開発した砂糖が手渡される。琥珀色に煌めき、黒糖よりも白砂糖の感触に近くなっている。

「綺麗な色ではないか。それに見た目も味も良い。よくやってくれたな」

俺が労うと、鵜殿藤太郎長照、井伊新次郎直親、松井八郎宗恒の三人が満面の笑みを浮かべた。俺に褒められて喜んでくれている。俺も嬉しいぞ。何と言っても三温糖が出来るようになったのだからな。

「恒右衛門が良く手伝ってくれました」

「ほう。で、あるか。恒右衛門もよくやってくれた。礼を申すぞ」

“へぇ”と恒右衛門がはにかんでいる。身分としては百姓になる恒右衛門を労うことができるところに、三人の成長を感じた。


「甘蔗の作付け面積も大きく広がりました。この分なら今年は昨年の三倍取れまする」

「で、あるか」

新次郎が胸を張って今年の取れ高を予想する。隣で恒右衛門も頷いている。そうか、三倍か。褒めてやらねばならぬな。俺は褒められて伸びるタイプだった。結構こういうのは大事だと思っている。

「三倍とは大したものではないか。よくやってくれたな。改めて礼を申すぞ」

俺が笑みを浮かべて褒めると、四人が嬉しそうに応じた。


「藤太郎、新次郎、八郎の三名は近習へと戻れ。恒右衛門は引き続き開発にあたってくれ」

「「はっ」」

「へぇ」

三人が恒右衛門と顔を見合わせて頷いている。この半年で縁ができたのかもしれないな。恒右衛門は確かに使えそうだ。何処かで伊豆介に家臣にしたいと相談してみよう。優秀な能吏をとられると嫌がられるかな。


府中や富士郡が大商いで賑わっている。俺が自我を持ったばかりの頃とは比べ物にならない程発展した。郊外には次々と工場が作られ、宅地も広がっている。商いの中心地には常に人が溢れている。最近では京よりも賑わっているのでは無いかと思うくらいだ。叶わないなと思うのは堺位だな。だが昔ほど差を感じなくなってきた。


産業の勃興は良いことだが農業が軽視されてはいけない。ここは皆の前で一つ演説をしておこう。北大のクラーク博士よろしく甘蔗畑に向けて手を広げて声を張り上げた。


「志太郡には広大な平野がある。府中や富士は商いと竹細工、布団、歯冊子、酒と挙げれば切りがないが物作り、それに加えて武家や兵で人があふれ土地が限られつつある。ゆえに農作物は志太郡と渥美に力を入れる。ここは兵や民を食わせるための重要な拠点だ。まさに今川の生命線と言えよう」

俺の言葉に皆が大きく頷く。いいね、ついでにもう一言。


「戦には兵や武器、それに兵糧が多く必要だが、そのためには日頃の商いや農作で国を豊かにし、兵糧を運ぶ道を整える必要がある。これは一朝一夕で出来る事では無い。戦さが始まる時には大方戦さは終わっているのだ」

国力が大事なのだと言う話をすると、先程に続いて多くの者が頷いた。理解してくれているのは嬉しいが、血気盛んな戦国時代において俺の家臣達は異質な集団になりつつあるのかも知れない。


いい武器を作るのは大事だし、戦術も大切だ。だが真珠湾で多くの戦艦を撃沈して大勝利を治めたところで国力差には勝てなかった。やはり今の俺に出来るのは富国強兵だな。


とはいえ、桶狭間の戦いは二万五千とも言われる今川軍が三千から五千の織田軍に敗れた。運の悪さや油断もあったのだろうが、大きな敗因は焦りだったのでは無かろうか。五倍も兵力があるならどっしりと腰を据えてゆっくり城を落としながら進めばいい。だが沓掛城に入った後の義元の動きは不思議だ。何故危険を犯して最前線まで行ったのか。俺は義元が前線に出て将兵を鼓舞し、戦さを早く終わらせたかったのではないかと思っている。


二万五千の兵糧ともなると膨大な量だ。確か桶狭間の戦いが行われたのは五月か六月だった。秋には刈り入れがある。一、二ヶ月で終わらせる予定だったのかも知れない。今の俺のように半年、一年出陣が続いたっていいんだぞって体制じゃない。長期戦には厭戦気分のリスクはあるが、そこさえ抑えれば基本的に少数の方が不利だ。五倍の兵力差で半年、一年と戦うのは辛い。一回や二回負けたところで動じない国を作ろう。


ま、元来俺は負けず嫌いだ。負けても良い体制を作りつつも勝てるなら最高だな。




天文二十三年(1554)六月中旬 駿河国安倍郡府中 今川館 武田 信虎




「凛々しい姿じゃ。名門武田家の次期当主として恥じない姿じゃの。これよりは六郎信友と名乗るが良い」

「父上、ありがとうございまする。六郎信友、父上のご期待に応えるよう励みまする」

儂が褒めると、六郎が真剣な面持ちで抱負を述べる。誠に愛い奴じゃ。この末息子は良い男に育った。儂を追放する晴信とは違うわ。


「舅殿、まずは六郎殿の元服を祝おう」

「御祖父様、おめでとうございまする」

婿である今川参議と孫にあたる治部大輔の祝いを受ける。愚息に甲斐を追われて以降、駿府で逼塞した生活を送っている。今日も六郎の元服に館の広間を借りている。

「うむ。その方らのおかげで六郎の元服を執り行う事が出来た。こちらこそ礼を申すぞ。ま、婿殿は晴信と盟約を結んだ今、言葉ほど祝ってはおらぬだろうがな」

婿殿は晴信とは長らく盟約関係にある。今川の立場を考えれば止む無き事だが、甲斐を抑える晴信を重視する婿殿にとって、儂と六郎の存在は微妙なものだろう。今も“そのような事はありませぬぞ”と口では申しながら、面倒事が増えたという顔をしている。よい頃合いじゃ。予てより思っていた事を申すか。


「治部大輔殿に折り入って頼みがござる」

儂が姿勢を正して言葉遣いも正すと、治部大輔が"何でござろう"と淡々と応じた。訝しんでいる婿殿に比べると、何も感じていないように見えるこの反応は不思議よ。この男、常から何を考えているのか分からぬ。


「我が息子六郎を側に付けて鍛えて貰いたい」

儂が頭を下げると、さすがに治部大輔が困ったような表情を浮かべる。いや、この困った顔でさえ演技かも知れぬ。

「お言葉ではありまするが、某と六郎殿は四つ程しか歳が離れておりませぬ。某等が御祖父様の薫陶を受けた六郎殿に教える事などござりませぬ」

二カ国を束ね、軍歴も申し分無い男が謙虚に断りを入れてくる。面倒事だと思っているのやも知れぬ。


治部大輔の元で六郎を鍛えたい気持ちに偽りは無い。歳が近く、優秀な治部大輔の元でならば、六郎が得るものは多いだろう。それに武田家復興のために今川家次期当主と縁を持っておく事は悪く無い。だがこのままでは難しそうだな。婿殿も厳しい表情を浮かべている。晴信との関係を気にしているに違い無い。


「世話に成る身じゃ。六郎は治部大輔殿の家臣としてもらえれば構わぬ。何卒お頼み申す」

「なれど……」

治部大輔が婿殿の顔を見た。武田との外交関係に心を砕く婿殿に気を使ったのだろう。とあらば婿を落とせば孫は落ちる!

「婿殿、そなたが難しい立場になるのはよく分かる。なれど六郎にはよい武士に育って貰いたいと思っておる。よい場所を用意してやりたいと思うのが親というもの。老い先短いじじいの最後の願いだと思って許してくれまいか」

平伏するように頭を下げると、婿殿から"義父上、お止めくだされ"と声が掛かる。構わず下げ続けていると、"分かり申した"と声が聞こえた。

「ま、誠であるか」

「義父上にここまで頼まれては断れぬ。治部大輔、六郎殿の面倒をみよ」

「承知致しました」

婿殿の承知を受けて治部大輔も折れる。

「六郎、礼を申せ」

「はい。参議様、治部大輔様、ありがとうございまする」

「御祖父様の言葉通り、俺の家臣として扱うがよいか」

治部大輔の顔付きが変わった。これよ。先程まで孫が祖父に見せる優しげな顔をしていたが、武士のそれに変わった。底知れないところを伺わせる。

「はい。よろしくお願い致しまする」

六郎が治部大輔に頭を下げる。


「今一度確認するが、俺は家臣に特別扱いは一切しない。それでもよいか」

「構いませぬ」

「で、あるか。あい分かった。ならば六郎には百石の禄を与える。働き次第で加増もしよう。予め申しておくが、御祖父様に甘えるな。己の力で伸し上がってこい」

治部大輔が厳しい事を言うと、六郎が少しだけ驚いた様子を見せながらも"はっ"と平伏した。


治部大輔は十六か七だったはずだが、随分と大人びているな。左馬助が気に掛けるのが分かる。儂が見込んだだけはあるの。六郎にはしっかりと言い聞かせよう。治部大輔に忠誠を尽くせばそれなりの所領を得ることが出来るかも知れぬ。晴信は分家よ。儂は認めぬぞ。六郎こそ名門甲斐源氏の当主よ。




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