第七十二話 奇襲




天文二十二年(1553)十二月上旬 駿河国志太郡相川村 今川 氏真




「なかなか骨が折れるな。これは腰が痛くなる」

「そうは仰せですが、中々お上手でありまするぞ」

狩野伊豆介の褒め言葉に乗せられていると、隣で黙々と長野信濃守が作業を続けていた。

「信濃守は手慣れているな。その方が農作業まで出来るとは思わなんだが」

「籠城の時には少しでも兵糧を増やそうと農作業を何度かしたことがありまする」

流石は猛将信濃守業正だな。信濃守が経験事として話すと、吉良上野介義安、井伊新次郎直親、朝比奈弥次郎泰朝等の供回りが感心するように頷いた。


「しかし若殿、これは変わった作物ですな」

作業を続けながら信濃守が話掛けてくる。

「うむ、これは甘蔗と言ってな、唐から明船を使って仕入れた。茎を洗って煮詰めると砂糖ができるのだ」

「なんと!砂糖でござりまするか」

驚いているのは信濃守だけではない。皆が手を止めて驚いている。まぁ無理もない。砂糖は超がつく高級品だからな。

「そうだ。唐には古くから伝わっていたらしい。一昨年から明の船が来るようになったであろう?銭を積んだら苗と栽培方法を手に入れる事が出来た。かなり銭は掛かったがな」

「若殿、甘蔗が手に入ったのは分かりまするが、育てるのになぜこの地を選ばれたのでございまするか」

鵜殿藤太郎長照が不思議そうに問いかけてくる。いいね。藤太郎は内政に熱心だ。

「うむ。この甘蔗を育てるには風が強い方がいいらしい。そういう意味では遠江の方がもっと良い場所があると思うが、上手くいくか分からぬものを父上の所領でやるのも憚られる。そこで駿河の中でもなるべく暖かく、風のありそうな場所という事でここを選んだのだ。まずは上々の出来映えでよかった」

あまり知られていないが、甘蔗、つまり前世で言う所のサトウキビは沖縄以外でも栽培されている。確か四国でも生産されていたはずだ。日本最北端の生産地が静岡の掛川だ。前世の仕事関係で一度視察に行ったことがある。サトウキビ畑が広がる、沖縄の離島のような景色の中に、風力発電の風車がいくつも設置されて不思議な景色だったことを覚えている。


「なるほど。左様でござりましたか。ところで、この茎からどの程度砂糖が採れるのでしょうか」

藤太郎が再び聞いてくる。皆も気になっているようだ。

「それは向こうの工場で聞くとしよう。恒右衛門、案内を頼めるか」

俺が恒右衛門に案内を依頼すると、恒右衛門が"へぇ"と応じて歩き始めた。皆が刈り取りの手を止めて付いてくる。伊豆介に聞いた話では、恒右衛門は荒鷲の一員で、元は庄屋の次男坊らしい。家の農作業を手伝う傍ら寺で学び、才をもて余していたところを引き取ったらしい。内気だが書物好きが高じて漢学ができるらしい。甘蔗の育て方を纏めさせた書籍は当然漢文だ。土がいじれて漢文が読めるという事で白羽の矢がたったと言う訳だ。


恒右衛門に聞くところでは、育て方を纏めた書籍は図も多く入っていて読みやすかったらしい。明の商人にはかなり払ったからな。それに支払いはまだ三分の一しかしていない。しっかり領内で収穫が出来たら残りを払う事にしている。明の商人は渋ったが、府中での交易は随分と儲かるらしい。俺を怒らせない方が良いと思ったのか最後は折れた。




工場へ場所を変えると、もくもくと蒸気が立ち上る中に甘い香りが漂う。黒糖の芳しい香りだ。

「この大鍋に洗った茎を入れて煮込みまする。途中に少しずつ石灰を入れていくと、砂糖の基になる煮汁ができまする。その煮汁を乾燥させて形に致しまする」

少しおどおどしてはいるが、恒右衛門が懸命に説明をしている。確かに、頭は中々良さそうだ。士族に引き上げて農業担当の官吏にするのも良いかもしれない。


「恒右衛門、砂糖は煮詰めた甘蔗からどの程度出来るのだ?」

「へぇ、大体元の重さの一割と少しが砂糖になりまする」

「藤太郎、という事らしいぞ」

俺が質問をすると、恒右衛門が淀みなく応える。藤太郎が"なるほど、承知致しました"と頷いている。

「砂糖はどの程度で売れるのだ」

信濃守が恒右衛門に尋ねる。信濃守は領国経営を担っていただけあって軍事物資の算盤に明るい。今も砂糖の元手でどれだけ物資が用意出来るのか気になっているのだろう。

「へぇ、季節によっても異なりますが、大体一斤で百二十文から百五十文で取引されておりまする。この砂糖も同じくらいで取引されるのではなかろうかと」

「百五十文!」

「それほどか」

「茶の倍以上ではないか」

皆が驚いている。確かにな。一キロ百円から二百円程度で買っていた俺から見てもある意味驚くわ。十倍とかじゃ効かない程の価格差がある。それだけ貴重だということだな。

「恒右衛門、今年の収穫は如何程望めそうだ」

「へぇ、まだ畑が小さいので、砂糖になるのは二百匁程では無いかと。来年は倍位にできると思いまする」

「で、あるか。二百匁ならば上々の出来よ。引き続き励んでくれ」

俺が労うと恒右衛門が嬉しそうに頷きながら"へぇ"と頭を下げた。黒糖か、いいね。砂糖自体が名産品になるし、砂糖で色々品も作ることが出きる。羊羹に使うと美味しいんだよな。また名産品が一つ出来そうだ。


「この砂糖はまず朝廷に献上する。その後は朝廷御用達の砂糖として売り出そう」

「ハッハッハッ、若殿お得意の商いですな」

庵原安房守が笑いながら話しかけてくる。

「朝廷の箔が付くだけで価格は上がる。我らは大きく得をするだろう。朝廷も砂糖を献上されて喜ぶ。民も高価な副業ができて潤う。三方良しであろう?」

「左様でございますな」

安房守がクスクスと笑いながら応える。何だ?何か変なこと言ってるかな。

「高くなった砂糖を買う商家が損をするかな。いや、彼らは欲しくなければ買わぬだけだ」

砂糖は現時点ではほとんどを輸入に頼っているはずだ。品質に問題が無く、輸入するより安ければ売れるだろう。明から輸入できるということは明では作っている。ならば作り方を入手して作ってしまおうと考えたのだがこれが笑われたのか?合理的に考えれば行きつく考えだと思うのだが珍しいのかな。


「砂糖はどこも足りておりませぬ。作れば作っただけ売れるでしょう」

「俺も伊豆介の言うとおりだと思う。砂糖も新たな名産品として増産し、駿河を天下一の富国にしようぞ」

俺が力を込めて拳を握ると、皆が力強く"おぅ"と応じた。




天文二十三年(1554)一月下旬 尾張国愛知郡笠寺村笠寺砦 岡部 元信




「これまた強い風であるの」

「左様ですな。伊吹おろしという強き風でしょうな」

飯尾豊前守殿がぼやくと葛山播磨守殿が同調するように返した。

「ここまで風が強くて足元も悪くては戦処ではありませぬな」

浅井小四郎殿が縁側に強く吹いている風を眺めて呟いた。

同席している播磨守殿や久能日向守が頷いている。

この二日程、強風と雪が続いた。雪は昨日に止んだが、風は収まる気配が無い。


ここ笠寺砦では、尾張方面の防衛に加えて、水野下野守、大給松平家をはじめとした反今川の動きの鎮圧に追われている。桜中村城の山口左馬助殿、その子で鳴海城を抑える九郎次郎と連携して反今川方の国人達を追いつめている。小康状態が続いていた状態から味方が押し始めた所だったが天気ばかりは致し方ない。くるぶしよりも積もる雪を受けて一度笠寺砦まで引き上げた。しばらくは小休止だ。


「豊前守殿、緒川城の水野下野はあと一歩の所でしたな」

「播磨守の申す通りよ。やはり目の前に築いた村木砦が効いておるな。あと少しの所まで追い詰めたが、これだけ天気が崩れては致し方ない。ま、僅かばかり落城が先になっただけよ」

豊前守殿の言葉に皆が笑う。無理もない。このところ三河が西に東にと揺れた。この笠寺や鳴海は下手をすれば孤立するところであった。尤も、今も三河方面とは細い線でかろうじて繋がっている状態だ。


皆で談笑をしていると、泥を被った使い番が現れた。息を切らしている。手傷も負っているようだ。

「申し上げまする!」

「い、如何した」

飯尾豊前守殿が驚いた顔で訪ねる。

「はっ!村木砦が織田勢の猛攻を受けておりまする!」

村木砦が?笠寺方面で敵が通った形跡は無い。敵はどこから沸いたのだ?

「織田勢はどこから来たのだ。何処の織田か」

顔を見合わせあっている皆に変わって儂が使い番に問う。

「はっ!旗印は永楽通寳。織田勢は西と南の方向より突如現れ城に雪崩れ込んで参りましてございまする」

西ということは……、この悪天候の中で船を使ったか!


「雪崩れ混むとはどういうことじゃ。村木砦は深い堀で囲まれておろう。吉田武蔵守殿は何をしておった」

「申し上げにくいのでございまするが、戦は無いものと……そのう、荷受けのために橋を下ろしていた所に織田勢が」

「たわけっ!敵が目の前にいる砦で橋を不用意に下げたままにしておく者があるか!」

「も、申し訳ありませぬ」

儂の気迫に使い番の者が物怖じしながら応えた。

「その方に言うことで無かったな。すまぬ。それで詳しい状況を申せ」

「はっ!三百で籠る砦に対して織田方は千程の兵で押し寄せておりまする。東側の大手門は頑張っておりまするが、橋が降りていた西側の裏門は砦内で敵に押されておりまする」


ここから村木砦は四里程しか無い。手勢なら半日と掛からないはずだ。急げば間に合うかもしれぬ。

「すぐさま援軍を出さねばなるまい」

思った事を口にすると、豊前守殿が渋い顔をされた。このお方は責任が生じるのを嫌がられる。負け戦になった時の事でも考えられたのかも知れぬ。

「某に千名預けて下され。押し戻して見せまする」

言葉を重ねて説得をするが、豊前守殿は"そうじゃのう"と言ったりして色好い回答を示さない。


「いや、今からでは間に合わぬでござろう。下手に動くよりも敵の出方を見極める方が肝要でござろう」

「おぉ、そうじゃな。織田の陽動かも知れぬ。今少し敵の動きを見てからの方が良いの」

播磨守殿が消極的な策を具申すると、豊前守殿が水を得た魚のように応じられた。いかぬ。それでは取り返しがつかなくなる。

「村木砦を失っては緒川城を落とすのは難しくなりまする。それに水野、大給松平が反旗を翻している中で城は失えませぬ。敵に勢いを与えますぞ」

見過ごしも責任を問われるぞと、豊前守殿を動かすために厳しい物言いをした。どうしたものかと逡巡している様子が伺える。

「援軍に向かっているうちに尾張方面から敵がこの笠寺砦に押し寄せては元も子もない。ここはまず鳴海城と連携して守りを固め、敵に他の動きが無ければ援軍を出すことで如何だろうか」

浅井小四郎殿が間に入って意見を具申する。

「だめじゃ。それでは静観と変わらぬ。ここは兵を出して我が方の武威を示さねば他の国人が続きかねませぬ」

「丹波守の言うことや、尤もである。なれど小四郎殿が申すことも尤もである。尾張侵攻の拠点であるこの笠寺砦を失う訳にはいかぬ。ここは敵の動きを注視して対応しようぞ」

「なれど」

「控えられよ。村木砦が落ちたとてこの笠寺や鳴海があれば敵を挟撃出来よう。今までと変わらぬ。今川の力で圧せれば取り戻せるはずじゃ」

確かにそれも一理ある。だが知多半島の入り口にあたる村木砦が落ちれば知多半島側の国人達はほとんど織田方に靡くだろう。三河とて安穏としておられぬ。それに織田方の勢いが増して水野、大給松平に続く国人が出かねぬ。ここは仮に笠寺や鳴海を失ってでも国境を固めるべきだと思うが……。




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