第七十一話 拝謁




天文二十二年(1553)十月中旬 山城国上京 内裏 草ヶ谷 之長




「主上におかせられましてはご健勝のこととお慶び申し上げます。臣、源治部大輔氏真、主上に目通りが叶い望外の僥倖にございます」

平伏をしながら若殿が口上を述べられている。御簾越しには主上がおわしになっている。麿は今までに殿上した際にも、主上へ何度か目通しが叶ったが、今日ほどの距離ではない。若殿に至っては歌合以降初めてのはずだ。些か緊張する。謁見の間には主上の他、二條太閤殿下、一條関白兼左大臣様、近衛右府様、西園寺内府様、広橋大納言様、烏丸、日野、三條西、萬里小路の各権大納言様が見える。朝廷を支える錚々たる方々だ。


「田舎から遠路よう参られたの。大儀であらしゃいますな」

二條太閤の声がした。まだ頭を上げる事を許されていない。平伏したまま若殿が"はっ"とお応えになった。それにしてもいきなり田舎とは……。公家の中では畿内の他は遠国とみる節がある。悪気なく仰せになっただけかもしれないが、拝謁の冒頭から不穏な空気を感じた。

御簾越しの主上が微かに動かれると、一條関白が"面を上げられよ"と仰せになった。許しを得て面を上げると、二條太閤や一條関白、広橋大納言様のこちらを値踏みするような視線が刺さった。


「麿は駿河に出向いた事がおじゃりまするが、船を使えば然程時を掛けずにたどり着けまする。それに駿府は東国の都と呼ばれるだけあって随分と賑やかでおじゃりまする」

右府様が緊迫した空気を和ませようと、府中の話題をお出しくださった。西園寺や三條西といった中立の公卿が"ほぅ""左様で"と当たり障りの無い反応をなさっている。

「如何に船を使えば近いとて、洛中は不馴れであろう。ましてや内裏など特にの。主上は寛大な御方ゆえ気張らずともよいぞ」

太閤が若殿にお声をかける。言葉尻は丁寧だが、何か裏が無いかと勘繰ってしまう自分がいる。

「お心遣いに礼を申し上げるでおじゃりまする。治部大輔、おかげさんで胸の不安がすーと引いていきました」

若殿が急に御所言葉で話されると、場にいる公卿達が驚かれた。これには麿も驚かされる。発音に違和感は無い。御裏方様に教えでも乞われたのだろうか。そうであるのならば、かなりの努力が必要であっただろう。渋い顔をされている関白殿下を見て清々しく感じた。太閤殿下は感情を隠されているが、心中驚かれているのは間違い無い。右府様に至っては笏で顔を隠して笑われている。相変わらず若殿は面白い事をなさる。


「治部大輔」

御簾越しに声がすると、皆が話すのを止めて静寂が訪れる。

若殿が"はっ"と応じられた。

「その方と今川には何時も気を使ってもろうて有り難く思うておる。前からその方とは近くで会うて見たいと思っていたのだ」

「勿体無いお言葉におじゃりまする」

主上からのお言葉に若殿が再び頭を下げる。麿も若殿に合わせて平伏した。

「それに此度はすまなんだの。随分と前から拝謁願いをしてくれていたと聞いた」

何と仰せになった?随分と前から拝謁願いと仰せになったか?思わず頭を上げると、二條太閤が不敵に笑みを浮かべていた。すぐに笑みは消えたが見間違いではない。……全く、太閤ともあろう方が小さき事をなさる。鬱屈した気分になった。我が家の先祖である菅公は、日々こうした気持ちと戦っていたのかも知れぬ。


「今回は一際朝廷に気を使ってくれたとか」

主上から御言葉が重ねて掛けられる。今回急遽用意して献上した目録に対する礼だろうか。いや違うな。太閤殿下か関白殿下が入らぬ差し金をしているのだろう。目録の内容では足りぬはずだ。あれは驚く内容ではない。さらに貢ぎ物を捻り出して、太閤らの手柄としたいか、主上が後で目録をご覧になられて思ったほどで無しと落胆されるか。どちらに転んでも太閤に都合のいい形だろう。

どうしたものかと右府様のお顔を確認すると、ゆらゆらと静かにお顔を振られた。静かに事が終わるのを待てと言う意であろうか。念のため京の赤鳥堂と享禄屋で用意できる品を書いておいた目録を胸元から出して若殿に差し出そうとすると、若殿が手で麿を制された。


「豆州の田方郡というところに龍泉寺という寺がおじゃりまする。鎌倉より続く古刹でおじゃりまするが、仏の教えをどう間違えたのか、民から税を絞り私腹を肥やしておりました。先般、麿自ら成敗をしておりまするが、長らく苦しんで来た民に安寧をもたらしたいと思うておじゃりまする。千石に届くかどうかという土地ですが、禁裏御料としてお納め頂ければ民の安心はいかばかりかと」

「治部大輔殿、控えられよ。龍泉寺といえば、確か其処元が焼き討ちした寺の名であろう。そのような不穏な場所を御料所とするとは」

「お言葉にございまするが、某が誅したのは賂に耽る生臭坊主どもであって、無辜の民に罪はありませぬ」

一條関白殿下が若殿を制するように話すと、若殿がすかさず低い声でお応えになった。いつの間にか常の口調に戻っておられる。

「民のためとあらばよろしゅうありませぬか。太閤殿下も良いと思われたからこそ、気を使った品と表現なされたのでおじゃりましょう」

「いや、うむ、ま、そうでおじゃるな」

近衛右府様が機転を効かせて太閤殿下に話を振られると、太閤殿下が渋々応じられた。大方、殿下は金銭といった貢ぎ物を捻り出せるとでも思われていたはずだ。だが若殿は"気を使ってもらった"品として龍安寺の寺社領を差し出された。流石は若殿だな。これが認められるのなら、若殿の焼き討ちは主上が認めた正当なものとなる。後は朝廷がこの毒饅頭を食ろうてくれるかだが……。


「太閤も右府も良いのならば良いではないか。関白はまだ何ぞあるか」

「はっ、いえ、主上の御心のままに」

一條関白殿下の返事が切っ掛けとなって一同が主上に平伏する。

「うむ。では仔細は皆で決めてたもれ」

「「はっ」」

主上の下知に皆で再び平伏する。太閤殿下のお顔が見えぬのが残念よ。口惜しゅう思っているだろう。


「もろうてばかりでは悪いの。治部大輔は何ぞ欲しいものはあるか」

「主上にお心遣いを頂いたというだけで臣には十分でござります」

「ほほほ、今時珍しい程に殊勝な者よ。遠慮は入らぬぞよ、何ぞあれば申すがよい」

「であれば、差し出がましい限りではありますが、一つ所望したき物がございまする」

若殿が所望の意を伝えると、公卿の方々が少し身構えるのが分かった。官位か、官職か、朝廷が与えることができるものなど限られている。既に従四位下にある若殿が昇進しては脅威に覚える公卿もいるだろう。


「さすれば御宸翰を頂戴願えますれば、臣にとってこれ以上の喜びはありませぬ」

「宸翰とな。斯様なものでよいのか」

「斯様なもの等と。某、少々茶を嗜みますれば、主上のお書き遊ばされたものを飾って茶を立てるお許しを頂けるのならば欣幸の極みにございまする」

「誠にその方は面白き奴よ。よい、許す。和歌を書いて遣わすゆえ持っていってたもれ」

御簾越しでも主上がご満悦なご様子なのが伺える。若殿はここまで狙っておられたのだろうか。感心をしていると、嬉しそうに喜ぶ若殿のお顔が目に入った。あれは本当に嬉しい時にされるお顔だ。やれやれ、我が殿は本当に変わったお方よ。




天文二十二年(1553)十月下旬 駿河国安倍郡府中 今川館 今川 義元




治部大輔からの文に目を通していると、自然とため息が出てきた。

「治部大輔殿はなんと」

余の反応が気になったのか、母上が問いかけてくる。雪斎もどうしたのかと怪訝そうな顔を浮かべている。


「側室を迎える話は首尾よくいったようです。近衛右府様の了承を得られたと。それよりも摂家の対立に巻き込まれて大変だったようでありまする」

「摂家の対立に巻き込まれた?」

母上が益々眉を顰めて問うてくる。雪斎は想像がついたらしい。治部大輔と共に上洛をしたことがあるからな。ため息のような息を吐きながら面倒そうな顔を浮かべた。

「二條太閤殿下と近衛右府様の間がどうも合わぬようでございまする。それに一條関白殿下が太閤殿下寄りで右府様は分が悪いとも」

「妾も二條家と近衛家との間に確執があるようだとは中御門から伺っております。山科内蔵頭様も同じような事を仰せでした」


「九條家の当主は諸国を放浪、鷹司家は断絶となっており摂家と言えども安泰ではありませぬからな。角逐するところもあるのでござりましょう」

「雪斎の言うとおりよ。こういう世だからこそ我が今川が摂家と縁続きになれたのかもしれぬ。縁続きになった以上は近衛を援助せねばなるまい」

「太閤殿下と関白殿下を相手にするとは恐れ多い……。妾は頭が痛くなって来ましたよ。参議殿に任せますが深入りすると大変になりますからお気をつけなさい」

「公家の世界は泥々としておりまするからな」

母上が疲れたように話されると、雪斎も顔をしかめて相槌を打ってくる。

「僧の世界とて同じようなものであったぞ。人の世とはそういうものよ」

洛中で僧として修行している時分に、僧の汚い世界を嫌と言う程見てきた。昔の光景を思い出しながら呟くと、雪齊が"それもそうですな"と苦笑した。


「ところで治部大輔殿は何処におられるのですか」

「文によれば堺に行っておりまする。折角上洛したので足を延ばすとありまする」

「まったく治部大輔は……。室をおいて旅ばかりですね」

母上がまたため息を吐かれた。母上は近衛から来た姫を随分と可愛がっている。そのためか府中を留守にすることが多い治部大輔に小言を言うことが増えてきた。

「そう仰せになりますな。治部大輔は見聞を広げに行っているのです。氏真の事ゆえ、きっと後の今川のために何か身につけて参りましょう。それに、あれはあれで室を大事にしておりまする」

余が宥めると、母上が"それは認めますが"と呟いて席を立たれた。




「非凡な若君をお持ちになられると色々とご苦労なされますな」

「愚か者の尻拭いをするよりは余程気が楽よ」

「それはその通りでございまするな」

雪斎と他愛ない話をしていると、心地よい秋の風が吹いたので、縁側に移動して庭を愛でることにした。小姓を呼んで茶を運ばせる。淹れたての煎茶が旨い。

「今年は冬が少し早く来そうだな。紅葉に色が大分ついてきた」

「そのようですな。冬は例年より冷え込むかもしれませぬ」

「そうだな。だが府中の冬だ。京に比べれば大したことはあるまい」

「都の冬は随分と冷えますからな。それに比べて府中は暖かい。まこと良き国にございまする」

僧として過ごした頃の冬を思い出す。夏は暑く、冬は寒いところだった。それに加えて戦乱によって荒廃も進んでいた。公家が都を離れて各地で暮らすのも分かる。


「年が明ければ三國での盟約か」

余が問うと、雪斎が茶を飲むのを止めて余の方へと身体を向ける。

「春先に三國の当主が集う形で調整しておりまする。場所は興国寺城がよろしいかと」

「興国寺城?確かに河東の争いをしていたころならば前線かつ要害でもあっていいのだろうが、今や伊豆まで我が今川領だ。猛々しく興国寺城でやらずとも善得寺あたりでやってはどうか」

「善得寺でございまするか。確かにそれも良いかもしれませぬな」

善得寺には思い入れもある。伽藍をいくつも整備して随分と立派な寺にもなっている。武田と北條の当主を呼んでも恥ずかしい場所ではない。この大きな盟約の場としてふさわしかろう。





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