第七十話 義兄弟




天文二十二年(1553)九月下旬 甲斐国山梨郡府中 望月 まつ




「御裏方様、ここならご安心かと」

「あら、そうなの?見たところ普通の呉服屋に見えるけれど」

「はい。こちらは富士屋と申しまして、富士郡に所領を持つ富士兵部少輔様が作られた店になります。御裏方様が内々のお話をされたいとのことでしたので場所をお借りしました」

事情を説明すると、嶺様が部屋の中を物珍しそうにご覧になる。物怖じされないのは相変わらずだ。


本当は荒鷲が拠点とする店でも良かったのだが、私とさちが荒鷲の出である事は嶺様もご存知無い。何処から漏れるとも分からぬ。あの店はまだ秘匿しておく方がいいと判断した。

「まつはよく知っていたわね。この店が大宮司殿の店だと」

「私の実家は由比で商いをしております。由比は田子ノ浦との交易が盛んで、田子ノ浦では大宮司様が手広く商いをなさっておりますゆえ、色々と知らせが入ります」

「そうなのね。知らない事ばかりだわ」

関心したように嶺様が応じる。私の実家が商いをしているのは本当の事だ。尤も、それは荒鷲としてであるのだけれど。

「私も存じあげませなんだ」

もう一人の付き人であるさちが応えると、"一緒ね"と嶺様がさちを慰めた。確かに、荒鷲の拠点はさちも知っているが、この店の事までは知らなかったかもしれない。一通り物色、いや、確認が終わったのか、嶺様が私の顔をご覧になる。


「内々の話とは兄上から届いた文の事なの。兄上は北條から姫を娶る予定らしいの。都の太閤殿下や内府様が認めて下されば恙無く進むだろうと。武田からも北條に姫を輿入れさせて三國で盟約を結ぶつもりらしいわ」

「「おめでとうございます」」

二人で言祝ぐと、嶺様が少しだけ眉をひそめた。

「目出度いかしら。確かに、三國の盟約は武田にも都合がいいかも知れないわ。でも私は聡子姉様が不憫に思えて」

なるほど。武田も進めたいと思っている三國の盟約を否定するようなお話だから人目を憚られたのか。


「左京大夫様の姫君はおいくつなのでしょうか」

「正確な歳は分からないけれど兄上よりは下のようね。春さまと仰るらしいわ」

「春さま……」

「兄上にお祝いを述べるべきか、一つ忠告を書くべきか迷っているのよ」

「両方お書きになられたらよろしいではありませぬか。他家に輿入れされても御裏方様が変わらずお元気だと若殿は安心されるかと」

私の言葉に嶺様が口を曲げたようなお顔をされた後、クスクスとお笑いになる。

「なんだか存外に扱われた気がするけれど、両方書くのはいいかもしれないわね。話して良かったわ」

「それはよろしゅうございました」


「でも三國の盟約がなれば色々と忙しくなるわね」

嶺様が顎に手をやって考え事をする仕草をなさる。何度か拝見した若殿のお癖とよく似ている。

「どの家も背を固めて戦えますからね」

嶺様の話に合わせようと相槌を打つ。さちは横で静かに聞いている。

「そうね。武田は長尾と、今川は織田に専念できるわね。北條は関東かしら」

嶺様の問いに"はい"と応えると、嶺様が少し訝しんだお顔をなさった。

「前から思っていたのだけれど、まつは博識ね。私は館ではできない話がこうやって出来て嬉しいけれど不思議な気持ちだわ」

「御裏方様付きが決まった時、若殿が嶺様は世の情勢に明るく男勝りな所があるゆえ、学を付けておくようご指導がありました。付け焼き刃ではありましたがお褒めに預り嬉しゅうございます」

頭領から予め頂戴していた質疑の教本が役に立つ。


「そうだったの。男勝りとは兄上も失礼だと感じるけれど、まつとこうして話せるようになったことには感謝しなくてはいけないわね」

嶺様が笑みを浮かべられる。素敵な表情だ。見とれていると、"何か顔についているかしら"とからかわれた。


「それはそうと、御義母様に土産を買わなくては行けないわね」

「はぁ」

急に話が変わって気が抜けたような返しをしてしまう。

「お買い物に出掛けると言って出てきたでしょう?土産が無くては怪しまれてよ」

なるほど。それはそうだ。

「先程入口の売り場に華やかな髪止めが並べてありました。紙に絵柄が描かれていて美しゅうございました」

さちが嬉々として報告する。しっかりと確認しているのは役目熱心というか目敏いと言うか……。

「華やかな髪止め?面白そうね。店の者に説明してもらおうかしら」

嶺様の了承を受けてさちが店の者を呼びに行く。三十を過ぎたくらいだろうか。店主にしては若い男がやってくる。


「お呼びにより参りました。私、この店の番頭を務めております吉十郎と申します。色髪止めをご覧になっていただけるとか」

番頭が名乗りながら盆に並べられた髪止めを嶺様の手前に置く。

「まぁ、素敵ね!これなど虹の絵が綺麗だわ。この蝶が描かれているのも捨てがたいわね」

「ありがとうございます。色髪止めは駿河府中で作られた品で、最近は都でも大層人気なお品との事でございます。聞くところによれば、治部大輔様の発案で作られたとか」

「兄上の?」

番頭の男が笑みを浮かべながら"ええ"と応えると、嶺様がため息を吐きながら呟かれた。

「どうして兄上はこうも色々と思い付くのかしら。それも女子が使うものにまで」

「まったくですね。でも御台所様にお送りするにはとても良い品だと思います」

「さちの言うとおりね。幾つか所望するとしましょう」

「ありがとうございまする。どうぞゆっくりとお選び下さいませ」

「せっかくだから貴方たちも自分のものをいくつか選ぶといいわ」

嶺様の言葉に驚いてさちと顔があう。お互いどうしたものかと言う顔だ。"遠慮はしないの"と、嶺様が続けざまに声を掛けられる。ここはお言葉に甘えるとしようか。さちもそう思ったらしい。二人して笑った。




天文二十二年(1553)十月上旬 山城国上京 内裏 近衛 晴嗣




「この儀はこれで終わるとして、他に何ぞありますかな」

一條関白がまとめに入ると、皆が首を振った。

"では"

関白が続けて皆に声を掛ける。何時もの通りだ。皆で主上の方に身体を向けて頭を下げると、主上が立ち上がって場を後にされた。

さて、今日は治部大輔が我が邸宅へ来ることになっている。早々に帰って準備でもしようかとすると、二條太閤と顔が合った。


「そういえば、近衛さんの所に駿河から治部大輔が来はるらしいですな」

「ほほほ、これは太閤殿下、お耳が早うおじゃりますな」

なぜ知っているのかと驚きかけたが、後で変に噂されるのも気乗りしない。何時ものように応じた。治部大輔が来ることは麿と今川のごく一部しか存じないはずだが、上洛の通り道にあたる北畠か六角にでも聞いたか。六角が将軍家、将軍家が二條さんにでも伝えたかも知れないな。


「先の歌合は見事で楽しゅうおじゃった。のう関白」

「左様でおじゃりますな。歌と食と真に雅な一時でおじゃりました」

太閤殿下が隣に座る一條関白に話しかけると、関白がニヤリとしながら応じた。場に残った西園寺内府がどう反応したら良いかと逡巡している。

「治部大輔が参加した歌合ですな。確かにあれは良い歌合でおじゃりましたな」

太閤と関白の狙いが分からぬ。探るように答えた。

「右府もそう思うか。そうよのう。贅を尽くした催しもよかったが、治部大輔の歌も良かった。また会うて見たいと思ったものよ。どうでおじゃろう?今川は何かと朝廷に気遣いしてくれる忠臣、主上も治部大輔には一目置かれてあらしゃるところなれば、拝謁を願ってみては」

主上への拝謁?そのような大事は事前に、それもかなり早く言って置かねば用意……まさか!


「それはよろしゅうおじゃりますな。今川殿から今年の茶が献上された時に、主上がもそっと近くで会いたいと仰せでおじゃりましたからな。今川殿からの献上は多くを治部大輔殿が差配されているとか。主上も喜ばれましょう」

関白が話の流れを作るように話してくる。太閤殿下は鷹揚に頷いている。内府は早く席を立たなかったことを後悔しているような顔をしている。摂家の勢力争いに巻き込まれて辟易としているだろう。

「そうでおじゃるな。それに越後の長尾が先月に拝謁した折りには主上は大層ご満悦であらしゃった」

「麿もそのように思いましたぞ」

「そうとなればこの後にでも主上に伺っておこう。忠臣を待たせる訳にはいかぬ。直ぐにでも拝謁となるよう事を運ぼうぞ」

「……治部大輔に伝えまする」

太閤殿下と関白殿下が半ば強引に話を進めてくる。こうも流れを作られては断ることなどできぬ。何とか言葉を絞り出すと、太閤殿下が"うむ、楽しみにしておる"と仰せになりながら去って行かれた。


面倒な事になったぞ。地方大名の拝謁は大名側が入念に準備をしてくるものだ。だが此度はそうではない。いかに治部大輔とはいえ準備が無い。太閤と関白は治部大輔に恥でも掻かせたいのか。ありえるの。足利と懇意な太閤が大樹に頼まれでもしたか。それか富裕な今川と懇意な近衛に嫉妬でもしたか。

いずれにしてもあの物言いだ。早ければ二、三日で拝謁になるな。治部大輔に何処まで準備があるかだが……。




天文二十二年(1553)十月上旬 山城国上京 近衛邸 今川 氏真




「義兄上におかれましては右大臣への転任、治部大輔、改めてお慶び申し上げまする」

「うむ、礼を申すぞ」

「ささやかでは有りますが幾つか土産を持参致しました。お納めいただければ嬉しく存じまする」

「いつもすまぬの。ところで此度の上洛は急であったが何ぞおじゃったかの。その方からの文にもこれといって書いておじゃらなかったが」

義兄上たる右大臣近衛晴嗣が問いかけてくる。久方ぶりに会った上に右府への昇進もあった。常ならまずこの辺りをゆっくり談笑となりそうだが、今日は随分と急いているようだ。何かあったのだろうか。


「はい。相模の北條家より当家に盟約の申し入れがありました。左京大夫殿の姫君の輿入れを伴うもので、某の側室になる事を希望でありますれば、義兄上にご相談をと思い洛中に参った次第でございまする」

俺の話に晴嗣が眉を上げる。

「ほう、左京大夫の娘がその方に輿入れとな?年はいくつになるのじゃ」

「八つと聞いておりまする」

「八つとな。ならば聡子とは七つも歳が離れていることになるの。武家には武家の都合があろう。麿が婚儀に反対する事はないが、そなた順番を間違えるでないぞ」

跡継ぎの事を言っているのだろう。晴嗣が真剣な眼差しで俺の顔を見てくる。

「某もそれについては重々承知しておりまする」

「聡子からの文にはいつもその方が大事にしてくれているとある。ならばこれ以上言うことは無い。今川と北條、武田の三國で盟約か。これで今川は西に向かって専念できるの。上洛を楽しみにしておるぞ」

「父の参議も尾張攻めに専念すると申しております。ご期待に沿えるよう励みまする。さすれば太閤殿下にもお伺いを……」

頭を下げながら続けて太閤殿下の所に伺う算段を話そうとすると、晴嗣に"無用じゃ"と遮られた。


「父上は公方と共に朽木におる。わざわざ出向く必要は無い。麿から伝えておこう。それにその方が出向いては公方から厄介事に巻き込まれかねぬ」

「厄介事でございまするか」

「そうじゃ。公方は今川を好んでおらぬ。その方の父に支援を何度か催促したが断られておるでな。ただ、面白くないと思う一方で、今川には力を持つ足利一門として期待するところもあるようじゃ。何れにしてもその方が行って良い事にはならぬ」

成る程そういうことか。確かに晴嗣の言うとおりかも知れない。君子危うきに近寄らずとも言うからな。

「承知致しました」

「治部大輔。わざわざ上洛して麿への伺いを立ててくれたのは有り難いが、麿が断ったらどうするつもりじゃった」

晴嗣が珍しく厳しい顔で俺を見ている。

「それは説得を試みていると思いまする」

「うむ。気を使って相談という体裁を取ってくれたのは麿にも分かる。だが麿が気遣いに気付かず闇雲に反対していたら今川と北條の関係にひびを入れることになっていただろう。此度の話は輿入れの報告で良かった。わざわざ上洛してくれているだけで誠意は伝わっておじゃる」

晴嗣の顔に笑みが戻る。俺を諭してくれたのか。確かに、ここで晴嗣が反対したとなるとややこしい事になっていた。右大臣が反対したという事になるのだ。北條もどうしたものかと動揺するだろう。前世の庶民感覚が出てしまったかもしれないな。ここは義兄上のご指導を有難く受けよう。

「ご忠告、肝に銘じまする」

「うむ。義理とは言え麿はそちの兄ゆえの。それにその方には期待しておる」

“ホッホッホ”と兄が笑い声をあげる。一頻り笑った後、流し目を俺にくれながら再び真面目な顔になった。今日は変化が多いな。


「それよりも一大事が出来したでおじゃるぞ」

「一大事?いかがされましたか」

俺が訝しんで聞き返すと、晴嗣が“近うよりゃれ”とすぐ傍に寄るよう手招きをしてきた。すぐ傍らに寄ると、扇子を口にあてて囁くように話してくる。何だか本当の兄弟みたいだな。

「二條太閤と一條関白の奏上でな、明後日にその方が主上へ拝謁する事になった」

「明後日に拝謁!?某が帝にでございまするか」

「ほう。その方でも驚くことがあるのじゃな。その通りじゃ。礼装は持ってきておるか」

「はっ。何かあった時のために束帯を」

「左様か。献上品は日頃からもらっているのだ。此度は用意できる程度で構わぬ。介添えも麿が自らしよう」

晴嗣が申し訳なさそうに呟く。

「何から何までありがとうございまする」

「構わぬ。むしろ摂関家の対立にそなたを巻き込むような形になった。麿の方こそ詫びねばならぬ」

それで申し訳なさそうにしているのか。確か史実でもこの頃の二條と近衛は対立していたはずだ。根が深そうだな。

「当日は蔵人も連れてくるが良い。幸いあれは殿上を認められている。頼りになるだろう」

「万事承知いたしました」

「後は恙無く終わる事を祈るだけよ」

晴嗣が話し終えると、俺の顔を見ながら力強く頷く。頼もしく感じた。




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