第六十八話 錯綜




天文二十二年(1553)八月中旬 三河国設楽郡亀山村 亀山城 今川 氏真




「兵部少輔殿、これは何事であるか。いきなり我が居城を囲むとは無礼では無いか」

「監物殿、控えられよ。兵部少輔殿は此度の軍勢の指揮を御屋形様から任せられている立場であるぞ」

「長門守殿、なれど」

松井兵部少輔と鵜殿長門守に詰められて、奥平監物が苦しい表情を浮かべている。今は主に遠江から集められた東三河の鎮圧部隊が亀山城を囲っている。兵部少輔が率いているのは二千の兵だ。何かと農作業に忙しい時期でもある。あまり多くを動かすのは得策では無いと二千程度に抑えたらしい。その代わりに援軍として千の兵を出すよう父上から指示があった。俺の兵はいつでも動かせるだろう?と。ま、いいんだけどさ。


荒鷲からの知らせによれば、奥平監物は城に三百の兵を拵えているらしい。今川に向かって反旗を翻すにはあまりにも少ない。大方、今川の軍が来るのはもっと先だと思っていたのだろう。それに監物の動きは身内の奥平八郎兵衛から筒抜けだった。これは菅沼大膳亮も同じだ。宗家の大膳亮が挙兵を分家に促したが、分家は悉く誘いを断るばかりか、大膳亮の動きを府中に知らせた。


早くても晩秋に挙兵をと目論んでいた二人は、宛が外れた上に準備不足の中で挙兵する事になった。少数でも鎮圧できると睨んだ父上が早めに収束を図っているというわけだ。


「監物殿、調べはついているゆえ無駄な言い訳は止められよ。それに御屋形様は寛大にも、今後の忠義を誓うならば罪には問わないと仰せだ。心改めて今川家のために励まれよ」

兵部少輔の言葉に、陣内にいる井伊内匠助や天野安芸守が頷いている。内匠助と言えば脇に次郎法師を連れている。凛々しい面持ちに鎧兜を身に付けているのでパッと見た時は分からなかったが、よく見ると女将だということが分かる。身体の線が細いんだ。お、目が合った。随分深々と頭を下げられた。昔助けた事で良い印象持ってくれているとか?いや、違うな。俺の陣羽織に入っている丸に二引を見て頭を下げただけだろう。


「お、御屋形様のご厚情、この奥平監物痛み入りまする。今後は今川家の御為に粉骨砕身努力致しまする!」

監物が掌を返したように地べたへと手を付いて、俺の方へ頭を下げてくる。俺は無罪放免には反対なんだがな。駿河の仕置きならいざ知らず、三河の事で父上の裁定に異を唱える訳にもいかぬ。ここは堪えるとしよう。

「御屋形様の名代は兵部少輔だ。許しは兵部少輔に乞え」

「はっ、……ははっ」

俺の叱責を受けて監物が兵部少輔に向かって頭を下げ直す。安いものだな。朝倉義景に頭を下げた信長を思い出すわ。頭を下げるなど簡単に出来る。皆の前で頭を下げさせる事で威信を下げ、力を削ぎ、軍門に降らせたとでも思っているのかも知れぬが、信長然り、力あるものは牙を抜かない限り再び立ち上がる。


「監物殿の気持ちは分かった。御屋形様にしかと伝える故、武装は解いておかれよ」

「畏まってござる」

松井兵部少輔が俺の顔を覗いてくる。気を使ってくれるのは有難いが、名代は君だよ。今回の俺は添え物に徹するから気にしてくれなくていいぞ。ここは一つ兵部少輔を立てておくか。

「父上がその方に任せている以上、俺を気にせずともよい。万事兵部少輔に任せる」

「有難うございまする」

武装解除の段取りが決まると、俺はお役御免となり今橋まで帰途に付くことになった。



今回の反乱はほとんど未然に防いだと言っていい。だが、東三河が揺らいだ事に変わりは無い。恐らく戦線は後退するだろう。父上も雪斎も足場を固めると言っていたからな。足場を固めると言うなら、何らかの処罰をして所領を没収し、代わりに信頼おける家臣を置けば良いと思うが、今回は意外と恩情ある裁定だな。史実だと井伊兄弟を処断したり、山口親子を処断して鳴海城に岡部丹波を置いたりと、今川は古参重視で冷酷なイメージがあるが、今回の緩い裁定の理由は何だろうな。


それに俺ならむしろ尾張方面で攻勢に出るな。攻撃は最大の防御だ。ここは尾張であえて攻勢に出て突出部を作り、織田の目をそちらに寄せる。その間に三河の火消しをするというのはどうだろう。三河の諸侯も今川が尾張の奥地に攻め込めば、三河は今川に付くべきとなるのではないか?

それとも俺の腹案だと兵力の多面展開が必要になるから父上と雪斎の戦術の方が良いのか?この辺りについては戦略戦術の門外漢である俺には難しいな。もっと経験を積んで何とかするしかない。


さて、そろそろ府中にも一度帰らないと行けないな。渥美の開発が面白くてしばらく留守にしていたらお隆から文が届いた。最近聡子に元気が無いと。体調が悪い訳ではない。俺に会えないのが寂しいのでは無いかとな。聡子が俺にくれる文ではあれをした、これをみたと楽し気に書いてくる。寂しいと言われたことは無かった。奥ゆかしいんだよな。




天文二十二年(1553)八月下旬 尾張国愛知郡鳴海荘末森村 末森城 柴田 勝家




「三河が揺れている。今なら今川の横槍も無いだろう。兄上を討つ好機ぞ」

勘十郎様が皆を集めて息巻いておられる。林佐渡守殿が勘十郎様を諌めるように話し出した。

「殿、お気持ちは分かりますが、大和守様がこの時分の戦は避けたいと仰せでございまする。お控え下さいませ」

「なんの!兄上を討たねばならぬと仰せだったのは大和守様ぞ。兵を出せぬのならば大和守様の兵等不要じゃ!我等だけでも十分よ。むしろ俺だけで兄上を倒し、誰が尾張を纏めるのか示してくれん」

さてさて、今日は何時にも増して威勢がいいな。武衛様とは良好な関係、大和守様からは期待され、御名での文書発給と、最近の勘十郎様は自信に満ち溢れているご様子だ。動かせる兵力も勘十郎様の方が上総介様よりも多いだろう。勘十郎様は上総介様と違って奇を衒う所は無いが、こうした堂々とされた所は桃厳様のお子だと感じる。威勢の良い殿の扱いに困ったのか、佐渡守殿も佐久間大学助も儂の顔を見てくる。


「殿、お気持ちや頼もしく思いまする。なれどここは我慢下さりませ。手の者によると、既に今川の部隊が東三河に入っているとの事。然したる抵抗も受けてないようでありまする。あまり隙を見せても今川に付け入れられまする」

「東三河はもう鎮まりそうなのか。不甲斐ないな。だが、まだ西三河があるではないか。戦う時間はあるはずだ」

「今川が本気になれば西三河を相手にしながら尾張でも戦えまする」

儂が少し語気を強めて申し上げると、勘十郎様が息を吐きながらお座りになった。この辺りは素直にお聞きくださるよい所がある。

「ではどうすればいいのだ」

扇子でハタハタと風を作りながら問いかけて来る。

「西三河との国堺まで出兵致しましょう。三河に踏み込んで兵を失う必要はありませぬ。尾張を守る姿勢をお示し頂くだけで十分にございまする。出兵で殿の武威を内外に示しまする。その内に上総介様頼り無しと皆が謗る事になりましょう」

「それだけか」

勘十郎様が不満そうに呟く。やれやれ少しせっかちな所も亡き大殿に似ておられる。


「伊勢守様と誼を深めましょう。殿が上総介様と戦われた時に気になるのは美濃の斎藤の動きにございますれば、今後伊勢守様のご助力は不可欠になりまする」

「伊勢守様か。だがどうやって伊勢守様と誼を作るのだ?」

「伊勢守様は熱田の恵を享受しておりませぬ。幾分か利を渡せばこちらに付いてくれましょう」

勘十郎様が手を顎にあててお考えになられる。反応は悪くない。一つ押しておくか。

「伊勢守様に多少の利を与えた所で、上総介様が得ている権益の全てを手に入れてしまえば取り返しは容易でござりまする。後は美濃方面を伊勢守様、三河方面を殿が担う盟約を結べばよろしいかと」

「美濃を伊勢守様、三河を俺がとな」

「はっ。尾張の事は伊勢守様を何かと立てればよろしいかと。大和守様が武衛様を擁立されていることで、大和守様は何かと伊勢守様を下に見ておられまする。伊勢守は大和守様の事を疎ましく……」

「皆まで言わずとも分かる。伊勢守様を持ち上げて転がせば、尾張下四郡は大和守様の影は無くなり、俺が取って変わると言うことだな」

"はっ"と頭を下げて応えると、頭の上から"フフフ"と高笑いが聞こえた。


「権六らしくない謀り事よの」

「はっ……」

「何、褒めておるのよ。権六の献策やよし。そうとなれば出陣じゃ」

勘十郎様がニヤリと笑みを浮かべた後、力強く立ち上がって出陣を下知された。


やれやれ、何とか形になったか。佐渡守殿の目があうと、お互いに頷きあった。首尾よくいったという意味だ。今回の策は儂のものではない。事前に佐渡守殿と決めておいた内容だ。佐渡守殿から、軍略に関わる事は儂の方が信頼が厚い故、儂から献策してまとめて欲しいと頼まれていた。


さて、儂も具足を付けに参るとするか。




天文二十二年(1553)九月上旬 駿河国安倍郡府中 今川館 今川 氏真




「失礼致しまする」

「来たか。近こう寄れ」

父上の招きで奥まで進む。俺と父上の他には雪斎と御祖母様のいつもの顔触れだ。


「東三河の平定、まずは大儀であった」

「はっ」

軽く頭を下げた後に父上の顔を覗くと笑みを浮かべていた。

「渥美では随分と大掛かりな開発をしているようじゃな」

「水不足が悩みでしたが、治水工事を行って豊川から引くことにしました。今年は二、三万石は石高が増える見込みにございます」

引き続き渥美の開発を任せている吉良左兵衛佐からは四、五万石の増加が見込めるかも知れないと報告を受けている。あらかじめ開墾は進めていたからな。それに高い給金に百姓や人夫達が目の色を変えて開発をしているらしい。


「三万石とな」

父上が驚かれている。雪斎も僅かに笑みを浮かべている。御祖母様は"まぁ"と言った感じだ。それもそうだろう。俺が渥美半島を貰ったときはせいぜい一万石の痩せた土地と思われていた場所が五、六万石になると言っているのだからな。だがこれで終わりではないぞ。渥美半島は十万石を超える潜在能力があるし、伊良湖岬は西への玄関口として軍事拠点としても、貿易でも中継の拠点として開発のしがいがある。


惜しい事をしたとでも思われたかな?でも返しませんよ。渥美の開発に目処がたったから、渥美にも親衛隊の設置をしてしまったしな。当面は千の規模で訓練と開発に勤しんでもらう。



「まぁよい。渥美の発展は三河の発展であり、延いては我が今川の発展よ。引き続き励むがよい」

「はっ」

「此度呼んだのは他でもない。北條から輿入れの話が来ている」

「北條殿、からでございますか」

まさか早川殿が来るのでは無かろうな。

「うむ。左京大夫殿から娘をその方に輿入れしたいと正式に依頼があった」

「某にでござりますか?なれど某には聡子が」

「分かっておる。左京大夫殿は事情を鑑みて側室で良いと申しておる。それに娘はまだ八つの幼子のようじゃ。その方が正室と先に子をつくれば問題は無かろう」

側室で良いと?よく左京大夫も認めたな。それに八つか。結構年の差があるのだな。

「八つとは随分と幼子でございますな。……しかし、北條とは敵対している訳ではありませぬ。守りの砦もありますれば輿入れまで必要がありましょうや」

「治部大輔様、此度はただの盟約ではありませぬ。三国がそれぞれに輿入れにて盟約を結ぶものでありますれば、盟約関係は強固になりまする。西に今川が専念するためにもご理解を頂きたく」

雪斎が俺に向かって話しかける。まぁ確かに三国同盟はそれぞれに利点が大きいからな。だが……。


「聡子は説き伏せるとして、近衛の義父上と義兄上に伺ってみないと何とも言えませぬ」

「それは治部大輔の申す通りじゃ。この様な機微な事を文で行うのも無礼になろう。その方が今一度上洛して理解を得るしかあるまい。頼めるか」

「承知致しました」

また上洛か。嫌ではないがこんな短期間で重ねていいのかな。後世に何と書かれるのか気になるな。


だがその前に、まずは聡子と話さねばならん。




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