第六十六話 聖徳寺の会見




天文二十二年(1553)四月中旬 尾張国中島郡富田村 聖徳寺近郊 森 隆久




「長持が約五百に、種子島を持っている鉄砲隊が四百、いや、これも約五百だな。分家同士で争っている割には随分と豊かな装備だな」

「左様でございますな。それにあの長持をご覧下され。槍が随分と長うございまする。最近になって新調したものかと」

飛蔵の指摘を受けて長槍部隊へ視線を移す。確かにその通りだ。今までの長さは二間程だったはずだが、今見えているそれは三間はあろうかという代物だ。


「確かに随分と長いな。親衛隊の一部で導入されているという三間半の槍と似ているな」

「そうですな。長槍は長さを活かした強力な武器と聞きますが、重さがある故に雑兵が使うには難しいとか。銭で兵を常に抱えている上総介様ならではかも知れませぬな」

飛蔵の言うとおりだ。一間長くなるだけで槍はかなり重くなる。持ち手が隅だからな。さらに半間伸ばすと相当だろう。屈強に鍛えている者にしか扱えまい。


「若殿と上総介様は似ていると思うことがあるな」

ふと思うた事を呟くと、飛蔵が"そうですな"と言いながら頷いた。

ん?

"申し上げます"

人の影を感じたと思いきや、甚助が呼び掛けて来た。此処まで気配を消すようになったか。中々のものよ。


「甚助、どうした」

「はっ。ここより先、三町程離れた民家に斎藤山城守様が入られてございまする」

「ほぅ。このような山野にまで足をのばされたか。流石は美濃の蝮と呼ばれるだけはあるな」

儂が呟くと、甚助が静かに頷いた後、織田の軍勢を眺め出した。何か反応をしてくれれば良いものを。儂が独り言を申したようになっているではないか。

「織田勢の軍備を見て山城守様はどう思われますかな」

少し間をおいて、飛蔵が話しかけて来た。声は気さくに聞こえるが、目線は織田勢から離さず、手元の紙に軍備を淡々と書き写している。


「さて、中々のものと思うだろうな。群雄割拠する尾張の中で、ここまで揃えるとは侮れぬと警戒されるか、その豊かさに驚かれるか。後は……」

続きを話そうとすると、だらしなく着物を着流して馬に跨がった上総介様が見えた。

「ほぅ……これはまた…着流しでいるばかりか、使い古した茶筅のような髪型にと、噂に違わぬうつけ振りですな」

「うつけでは無い。歌舞伎者なだけであるぞ」

上総介様は巷ではうつけ者と呼ばれ、その噂だけで見下している者が少なく無い。だが、若殿は違う。頭領からは"若殿が上総介殿の一挙手一投足に注視している。決して眼を離すな"と下知があった。それからよく動きを追うに連れて、見えてきたものがある。上総介様は恐らくうつけ者では無い。若気の至りで、思慮が浅いと思う事をなさる時もある。だが、多くの判断は合理的だ。ご判断が合理的だからか、商家からの信頼も厚い。噂だけで人を評価してはならぬ。先入観は目を曇らせる。


商家と言えば、弾正忠家が贔屓にしている呉服問屋に入れていた繋ぎから連絡があったな。上総介殿の近習が直垂を新調したと。この会盟のために新調したのだろう。相当な銭を使ってかなりの上物を用意したと聞いている。


蝮殿は今頃、馬に跨がった上総介殿を見て噂通りと呆れているか、笑っておるか……。

だが、いざ相対した時には違う印象を持つことになるだろう。




天文二十二年(1553)四月下旬 尾張国春日井郡清洲村 清洲城 織田 信勝




足音がしたかと思うと、男が二人部屋に入ってきた。部屋まで案内してくれた織田三位殿と共に頭を下げて迎える。

「待たせたの。表を上げよ」

大和守様に声を掛けられて顔を上げる。少し痩せられたようだ。兄上に大敗して城下に火を掛けられてから、民からの評判も散々なものらしい。何かと頭を悩ませているのだろう。家臣筆頭の席に座した大膳亮殿はあまり変化がないな。近隣に図々しい文を送っているだけの事はある。


「勘十郎、お呼びにより罷り越しましてございまする」

「うむ。なに、その方が最近足繁く武衛様の所に出向いていると聞いての。今日も来ていると言うではないか。久しぶりに会うておこうと思ってな。息災であったか」

「はっ。領内の開発に精を出しておりました。御無沙汰をして申し訳ありませぬ」

萱津で行われた戦い以降、大和守様の求心力はかなり下がった。そのような中で、以前のように進んで頭を下げる必要も無い。それに大和守様と敵対しているのは兄上だが、同じ弾正忠家の者として対岸の火事というわけにもいかぬ。いつ矢を放ってくるかも分からぬ大和守様に好んで会いに行く必要も無かった。

「まぁ良い。その方にも都合があったのであろう。で、武衛様とはどのような話をしたのだ?」

ぎろりと大和守様の大きな目が俺の方を向く。大膳殿も涼しい顔をしながらこちらを見ている。三位殿は気になっている素振りを隠せていない。ふん、まるで焦っているように見える。


「特に何もありませぬ。いつものように連歌の会にお呼び頂いただけでございまする」

「連歌とな?おかしいの。それであればなぜ儂を呼ばぬ。伊勢守殿も呼ばれておったのか」

「いえ、武衛様の他にはご近習や某の友でござりました。歌を始めたばかりの某と、大和守様とでは技量が違いまする。武衛様は大和守様に配慮されたのかと……」

「儂への配慮か、その方への配慮か分からぬがな」

大和守様が静かに、されど吐くように話された。相変わらずお顔からは腹の内が読めぬ。だが傍にいる三位殿は眉を顰めている。面白く無いと思われているだろう。


武衛様は下四郡で誰が力を持っているか見極めようとされている。あの方も強かなお方だ。俺の誘いにのって宴を楽しんでいるように見せて、大和守様の反応を伺っているに違いない。それに弾正忠家をどちらが継ぐかもな。今のところは兄上より俺の方が近づけているだろう。


「ところで勘十郎。上総介が美濃の蝮と会うたのは知っておるの」

「はっ」

「では会う事は知っておったか」

大和守様が脇息に肘を付いて、手を頬に当てながら問うて来る。視線は相変わらず俺の顔から離れない。

「いえ、兄上からは何も聞いておりませなんだ故、某も驚いておりまする」

つい先日、兄上が美濃の斎藤山城守と相対したらしい。娘婿と義父という間柄は分かるが、兄上は誰にも告げずに会ったようだ。


「左様か。儂も何も聞かされておらんでの、伊勢守殿から知らされた時は随分と恥を掻かされたわ」

大膳亮殿や三位殿が苦虫を噛んだ様な顔を浮かべる。兄上が山城守殿と会われた場所は聖徳寺と聞いている。聖徳寺のある中島郡は、上四郡守護代である伊勢守様の所管だ。伊勢守様と大和守様とで何かやり取りがあったのだろう。

「某も一報を聞いた時には驚きましてござりまする」

「主家の当主たる儂に何の連絡も無く、他国の大名と会うとは謀反と言われても仕方のない程の所業よ!」

無難な応えを述べていると、大和守様が語気を荒げて言葉を放たれた。珍しく怒られている。


「上総介が主家を蔑ろにするのは今回だけではない。今までは眼を瞑って来たが此度ばかりは許せぬ」

許せぬも何も、すでに戦っている間柄ではないか。そして手痛い敗戦もしている。斯様に思うたが、言ったところで得るものはない。少し頭を下げて静かに聞き流した。


「勘十郎殿。大和守様は弾正忠家を継ぐ者として、上総介殿ではなく勘十郎殿へ期待されておられる」

大膳亮殿が俺の方を向いて、勿体ぶったように話しかけてくる。俺は独力で武衛様に認めて頂こうとしている所だ。今さら落ち目の守護代様に期待されてもな……。何も得るものなどなかろうて。


「勘十郎」

「はっ」

どう応えたものかと思案していると、大和守様から呼ばれた。落ち着かれたのか、いつも通りの冷静なお顔と声音だ。

「大膳亮の申した通りだ。桃巌の跡目として儂はその方に期待しておる。その方とて、才に恵まれながら愚かな兄の後塵は納得が行かぬだろう。兄を……、上総介をいつかは討たねばなるまい」

兄を討つか。何時かはその必要もあるだろう。何時かというほど遠くも無いかも知れぬ。だがここにいる守護代のためでは無い。さて、どうしたものか。


「そこで、だ。期待をしているその方のために銭を用意した。千貫くれてやる」

千貫だと?兄上に田畑を焼かれて窮していると聞いていたが随分と余裕があるな。

「その方も何かと入り用であろう。なに、遠慮は要らぬ。期待をしているその方へ主家からの気持ちじゃ」

恩着せがましいな。……まぁいい。くれるというのなら貰っておこう。だが勘違いしてくれるなよ?俺は兄上よりも使い難いかもしれぬぞ。

「大和守様のご厚情、この勘十郎、有り難く頂戴致しまする」

「うむ。頼むぞ」

大和守様から心底頼むような声を掛けられながら、ほくそ笑む顔を見られないよう深く頭を下げた。




天文二十二年(1553)四月下旬 駿河国富士郡上中里村 先照寺 富士 信忠




「こちらが客間にございまする。どうぞこちらへ」

「おぉ、これはまた見事な景色じゃな」

山科内蔵頭様をご案内すると、縁側から望む富士の山と裾野にかかる櫻をご覧になって、感嘆の声を上げられている。上方ではさぞ櫻の名所も多いと思うが、この広間からの櫻を感じ入って頂けたようで嬉しくなった。

「お気に召して頂けたようで何よりにございまする」

「京にも櫻の名所は数知れずあれど、このように雄大な櫻の景色は中々に無い。のぅ蔵人」

内蔵頭様がお付きの草ヶ谷五位蔵人殿に話しかけられている。

「上方の櫻は上方の、こちらの櫻は富士ならではの良さがおじゃりますな。麿もこちらの景色は初めて拝見しましたが、感銘を受けておじゃります」

内蔵頭様に話しかけられて、蔵人殿が親しげに応えている。廷臣と家臣という立場の違いはあれど、二人は仲良くやっているようだ。


今月の初め、内蔵頭様から尼御台様に駿河下向のご意向が伝えられた。尼御台様が御屋形様に取り次がれて受け入れが決まった。内蔵頭様の母上は尼御台様の姉上にあたる間柄だ。その縁もあって今川家と山科家は深い関係にある。


内蔵頭様がこの地に見えるにあたって、若殿から文が届いた。文によれば、京では公方様と三好筑前守とで和議が結ばれてから平穏が訪れていたが、公方様が和議を破棄されて軍備を整えて見えるらしい。内蔵頭様は戦の足音が迫る中、洛中に留まるよりも諸国を巡って見聞を広めたいと仰せとの事だった。見聞を広めるというのは建前で、洛中の復興や朝廷の資金集めが目的かも知れぬが……。


「失礼致します。若殿がお見えになりました」

「うむ。お通しせよ」

家中の者が若殿のお付きを告げると、しばらくして若殿がお見えになった。なんとまぁ……。狩衣の格好自体は普段と変わらないが、白を基調とした色に櫻が所々に舞っている柄が施されている。言葉をのむ美しさだ。


「ホホホ、治部大輔殿、今日はまた一段と雅でおじゃるの」

「内蔵頭様、ご無沙汰をしておりまする。春の茶会のために作った代物でございまして、今日の場に良いと思って召して参りました。蔵人、久しいな」

若殿と蔵人殿が目を合わせて頷いている。蔵人殿は上洛されるまで、若殿の側で近習を務められたと聞くが、今もご信頼は厚いようだ。


「全く、物騒な洛中より駿河の地は居心地が良いものよ」

内蔵頭様が櫻を愛でながら、沁々とした口調で仰せになる。

「公方様が性懲りもなく筑前守殿と争う姿勢を見せているとか」

若殿が京の情勢を話されると、ため息を吐きながら内蔵頭様が応じられた。

「左様での。筑前守が畿内で大きな力を持ちつつある。先の和議以降、洛中も落ち着きを見せ始めたというのに、大樹殿は我慢ができぬようでおじゃる」

「お飾りであることに納得が行かぬのでしょう」

「ホホホホホ。相変わらずはっきりと申されるの。じゃがその通りじゃ」

「京の状況はこちらでも分かることあればお知らせ致しましょう。それに今の公方様と筑前守殿とでは力に差が大きくありまする。対立したとて、長くは持ちますまい。その内洛中に平穏が戻ると思いまする。それまで我が領にてゆるりとなされませ」

若殿が淡々と公方様が敗けると仰せになっている。醒めているな。確かに、今や三好筑前守は畿内で敵無く、二、三万の兵を簡単に動かすと聞く。公方様がこれに勝つのは難しいだろう。醒めた表情で公方様の敗けを話されたかと思えば、優しげに領内で寛ぐよう勧められている。内蔵頭様も嬉しそうなお顔だ。


「左様か。ここはご厚意に甘えてしばらくゆるりとさせてもらうとしようかの」

「内蔵頭様は我が今川にとって大切なお方。いくらでもゆるりとなされませ。領内のお供には引き続き蔵人を付けまする。富士と伊豆方面に出向くことあれば兵部少輔を付けまする。温泉にでも浸かって疲れを癒されるがよろしいかと」

若殿に名を呼ばれて頭を下げると、短く"頼むぞ"と言葉が掛けられた。


内蔵頭様のご面倒を見るのは予め文で伺っている。作法に明るいその方なら安心して頼れると、擽る一文もあった。お若いが、殿は相変わらず人を扱うのがお上手よ。




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