第六十三話 輿入れ




天文二十一年(1552)九月上旬 駿河国安倍郡府中 今川館 今川 氏真




「弥次郎からの報告によれば、清州の田畑は上総介殿の手勢によって悉く薙ぎ払われたとの由。今年の刈り入れは望めますまい」

伊豆介が淡々と報告してくる。後少しで刈り入れという田畑を焼き払ったか。流石は信長だな。敵対した勢力には容赦が無い。大和守は頭を抱えているだろうな。民も不甲斐なさに怒っている事だろう。

「この時期に焼かれてはどうしようもないな。さて、民にも生活がある。大和守がどうするつもりか見物だな」

「家老の坂井大膳が、上総介の非道を訴えて強請っているとか。他にも赤塚の戦いでの馳走がまだだと、何かと難癖をつけておるようで」

俺の問いに伊豆介が応えると、傍にいた吉良上野介が苦虫を嚙んだような顔をした。名家のお坊ちゃんには大膳のやりようが見苦しいとでも映ったかな。俺とて汚いと思う。だがしぶとい奴だ。自分で攻め込んでおいて、負けたら難癖付けて強請るなんて芸当、中々できる事ではない。


「いずれにしても尾張は上総介殿が一歩抜き出ますな。大和守家の軍事的な衰退は間違いござらぬ。これが今川にとって吉とでるか凶とでるかでござりますな」

横から庵原安房守が入ってくる。

「ほぅ。安房守が尾張の話に入ってくるとは珍しいな」

俺が冷やかすと、安房守がニヤリとした顔を向けて応える。

「若殿とそのご近習に毒されましたかな。それに尾張は今が面白うござる」

「確かにな。策謀蠢く国になっている。どうなるか見物だが、この状況を雪斎が見過ごすはずもない。大方一手打っておろう」

俺が話すと、皆が頷いた。


「織田伊勢守に動きはないのでござりまするか」

鵜殿藤太郎が横から静かに呟いた。いつも通りの冷静さだ。藤太郎は物静かだが、考え事の視野は広く感じる。参謀タイプかも知れないな。

「伊勢守だがな、守護の斯波家の取り成しもあって大和守家に兵糧を支援するようだ。居城の岩倉城で兵糧を積み込んでいる動きがあると報告があった。大方坂井大膳の手配だろう」

「守護家の取り成しとは言え、なぜ承知するのか某には理解が及びませぬ」

「藤太郎の疑念ももっともだ。伊勢守の心は伊勢守にしか分からぬ。なぜだろうな。大膳の説得があったとすれば、弾正忠家の台頭をこれ以上許すのかとでも嗾けたのかも知れぬ」


“若殿”

尾張の国情で盛り上がっていると、襖の外から聡子の声がした。家臣達が姿勢を正して座り直す。

"どうした。表の話をしている最中ぞ"

"申し訳ありませぬ。せっかくですからお話しながら茶でも如何かと。もちろん家中の皆も"

"あ、いや"

"滅相もない"

聡子の提案に、皆が慌てたように応じている。

何時もはこういう時に冷静な安房が困っている。孫のような年頃でいて、貴人の聡子が眩しいといつぞや言っていたな。面白いものを見た感じだ。


"よいぞ。入れ"

「失礼致しまする」

入室を許すと、盆を持った聡子と侍女の美代と静が入ってくる。

「どうぞ」

聡子が茶菓子の置かれた器を俺の前に置く。今日は饅頭か。

「黄色い饅頭に兎の刻印か。面白い事を考えたな」

「これは愛らしゅうごさりまするな」

安房が一際声を大きくして誉める。聡子が顔を赤くして嬉しそうに微笑んでいる。


「はじめは月の形そのままに、白いお餅に形を入れようとしたのですが、この方が愛らしいと思いまして」

「うむ。よいと思うぞ。本物は見れば事足りる。茶席で出されて面白いのはこちらの方だろう」

聡子は最近茶菓子作りにはまっている。俺が時々茶菓子を所望するかららしい。毎回趣向が凝らされていて、中々筋が良いと感じている。

「お邪魔致しました」

聡子たちが下がっていくと、皆が有り難そうに菓子を食べ茶を飲みはじめた。

戦国時代ではこれも褒美の一つだったな。


日頃の喧騒を忘れる穏やかな一時に、疲れがとれた気がした。




天文二十一年(1552)十一月中旬 駿河国安倍郡府中今川館 今川 氏真




軍楽隊が越天楽の曲を奏でる。美しくもどこか儚げな奏のせいか、それとも凛と立つ嶺の姿を見てか、多くの者が眼を潤ませている。


「父上、嶺はこれより甲斐へ参りまする。聞き分けの無い娘であったと存じますが、これよりは今川と武田の縁となるよう励みまする。今までお育て頂きありがとうございました」

瞳に涙を光らせながらお嶺が最後の挨拶をしている。

「今日は珍しく殊勝ではないか。父は驚いているぞ」

父上の冗談てんごうに御祖母様やお隆が笑う。聡子は既に感極まっているのか着物の袂で顔を隠しがちだ。輿入れ経験者だからな。自分の時の事を思い出しているのかも知れない。


「甲斐は山奥ではあるが駿河とは国隣じゃ。直ぐに文が届く距離であれば、何かあれば便りを寄越せばよい」

父上の励ましにお嶺が気丈に"はい"と応じた。

「それに武田は清和源氏の名家でもある。その方の嫁ぎ先はその嫡男で、母君は三條家の出でもあれば申し分無い。苦労は少なからずあると思うが、今川のため頑張ってくれ」

「はい。せっかくの良縁を無にしないよう精一杯務めまする」

「大事なその方の門出だ。ささやかながら祝を用意した。甲斐でも駿河の者を幾らかつける。今川の姫として恥じない暮らしを約束しよう」

お嶺の生活には侍女二十人と警備にあたる長持が二十人、それに化粧料が与えられている。この時期に嫁ぐ姫としてはかなり恵まれた生活を送ることが出来るはずだ。

「ありがとうございます」

お嶺が重ねて父上に礼を伝えている。


「治部大輔」

父上が俺の方に顔を向けて話しかける。身内だけでない。多くの家臣達にも見られている。しっかりと膝をついて父上の方に身体を向ける。

「はっ」

「その方は嶺を甲斐まで送り、余の名代として祝言に参加するように」

「御意にごさりまする」

「兄上、お世話になりまする」

嶺が俺に向かって頭を下げる。ほぅ、確かに嶺にしては大人しい。いつもと違う雰囲気だな。少しだけ笑みが溢れた。


「うむ。大切に送るゆえ安心するがよいぞ」

俺が応えると、嶺が小さく頭を下げてから馬車に乗り込んだ。興津までは道が整備されているので快適な馬車の旅になる。そこからは籠に乗り換えて甲斐に向かうのだ。

輿入れの行列は一万にもなる。北条への抑えを僅かに残して、俺が動かせる兵をほとんど動かした形だ。


"ダァン、ダーダダーン"

"ダカダッダカダッダッダーン"

輿入れ行列の進発に伴って軍楽隊が雄壮な曲に切り替える。雅楽の楽器で再現させた分列行進曲だ。楽太鼓と羯鼓がこれでもかとばかりに激しく叩かれる。いいね。重厚な感じで。軍事パレードは甲斐府中でもやる予定になっている。この際今川の武威を示して晴信の目を越後に絞らせよう。駿河を攻めるなんて邪推させないようにしなくてはな。




天文二十一年(1552)十一月中旬 甲斐国巨摩郡身延村 鏡圓坊 武田 晴信




「御屋形様、今川の軍勢が見えて参りましてございまする」

飯富兵部少輔の言葉を受けて外を見やると、直垂で着飾った二人の侍に続いて長槍を持った軍勢がぞろぞろと続いていた。

「兵部少輔の赤備えならぬ黒備えだな」

今川軍の軍装が黒々としていて、赤で揃えている兵部少輔と対照的だったことを告げると、兵部少輔が“ええ、まぁ”と反応に困ったように応じた。まこと、兵部少輔は真面目だな。

「それよりも御屋形様、今川様の軍は皆が身なりよく、乱れもありませぬ」

兵部少輔が格子の隙間から覗きながら感心したように呟いている。確かにその通りだ。こうしてじっくりと見てみると、今川の兵は着物や鎧が弛んだ様子も無く、一兵一兵が身の丈に合った大きさの軍備を身に着けた上で整然と歩いている。今川家が兵に軍装まで支給しているということであろうか。それとも治部大輔殿は兵を常備しているとも聞く。常備している兵には軍備を与えているということか?


「勘助、治部大輔殿は軍備を支給しているのか」

「申し訳ございませぬが、某には分かりませぬ。某が今川様にお世話になったのは治部大輔様が治める前でございますれば」

「左様であったな。では調べておくように」

「御意にござりまする」

「治部大輔殿が治める駿河と伊豆の石高も気になるな。仮名目録によって今川は石高に比べて動かす兵力が多いのは昔から知るところではあるが、治部大輔殿が今やどの程度の兵を持っているのかよ。これが気になるの」

行列を眺めるのを止めて勘助の顔をじっくりと見る。“難しい事を命じられた”何となくそのような事を考えているような気がした。

「畏まってございまする」

少しの間をおいて、勘助がゆっくりと覚悟したように応じた。


……しかし、今回の輿入れは一万の行列だったな。もしこれが治部大輔殿だけで用意しているとなると、駿河と伊豆で三十万石程になったということか。いや、駿河も伊豆も金が採れる。それに商いも盛んだ。輿入れ等一時的な動員に過ぎない。金で兵を雇ったということか?それにしては統制が採れているが行列の最初だからか?


「お、御屋形様!あれはもしや種子島ではありませぬか!?」

考えに更けて居ると、兵部少輔が大きな声を上げた。種子島と言ったか?勘助がいつぞや申していたな。南蛮由来の新たな武器が畿内を賑わしつつあると。

「間違いございませぬな。あれは種子島でござりまする」

勘助が今川の行列を見ながら頷いている。

「八、九、いや、千はありますぞ。種子島と言えば一丁で五十貫とも百貫とも聞く高価な代物。それを千丁も持っているとは驚きでございますな」

「形だけ似せればそのように見えぬことも無い。一部は紛い物と言うことはないか」

儂が少し笑いを含んだように問いかけると、“そのようには見えませぬ”と兵部少輔が応じた。

“左様でござりまするな。全てしかとした種子島にお見受けいたしまする”と、勘助まで応じている。二人とも根から真面目な者たちだ。少し息が詰まるの。


「さすがは天下富裕の今川殿だな。おお、籠が見えて来たぞ。籠もこれまた豪奢ではないか。見せつけてくれるの。我妻あたりは仲間ができたと喜ぶかもしれぬ」

儂のぼやきに二人が小さく“はっ”と応じて頭を下げた。

原美濃守も連れてくればよかったな。あの者ならば面白く返してきて、儂の気を晴らしてくれるだろう。


「御屋形様、治部大輔様がお見えでございまする」

勘助の言葉で再び行列に目線を移すと、狩衣に身を包んだ若い男がいた。間違いない。治部大輔殿だ。前回会った時よりもまた大きくなった気がした。体格に恵まれたようだ。狩衣だからということも無いと思うが、醸し出す気品もある。

「また大きくなられたな」

“あのようにできた息子がいて参議殿が羨ましいわ”と言いかけて言葉を飲み込んだ。

太郎の傅役である兵部少輔の前で下手な事は言わぬ方が良い。

溜息の代わりに、ゆっくりと深く息を吐いた。



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