第五十三話 花の御所




天文二十一年(1552)二月上旬 駿河国安倍郡府中 今川館 今川 義元




「武田家御使者、駒井高白斎殿ならびに穴山伊豆守殿でござります」

重臣が居並ぶ評定の間に、三浦左衛門尉の声が響き渡る。

「うむ。今川参議である。面を上げよ。高白斎にはしばらくぶりじゃの。伊豆守はこれまた随分と久しいの」

余が親しく声をかけると、伊豆守が破顔して応じた。伊豆守は愛想のいい人物で話しやすいところがある。確か酒を飲むと饒舌になったはずだ。高白斎は慣れたようだが、源氏の間の飾りを見て視線をきょろきょろと移している。こうした所も愛嬌がある。

「ご無沙汰して申し訳ござりませぬ。久方振りに参議様へとお目通りかない祝着至極にござりまする。合わせて、今川と武田の今再びの縁組、真に目出度き次第にござりまする」

「うむ。伊豆守には定恵院の当家への輿入れで世話になったな。此度も今川と武田の縁組で世話になる。輿入れの行列はその方の領国を通ることになろう。道中頼むぞ」

"ははっ"

余の言葉を受けて、二人が頭を下げる。慶事だ。重臣達も目を細めている。


「さて、用向きを聞くとしようか。大方婚儀の調整であろうが」

「はっ。武田家では只今、姫君をお迎えするべく新居を建てておりまする。夏の終わり頃には建て終える予定でありまするが、何かと用意がござりまする。できますれば、霜月の頃にお迎えを致したいと考えておりまする」

霜月か。輿入れは着物の仕立てに調度品の準備と何かと刻がかかる。稲を刈る時期と新たな棟が建つ時期を考えると霜月が妥当なところだろう。それ以上遅らせては雪の時期になる。雪斎の顔を覗くと、異議は無いとばかりに大きく頷いてきた。


「うむ。当家としては異論無い。それから輿入れだがな、当家からは一万の軍勢を護衛に付けたい」

「「いっ、一万っ!?」」

武田からの二人が揃って声を上げた。予想した通りだな。重臣を集めて輿入れの人数を話した時、余も雪斎も三千から五千程度を考えていた。ところが治部大輔が一万だと言って譲らなかった。"三河で苦労していて兵を出せぬと思われてはならない"、"武田が断らない限りで多くの兵を出す方が輿入れ後のお嶺の助けになる"と申したのだ。それに余分に掛かる費用は全て持つと。そこまで言われては折れざるを得ぬ。余としても大事な娘の輿入れだ。飾れるだけ飾ってやりたい。


「左様。それから輿入れにあたって、嶺には二十の侍女と二十の長持を付ける。この扶持はすべて我が今川が支払うこととしよう」

これも治部大輔からの希望があった。侍女も長持も十もいればよいと思うが、治部大輔が二十と言って譲らなかったのだ。息の掛かった者でも送るのかも知れぬ。子細は治部大輔に任せることにした。


それにこれも費用は治部大輔持ちだ。親としては見せ場が無くなるが余も雪斎も笑って許した。しかし本当に治部大輔は富裕だな。三河駐屯の費えを治部大輔に出させている分だけ余にも余裕があるが、治部大輔の財力とは比にならないだろう。まぁ自分で稼いだ金であるし、坊主の対策にもかなりの金を使わせるはずだ。細かいことは言わずにおくとしよう。


「参議様のご意向はすぐに飛脚にて大膳大夫へ申し伝えまする。今しばらくの刻を頂戴したく存じまする」

慌てたように高白斎が応じた。


「父上は事を大きくするゆえ控えよと仰せになったのだがな、お嶺は大事な我が妹。ここは一つ某の我儘を聞き届けて欲しい」

治部大輔が間に入る。余を立てつつ武田に条件を呑ませようとしている。我が息子ながら強かなやつよ。子は親の姿を見て育つと言うが誰に似たのかの。雪斎は治部大輔が余に似ていると、余を見て育っていると言っていたな。


「治部大輔様のお考え、しかと国許に伝えまする」

高白斎と伊豆守が恐縮したように頭を下げると、"父上"と治部大輔が呼び掛けてきた。そうであったな。


「二人とも道中難儀であっただろう。今宵は一席用意しよう。どうじゃ」

「ありがたき幸せにござりまする!」

余が誘うと、伊豆守が破顔して応じた。

やれやれ、今夜は長くなりそうだな。酒に強い備中守と安房守を横において凌ぐとするか。





天文二十一年(1552)二月上旬 山城国上京室町第 三淵 藤之




儂が弟の兵部大輔と共に客間に入ると、狩衣を着た男が三人控えていた。こちらから呼び立てしたとはいえ、狩衣が三人とは驚いた。召しているものも貧乏貴族とは違って上等な代物に見える。いや、間違いない。かなり上質な仕立てだ。艶が出ている。


「お呼びにより罷り越しておじゃりまする。草ヶ谷権右少弁嘉長でおじゃりまする」

「権右少弁の子で五位蔵人之長でおじゃりまする」

「同じく権右少弁の子で左近衛将曹知長でござりまする」

「うむ。呼び立てしてすまぬ。よく参られた。幕府奉公衆の三淵弾正左衛門尉藤之でござる。面を上げられよ」

上様の名代として上座に座った儂の許しを得て、三人が面を上げる。権右少弁は四十半ばになるかといったところだろうか。五位蔵人は以前も会った事があるな。弟がいたのか。二人は二十前半とその手前というところだ。歳は儂と近いように見える。


「こちらは某の弟で細川兵部大輔でござる。同じく公方様にお仕えしている」

儂の紹介を受けて兵部大輔が頭を下げる。さて、顔合わせも済んだところで本題とするか。


「権右少弁殿が今川殿の使者として上洛されていると聞き及んでの。いかなる用向きか確認をしたかったのじゃ」

「今川の使者と言って良いものか……。はて、困りましたな」

権右少弁が困ったように息を漏らす。今川の使者でない?

「どういう意味でござるかな」

「はい。麿は先般、恐れ多くも従五位下から正五位下へ昇叔致しました。過分な計らいと恐縮の限りでおじゃりますが、この儀へのお礼を申し上げるべく上洛した次第におじゃります」

権右少弁がすらすらと淀みなく応える。まさかな。この戦乱の中に礼を申すためだけに遠路遙々と上洛などしまい。何か目的があるはずだ。

「それは殊勝な事でござるな。なれどわざわざ遠方から参られたのだ。それだけが目的ではあるまい」

銭か、官位か、何ぞ今川に目的があるはずだ。


「益々困りましたな。麿の目的はただ上洛と官位へのお礼に過ぎませぬ」

権右少弁が本当に困ったような顔をして儂の顔を見てくる。中々の役者よ。のらりくらりとした感じは洛中の公家と変わらぬ。


「弾正左衛門尉様」

所々で笑みを浮かべて柔和な印象を与えていた権右少弁の顔がほとんど無表情になった。


「南北朝の争いの折、下向して苦節二百年。ひたすらに御家の復興と上洛を願ってきた者のお気持ちがお分かりになりますかな」

見る者を貫くような眼光で権右少弁が儂の顔を見てきた。二百年?どういうことだ?


「当家は南北朝の争いの折に、南朝方として味方を募るべく駿州に下向しておりまする。父が申し上げましたはその事にございまする」

なるほどな。下向してから落ちぶれ、今まで洛中に踏みいることが叶わなかったということか。それは上洛に並々ならぬ思いがあっても不思議ではない。

「苦しかった事情はよく分かる。だが、南朝方ならば致し方あるまい」

権右少弁の鬼気迫るものを見てつい目線を避ける。要らぬ一言も呟いたかもしれん。兵部大輔が咎めるような視線を向けてくる。


「大覚寺統は三代室町公によって抑えられておじゃりますものな。……さて、用向きは以上でござりまするか」

権右少弁が冷めたような顔で淡々と応じる。南朝についた公家や武家は相当の高位であったものはまだしも、中下級の者はほとんど駆逐された。おそらく権右少弁の家もその類なのだろう。いかぬ。気分を害させたかの。だが将軍の名代として相対している儂が易々と頭を下げるわけにもいかぬ。目的の要件に専念するとしよう。


「幕府も再度の上洛で何かと入り用でござっての。ここは四か国の大身かつ足利一門の今川殿にお力をお借りできないかと思っている」

「……単刀直入にお聞き致しまする。幕府は如何程入り用でしょうか」

話が早くて助かるな。さて、五百貫は欲しいところであるが……。


「どうであろう?伊豆守護が長らく空席になっている。今川参議殿は駿河と遠江の守護になっておられる。ここは治部大輔に伊豆守護へとなっていただいたらどうかと思っており申す。これは上様のご内意でもあらせられる」

伊豆は全土を今川が統一した。状況の追認を行うだけだ。何ら問題ない。あるとすれば伊豆を長らく治めていた北条が何か口出してくる事だが、あちらには古河公方がいる。関東の事は関東に任せればよい。


「伊豆守護……でおじゃりますか」

「左様。五百貫程出してもらえると有り難いがどうでござろうか」

「恐れながら申し上げまするが、三河守護ではなりませぬでしょうや。伊豆は今や我が今川の支配を完全に受け入れておりまする。それに北条殿から無用な謗りを受けたくはおじゃりませぬ」

三河守護?空席だが、斯波……、いや、織田を刺激することになるな。だが何かと羽振りのいい噂があった織田三河守も死去して尾張は混沌としていると聞く。三河の支配も今川が固めつつある。上様に上奏する価値はあるかも知れぬ。

「三河守護であれば千貫お出し致しまする」

「!」


考えていると、権右少弁が提示した額の倍を申してきた。兵部大輔が驚いている。儂とて驚いている。千貫か。捨てがたいな。……いいだろう。きっと上様もお慶びになるはずだ。

「あい分かった。今川殿の気持ちを尊重して、某も一つ骨を折ることにしよう」

「どうぞよろしゅうお願い致しまする」

権右少弁が頭を下げると、後ろの二人も続けて頭を下げてきた。しかし国許に確認もせずに千貫をすぐに出してくるとは、この使者に力があるのか、相当に今川が富裕ということか。……今川か。足利一門でありながら幕府とは疎遠であったが関係を良くしていかなければならぬな。事によっては今川に上洛させて三好を打つ手もあるやも知れぬ。


「上様にお諮りして権右少弁殿に使いを出すことにしよう。それほど日はかからぬと思うが、権右少弁殿はしばらく洛中におられるのかな」

「何時までとははっきりと申し上げられませぬが、せっかく上洛をしたので、今しばらくはいるつもりでおじゃります」

しばらくは洛中か。やはり何か目的があるな。武家伝奏の勧修寺権大納言殿や広橋右大弁殿に願って探りをいれてもらう必要があるな。今川の突き処を掴めば新たに銭を捻ることができるかも知れぬ。




天文二十一年(1552)二月上旬 駿河国安倍郡府中 今川館 今川 氏真



気持ち悪い。

気を抜くと、五臓六腑から根こそぎ吐き出しそうだ。伊豆守め……。


武田からの使者を歓待する宴席が先程終わった。無事に終わったというか、穴山伊豆守が酔い潰れたから終わったという感じだ。伊豆守は田子の浦に作っている酒の工場について、何処からか情報を仕入れていたらしい。はじめから彼の標的は俺になっていた。

"何時から出荷できそうか"

"どの程度甲斐に流せそうか"

"是非に今後もよろしく"

と、伊豆守から矢継ぎ早に質問と願いが来る。隠すことでもない。出せる情報を適当に応えると、気を良くして酒を勧めてきた。


今川が用意した清酒だが、"まま、どうぞどうぞ"と俺にひっきりなしに勧めてくる。いるよな、こういう調子の良い奴。根は良さそうな人物だ。だからこそ憎めない。最初は固辞していたのだが、場のムードをあいつが作っているものだから、ある程度応じてやらねば場が盛り下がる。一口応じてやったら最後だった。

"ほぅ!いけますな!ささっ、もう一口!"


思い出すだけで疲れるわ。

父上は周りを酒豪の備中守と安房守で固めて万全の防御体制だったし、今後の教訓とすべしというか、こういうことも有るぞとばかりに助け船は出してくれなかった。急性アルコール中毒で次期当主が倒れたらどうするんだ。仕方が無いからあれをやったよ。サラリーマンの秘策。尿意を感じたようにして涼しい顔で厠に行きつつ、そこでリ◯ース。復活して、本当に涼しい顔で駆け付け一杯。役員になってからは無理して呑む必要もなかったから何年振りだろう。いや、戦国に来てまでやることになるとは思わなかったぞ!


最後に父上と雪斎に言われた。

「そなた、酒もかなりいけるのだな」

「拙僧も驚きましたぞ」


備中や安房といった酒好きな家臣も大喜びだ。

「いやぁ、若殿の飲みっぷりやお見事!」


これ、またやってしまったよな……。




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