第四十九話 揺れる三河




天文二十年(1551)十一月下旬 駿河国安倍郡麻機村  草ヶ谷 嘉長




「おお、これはどうだ。弥次郎のより大きいぞ」

「左様ですな。なれど藤太郎殿の芋はもっと大きゅうございますぞ」

治部大輔様と近習の皆が芋を収穫している姿を伊豆介殿と眺める。今や駿河と伊豆の二カ国を収める大名となった御方が畑で汗を流す姿は異様ではあるが見ていて気持ちがいい。今治部大輔様が入っている畑は昨年に開墾したばかりの畑だ。本格的に収穫するのは今年が初めてになる。無事に収穫が出来たようだ。耕作地の拡大もあって麻機村はほとんど開発しつくしてきた。後は棚田を作って斜面を開発するくらいしか土地は無い。最近では北の賤機村でも空き地はほとんど無いようだ。このあたりの農村は食べるに困らなくなって久しい。




「いい汗をかいた。また収穫が増えて何よりだ」

畑仕事を終えて我が屋敷に戻ると、治部大輔様が縁側に腰を掛けられる。手拭いを差し出したあと、茶を差し出す。

「一汗かいた後の茶も格別だな。ただ、菓子が欲しくなるわ」

「そう仰せになるかと思いまして用意しておじゃります」

「気が利くな。権右少弁には何かとお見通しのようだ」

治部大輔様が笑いながら饅頭を頬張る。"中々にうまい"と話された後に茶をぐいっと飲まれた。

それにしても権右少弁か……。治部大輔様の計らいによって従五位下少納言から正五位下に昇淑した。まだ慣れぬ。夢のようじゃ。つい少し前まで無位無官であったと言うのに。


「権右少弁。話しは変わるがそろそろ本格的な検地をしようと考えている」

検地か。これだけ領内が発展しているのだ。概算ではなく、しっかりと収穫を把握した方がよいだろう。

「よろしいかと。その折りは同じ決め事で同じ計りを持って行うべきでおじゃりますぞ」

「で、あるな。伊豆介が洛中より京枡を取り寄せてくれた。今これを大量に作らせている。この升で駿河と伊豆の検地を断行する」

「既に大量の京枡ができておりまする。いつでもできますぞ」

伊豆介殿が茶を飲みながら話す。統一した計りでの検地……。正確な国の力の把握。これには意味がある。

「民は暮らしぶりが豊かになってきておりまする。その一方で不平等な税には不満もおきましょう。これを機会にその芽を摘むのであれば、検地は受け入れられましょう」

「うむ。権右少弁にも手を借りることになるだろう。手間をかけるがよろしくたのむ」

治部大輔様は日に日に支配力を強化されている。先だっては伊豆の寺を支配下に置かれた。僧侶達も風向きを捉えるのが上手い。龍泉寺の抵抗が呆気なく鎮圧されるや、競うように下ったとか。今も拝謁に来るものが少なくないらしい。ただ、伊豆が落ち着く一方で三河が揺れている。


「三河の騒ぎは落ち着きましたか」

「いや、一向宗どもが勢い付いておるわ」

麿の問いに、治部大輔様が苦虫を潰すようなお顔で応えられる。

「天野安芸守殿や井伊内匠助殿らが三千の兵とともに岡崎城に詰めて見えますが、三千では不足かもしれませぬ。乱を起こさせないようにするためには五千は必要かと」

伊豆介殿が動静を伝える。五千も常に兵を置かねばならぬとは随分と三河は揺れているようだ。

「もし抑えとして五千を岡崎に置くとなると、苅屋等に置いている織田への備えを含めれば、三河の兵をほとんど総動員している状態だ。場合によっては遠江からの兵も動員することになるやも知れぬ」

遠江の兵まで?これは相当に一向衆が燻っていると見える。


「松平の家臣どもにも一向宗の教えを大事にしているものがいてな、事態をややこしくしている。父上は何かと苦心されている」

松平の家臣にもか……。それは面倒な。三河は一向宗が蔓延る長島も近い。伊豆とは事情が異なるのであろう。


「尾張に攻め込んで後ろを刺されてもまずい。父上は当初の予定どおり織田の諸将へ調略をかけて、中から切り崩していくつもりらしい」

「織田は弾正忠殿が亡くなって揺れておりますれば、この機に乗じて攻める事が出来ないのはもったいのうござりますな」

伊豆介殿の言葉に治部大輔様が口惜しそうなお顔をされる。

「その責は俺にある。坊主どもを甘く見ていたわ。まさかこれほど揺るがしてくれるとは思わなんだ」

治部大輔様が扇子を触りながら遠くを眺める。治部大輔様がこのように口惜しくされるのは珍しい。

「三河の湊に来る商船が海賊の類に荒らされることが多くなってきているらしい。長島の坊主どもが嫌がらせをしてきているのだ。陸に海にと全く忌々しい」

なるほど。一向衆が色々と盛んに動いているようだ。尾張への再出兵は三河の足元がぐらついているため難しいということか。一向宗を敵にするのは早かったのかもしれぬ。


「父上から三河に置く兵の兵糧を用意するよう頼まれた。大きな出費になるがやむを得ぬ。それに父上も手を拱いているわけではない。鳴海城の山口左馬助が我が方に寝返ったらしい」

鳴海城が御味方に?苅屋からかなり尾張寄りではないか。

「何と。鳴海城が寝返るとは随分と尾張に食い込みますな」

「それがな、一概に喜べぬのだ。苅屋の近くは川が流れていて守りやすいが鳴海の分だけ前線が異様に突出することになる。それだけ守る兵が余分に必要になる」

「左馬助の寝返りは誠か怪しいということでおじゃりますか」

「まだ分からぬ。だが織田と結託した謀という可能性も否定できまい。全く、戦国とは難しき世の中よな」

治部大輔様はお若いが、時々今のように達観した言葉を話される。まるで同じ位の年頃の方と思う位だ。

「何もかも思い通りに行くと、躓いた時にどうしたらよいか分からなくなりまする。此度は教訓として同じ轍を踏まぬようにすればよいではありませぬか。遅かれ早かれ一向衆とは戦わなければならない間柄なれば、お気になされますな」

麿の言葉に、治部大輔様が力強く"で、あるな"と応じられた。




天文二十年(1551)十二月上旬 駿河国安倍郡府中 今川館 長野 業正




案内を受けた部屋に入ると、床の間に“常在戦場”と書かれた軸が掲げられていた。総畳の部屋は今川の富裕さを感じさせるが、その他は質実剛健な印象を受ける。猛々しい軸の下には、土を練ってろくろからそのまま持ってきたような花入に、あれは蝋梅だろうか。花が生けられている。部屋に漂う花の香りが心を落ち着かせる。治部大輔様は茶の湯に通じているとお聞きしているが、床の間や違い棚を見るだけでそれが分かる。違い棚には漆で塗られた茶器が飾られている。遠目で描かれている絵の細部までは見えないが、美しく蒔絵が描かれている。季節の柄が描かれているのだろう。

“殿”

家臣の藤井豊後守に窘められる。いかぬ。じろじろと部屋を見過ぎたようだ。同席されている吉良上野介殿や三浦内匠助殿が失笑されている。しばらくすると足音が聞こえてきた。皆で平伏する。


「今川治部大輔である。遠路はるばるよく参った。面を上げられよ」

許しを得て面を上げると、狩衣に身を包んだ美丈夫がそこにいた。関東管領様と同じように育ちのよさを感じる。だが明らかに違う。ここにおわす方に関東管領様のような意思の弱さは全く見受けられない。むしろ内に秘める強さを感じさせる。

「はじめて御意を得まする。某は上野の箕輪城主で長野信濃守業正にございまする」

「信濃守の子で松代にございまする」

続けて家臣の藤井豊後守が何も言わずに頭を下げていると、治部大輔様から“その者は?”と下問があった。

「某の家臣で、藤井豊後守にございまする」

「許す。名乗るが良い」

「は、ははっ。長野信濃守が家臣、藤井豊後守友忠でございまする。筆頭家老を仰せつかっておりまする」

治部大輔様の許しを得て豊後守が慌てて名乗る。陪臣の名乗りまで許すとは治部大輔様は随分と寛容なお方のようだ。関東管領様ではこうはなるまい。関心が無かろうからな。


「さて、一族郎党で府中に入っているとか。用向きを聞こう」

「はっ。さすれば仕官を願いたく馳せ参じましてございまする」

「関東管領殿に国を譲って出奔したか。関東管領殿は越後の長尾を頼って北条殿に対する反抗の機会を狙っているとか。国を出てよかったのか」

さすがは治部大輔様だ。上野の事情までよくご存じだ。そこまでご存じならば当家と主家の蟠りもご存じであろうな。

「当家は長年山内上杉家に忠義を尽くしてまいりましたが、関東管領様にはもはや付いていけませぬ。ここぞという時には家臣に任せて勝機を失い、今ではない時に事を起こして要らぬ敗北をする。あれでは安心して仕える事ままなりませぬ」

「手厳しいな。だが彼の御仁の行いを見ているとその方の気持ちもよくわかる」

「なれど歴代が受けた義理を某が蔑ろにする訳には参りませぬ。かといって一族郎党を無駄死にさせるのも憚られ、悩んだ末に所領を関東管領様に返上し、お暇を頂戴して郎党を引き連れ国を出でることにした次第にござる」

「で、あるか。関東管領殿は信濃守無くして上野を北条殿から守れるかの」

「分かりませぬ。北条だけでなく武田も狙っておりますれば、厳しい状況が続きましょう」

儂が見立てを語ると、治部大輔様が苦笑いを浮かべながら述べられた。

「当家は武田殿とは盟約を結んでおり、今北条殿とも和議を結ぼうとしておる。重ねていえば、河越城の戦さでは今川は対北条の共闘からいち早く離脱している。その今川に仕える事にしこりは無いか。武田にも北条にも紹介の文は書いてやることもできるが……」

なるほど。忠義を尽くせるのか問うて来られたか。……河越城の戦いか。あの戦いでは嫡男を失った。今川の離脱は挟撃という意味では解消されたが、関東管領様が事前に承諾していることでもある。それに今川がいなくとも味方には八万の軍勢があった。戦いに敗れたのは今川のせいではない。


「あの負け戦は起こるべくして起こったと今ならはっきりと言えまする。厭戦気分の高まりに何の手立てもうっておりませなんだ。御当家のせいではありませぬ。また、長野は長年長尾家と争っております。北条は主家の敵でありますれば武田に仕えるも気が進みませぬ。ここは勢いのある今川家に仕官したく考えましてございまする」

「で、あるか。正直なところを申さば、その方らが俺を頼って来てくれたのは嬉しく思っている。世に聞こえた剛の者が俺を頼って来てくれたとな。だが今川で良いのならばなぜ父上ではない。父の下であれば西への征討で恩賞の機会が多いと思うぞ」

治部大輔様が笑いながら述べられる。感触は悪くないようだ。お抱えの乱波が伝えてくれたのか、儂たちに対する評価も良いように思える。

「若くして果断なご決断をされるところが頼もしゅうござる。先般は反抗的な寺をお焼きになられたとか」

治部大輔様の出す雰囲気につい本音が零れた。しまった。不躾であったかの。お気を害するかと思ったが、むしろ清々しそうに応じられた。


「少し焼いてやったら随分と静かになったわ。だが三河や長島では俺を仏敵と罵る者も多いらしい。第六天魔王ともな」

治部大輔様が一頻り笑われた後、真面目な顔で儂の顔をよくご覧になった。


「いとどしく すぎゆく方の 恋しきに うらやましくも 帰る波かな」

しばしの時が流れたと思うと、治部大輔様が急に歌を詠まれた。……伊勢物語の一首ではないか。思わず苦笑した。どうやら治部大輔様は、我ら長野家が在原業平公の子孫を称していることをご存じのようだ。本当によくご存じだと感心した。それにこの歌を選んだのは国を捨てる覚悟があるのかと問うているように思える。


上野にいたころから駿河の発展については商人どもから聞いていた。我らに苦杯を嘗めさせる北条を破ったのが今の治部大輔様だと分かった時、どのような将かと気になったものだ。実際に会うてみて仕えるに申し分ないお方だと感じた。この方に儂と郎党の命を預けよう。

「上野に未練はありませぬ。何卒よろしくお願いいたしまする」

「うむ。長野信濃守業正とその一党を召し抱える。差し当たって禄は三千石とする。働き如何では加増しよう。励めよ」

平身低頭すると、流れ者には破格の禄を申し渡された。驚いて不遜にも面を上げると、治部大輔、いや、殿が笑みを浮かべて大きく頷かれた。




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