第四十八話 第六天魔王




天文二十年(1551)九月下旬 伊豆国田方郡土肥村 龍泉寺 今川 氏真




「我等は北条様より、これは左京大夫様ではござりませぬぞ。鎌倉の執権であった北条様よりこの地を治めることを認められているのでございまする。今川様の指図を受ける立場にはござらぬ」

袈裟に身を包んだ老師が堂々と語っている。後ろに控える幾人の若い坊主どもが頷いて勢い付いている。


「何も俺は龍泉寺の所領を召し上げようとしておる訳ではない。年貢を納め、不必要な武力を削れと申しているだけだ」

「守護不入を認められている我等としては、到底受け入れられませぬ。守護不入を認めているのは北条執権殿だけではござりませぬぞ。室町殿も同じでござります」

老師が声を張って答える。若い坊主どもが"左様でございますぞ"と唾を飛ばしてくる。


「今伊豆の地を治めているのは今川だ。幕府ではない。なれば今川の法に従ってもらおう」

「何と。幕府を蔑ろにされると申されるのか。今川様は室町様の家臣に過ぎませぬ。我等を手打ちにされるとあらば、それ相応の報いを受けることになりまするぞ」

老師が一際大きく言い放った。全く口の達者なやつだ。



伊豆の統治を完全なものにするために、既得権益の権化である寺院に手をかけた。今は鎌倉時代創建の古刹であるが、今川の支配を拒み続けている龍泉寺に来ている。事前交渉がものの見事に破談となったので、沼津と下田から集めた二千の親衛隊で寺の前に陣取っている。ただ完全に包囲しているわけではない。はじめから完全に囲っては窮鼠になるからな。


対する龍泉寺は二百の僧兵を集め、囲いが緩いのを良いことに近くの寺院とも連絡を取っているようだ。さすがは古刹だ。他の寺にも守護不入を守ろうと檄を飛ばしているらしい。ま、連絡を取ってくれるのなら好都合だ。この際まとめて不満分子を駆逐してくれよう。


「その方らは年貢を納めぬばかりか、今二百の僧兵を持って立て籠っている。この武力は何と言い訳するのだ」

「他の寺や野盗から襲われた折りには守る術が必要なれば、ある程度の武力は必要でございまする」

「ある程度はいいだろう。そうだな、数十の兵を持つのは認める。だが他の寺や野盗から襲われる事は無い。何故ならば今川がしっかりとこの地を治めるからな。安心して武装を解除せよ」

「堂々巡りをしておりますが、この地を治めるのは我等でありそれは永年認められていることにござりますれば、治部大輔様こそ立ち退き頂きたい」

これだよ。まさに甲論乙駁だな。さすがに俺もだんだん頭に血が上って来たぞ。



「……其処まで言うのならば分かった」

俺の言葉を受けて老師が満足そうな顔をする。後ろの坊主どもも欣喜雀躍な様子だ。安心するのは早いぞ。


「今川の法を受け入れられぬのならば、その方たちは賊と変わらぬ。成敗が必要だ。寺を焼き払ってくれよう」

「はっ?い、今なんと申された」

「寺を焼くと申したのだ。老師達は寺に戻るが良い。寺と運命をともにされるがよかろう」

老師の顔に焦りが浮かぶ。俺が本気だと悟ったらしい。


「さ、左様なことできるはずが無い。拙僧は脅しになど屈しませぬぞ」

「これは脅しではない。決定事項だ。心配するな。仏を思う心があれば寺が灰と帰したところで大したことではあるまい」

「し、神仏を恐れぬ斯様な所業、天罰が下りますぞ!第一、斯様な所業にあなた様の兵が付いてきますまい」

"そ、そうですぞ"と若い坊主どもが力無く呟いた。老師が狼狽しはじめるとお付きの坊主どもも慌て出した。腰巾着そのものだな。さっきまでの威勢はどうした。


「上野介、内匠助、その方らは仏と俺の命ならばどちらを選ぶ」

「「若殿でございまする」」

「新右衛門と平三郎、その方らはどうだ」

「「殿の命に従いまする」」

「で、あるか。全ての責は俺が負う。準備が出来次第龍泉寺を焼き払え」

俺の命を受けて杉山新右衛門と渡辺平三郎が走っていった。命を伝えられた親衛隊が粛々と火矢を放つ準備を始める。


「ふ、仏敵治部大輔っっ!」

老師が叫んだ。お、元気が戻ってきたか。

“天罰が下りますぞ”

後ろの坊主たちも姦しい。


「早く寺に戻られるが良いぞ。老師、今こそ修練の成果を見せる時であるな。心頭を滅却すれば火もまた涼しかろうて」

「な、何と恐ろしい!後悔なさりますぞ」


「俺はこの地よりそなた達のような生臭坊主を追放し、民に安寧をもたらす。俺の行いが正しければ神も仏も咎めはしないだろう」

既得権益に凝り固まった愚か者達が。これで聖人とは笑わせる。上野介に流し目をくれると、三浦内匠助と朝比奈弥次郎が坊主達を引き連れていった。


"だ、第六天魔王っっ!"

老師の叫ぶ声が聞こえた。おいおい俺は信長かよ。俺は事前の通告に丁寧な直接交渉までやっている。極めて紳士的に進めたのだぞ。魔王ということはないだろう。


親衛隊の兵たちが相良油田から持ってきた石油を矢の先端につけた布に含む。あれは良く燃える。籠城している僧兵たちも驚くだろうな。


「寺の包囲はこのまま片側にしておこう。逃げる者は追わなくてよい。さて、老師達が寺と運命をともにするか、恥を掻き捨てて逃げるのか見物だな」

俺の言葉に陣内にいる将たちが頷いた。ま、逃げるならそれもまた良しだ。匿った寺は悉く焼き付くしてくれる。


寺を焼く。


こうなるように育てたとはいえ、自分の命を粛々とこなそうとする部下を見て頼もしく思った。




天文二十年(1551)十月中旬 駿河国安倍郡府中今川館 今川 義元




「御屋形様、ただいま戻りました」

「雪斎殿、三河の地は如何でしたか」

雪斎が部屋に入って座ると、早々に母上が問いかけた。

「はっ。やはり一向衆どもが燻っておりまする」

やはりそうか。坊主どもめ……。いつかは坊主と対立する日が来ると思ってはいたが予想していたよりも早かったな。

「それで?三河はどうしている」

「井伊内匠助や天野安芸守を中心に約三千の兵を岡崎に駐屯させておりまする」

三千か。多くはないが、常に置いておくには中々の穀潰しだ。だが一向衆どもが本格的に騒いだら三河が揺れる。面倒ではあるが目を瞑るしかあるまい。


先月、治部大輔が伊豆で守護不入を盾に何かと言うことの聞かない寺を鎮圧した。反発した幾つかの寺は、再三にわたる警告と、治部大輔の軍による包囲を受けても悠長にしていたようだ。まさか自分たちが攻められる訳はないと高をくくっていたらしい。治部大輔は"法に従わないのならば賊と変わらぬ。成敗せよ"と申して寺を焼き払ったという。寺の者たちは散り散りに逃げたらしい。逃げた僧たちに話を聞いて慄いたのか、伊豆の寺は今川の支配を受け入れた。一向宗の寺が粘ったようだが、あえなく灰塵と化したと聞く。残ったほとんどの寺も武器を治部大輔に没収され、今後は仏の教えに専念するらしい。


過激にやってくれたものだと息子に対して溜め息をつきたくもなるが、治部大輔は仮名目録に従っているだけだ。それに伊豆の一向宗の牙を抜けたのは大きい。駿河は元々一向宗が弱い地域ゆえ動揺は無かった。これで今川の支配が駿河と伊豆に対して完全に浸透した。


駿河と伊豆の支配が強化された一方で、一向宗の影響力が大きい三河が動揺している。三河の一向宗どもが次は自分たちではないかと不審な動きがあるのだ。


「三千も常に置いておかねばならぬとは中々な費えですね」

「治部大輔は今川仮名目録に従って処断しただけなれば、余としても咎める事はできませぬ」

「ただ、今少し穏やかなやり方があったのではと思いますが……。治部大輔殿にしては苛烈なやり方でしたね」

母上が小さく溜め息をついた。


「ま、最初が肝心なれば致し方ありますまい。一向宗と守護は相容れぬものなれば、いつかは戦わねばなりませぬ。治部大輔様は伊豆の支配強化にあたって訣別を選ばれたのでしょう」

三河も治部大輔のように果断にできれば良いが、あそこは一向宗の規模が違う。坊主どもを完全に抑えるのは尾張を抑えてからの方が良かろう。それまではやむを得ぬ。

「雪斎、三河駐屯の兵糧だが、治部大輔に捻出できぬか話して見よう。伊豆の支配強化で実入りも増えるはずだ。あやつも理解してくれるだろう」

「そのように手配叶えばありがたく存じまする」

そういえば治部大輔が蔵に銭が山のように余っていると言っていたな。銭で買ってでも用意するよう頼んでみるとするか。……しかし、あやつは神仏を恐れぬのだろうか。余も洛中で修行していた時は下衆な僧侶を少なからず見た。堕落した僧は成敗してくれようと思うたことも無いことは無いが、まさか焼き払うとはな。中々できぬ決断だ。息子の行いを清々しく思った。




天文二十年(1551)十月下旬 伊豆国田方郡平井村 今川 氏真




"それ"

"えいやっ"

"ほいよ"

"えいやぁっ"

若い男が太い枝を置くと、初老に差し掛かるかという男が大きな声で斧を振り下ろす。

"カコォーン"

という小気味良い音とともに、枝が叩き割られて跳んだ。芯を捉えて割っているのか、枝は綺麗に真っ二つに割れている。若い男と初老の男の立場が逆ではないかと思うが、芯を捉えて斧を振り下ろす作業に熟練の技があるのだろう。


案内を受けて次の工程の視察に移る。割った楠木をさらに細かくしたものを蒸して蒸留する工程だ。男が蒸し終わった楠木を持ち上げている。成分を抽出した楠木は乾燥して薪として無駄なく使うらしい。見た目は小柄なのだが、随分と重そうな箱を一人で持ち上げていた。この時代の人夫の地力に感心をする。


蒸留と冷却の工程に続けて、圧縮と最終工程の袋詰めを視察する。先に進むにつれて徐々に懐かしい香りが鼻をこする。箪笥や衣装入れで必ずといっていい程した懐かしい香りだ。袋詰めをする作業場に着くと、雪のような樟脳が堆く積まれていた。裸の樟脳をこのように大量に見るのは初めてだ。


「雪のようにも、塩のようにも見えまするが、これはいったい何でござりますか」

横で見ている上野介が問うてきた。何事も熱心に覚えようとしている。最近は自学自習も盛んらしい。赤鳥堂の店主が言っていたな。上野介がよく来ては商いの事を質問していくと。銭の力を身に染みて感じているらしい。元は名家の大名だろうに、つい笑みが零れる。

「これは樟脳と言ってな、虫よけの効果があるのだ。これを袋に詰めて着物の近くにおいておけば、虫が来るのを避けることが出来る」

「虫よけでござりますか。上手く使えば着物の他にも使えそうですな」

「そうだな。それにな、南蛮の方では随分と重宝されているらしい。高く取引されているとか」

ニヤリと笑みを浮かべて話すと、上野介が“蔵を新たに作っておきまする”と応じた。こやつとは長い付き合いだ。俺に合わせて冗談も覚えて来たらしい。二人で声を出して笑った。




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