第四十七話 冷静と情熱の狭間




天文二十年(1551)八月下旬 山城国上京 近衛邸 草ヶ谷 之長




「幕府と三好の和睦交渉が本格的に始まったようじゃ」

「左様でおじゃりますか。洛中に平穏が訪れるとよいのでおじゃりますが」

「その通りでおじゃるの。だが前管領の右京大夫が拗らせておるとか」

内府様と山科内蔵頭様のやり取りに久我権大納言様が入る。

「まったく、このところの幕府の衰えは痛々しいの」

「左様でおじゃりますな。多くの者が何かと三好筑前を頼りにしている様子。畿内に静謐をもたらすのは筑前守やも知れませぬ」

内府様の呟きに内蔵頭様が幕府に手厳しくお応えになる。


この顔ぶれで集まるのにも慣れてきた。だが麿が意見する相手ではない。こちらに意見を求められぬよう適当に相槌を打って静かに控えていた。


「内蔵助、今日は静かではないか。如何致した」

内府様が"ホホホ "と笑いながら問いかけてくる。"はっ。いえ"と適当にいなした。禁裏の外とはいえ、内大臣や権大納言と内蔵助では差がありすぎる。分を弁えねば無礼になる。公家の世界では謙虚であることが重要だ。

一人考えていると、笑みを浮かべて内府様が言葉を続けた。

「此度の献金、大儀であった。帝におかれても大層お慶びであらしゃられた」

内府様のお言葉に頭を下げた。お家のことを褒めてもらったとなれば嬉しく思うが、麿を褒めるようにされては少々恐縮だ。献金の段取りこそ麿がしたものの、ほとんどは若殿のご指示だ。


先月、幕府軍と号して前管領の細川右京大夫から指示を受けた三好右衛門大輔と香西越後守らが三千程の兵を率いて上洛した。六角も呼応して山科へ一万の兵を進め、細川右京大夫の領国にあたる丹波の波多野右衛門大夫も二、三千の兵を用意したらしい。だが相国寺に入った三好右衛門大輔と香西越後守は増援が来る前に三好の大軍に蹴散らされた。なぜ不用心に本隊が先発隊のように洛中へ入ったのだろう。お互い準備万全になるまで戦は始まらないとでも思うたのでおじゃろうか。そうであれば幕府軍の驕りでおじゃるな。

虎の子の兵力を失った幕府は、最大の支援者である六角弾正少弼の薦めで和議に向けて交渉をはじめた。幕府側は乗り気で無いようだが抵抗しようにも軍事力が何もない。和睦をせざるを得ないだろう。


「麿は大したことは……」

「謙遜しなくともよい。治部大輔からの文にもその方がよく動いてくれたとあったぞよ」

若殿が?麿への文には内府様の申し出を謹んで受けるようにとしか……。そうか、若殿がそのように仰せだったか。それは素直に嬉しく感じた。


幕府の侵攻により、洛中では所々で火の手が上がった。特に戦場となった相国寺の付近では被害が酷く、家を失った者も多かった。若殿からは、もし幕府と三好の争いで洛中に被害ある場合、支援を惜しむなと予めご指示を頂いていた。ただ支援するよりは、朝廷に献金し、朝廷から民へ慰撫という形で配る方が良いだろうと思って内蔵頭様や内府様に協力を求めた。二人は大いに賛同して精力的に動いて下さった。


「此度の献金による民への慰撫によって朝廷の威光は高まった。帝も民草を救うことができて良かったとのお言葉じゃ。それでな、今回の事で内蔵頭は参議に叙任されることになった」

内蔵頭様が公卿に?それは目出度い。参議ならばさらに上がることができる可能性が高い。

「おめでとうございまする」

「治部大輔殿とそなたのおかげでおじゃる。礼を申すぞ」

「内蔵頭は引き続き山科が兼務じゃ。お主にという思いもあったのじゃがの、今川に身を置きながら朝廷の内蔵頭は荷が重かろう。そこでな、そちは五位蔵人に任じることとした」

「麿を蔵人に?……それは有難き事でおじゃりまするが」

「案ずるな。治部大輔殿の了解はとってある。それに五位蔵人ならば三名まで設置できる上に昇殿が許される。朝廷へ何かと気配りしてくれる今川の代理が、正六位下で昇殿ができぬようでは何かと不便じゃ。これは帝の御内意でもある」

そうか、若殿からの文にあった"内府様のお話を謹んで受けよ"とはこの事であったか。そこまでご配慮頂いたのであればお断りする理由は無い。

「謹んでお受けいたしまする」

「良かったの」

権大納言様が笑みを浮かべて言葉を掛けてくださる。内蔵頭様も祝って下さった。


「最後にそなたの父である少納言だがな、息子のそなたと同じ位階では体裁が悪かろう。こちらは別に治部大輔から新たな官位へと依頼があった。下向の折に会うたが、中々優秀なようじゃ。治部大輔も頼りにしていると見える」

"はっ。恐縮至極におじゃります"

若殿元服の折、駿河に下向された内府様と父は面会している。若殿の取り計らいだったが、近衛家の次期当主に目通りがかなって父は嬉しそうだった。益々励まねばならぬと苦労を厭わぬ様子だった。


「少納言は正五位下権右少弁に転じさせる。従五位下となるその方と何とか釣り合いが取れよう」

右少弁か。太政官の職だが……権官だから遠方でも構わないという所か。

「何から何までの御配慮に重ね重ね御礼申し上げまする」

内府さまが"うむ。期待しておるぞ"と仰せになった。謹んで頭を下げる。


また一つ朝廷の奥に食い込んだ。位階の昇進は嬉しいが、麿は若殿の臣下であることを忘れてはならぬ。あくまで第一は今川の、いや若殿だ。せっかく昇殿が許される身となったのだ。頃合いを見て昇殿してみようではないか。新たな情報が得られるはずだ。




天文二十年(1551)九月上旬 駿河国安倍郡府中 臨済寺 竹千代




「その場合は私が値を下げて対抗致しまする。さすれば相手よりも利を得られまする」

「うむ、竹千代は下げるか。では治部大輔様は如何されますか」

「俺ならば下げぬ」

値を下げない?なれどそれでは甲の安い品に押されてしまうのでは……。

「ほぅ、ではどのようなお考えか拙僧にお聞かせ下され」

「うむ。この場合はいくつか手筈を考えてみると解が見えてくる。甲に対抗して乙が値を下げる場合、下げぬ場合、その先に甲がどう出てくるか。甲乙それぞれの体力にもよるが、恐らく甲は再び値を下げて来るだろう。そうなると、はじめから乙は値を下げぬ方が最終的な利は多いはずだ」

「ほぅ、先を読んで結果から決める訳ですな」

「うむ。俺はこれを帰納法と読んでいる」

「なるほど、治部大輔様の仰せの通りですな」

"帰納法"と治部大輔様が紙にお書きになった。帰納法?。仰せになっていることの意味が全く分からぬ。雪斎様はご理解されているようだ。


「考えられる事象を場面に応じて考えるのだ。己がこの手を取ると、相手にはどのような手が生まれるか、そしてそれが複数あるのならば、相手は何れを取るだろうか。相手がまともな者であれば己に最も利をもたらす手段を取るはずだろう?つまりは取りうる手段を考えて、後で後ろから戻るように最適な解を見出だす。これが帰納法だ」

治部大輔様が某の顔を見て優しくご説明をしてくださった。半紙には治部大輔様が木のような絵を描いてくださっている。分かったような、分かっていないような……。

「いい得て妙ですな。この話は拙僧と治部大輔様の二人の時にまた致しましょう。竹千代がそろそろ限界の様ですので今日の所はこのくらいにするとしましょう」

「某はまだ……!」

お師匠様が片付けをはじめる。某のせいで講義を止めるのが申し訳無かった。


「よい。竹千代と俺は五つ歳が離れているのだ。気にするな。むしろその方はよく付いてきている。俺はいつも感心しているのだぞ」

治部大輔様のお優しい一言に言葉が出ない。

「治部大輔様には易しき問いでしたかの」

「左様な事は無い。改めてものを考える良き問いであった」

"失礼するぞ"と仰せになって治部大輔様が下がって行かれた。麻機村に向かわれるのだろうか。治部大輔様は雪斎様の説法を聞かれる日はその後に麻機村に行かれる事が多い。いつも政務にご熱心だ。


「竹千代、気落ちしておるのか?」

「はい。また某のせいで説法を止めてしまいました」

「気に病む事は無い。全ては学びに通じている」

全てが学びに?どういうことだろうか。

「誠でありまするか?治部大輔様が今日得るものはありましたでしょうか」

某の顔に不安が出ていたのだろう。一際温かい面持ちでお師匠がお話になった。


「治部大輔様は、今日の説法を聞いて、竹千代よりも己は事を理解している。その様に捉えることはせぬだろう。あの方はな、恐らくこう思うはずじゃ。竹千代程に努力しておる者でもこの話は難しいのだと。民草と比べてみよ。竹千代ではない妙齢の民草とて、今日の話が分かると思うか?」

「難しいと思いまする」

「左様。治部大輔様は民草にはもっと言葉を易しくせねばならぬと考えるはずじゃ。人は己とは違う。これを学ぶことで人を理解し、人の痛みが分かる。簡単なようで難しい事じゃ。良いか。考え、理解する。これが人と獣の違いであるぞ」

全てが学びに通じる。そういうことか……。


「治部大輔様は大きな方ですね」

「そこは儂も同感じゃ。あの方は昔から不思議と考えが深かった。孔子、荘子、老子、韓非、軍記と、お教えした故事は数えきれぬ。常ならそれらを通じて、物事をどのように考えて行くのか……その方にはまだ難しいやも知れぬがの、徐々に考え方というものを作るのだ。だがあの方にはそれが無かった」

無い?どういうことだろうか。今日は分からぬことばかりだ。

「真理というか、芯と言うべきか。見聞き、目利きしたことをどう咀嚼するか。その根底が始めから出来ておった。だからの、儂もあの方を弟子と呼んでよいか時々戸惑う事がある。誠に不思議な方よ」

治部大輔様のような方を神童と呼ぶのだろうか。某も同じようになれるだろうか。


「某は……治部大輔様のようになれるでしょうか」

「どうかのう。其処元は治部大輔様のようになりたいのか?」

「分かりませぬ。ただ、手本にしたいと思いました」

「ほぅ、手本とな。そういえば其処元ははじめ、来たばかりの時に織田吉法師、今の上総介殿に対してもそのように申しておったの」

微かに覚えがある。民の事をよく知ろうと頻繁に町へと繰り出す吉法師様を見て、某も三河の民に同じ事をしてやりたいと思った。


「上総介様の行いも手本にしたいと思うておりまする」

「聞く限りの上総介殿と、治部大輔様とでは全く人となりが異なるの」

「はい。熱き様は上総介様を、落ち着いた様は治部大輔様を手本にしたいと思いまする」

「ハハハ。手本が多いのは良いことだ。だがの、上総介殿を手本にというのは外で申してはならぬぞ。其処元は今、今川の地におるのだ。忍々、自重せねばならぬ時なればの」

「お教えしかと心得まする」




天文二十年(1551)九月上旬 駿河国安倍郡府中 松平邸 松平 竹千代




「お祖母さま、竹千代ただいま戻りました」

「お帰りなさいませ。早くに戻りましたね」

お祖母さまが迎えて下さった。

「竹千代さま」

「うむ」

部屋の奥に入ろうとすると名を呼ばれた。近習の石川与七郎だ。いつものように刀を預ける。与七郎は刀を受け取ると、無駄のない動きで刀を台へ掛け、部屋の隅に控えた。他の供たちも控える。


「禅師のお教えは如何でしたか」

「今日は一際難しゅうございました。治部大輔様とお師匠のやり取りに付いていけず、某のその姿を見て早めに終わったのです」

“そうですか。精進なされませ”

お祖母さまが優し気なお顔で励ましてくださった。

励ましは嬉しく感じるが、自分への悔しさと申し訳無かった気持ちが思い出される。


「治部大輔さまは歳が上なれば、ものを多くご存じなのは当たり前でござりまする。それを殊更ひけらかす様は浅ましゅうございまする」

供の阿倍徳千代が声を荒げた。

「徳千代、口を慎め。治部大輔様は左様な事をされる方ではない」

「なれど」

徳千代がまだ言い足りぬといわんばかりに続けようとする。こやつはどうも今川に敵対心を持っているようだ。隣に座っている七之助が肘で小突く。平岩七之助は与七郎と似て常に冷静な男だ。


「竹千代様。松平は今川と盟約をしているのでござりまする。我等は盟約の証として駿府に来ているのでありますれば今川様の、特に御屋形様譜代の方々に卑下されるのは我慢なりませぬ」

徳千代がまた騒いだ。


「徳千代、いかがいたした。何の話だ。何を斯様に怒っているのだ」

今川家から貸し与えられている屋敷だ。今川家の耳が無いとも限らない。徳千代もそれが分からない訳ではないと思うが何かに怒っている。今川家の方と何かあったか。

「隣の屋敷の孕石殿にやられたのです」

榊原平七郎がうつむきながら話し出した。やられた?

「孕石殿のご一行と出くわして、徳千代が道を譲らずにいると口論になったのです。その内に向こうにいる者が人質一行の分際でと申しまして、徳千代が手出しをしそうになりましたので引きずるようにして屋敷に戻りました」

七之助が淡々と答えた。私が酒井小五郎と与七郎らと臨済寺に行っている間に一悶着あったか。


「徳千代は松平家御嫡男の直臣にございまする。あのような無礼な扱いは納得いきませぬ」

「徳千代。控えなさい。その方の気持ちは分からぬではありませぬ。なれど、そなたは今、どこにいるのかを考えるのです。あなたの行動が主君を危険にしているということを身に覚えなさい」

お祖母様が珍しく声を荒げて徳千代を叱った。さすがの徳千代もお祖母様に厳しい顔を向けられて反省した顔を浮かべている。


 上総介様なら、笑いながらやり返して来いというかもしれぬ。治部大輔様は……あのお方は何と仰せになるだろうか。



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